第13話 救いの手

 後頭部にズッキーンと強烈な痛みが走り「ウッ」呻いて意識が戻る。押さえた手がぬるっとする、出血しているようだ。

「あ~そうだ。……エレベーターホールで誰かに殴られたんだ」と、思いだした。

目を開けているはずなのに真っ暗闇。――恐怖が体中を駆け巡る。

深呼吸して――落ち着け数馬! しっかりしろっ! ――自身に言い聞かせる。

 助けを呼ぼう……ポケットに手を突っ込むと確かにケータイに触れたが手の感触でそれが壊されていることが分かった。――くっそー、誰が、何のために俺にこんな事を……

 

 取り敢えず四つん這いになって辺りを手探りで確認してゆく。……ひんやりしたコンクリートに囲まれた細長い部屋のようだ。

 足元には危険物がなさそうだ。今度は壁をまさぐりながらゆっくり立ち上がる。途中で四角い金属の箱に触れた。幅は七、八十センチくらいか、高さは……上端まで手が届かないから一メートル以上は有りそうだ。

指先が箱のプッシュ式の回転取手に触れた。扉を開け中を探ると相当の数の配線が指先や手の平に触れる。

 ――恐らく電話かネットの配線だろう。……それでここがどういう部屋か見当がついた。

 

 ようやく目が少し慣れてきたようだ。微かだが視界がきく……。

 ――兎に角ここを出よう―― 壁伝いにゆっくりドアを探し、次に取手を見つけその少し下に手を這わせると……鍵穴があった。指先の感触では特殊な鍵じゃなさそうだ。――ホッと一安心。

それから尻のポケットからピッキングの七つ道具を取り出して……

これさえあれば……

 

 かかった時間は分からないが兎に角開錠できた。

ゆっくりドアを押し開く。

僅かな隙間から勢いよく日中の明るさが目に飛び込み、眩し過ぎて一瞬視界を失う。夜は完全に明けてしまっているようだ。

……目が慣れてきて周りを見回すと、閉じ込められた部屋は玄関脇にあった。

財布の中身を確認してからタクシーで家に帰ろうと歩きだすと、エレベーターホールの角を数人の男が曲がってきた。

「ちょっと、待って」声を掛けられた。

顔を向ける

と一人が手帳を数馬の目の前にかざす。警察だった。

 ――助かった。

「あ~良かった。刑事さん、俺、岡引きです。岡引数馬、知ってるでしょう?」

刑事らは顔を見合わせて「ここで何してる?」質問には答えず質問を返す。

「誰かに殴られてそこの部屋に閉じ込められ、今鍵開けて出て来たとこ。事務所へ送ってくれると助かる。頭から出血してるみたいなんだ」

若そうな刑事が数馬の後ろに回る。「あ~結構な出血だなぁ」

「じゃ、警察病院へ連れて行け。そこで事情を訊く」年配の刑事が言う。

数馬は両脇を抱えられ否応なしにパトカーに乗せられた。

 ――えっ、なんだこの扱いは? ……

「悪いけど、事務所に電話入れてくんないかな?」

「それは、事情を訊いた後だ」年配の刑事は偉そうに言う。

数馬は少しムカッときて「丘頭警部は? 警部なら俺の事知ってる。呼んでくれ!」

「あんた、岡引数馬って言ったな」

数馬が頷く。

「少し黙ってろ!」

命令調で言われ一層ムカつく。

「何だよ、怪我してる一般市民をそんな、犯人みたいに……」

「ほー、あんた犯人じゃないのか?」

「えっ、何の?」

 ――なんか事件でもあったのか?

「知らないのか? あのビルの七階で何があったのか?」

「そうか、俺を殴ったのその犯人か……そしたらあの中年男が犯人か? ……」

呟いてしまってから、数馬ははっとして口を押さえた。

刑事が聞き耳を立てている。

「ほ~、あんた何か事情を知ってそうだな。治療した後、じっくり訊かせてもらうとするか」

年配刑事はそう言ってにたりと嫌らしい笑みを浮かべた。

次の瞬間、数馬の意識が朦朧としてきて座っていることが出来ずに隣の刑事の膝の上に倒れた。

 

 

 数馬が意識を取戻したのはベッドの上だった。

目の前に看護師がいる。

「……あの~看護師さん、俺、どうしてここにいるんだろう?」

看護師は手を止めて

「あなたは、警察のひとに担がれて警察病院に運ばれてきて、出血が酷かったから貧血を起して気を失ったのね。輸血まではしてないけど血が増えるように点滴してるのよ。出血はもう止まってますからね」

少しずつ思い出してきた。

……事務所に戻らなきゃと思って起き上がろうとすると天井がぐるりと回って倒れた。

「あっ、まだダメですよ。無理しちゃ」

「事務所に電話入れないと、心配してると思うから……」

話の最中に例の刑事らがどやどやと入ってきて、あの威張り腐った年配の刑事がベッド横に腰掛け

「どうだ、喋れるか?」と、言う。

変わらず偉そうな口を利く。

 ――こういうやつは大嫌いだ……

「あ~、家に電話入れさせろ」 

「さっき、お前が言った浅草署の丘頭警部に電話入れといた。家に連絡してくれるそうだ」

数馬はそれを聞いてほっとした。――これで帰れる。

「医者からまだ起すなと言われてるから、このままで訊く。正直に答えろよ」

数馬はわざと返事をしなかった。――ここは探偵の守秘義務を持ち出して教えてやるもんか、と意地になった。

「何故、あそこに居た」

「殴られて閉じ込められたから、鍵開けて通路へ出たらお前たちが来たんだ」

一回答えた事を繰返した。

「それは聞いた。そうじゃない、何故あの建物の中にいたのかと訊いてるんだ!」

怒鳴りつけるような言いようにまた腹が立つ。

「それは、探偵の守秘義務があるんで答えられない」――へんっ! お前になんか答えてやるもんか……

「なにぃ、探偵なんぞの分際で生意気な事言うな! 喋れ!」声を荒げて怒鳴る声が頭の中に強烈に響く。

とっさに呼び出しベルを鳴らした。

パタパタと看護師が走ってくる。

「頭が痛いって言ってるのに、耳傍で怒鳴られて、割れるほど頭痛い」と、訴える。

看護師がキッと刑事らを睨んで

「出ていって下さい。患者の体調が戻るまで面会を禁止します!」

そう言って、数馬と刑事らの間に立って退室を指示する。

刑事らはこっちを睨みながら渋々出ていった。

「ありがとう。助かった」

「たまにいるんです。患者さんに怒鳴る人。ナースセンターまで聞こえてたから、止めに来ようとしたらブザーが鳴ったんです」看護師はにこにこしてそう言ってくれた。

「ゆっくり休んで下さい」

 ――優しい看護師さんで良かった……

 

 二日後、数馬は退院し、そのまま墨田警察署に連行された。

それから二日間数馬は山白とかいう生意気な警部と日がな一日睨みあいを続けていた。

警部は「吐け!」と怒鳴り続け、数馬は「守秘義務!」と叫び続けた。――根比べだ。

 

 

 墨田警察署に連行されたと聞いてから二日目、戻ってこない兄を心配して美紗は墨田警察に乗り込んだ。捜査課のドアを開けて、

いきなり「岡引数馬を返せ!」と叫んだのだった。

窃盗事件があったビルに行ったことは一心から聞いていたが、何故そのビルに行ったのかは聞いていなかった。――いずれにしても二日間も留置される理由は無い

 美紗は市森和也という妙に腰の低い刑事に会議室に案内された。

「今、取調べ中なので会わせるわけにはいかないんです。何も話してくれないんで時間がかかってるんです」

市森刑事は汗を掻きながらそう説明する。

今にも揉み手でもしそうな感じでキモイ。

「その窃盗事件のあった会社に数馬の指紋とか何かそこにいた証拠でもあんのか?」美紗はそう迫る。

市森刑事は「いえ、七階では何も見つかっていません。一階だけです」

「だったら、何の容疑で拘束してんのよ!」

これまで散々警察に協力してきたのにという思いが強く、美紗は怒り心頭。

「それに、数馬を殴ったやつの捜査はしてんのか?」と、訊けば、

「いえ、窃盗事件を追うので精一杯で……」と、言う。

「兄を殴った奴が犯人じゃないのか? どうなのよ!」

市森刑事が答えられずにいると、そこに警官に連れられて女性が入って来た。

そして市森刑事に噛みつくような勢いで

「数馬を返して! 怪我してるって言うじゃない」

と、怒鳴る。

「ろくな証拠もない。自供が有る訳でもない。犯罪に関わったかどうかも分からない。さっき捜査課でそう言われた。それなのに逮捕して、尋問とかやってんでしょう! どの部屋? 私連れて帰るから、言いな! 彼はどこ?」

その圧倒的な迫力に美紗も気圧され

「……あのーあなたどなた? 私、数馬の妹の美紗と言うんですけど……」

恐る恐る聞くのが精一杯。

その女性は美紗の存在に気付いていなかったようで

「あっ、ごめんなさい。私、和崎恵と言います。数馬さんとお付き合いしてます」

「え~っ!」美紗が大きな声で叫んだ。

 ――付き合ってるってはっきり言えるってことは、数馬が告ったってことだぞ……

「聞いてないぞ、数馬に彼女いるなんて」

「まだ、二週間くらいしか経ってないから、言ってないんだと思います」

さっきの怒鳴り声が想像できないような声で、ちょっと恥ずかしそうに言った。

「へ~、そうなんだ」

美紗はやっと数馬に彼女か……感無量。――いやいや、今はそれどころじゃない。

「じゃ、一緒に数馬を連れて帰りましょう」そう美紗が和崎恵に声をかける。

二人はキッと市森刑事を睨みつけて

「どの部屋にいるか言えっ!」

と迫る。

市森刑事はたじたじとして後ずさりしながら

「それは言えないんです。捜査上の……」

美紗がその言葉を遮り

「何が捜査上だ! 何の捜査か言ってみろ! それに、岡引数馬は浅草ひさご通りにある岡引探偵事務所の長男、逃げも隠れもしないわよ!」

そして和崎恵が

「私は、彼がどうしてあのビルに行ったのか知ってるから、教えてあげる。代わりに彼を解放して! どう、それならいいでしょ!」

美紗も驚いたが市森刑事はもっと驚いたようだ。

「ちょっと、待ってて」

市森刑事はそう言って会議室から逃げ出した。

「ほんとに知ってるの?」美紗が訊く。

「え~、私の友達の河合爽香って子が数馬さんの友達の彼女で、その子が中年男性と浮気してるっていうので、その男を尾行してたの。だから、その男がそのビルに入ったんで数馬さんは追いかけて入って誰かに殴られた。そういう事だと思うのよ」

「そうすると、尾行に気付いたその男が数馬を殴ったか、窃盗犯が殴ったか、だね」

「数馬さん、喋っちゃえば良いのに」

「和崎さん、そうはいかないの。探偵でも一応プライド持ってやってるから守秘義務とかに探偵生命掛けちゃうのよ」

「ごめんなさい、私知らないのに、いい加減な事言っちゃった」

 ――和崎さんって素直なのねぇ。なんか言訳するかと思ったら謝るなんて……

「いえ、良いんです。それより数馬の事宜しくお願いします。あいつちゃらんぽらんなとこあるし、彼女なんて聞いたこと無いから、女の子の扱い下手だと思うし、でも、正直だよ。悪い奴じゃないから仲良くしてやって下さい」

美紗はこの逞しそうな彼女なら数馬を引っ張っていってくれる。そんな気がして是非にでもひっついて欲しいと思い深く頭を下げた。

「いえ~、とんでもない。こちらこそ、美紗さんよろしくお願いします」

和崎恵も深々と頭を下げた。

 

「すみませ~ん、お待たせしました」

市森刑事が数馬を従えて戻ってきた。

「まだ、お返しするわけには行かないんですが、お話くらいしたいかなと思って連れてきました。十分間だけ時間をもらったのでお話し下さい」

そう言って市森刑事は部屋の外へ出ていく。

「やあ、心配かけてごめん」

数馬は美紗と和崎さんと代わりばんこに目線を走らせる。頭には真新しい包帯が痛々しい。

「大丈夫なの傷……」和崎さんが真っ先に心配そうな顔をして言った。

「あ~、何針か縫ったけど、もう大丈夫」

そう言って数馬が包帯の上から頭をぽんぽんと叩く。

「そう、良かったぁ」

涙目の和崎さんが数馬を見上げている。

その後、美紗は数馬から詳細な経緯を聞いて男の調査は引き継ぐと伝えた。

数馬と話が出来て元気そうな姿も見えてホッとした。それで和崎さんに「事務所に戻る」と言って一足先に部屋をでた。

――部屋を出てから美紗は自分の目にも涙が潤っていることに気が付いた。良かった。後は和崎さんがいるから数馬は大丈夫だ……ただ、何となく兄を取られちゃったかなって思うと少し寂しい。

 

 帰りがけに捜査課の市森刑事を呼び出して、

「私は帰るけど、数馬を早く帰せよ」と念を押し

「何か状況変わったら事務所に連絡すれよ」そう言って名刺を渡した。

 

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