第11話 危険な夜
和崎恵は、このままじゃ爽香と駿太が別れることになってしまう、どんなことも隠さずに話せる関係であって欲しい、という祈りのような気持もあって、何とかしたかった。
それで爽香に日曜日に久しぶりに爽香のお母さんに会いたいと――口実にして――言うと、それならと駅で待ち合わせすることになったのだった。今にも降り出しそうな雲行きだがなんとか持ちこたえている感じなので、バッグには折り畳みの傘を忍ばせた。
「お待たせ」爽香が小走りにやってくる。――やはり多少降ってもいい様な格好をしている。
めぐも一度だけ行った事のある施設に爽香のお母さんはいる。
「行っても、めぐの事分からないわよ」
――お母さんに会いたいのも嘘じゃないが、それより爽香と話すきっかけが欲しかった……。
「いいの、元気な顔が見たいだけだから」そう言うと爽香は素直に喜んでくれているようだ。
電車とバスに揺られて施設の有る町に着く。そしてお母さんがまだ自宅にいる頃、好きだと言っていた淡い紫色の桔梗やすみれなどにかすみ草を添えて花束にし綺麗に包装して貰う。
「めぐ、ありがとう。とっても綺麗、お母さん喜ぶわ」
「私を分かってくれたら良いんだけど、そうはいかないんでしょ?」
「うん、ごめんね」
「ううん、爽香大変だね。……駿太くん知らないんでしょ? お母さんの事」
「話そうかどうしようか迷ってる」
「駿太くんは、お母さんの事聞いても爽香のように大きな問題とは思わないと思うわよ」
「どうしてわかるの?」
「爽香は慎重派だけど、駿太くんは楽天的だし爽香まっしぐらって感じだから『どんなことあっても俺は爽香が好きだぁ!』何て言いそうじゃない?」
爽香が赤くなって「めぐってすごい! こないだ、正にそのまんまの言葉、言われた」
「きゃははは、ほんとう。ならそれ信じなよ」
笑いながらバス停から十分ほどの緩やかな上り坂を歩く。
「結構上ってるんだね息切れる」
めぐが言うと
「何回来てもこの坂ちょっとねぇ」
と、はぁはぁ言いながら笑う。
喋ってるとあっという間に「さくら」という看板が見えてきた。
――暖色系の三階建ての建物は暖かさと優しさが感じられる。玄関はバリアフリーになっていて車椅子での外出も自由にできそうだ。爽香がこの施設を選んだ理由が分かる気がする。
めぐには返事をしてくれなかったが、爽香には駿太を信じて話して欲しい。――爽香の考えすぎだと思う。
深呼吸をしていると、お母さんが玄関まで車いすに乗って出迎えてくれる。
「こんにちわ、和崎恵です」
思いっきりの笑顔で車椅子の前で屈んで目線を合わせお母さんの目をみるが、お母さんの目は空中を彷徨っている。――表情が無い……可哀想。
それでも花束を膝の上に載せてあげると、一瞬にこりとしたように見えた。
「河合さん、良かったわねぇ、綺麗なお花頂いて。お部屋に飾りましょうね。え~っと……」
ヘルパーさんが恵に目線を送ってくる。
「あっ、私、和崎恵と言います」
「そうですか、和崎さんから頂いたお花、ね」そうお母さんに言ってから
「どうぞ、中に入って下さい。面会室有りますから」
ゆっくり車椅子をその方向へ押して行く。
その姿を見て爽香がヘルパーさんに声をかけ代わって車椅子を押す。そして何かしらお母さんに笑顔で話しかけている。
恵はその姿を見て、お母さんが好きなんだなぁって感じる。
自分には両親が揃っていて、元気でいる。でも、大事にしなきゃって改めて思う。
――家のお母さんと同年代のはずだから、まだ50代前半。どうしてこうなっちゃうんだろう? ……。
「今日はありがとね、お母さんに会いに来てくれて」帰り道爽香が言う。
「なんも、元気になって欲しいね」
「うん、今はお母さんが生きていてくれるだけで幸せ感じるの」
それでもやはり爽香は寂しそうな顔をする。
「お母さんに駿太くん会わせたらいいのに」
「そうも思うの。全部話そうと思う」
「じゃ……」と言いかけたところで爽香が遮る。
「でも、彼、少しは話してくれたみたいなんだけど、何か大事な事まだ話してくれてない気がするの……」
「どうしてそう感じるの?」
「ん~、分かんない。けど、女の感ね」
と、寂し気な微笑みを浮かべる。
「そうなんだ」恵には理解できないが、爽香の彼氏の事だから爽香の感は当たっているかも。
――それだけ爽香は真剣に駿太くんが好きなんだろうなぁ……
浅草まで戻ってきて遅い昼食を取ってから爽香と別れた。
歩きながら数馬に電話を入れる。
爽香がお母さんのことを駿太に話しても良いと思い始めているけど、まだ駿太くんを信じ切れていないようだと話した。
数馬は男の立場からするとお母さんのことはまったく気にしないだろうと言ってくれた。
今日は爽香が会っていた男が例のホテルに泊っているので、外出したら尾行する積りで既にホテルのロビーで待機していると数馬が言う。
「気を付けて」と言って電話を切った。――あとで、お弁当でも作って持って行ってあげようかなぁ……
*
数馬は男がいつも同じホテルを利用していることに気付いた。泊るのは金曜日から日曜日までの三日間。金土は勤務先だろう会社へ出ているが日曜の昼間は札幌へのお土産を買う程度しか外出はしていない。夜は接待なのか飲食店街に足を運んで小料理屋などで名刺交換をし談笑している。
爽香が泊るのは土曜日だけ。男の住所は札幌になっていた。田川刑事に頼んで訊いてもらったのだった。
双眼鏡を片手に正面玄関前の駐車場に止めてある車の中から監視していると、腹がグーとなり出した。
パンでも買いに行こうかと思っていると、助手席のドアが開いてめぐが「お疲れ」と言って顔を覗かせた。そして手には弁当。空腹も満たされ、何より来てくれることが嬉しい。
話をするとじっと待つだけの調査の辛さも癒される。
今回の土曜日には爽香は来なかった。毎回必ず来るわけでもないようだ。
日曜日、男は部屋にいる。
数馬がホテルのトイレを借りて車に戻ろうとしたとき、あの男がエレベーターを降りてロビーへ出てきた。
何かメモ用紙を見ながら慌てている様子だ。時計は午後七時を指している。
客待ちをしているタクシーに走り込んでメモを運転手に見せ何か言ってる。
数馬は車に戻っていたのでは見失うと、その後ろで客待ちをしているタクシーに乗り込み前のタクシーを追うようにお願いする。
目黒のホテルから皇居を横目に隅田川を越えて川沿いの道を走る。……川沿いに点々とした河岸の街灯の薄暗い光が物悲しく浮かんでいる。
そして墨田区の鐘ヶ淵駅近くの十階建ての雑居ビルの前でタクシーは停まった。……数馬は少し手前で停まってもらい男がそのビルに入るのを確認してからタクシーを降りてそこへ向かう。
日曜日という事もあって窓の明かりは殆ど点いていない。―― 一体、何処へ? 何しに?
薄暗くヒヤリとするビル内は何か不気味さを感じさせる。
目を凝らして暗がりを覗くが男の姿は既に見えない、突き当りには裏玄関だろう、が暗闇の中にぼんやりと浮かんでいる。
静寂の中にエレベーターだろうか低い呻き声のような音が微かに聞こえている。
数馬は物音を立てないように進む。
途中から右へ廊下が伸びているようだ。
その角から顔だけ出して音のする方向を覗き込むとエレベーターホールだ。
一基の運転方向表示灯が上昇を示している。
そこから何階に停まるのかを見ていると、後ろに何かが動く気配を感じ振向こうとしたとき、後頭部に激痛が走り視界が暗闇に閉ざされた。
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