第6話 泥棒

 剣田藤樹は仕事帰り遠部野明がマネージャーを務める目黒のオーナー店に向かった。

「こんにちわ~」

店舗の裏口から入るとそこは事務室で遠部野がパソコンに向かって作業をしている。

オーナーにも挨拶をして「遠部野、ちょっと出ないか?」と誘う。

「はい、何か?」

ちょっと怪訝な表情をするが部長に逆らう事が出来るはずもなく付いてきた。

カフェに入って

「実は社内でリストラがあるんだ」

そう言っただけで、遠部野は驚いたのだろう手に持っていたコーヒーカップを落してしまった。

店の人も手伝ってくれて片付けると、マスターが新しいコーヒーを持って来てくれた。

「ぼくがその対象になったということなんですか?」

「あ~、確定じゃないんだが、それで事前にお前だけには話しておかないと家の事とか子供の事とか大変だろうと思ってな」

「はぁ、……ぼくは会社の役に立ってなかったということなんですか?」

泣き出しそうな顔をする遠部野に

「実は、俺もその対象になっているらしいんだ」

出来るだけ肩を落とし辛そうに言う。

「えっ、だって部長のとこ娘さん大学受験したばっかりですよね」

「あ~、本当にそうなったら退学するしかないと思ってる。……勿論、確定じゃないから家では話してないんだが……」

「何時頃決まるんでしょうか?」

「四月の後半か五月らしい」

「そうですか……」遠部野から生気が抜けたようだ。

「何とかしてあげたいんだが……それと、この件他の誰にも言ってないから他言無用な。情報漏れたら俺がリストラどころじゃなく首になって退職金も貰えなくなるからな」

 ――これだけ脅しとけば他に言う事はないだろう

 

 その二日後遠部野明マネージャーの妻で元剣田の部下だった遠部野恭子から電話が来た。

夕食を兼ねて小料理屋で会うことにした。

「主人がリストラって本当なんでしょうか?」

久しぶりに会ったのだがろくに挨拶もせずいきなり訊いてきた。

 ――まぁ、それだけ重大な問題だということだ。

「まだ確定じゃないから、遠部野にはまだ話すなと言ったんだが……」

「で、どうなんです? 」

「今言った通り確定じゃない。私と一緒にリストに上がってるって話だよ」

「えっ、剣田さんもなんですか?」

恭子は剣田もリストラ対象になっていることを聞いてなかったようで目を見開いて剣田を凝視する。

「だから、まぁ、そう心配しないで飲みなさい」

恭子が好きだと言っていた赤ワインを注ぐ。

「久しぶりに会ったんだ、その話はこれ以上してもしょうがないから、きみの近況を話してよ」

恭子はグラスに手を掛けごくりと飲んだ。

 

 子供の話から始まって……しだいに夫の愚痴になった頃には恭子の酔いは目にも現れ始めた。

「剣田さん、お願いしますよ、主人をリストラの対象から外して貰えませんか?」

話が元に戻る。酔ってきた証拠だ。

 ――ふふふ、もう少しだ。もう少し酔わせて、味見させてもらうか……

「私も出来るだけのことはすると遠部野くんにも言ったが、一介の部長には権限は無いんだよ。進言はできるがね」

恭子がトイレと言って立ち上がったのを機に「もう一軒行こう」と誘った。

 

 店を出ると恭子が剣田の腕を抱きしめる。

 ――予想通りだ。このまま行くとこに行こう……

五分程歩くと

「あ~何か私酔った……」と呟く。

「じゃ、ここで休憩しよう」

剣田はそう言ってラブホテルの門を潜る。

恭子は嫌がる素振りをまったく見せない。

 ……もしかすると夫のために自分の身体を投げ出そうと端から考えていたのか? ……

 

「だんなの事は出来る限りの事はするから、上手くいったらこれからも付き合ってくれよ」

剣田は帰り道そう言って恭子にキスをしてタクシーに乗せた。

 

 

 

 

 数馬とめぐは豪華な温泉宿の夕食に舌鼓を打って談笑しながら部屋に向かっていた。

いきなり背後から「ドロボー!」

叫び声が聞こえる。

数馬が振向くのと同時に男が数馬を突き飛ばして逃げて行く。

すぐその後をあの自殺志願者の彼氏が追いかけてゆく。

慌てて数馬もその後を追った。

 数馬が玄関を出ると、ドロボーに彼氏がタックルし揉み合いになっていた。

数馬がドロボーの腕を柔道の関節技で押さえつけた。

「おい、大丈夫か?」と声を掛け彼氏を見ると、腹にナイフが突き刺さっている。

「あっ、やばっ、めぐ~! 救急車と警察! 彼氏怪我した、急げー!」

「はい、……電話した。すぐ来る」

そう言ってめぐは「誰か、タオル頂戴! 急いで~!」叫ぶ。

渡されたタオルをナイフのまわりを囲んで力一杯押さえる。

「大丈夫? 返事して!」

「ああ、痛てぇ~」

「我慢して! 救急車すぐくるから」

「智人~!」

女性が叫んで男の脇に屈んで涙を浮かべる。

「あんた、名前は?」

「私は橘香、彼は鈴金智人です」

「そう、あなた、私に代わってこの傷のとこ思いっきり押さえて! 良い?」

橘は頷いてめぐに代わる。

「数馬、大丈夫? 何か手伝う?」

「あ~、ロープか丈夫な紐探してくれ、こいつを縛る」

「分かった、誰かぁロープか紐かありませんかぁ」そう叫ぶと仲居さんらしき女性が荷造りロープを持って来てくれた。

後ろ手に縛り上げてから、足をぐるぐる巻きにして逃げられないようにして身体を起して腕と身体をぐるぐる巻きにしてロビーの柱に縛り付けた。

そして鈴金の様子をを見に行っためぐが「数馬、出血がひどい急がないと危ないわよ」と叫ぶ。

 

遠くにサイレンが聞こえてきた。

「橘さん荷物纏めて一緒に救急車に乗って」

めぐが言って交代する。

救急車に乗せるころには鈴金の意識が無くなっていた。

橘は彼氏の名前を呼び続け、死なないで~と泣哭していた。

 

 警察の事情聴取を終え部屋に戻ったのは日付が替わった後だった。

めぐが血の付いた服を着替えていると、旅館の女将がお礼を言いに来て衣類の洗濯代は旅館が払うと言ってくれたし、汚れが落ちなければ同じものを買って郵送するとまで言ってくれた。

初めてのお泊りが生涯忘れられない旅となってしまった。

只管、彼氏の無事を祈る。

 

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