第10話 ストーカー

 高橋麗香は十日間ほど休みをとってから仕事に復帰した。

仕事中は寂しさが紛れるので夢中で働いた。

同級生の彩木徳道が昼には必ず弁当を買いに来てくれ、そこでの僅かな会話に癒されていた。

ところが、オーナーのご主人で亡き夫の上司でもあった只畑宗司が頻繁に店に来るようになって、麗香に話しかけてくるのだ。

 そして彩木と鉢合わせして麗香が彩木と談笑していると、必ず関係ない話を麗香にしてくる。

そんなことが何回もあってある日の朝、麗香が店に出る準備をしていると只畑が「焼香させろ」と家まで来たので、もう出るのでと言って断った。

そしたら、

「だんなの上司に随分と冷たいじゃないか、色々世話焼いてやったのにいいのかそんな態度で」

眉間に皺を寄せて言う。

「すみません。もう出ないと店に間に合わないもんだから」

悪いとは思っていないが一応謝った。

「旦那亡くなったら同級生の彩木とかいう奴と随分と仲良くしてんじゃないか。不倫でもしてたのか?」

「いえ、亡くなったのを知って色々手伝いをしてくれてるんです」

麗香は些か腹が立ったが、オーナーの旦那なんで我慢する。

「急ぐので失礼します」そう言って駅に向かって歩き出すと

「俺車だから、送ってあげる」と只畑。

「いえ、近いので歩きます」

さっさと歩き始めた。

表通りまでの狭い道をずっと付いて来る。

ストーカーのようで気持が悪い。自然に足が早くなる。

表通りに出ると歩道と車道が確り別れていて、車の中から叫んでも声をはっきり聞くことはできないし、交通量も多いなか只畑は歩道側をゆっくり走らせていたが後ろから何回もクラクションを鳴らされて、ようやくスピードをあげて走り去った。

 そんなことを週に二度、三度と繰返すので朝早起きして家を早く出るようにすると、その時間に合わせて来るようになるのでちょっと精神が参った。

 

 辛抱も限界だと思って店に着いた麗香はオーナーに相談した。

「そう、それで最近朝早いのね~、ついこないだ会社の不倫相手と別れさせたばっかりなのに、ごめんなさい。私から確り言っとくから。明日から、朝、主人が行ったらすぐ電話してくれる。私ががっちり言うから」

「すみません。お願いします」

その日の帰り、夕方六時過ぎに買い物をしてアパートに着くと只畑の車が停まっているのを見てドキリとした。

鍵を開けて家に入ろうとすると、只畑が車から降りてきて

「こんばんわ、待ってたよ麗香」

麗香は自分の名が呼び捨てにされ背筋が寒くなるのを感じた。

急いで部屋に入り鍵をかけた。

ドンドンと只畑はドアを叩き「麗香、どうした。入れてくれ! 俺だよ宗司だよ!」

「色々用事があるのでお帰り下さい」と丁寧に言った積りだった。

「何ぃ、帰れって! お前、彩木と出来てんのか、それで俺と別れようとしてんのか!」

大きな声で、しかも麗香の恋人か何かみたいなことを勝手に言って……。

「オーナーを呼びますよ。帰って下さい。お願いします。つきまとわないで!」

「どうした、ついこないだまでは親し気に話してたのに……取り敢えずドアを開けろ! 中で話そう」

「もう、帰って下さい。話なんてありません」

麗香は震える指でオーナーのケータイに電話を入れる。

「もしもし、麗香? どした?」

「……助けて、ドアの外にご主人が……帰らないの、大声で喋るし、恥ずかしくて……助けて」

それだけ言った。

「わかった。主人に電話入れる」

電話が切れてすぐ、ドア外で着信音が聞こえた。

そして話し声が暫く聞こえて消えた。

五分……十分……トイレの小窓からそっと玄関前を覗くと車が無くなっていた。

ホッとした。

もう一度オーナーに電話を入れる。

「もしもし、麗香?」

「はい、済みませんでした。帰ったようです」

「ごめんなさいね。明日からそこに近づかないように言うから……」

これで大丈夫かなと思った。

 

 ドンドンとまたドアを叩く音がしてビクリとする。

「誰?」と、訊く。

「浅草署の丘頭と言います」女性の声がした。

チェーンを掛けたまま鍵を開けて少しだけドアを押し開いた。

その隙間から丘頭桃子と書かれた警察手帳が見えた。そして女性の顔も。

チェーンを外してドアを開けた。

そこに女性の刑事さんと若い男性刑事とパトカーが見えた。

「高橋麗香さんですね?」と丘頭警部。

「はい、どうしたんでしょう?」

「ご近所からここで男性が大声をあげて中の女性が困っているようだ、と通報があったんです」

「あ~そうですか。済みません。その男性は私が働いている店のオーナーのご主人なんです。オーナーに電話して助けて貰いましたので……」

「そうですか、でもどうしてオーナーのご主人が?」

「……ここではちょっと、中へどうぞ」

 

 警部らを部屋に入れて主人が亡くなってからの一連の出来事をすべて話した。

「そういうことですか。大変でしたね。もし、今後何か有ったら私たちも動きますのでここに電話してください、何か事件になってからでは遅いので遠慮はいりませんからね」

そう言って警部さんは名刺を置いて行ってくれた。

「あの~携帯番号も入ってますけど、掛けても良いんですか?」

「はい、警察の携帯なので、場合によっては別の人間が出るかもしれませんが、いつでも良いですよ」

そう言って微笑んでくれたのがとても嬉しく、心強かった。

「これから、そのご主人に会って話を聞いてきます。警察が顔を出すとたいていの場合こう言ったことは無くなりますので、相手のプライバシーも十分に気を付けて行きますから」

「ありがとうございます。今夜からゆっくり眠れます」

麗香は心底ほっとした。

 

 

 

 

 刺されてから一週間になるが鈴金智人の意識が戻らない。

橘香は付きっきりで回復を祈る。

「智、元気になったらさ、私子供産むから結婚して一緒に暮らしてさ、親に絶縁されても良いじゃん」

毎日、香は智人にそう話しかけている。

 ――きっと聞こえていると思うから……。

「ねぇ、もう自殺の事は考えるの止めよう。私、智が死ぬかと思ったら助かってって祈ってた。生きてる智が好き。それに赤ちゃん死なせることなんか出来ないもん。ねぇ、そうしよう……」

握っている智の手に力が入った様な気がして思わず智の顔を覗き込む。

……静に寝ているように見える。

 時間になって看護師さんが暖かいタオルを持って来てくれる。

「こんにちわ、橘さん彼氏の身体拭きに来たけど、どうします?」

「はい、私やります」

そう言ってタオルを受取り智の寝巻を脱がせて全身を拭く、見た目はいつもの智と何も変わらないのに意識だけが戻らない……考えていると涙が零れてくる。

慌てて拭って智に寝巻を着せる。

 

ドアがノックされ「失礼しま~す」

智を助けてくれた岡引数馬さんと和崎恵さんが来てくれた。

「どうです? 意識戻りました?」

香は静に首を横に振った。

「せっかく助けて頂いたのに、なかなか……」

「でも、大丈夫よ! 元気出して下さい。香さんがずっと一緒なんですもの必ず意識戻りますよ」

和崎さんが言ってくれる。

「ありがとうございます。私も信じてます」

「……余計な事ですけど、あの温泉でお二人は死ぬ気だったんですよね?」

「えっ、……」香は言葉に詰まってしまった。

「すみません。余計なこと」と、めぐ。

「いえ、でも、もう大丈夫です。智が刺されて私思ったんです。生きようって、誰に何を言われても智と生きようって」

「そう、良かった。数馬と二人でずっと心配してたんです。ねぇ」

「あぁ、あの時の二人の会話聞こえてきたとき、やばいと直感したもんだから……」

「でも、どうして分かったんですか?」

「滝の方から戻ってきたとき、『ここにしよう』って言ってたので、それに酷く思い込んでいたみたいだったので、職業柄そう感じたんです」

「探偵さんでしたっけ」

「はい、そうです。で、何とかやめさせようと思ってたらあの事件で……」

「そうですか、心配させて済みません。でも、もう大丈夫です」

「あの~良かったら死のうとした理由を教えて貰えませんか?」

「数馬! それちょっとプライバシーに入り過ぎよ!」と、めぐ。

「いえ、良いです。命の恩人ですからお話します。今から思えば大したことじゃないんです」

そう香が言って微笑みを浮かべる。

「私の父が橘コンツェルンの総帥なんです。それで、智と結婚したいと言ったらダメ。子供も出来たと言ったら下ろしな。そう命令するんです。それで二人で駆け落ちでもして何処かで子供産もうとも話したんですけど、不安で……それでいっその事死んじゃおうかって話になったんです」

「あ~そういう事ですか。で、どうする積りなんですか?」

「親に何を言われても結婚して子供産んで育てます。それで縁が切れても良いんです。それに泊まってた温泉でも夫婦住み込みで働けて、子供の託児所もあるようなんです。そういう仕事も良いなって思ってます」

「そう、困ったら浅草のこの住所に探偵事務所がありますから来てください。相談に乗ります。俺の両親も一緒に探偵してるので色んな情報持ってるし、警察とも仲良しだから」

そう言って数馬は名刺を置いた。

 

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