第8話 説得

 剣田藤樹は一条准教授に金を振り込んだ後、山出さくらに剣田翔の父親だと名乗って電話を入れた。

午後九時山出が弁当屋のパートの仕事を終えるのを待ってちょっと高級なレストランで待ち合わせた。

少し早く着いた剣田が夜景を眺めていると、聞き覚えのある声が耳に入って来た。

そちらを見ると、妻の壮子だ。男と食事に来ているようだが、男の顔は後ろを向いているので見えない。

壮子は剣田に気付いていないようだ。

にこやかに笑みを浮かべて話している。

「こんばんわ」山出がいつの間にか来ていて対座する。

「あ~すまんね。呼び出したりして」

「いえ~、電話くると思ってましたから」

「食事はコースで頼んであるから食べながら話そう」

「はい」

そうは言ったが、頭の半分は壮子の挙動に気を取られている。

食べ始めると、

「私のお腹の子のことですよね?」山出の方から話始めた。

「あ~そうなんだ。ところで、息子とは何時から付き合ってるの?」

「私が、弁当屋で働くようになってそこのお客さんで始めて会ったんです。だから三年になります」

「息子はあなたを恋人とは言わなかった。どういう付き合いしてたんだ?」

「週一位で会ってあちこち遊びに行って、食事もして……私は好きでしたよ。翔さんのこと。だから、ホテルへ行こうと言われた時も頷いたの」

「何回位ホテルへ?」

「お父さん回数って関係あります?」山出はちょとムッとしたようだ。

「そ、そうだね。失礼」

「だから、出来た時、嬉しかった。順番逆って言われるかもしれないけど、今時そういうカップルって沢山あるんじゃないですか?」

「そうだね。で、きみは産みたいんだね」

「え~だって好きな人の子供よ。だから避妊もしてなかった」

「ただ、息子はそうは思っていないみたいなんだ」

「彼に話したら下ろせって言ったわ」

「そうなんだ、結婚も、子供もまだ早すぎるって言ってる」

「だったら、何故避妊しなかったの?」

「それは、その通りなんだが……」

「私は、欲望のはけ口にしか過ぎなかったってこと?」

「まぁ、そういうことなんだ」

「どう、父親としての責任をとるの? 下ろすってことは女性にだけ負担を強いることでしょ。お金だけの問題じゃないのよ。わかりますか?」

「わかるよ」

「じゃ、認知して。毎月十五万円ずつ養育費として払って下さい。この子が大学を出て働くようになるまで」

「そんな無茶な……それなら結婚した方が良い」

「一月以内に結論下さい。その後は知合いの弁護士に相談します」

「随分と強引なんだなぁ……」

「じゃ、連絡お待ちしてます」

山出はさっと立ち上がって帰ってしまった。

 ――やはり、こう言う話は男は弱い。女同士の方が上手く話せる。一応父としての役割は果たしたんだからあとは妻に任せよう……

 

はっと気付いて壮子を方を見るとまだいる。

「壮子!」と声をかける。

「えっ、驚いた。あなたこんなところで何してんの?」

「今、翔の彼女に会ってた」

「あ~、で、どうだった?」

剣田が男の顔を見て驚いた。

「あっ、一条准教授、どうして壮子と?」

「いえ、娘さんのことで一応お母さんともお話をしておきたかったので」

「はぁ、もう娘は大丈夫なんですよね?」

「え~勿論。もう、心配はいりません」

「じゃ、私もここに掛けていいですか? 父親として話を聞いておきたい」

「ははは、どうぞ。……その前に、息子さんの事お二人で話し合う必要がありそうでしたが?」

「あ、あ~」剣田が言いずらそうにしていると

「いいわ、私がその彼女に会って直接話すから」

ケータイの着信音がして、一条准教授が一言二言話して「申しわけない。急用が入ったのでこれで失礼します」と言ってレストランから出て行った。

「どんな話だったんだ?」

「えっ、いえ、あなたに話したことだけどって言って手続きの事とか娘には言わないこととかよ」

「そんなことで何故お前と二人だけで会わなきゃならないんだ?」

 ――何か怪しいな……

「さー、私はそう言われたから来なきゃいけないと思っただけ」

「まぁいい、結奈が大学へ通えれば言う事は無い」

 

 

 

 

 只畑宗司は終業時刻が過ぎて帰り支度をしていると、

「課長、お話があります」と、部下で愛人の山岸佐和子に呼び止められた。

いつもの明るさが無く顔色が悪い。

「どうした具合悪いのか?」

「ここでは、ちょっと……」

「食事でも行こうか?」

「いえ、食欲ないので……」

「じゃ、カフェで」

 

コーヒーを二つ注文して「どういう話?」

 ――なんかやばそうな感じがする……

「私、赤ちゃんが出来たみたいで……」

「えっ、じゃその具合の悪さは悪阻か? 何か月だ?」

頭から血の気が引いてゆく。

「五週目に入ったとこです」

「そうか、気を付けてたんだけどなぁ」

「産みたい……」

「えっ、まさか!」

ちょっと声が大きくなってしまって口を押えた。

「いけませんか? 私の大事な赤ちゃん下ろすなんて出来ませんよ」

「ちょ、ちょっと待て。俺には家庭があるんだ。そんな子供なんて……」

「課長、私を幸せにするって言ったじゃないですか!」

コーヒーが運ばれてきて只畑は一気に飲み干した。

「お腹が目立つようになったら会社に居られなくなるので、課長毎月十五万ほど生活費をお願いします」

目の前が真っ暗になった。

「そ、そんなに出せる訳ないだろう! 下ろす費用くらいは出すけど」

「やっぱり課長は遊びだったんですね」

「遊びって、初めはきみが変な男につきまとわれて困ってるからなんとか助けてあげようとしただけだった。俺は一度もきみを口説いたことはないんだぜ」

「女を性欲のはけ口にしか思ってないなんて最悪のセクハラね……人事の友達に相談してみます」

山岸はそう言って只畑の前から姿を消した。

 

 頭の中が真っ白になった。会社に不倫がばれるだけでなく、セクハラだと訴えられたらそれだけで周りからどんな目で見られるか、考えただけでもぞっとする。

 

 家に帰っても食欲がなく、缶ビールを口にしていた。

九時過ぎに彩音が帰ってきた。

「おい、話ある」

「ちょっと待って、着替えもしてないし、お腹空いたからご飯食べてから話聞く。あんた、ご飯は?」

「いや、食べてない」

「ダメねぇ、用意してあげるから一緒に食べよ」

「お、おー」

 

 食後にお茶を啜りながら「山岸佐和子が妊娠したって……」

「はっ、あんたまだ関係続けてんの?」

「まさか、お前に話した以降は会ってない」

「で、なんだって言うの?」

「下ろさないって。腹出てきたら会社辞めるから月十五万円生活費寄越せって……」

「あんたはどう言ったの?」

「下ろす費用は出すと」

「ふ~ん、何週?」

「五週になったと」

「悪阻は? 始まってた?」

「おー、何か青い顔して具合悪そうだった。それで、人事の友達に相談するって言うんだ」

「何で?」

「性欲のはけ口にしか考えないなんて最悪のセクハラだってよ」

「でも、その通りなんでしょ? 好きでもない女を抱けるんだもんね」

彩音は尖った目を只畑に向けてくるが、何も返せない。

「いいわ、私が直接会って話をつける」

「大丈夫か?」

「小さいけどオーナーになると色々クレームあるのよ。一つずつきちんと対応しないと大ごとになるから大変だけど、お陰で対応力はついたと自分でもびっくりよ」

「そ、そうか、じゃ連絡先教える」

 

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