第3話 不倫
数馬は駿太からの依頼内容を一心に報告し、
「金は預かったが貰う気は無い」
と封筒を一心に預けた。
そして顔が知れているので一つ年下の妹美紗に手伝わせ、白髪交じりの髪にして帽子をかぶり、顔はゴルフ焼けした色に染め、皺とシミを作ってそれなりの服装で中年男に変装をし、河合爽香の尾行を開始した。
「友達の為に頑張れ!」と一心に励まされた。
そして「応援が必要だったらいつでも言え、手助けするから」と言われ頭を下げた。
会社の近くで隠れて待っていると、数馬の予想通り爽香は企業や個人宅へ徒歩で訪問を始めた。
ビルに入ると一階から最上階まで各階をほぼ虱潰しと言っても良いだろう程に顔を出している。
すれ違う人には丁寧に挨拶をし、どんな場面でも笑顔を忘れない。
数馬はこれが営業スマイルかとつくづく感心させられた。
一つのビルに取引先は精々数件程度といったところだが、まぁ兎に角歩くし喋る。
始めて会った時の印象は温和で口数もそう多くは無い感じだったが、一たび仕事となると明朗快活でお喋り。自分を上手くコントロールできる女性なんだと感心する。
個人宅はリストを見ながら歩いている。
女性だけに無暗に室内には入らない。
特に玄関に男性が出てきたら、玄関先で集金や情報提供などすべてを行い、遠目に男性客が室内へと促すような場面もあったが決して入ることはない。そういうときでさえ笑顔を忘れていない。
毎日、五十人以上の人と話をしている。
プロ意識が高く、腰掛けでセールスをやっているのかとも思っていた自分が恥ずかしいし、自分なら一週間ももたないなぁ、と思う。
昼には必ず帰社する。
途中でカフェに寄るようなさぼりはしないようだ。
尾行を始めた最初の日曜日、可愛いい秋の気配を感じさせる様な色彩のワンピースを着た彼女が昼過ぎに外出した。
仕事中とは打って変わってのんびりとした動作になっている。電車に三十分程揺られ、バスに乗り換え十五分。小高い丘の上にある住宅街で降りた。
近くの花屋で時間をかけて花を選んでいるのは、きっと貰う人のことを考えて店員にあれこれ話を訊いているからなのだろう。優しい女なんだって感じる。
そして、少し歩いてからお菓子店に入った。そこでも店員になにかしら訊きながら時間を掛けている。それから十分程歩いて「さくら」と看板に書かれた老人ホームに着いた。
車いすの老女がヘルパーと一緒に出迎えている。誰だろう? 祖母か?
浮気相手でないことは間違いない。写真を撮る。
老婆には表情がなくヘルパーが頻りに話しかけている。
次の土曜日の夜、河合が自宅から小さめのキャリーバッグを引いて目黒のホテルに入った。駿太から聞いていたホテルだ。
表情はにこやかで遠距離恋愛をしている彼氏に久しぶりに会うかのように嬉しそうだ。
恐らくバッグの中は泊まりの必需品だろう。
取り敢えずカメラに収める。
河合は真っすぐエレベーターに乗った。数馬はじっとエレベーターが停まるのを待つ。
十五階だ。パンフレットを見るとそこにはレストランやバーなどが有るようだ。
エレベーターを降りると、右にレストラン、左にバーなどがある。レストランの窓外の夜景が綺麗に見えている。中に入って河合を探す。
……いた! 一人で西端の窓近くの席にいる。
彼女の横顔の見える位置の席に腰掛け、適当に食事とコーヒーを頼んで待つ。
……十分ほどして中年男が河合の肩をポンと叩いて対座した。
二人とも笑顔一杯だ。写真に収める。
談笑しながら凡そ一時間半、食事を終えると二人はエレベーターに乗った。行先は……十二階だ。
数馬は階段を走る。
息を切らせて廊下を覗くと、二人はちょうど部屋に入るところだった。
急いで写真に収める。
部屋番号を確認し、フロントで適当な理由をつけて宿泊者名と人数を訊いたが、
「宿泊者のお名前等個人情報はお教えできないことになっております、申しわけごぜいません」
体よく断られた。
頭が混乱した。あんなに感じの良い大人しそうな彼女が、駿太という彼氏がいるのに中年男と浮気だなんて、女って分からんもんだ……。
数馬の中に女性に対する不信感が一気に芽吹く。
じゃ、和崎恵もそうなんだろうか? 明るくて積極的な彼女なら誘えば付いて来る男はいくらでもいるだろう。そもそも、俺なんかと付き合うなんて? 遊びのつもりか? 信じられない。
――女ってそんなもんか……
……二時間待ったが彼女が出てくる気配もなく数馬は肩を落として家路についた。駿太が可愛そうでならない。
事務所のソファで背もたれに身体を預け天井を見上げて駿太にどう説明するのかを考えていると、母さんが話しかけてきた。
「数馬、どないかした?」
何でもない、とその場を逃げようかとも思ったが、これも仕事だと思い直して、状況を隠さず話した。
「……そやなぁ、そないな女子はんもいるかもしれまへんなぁ。けど、全部じゃおまへんえ。ほんの一部どす」
「じゃ、そうじゃない女の子もいるってことなんだな」
数馬は静のいう事を無理にでも信じたかった……それが疑うような言い方になってしまう。
「数馬、あたりまえどす。だれか心当たりでもおますのんか?」
静はそんな数馬の心の中を見抜いたようだ。――親には、特に母親には誤魔化しは利かないなぁ
「……いや、ない。訊いてみただけ」
和崎のことはまだ母さんに紹介もしていないので今はまだ話せないが、河合とは違うかもしれない。
――今は、違うと信じよう。
「でも、それホントかいなぁ。きちんと確認しないととんでもないことになるよって確りな」
「おう、駿太がかわいそうだけど、言うしかないか……」
数馬が報告すると二人は別れてしまうかも知れないと思うと、切ない。
数馬の言葉に何か疑問を感じたのか
「……せやけどその男はんに話を訊いたんかいな?」
と、訊かれた。
「いや、どうして?」
男に話を訊くなんて考えもしなかった。
「数馬、そないな中途半端な調査で終わらせる気ぃどすか? 一心が聞いたらえらい怒りまっせ」
「どうして?」
「その相手が例えば、父親とか……一緒に暮らしたことのある親戚の叔父さんとかやったらどうどすか? 何かの事で東京に出て来はって、小さいときから彼女が知ってるなら、一緒に泊っても不思議はおまへんやろ? 泊まりが二人なら中に奥はんがいてはったかも知れんしなぁ。もう少しその男はんの事調べよし!」
「なる。そうだな。わかった。ありがと、母さん」
数馬は自分の調査が甘かったと思い知らされた。
――そうか、男に話を訊いたらなぁ~んだってなことになるかも……少し気が楽になった。
「待ったぁ」相変わらず可愛い和崎恵が小走りに待ち合わせ場所の雷門の前にやってきた。
「今来たとこ」にこやかに言ったが今日は気が重い。
少し歩こうと言って浅草寺境内に向かう。
数馬の顔色を見て何かを感じたのだろう「どうしたの? 今日の数馬、へん!」
言って良いものか悩んだが、隠し事はいやだし、仕事とは言いながら友達のことだから話そうと思っていた。
「あのさ、めぐの友達の河合爽香さんのことなんだけど……彼女って二股かけたりする人?」
―― 何回かデートするうち和崎恵を「めぐ」と呼ぶようになっていた。
「数馬! 何それ、何か見たの?」笑顔だっためぐの顔が引きつった。
「駿太が焼きもちっていうか、心配っていうか、俺に相談してきてさ」
「何? 他に彼氏がいるんじゃないかって?」
「ごめん、そうなんだ」
「私、高校から大学まで一緒だったけど、一度もそんなこと無かったわ。どうして信じられないの?」
めぐは不愉快そうにムッとしている。
「駿太は彼女の事信じてるって言ってるけど、心配みたいなんだ」
「あのね、数馬、それ、信じてるって言わない! 疑ってるって言うのよ! 信じてたら何故、直接訊かないの? あの男は誰? とか」
確かに……めぐの言う通りだ……ってことは駿太は未だ河合を信じてないって事になる。
―― 「信じることと = 何でも話せること」 数馬の頭の中でそういう論理式が浮かんだ。
「彼女は家族のことを訊いても教えてくれないらしいんだ。だからそんな事訊いたら、さよならって言われるのが怖いんだと思う」
「……」
突然、めぐが黙った。
「俺は、相手の中年男を調べようと思ってる。身内かもしれないしって昨日母から言われたし」
しばらく間があって
「……ちょっと、ベンチにかけましょう」
めぐに手を引かれ木陰に置かれていた木製のベンチに腰掛ける。
「仁徳くんや爽香には私から聞いたと言わないでね。良い?」
めぐがまじな顔で言うので数馬もまじな顔で頷く。
「実は、爽香の両親は離婚してて、お父さんは札幌なの。お母さんは若年性のアルツハイマー病で施設に入ってるの。だから、爽香は将来お母さんの施設料とかを自分が負担しないとダメだと思ってるのよ」
数馬に心当たりがあった。日曜日に行った老人ホーム、あれはお母さんだったんだ。随分年寄りに見えたけど――ここでは黙ってよう。
「えっ、年金とか出るんじゃないの?」
「出るけど、かかる費用の方が多いのよ。それで今は離婚したお父さんも応援してくれてるみたいなんだけど、歳を取っていくから行く行くは爽香に負担がくるのよ。だから、結婚できないって言ってる」
「そんなの駿太に相談したらいいのに」
「そうなんだけど、仁徳くんも母子でしょう? だから行く行くはお母さんの面倒を見なくちゃいけない立場でしょう。それで爽香悩んでる。
……もし、もしもよ、万が一、爽香が中年の男性とそういう仲になっているとすれば、それはお母さんのためだと思うのよ。私だったら、その時はその時って割り切れるんだけど彼女はそうは行かないのよ。わかるでしょう」
「じゃ、いずれ河合さんは駿太に別れを告げるってことになるのか?」
「……あとは、仁徳くんの気持がどうなのか? によるわね。私らが言ってどうなるものでもないわよ」
「なんで、好きあってるのに一緒になれないんだ? 駿太はそんな事で諦めるような男じゃない! 俺は信じてる」
――数馬は強く断言したが、それだけ不安も大きくそれを押さえつけようと自分の気持がそう言わせたんだということは数馬自身にも分かっていた。
「どっちにしても、数馬、その中年男誰なのか早く調べてよ」
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