第5話 リストラ

 剣田藤樹は府中の本社の人事部へ行って社内預金の取り崩しや社員融資の申し込みをしていた。

「社長がお呼びです」と、人事部の女性に声を掛けられた。

社長に呼ばれるときにはあまり良い話は無い。それで渋面を作って「今行きます」と答えた。

 社長室に入ると社長の他業務担当理事もいて何やら難しい顔をしている。

「剣田くんそこに座ってくれ」と言われ応接椅子の下座に座る。

理事が数枚のペーパーを置いて目顔で読めと言う。

剣田は驚いた。タイトルこそ「社内組織の抜本的見直し」となっているが、実質リストラ推進計画だ。

「私がリストラ対象になっているという事でしょうか?」

剣田は恐る恐る訊いてみた。

「ははは、違うよ。安心したまえ、君は居残り組だ。君にリストラ対象者を洗い出して欲しいんだ」

社長は楽しそうに笑うが、される側はどちらにしても胃の痛くなる事案だ。

 ――勘弁してほしいなぁ。今、娘と息子の問題で頭一杯なんだよなぁ……

「業務部人員三百五十六名の内七十八名をリストラ対象としたい。が、基本はマネージャーの効率化だ我社もネット環境を整備してきて全国全店に完成している。オーナー教育も含め報告や分析もそれを有効活用しなければ宝の持ち腐れだ。現在、二百三十一名のマネージャーでオーナー店をカバーしているがこれを百五十三名とすれば目標は達成できるが、実際はそう簡単な話ではない。それで業務部本部に六十二名の担当者がいるので、これを二十名程度減らしたい。

 そうすることで本部も店舗も平等にリストラしているという印象を社員に与えたいんだよ。わかるね」

「はい、それで対象者の調査票を一人一人作れということなんですね」

「そうだ。あくまで君は対象者の洗い出しだ。決定は役員会で行う。だから遠慮するなよ。それと好き嫌いとか個人的な要因で選ぶことは許さんからそのつもりでな」

「四月末までの報告ですね」

「うむ、この件極秘事項だから君のワイフにも喋るなよ」

「はい」

 社長室を後にすると自分の体重が一気に倍になった感じだ。

 ――参ったなぁ。誰を選んでも怨まれる。特に子持ちは大変だよなぁ。家やマンション買った奴もローンあるからなぁ……社長はあぁは言ったが、社員が騒いだら矢面に立つのは俺だ……参ったなぁ

 

 数日後、剣田藤樹は剣田の部下で愛人でもある山岸佐和子とベッドの中でまどろんでいた。

妻に不倫がばれたことを話して別れようか、と言ったのだが「剣田部長が好きだから別れられない」と今日もホテルにくることになった。

しばらくして佐和子が

「剣田部長は私の事好きじゃないの?」とぽつりと言う。

「そりゃ好きだよ」

 ――そうは言ったが、そもそも剣田が口説いたわけじゃない。佐和子が男絡みで困っていたので助けようとして、成り行きで関係ができただけじゃないか……好き? とか訊くなよなぁ

「奥さんとどっちが好き?」

「お前に決まってる」

 ――こんな場面で、そう答える以外ないだろうが……

「じゃ、奥さんと別れてよ」

「え~、今のままで良いじゃないか」

「いやよ、私、剣田部長を私の物にしたい」

「……まぁ、そう言うなよ。俺には子供もいるんだから……」

 ――後々の為にこいつとは別れた方が良さそうだ……リストラの対象者リストに入れておくか……

佐和子は不満げに口を尖らせ剣田の胸に顔を埋める。

 

 家に帰って壮子に「山岸に別れようと話をした」と報告した。

「本人は嫌だと言ったがもう社外で会う事はないだろう」と付け足した。

「そう、随分と聞き分けの良い娘ね。何か言って来たらいつでも私が話するから……」

こう言う場面では女は強いとつくづく思う。本当は別れないと言ったのだから、その内会うことになるだろうが壮子に気付かれないよう細心の注意が必要だな。

 ――それよりリストラ対象者を選ぶことに専念しないとなぁ。

 

 一週間かけて様々な条件で洗い出しをしてみた。作業は会社のパソコンを持ち帰って家でやった。

取り敢えず作った一覧表を眺めていると、遠部野明の名前があった。剣田が新人教育をした部下だった。そしてその妻恭子は本部にいる剣田の部下で働いていた。

彼女は人当たりもよく仕事もできて剣田が結婚して居なかったら告白したかった女性だ。

それがいつの間にか遠野辺と付き合っていて、剣田の所に仲人を頼みに来たのだった。

それから七年ほどが経っていた。――確か、小学校へ入学する娘がいたはずだよなぁ。

不倫するなら山岸より恭子の方がよっぽど良い。

そんな事を考えていて閃いた。

剣田は恭子との不倫を思い浮かべ身体が熱くなるのを感じて壮子の布団に潜り込んだ。

 ――今夜は取り敢えず壮子で我慢しとくか……。

 

 

 

 

 大林康代は財務経済大学に入学して最初に受けたのが一条准教授の講義だった。

ひと目で好きになった。イケメンなのにラクビ―選手のようながっしりした身体。優しい話し方。

かなり年上で妻子持ちだろうが気にならなかった。

講義の時は早く教室に入って一番前の真ん中に座り、休憩時間は一条准教授の研究室の辺りをうろうろしていた。

 そんな努力の甲斐があって一年の夏休みの前に、一条准教授から研究室の前で声を掛けられた。

「きみ、講義を受けてる娘だね。何か用事かい?」

「あっ、いえっ、お話がしたいと思って……」

「きみ、名前は?」

「大林康代です。一年です」

「そう、じゃ、中に入りなさい」

始めて入る研究室には何人もの先輩や助手の人もいて忙しそうに動き回っている。

「きみも来年うちの研究室に入るかい?」

そう訊かれて断る理由など何処にも無く「はい、是非お願いします」と、即答。

一条准教授は笑って「面白い子だね。で、何か訊きたい事あるの?」

それから三十分ほどたわいもない話をして帰ろうとしたとき

「昼は結構忙しいから、ここに夕方来ると良いよ」

そう言ってマンションの住所と電話番号を書いたメモをくれた。

大林は有頂天になって

「近いうちお邪魔します」と言って部屋を出た。

 

 次の講義までの時間を潰そうと学食に行くと一年先輩の高木聡一がにこにこしながらやってきた。

学科も違うのに何故か入学して間も無い頃大林に話しかけてきたのだ。

つい最近、「付き合って欲しい」と言われたが、好きな人がいると断ったのに諦めない。

 ――これがストーカーと言うやつなんだろうか。なら、ちょっと怖い……

「これから講義あるの?」大林の真ん前に腰掛けてにやついた顔を近づけながら訊いて来る。

「え~そ」

 ――やだぁ~きもい……どっか行ってよねぇ

「週末、予定有るのかな?」

 ――はぁ、予定なくてもあんたと付き合わないわよ!

「デートがあります」冷たく言い放った。

「ふ~ん、誰と?」全然信じないよって感じで返してよこす。

 誘われる都度できるだけ丁寧に断ってきたが、友達には

「もっときつく言わないとそういう類の男は諦めないよ」

と、言われるのだが上手く言えない。

「講義がある」と言ってさっと学食を出た。

 

 夕方の七時、大林康代は貰ったメモを見ながら一条准教授のマンションを訪れた。

インターホンを鳴らし康代だと名乗ると部屋に招き入れてくれた。

康代は手土産のケーキの箱をテーブルに置いて、一条の背中に抱きついた。

「先生! 好きなんです」

「ははは、おいおい、いきなり……まず、ちょっと座って買ってくれたケーキを食べてワインでも飲みながら話そうじゃないか」一条准教授は康代を座らせてグラスを二つ持ってくる。

「私、飲めないのでお茶で……」

「そう、でも、大人の恋をするなら少しは飲む練習をしないといけないよ」

康代はそう言われて飲まないと相手にされないと思って「はい、少し飲んでみます」

と答えた。

部屋を見回すと女の子からプレゼントされたのだろう可愛い置物。スリッパやカーテンや家財を見るととても男一人暮らしには見えない。

「先生、付き合ってる人沢山いるんですか?」

「そうだね、きみをいれたら六、七人になるかな」

「みんな、沢山いるの知ってるんですか?」

「あ~、私は別に隠さないからね。洗面所には女性ものの化粧品などが置きっぱなしになってるよ。誰かの忘れ物か、故意に置いて行ったのか……」

「奥様は?」

「家にいるよ。彼女も好きにしてる。彼氏が何人もいるよ」

「へ~、どうして結婚したんですか?」

「康代くん、きみは随分と他人のプライバシーにずけずけと入り込んでくるねぇ。質問はそのくらいにして食べよう」

 

……あれから二年が過ぎた。

関係は未だ続いていた。康代がいくら愛していても一条准教授の心が何処にあるのかは分からない。

会うのはマンションの一室だけで外で会うのは許されない。

食事して、お酒を飲んで、抱かれて、帰る。

このパターンの繰り返しで、一条准教授から会いたいと言われたことは一度も無かった。

 先月から生理が来てないので検査したら妊娠していると告げられた。避妊していたはずなのに……。

「先生、私子供が出来たみたいなんです」喜んでくれると思ってすぐ伝えた。

「そう、下ろしてね」一条准教授は冷ややかにそう言って財布からお金を出してテーブルに置いた。

返す言葉が無かった。

自然に涙が溢れた。

外の寒さが身に染みた。

産みたいが、親にも言えない。

子供が欲しいなんて思ったこともなかったが、出来たと知った瞬間から産みたいと思うようになった。

でも、周りが許さない。学生が一人で育てるなんて出来るはずもない。

正しい道があるとすれば、子供は下ろして、一条准教授と別れることだとは容易に想像できるが心が許してくれない。

 とぼとぼと歩いていると

「こんばんわ、寒いな」顔を上げると高木だ。

「何か沈んでるな。元気出せ」と言う。

「何も知らないくせに、余計な事言わないで!」

自分でもびっくりするほど刺々しく怒鳴ってしまった。

「どうした? 何があった? 教えろよ!」

「あんたに関係ない! 私たちの問題よ!」

ほんと、しつこくって喋るのもうっとうしい。――あっち行ってよねぇ……。

「私たちって、一条の奴のことか?」

「何で知ってんのよ。嫌らしい」

高木は薄笑いを浮かべて「はは~ん、別れ話でも切り出されたか?」

「ばか、先生がそんなこと言うはずない」

「じゃ、喧嘩でもしたか?」

「もう、いいっ! ほっといて」

大林が高木に背を向け歩き出す。

後ろで足音が聞こえ振向くと高木が付いて来る。

電車で二駅、そこから徒歩七分ほどのところに大林の住むアパートはある。

急ぎ足で家に向かう。

急に吐き気がしてうずくまる。

三分もすると収まって立ち上がると高木がこちらをじっと見ていた。

「何よ、こんなとこまで付けてきてストーカーじゃないの」

「大丈夫か? 具合悪いのか?」

「こんなの何でもない、ただの悪阻よ!」と言ってやった。

「えっ、悪阻って一条の子供出来たのか?」

「そうよ、悪い?」

「いやぁ、だって産めないだろう?」

「うるさい!」

「……康代、誰かに相談しなよ。親姉妹、友達……誰もいなかったら俺でもいいから……」

「分かってるから、余計な事言わないで」

大林は走ってアパートに飛び込んだ。

――親には相談できないから、やっぱ高校からの親友の優華に話してみるか……

 

 吉池優華は北道大学の3年生しょっちゅうは会えないが月に一度くらいはスイーツ食べて話をしてきた。

「子供出来ちゃって困ってる」

そう告白した。

「愛されていない人の子供産んで、その子にぱぱは?って訊かれたら何て答えるの?」

言われて返事が出来なかった。涙が溢れた。

どうすべきかは明らかだった。

「私、病院へ一緒に行ってあげるわよ」

言葉を詰まらせながら言う優華を見ると瞳に涙を一杯溜めている。

優華の気持ちが嬉しかったが、相手が誰かは関係なしにせっかく宿った命、殺して良いのか?

「二、三日考えて電話する」

そう言って別れた。

 

 次の日、朝アパートを出ると目の前に高木がいた。

「どうしても、産むなら、俺、父親になってもいいぞ!」

それだけ叫んで駆けて行った。

 ――嫌な奴だと思ってたけど、大林のことを本気で心配してくれてるんだと思わず潤んじゃった……

 

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