第4話 妊娠
ベッドの中で剣田藤樹はケータイが鳴るのを聞いた。
時計は夜の十一時を過ぎている。
この時間だと飲みに出ている連中の誘いの電話だと思って無視していたが、なかなか鳴りやまない。
イラっとして切ろうとするとその前に切れた。
そしてまた鳴り出した。
面倒だが発信元を見るとアパートで一人暮らしをしている息子の翔だ。
珍しい時間に掛けてきたので何かったかと心配になる。
「どうした? 何かあったのか?」
数拍の沈黙が流れ
「あ~、遊びで付き合ってた女が孕んじゃって、下ろせって言ってもいう事聞かないんだ……」
そうとうのイライラ声で言う。
「……で、父さんにどうしろって言うのよ」
――なんだそんな事、こんな夜中でなくてもかけれるだろうに……
「何とかしてくれ!」
一人っ子なもんだから我儘一杯に育っちゃって、昔から問題解決能力がない。同じNasi食販に勤務しているが、社内でもそんな噂を耳にする。
「お前が起こした問題だろ、自分で解決しないでどうする」
「だから、俺の言う事聞かないんだってば!」
我が子ながら情けない。自分の不始末を人に転嫁しようとする。
「いっそのこと、その娘と結婚しちゃったらいいんだよ」
「なに無責任な事言ってんのよ。そんな事出来るわけないじゃん」
「なんで出来ないんだ?」
「俺、彼女いるし……」
「お前彼女いるのに好きでもない女抱いたのか?」
「まぁ、なりゆきでな……」
「じゃ、お前の彼女に全部話して、彼女連れてその女のとこ行って頭下げて下ろしてくださいとお願いするんだな」
「そんなことしたら、彼女別れるとか言うじゃん」
「それがお前がしたことへの責任だ!」
――剣田は偉そうに言ってしまったが、自分も妻の他に女がいるのでなんか自分に怒ってるようだ……
息子との会話を壮子が聞いていたようで、
「血筋ねぇ、あんたが一度その女に会って金渡して下ろしてくれと頼んだらいいんじゃないのかしら?」
そう冷たく言って剣田を睨みつける。
妻の壮子は会社の先代社長の娘。結婚当時は周りから将来は社長だね、よろしく頼むよなんてちやほらされた。が、部長にはなれたが同期にもすでに執行役員や理事に就任している奴もいる。自分にはそう言う話はまったく無い。それで壮子も機嫌が悪いのだ。――きっと貧乏くじを引いたと思ってるのに違いない――
そんなうっぷん晴らしもあって女に走ったのだからしょうがない部分もあると自分は思っている。
「わかった。じゃ、父さんがその女に一度会って話をしよう。金渡して下ろしてもらうこととお前と別れることを約束してもらう。それでいいか?」
「あ~、じゃ日にち決まったら電話する」
「それと、もう、他の女に手を出すな。次はお前の彼女にも全部喋るからな」
「わかったよー、そこまで言わなくても五月蠅いなぁ」
「文句たれるんだったら自分で何とかしろ!」
我が子ながら自分の事しか考えていないことに腹が立つ……。
*
剣田藤樹の娘結奈はこの一月財務経済大学を受験した。そして月が明けた二月初旬大学から剣田宛ての手紙が来た。
結奈の試験結果について相談したいという内容で発信者は同大学の一条崇智准教授となっていた。
指定された日時に行ってみると一条准教授の研究室内にある応接室に通された。
「お呼び立てして申しわけありません」と切り出した准教授。
「お父さんの務めるNasi食販(株)には当大学も随分とお世話頂いておりまして、……所謂、就活で毎年当大学の卒業生を採用頂いているという意味ですが……それで当大学としてもその見返りと言ってはなんですが、受験に当たって幾何かの考慮を差し上げたいと考えている訳です」
「はぁ、それと娘の受験とどういう? ……」
「はっきり申し上げると、娘さん……結奈さん……は残念ながら不合格です」
「えっ、そうなんですか? あんなに頑張ってたのに……」
「それで、私は先程言いましたこともあるもんで、合格させてあげたいなと思っているんですが……」
「できるんであれば、是非お願いします」
「ただ、私一人の判断では無理なので、教授達に同意を得ないと……」
「なるほど、で、どうすれば良いので? ……」
「はっきり言って、お金がかかります」
「ふ~ん、お金で理解を得る、ということですな」
「まぁ、そういう事です。ただ、勘違いしないで頂きたいのは世に言う『裏口』とは違います。あと少し点数があれば合格できる方の採点を見直すという意味ですので……」
「わかりました。で、いくら必要です?」
「結奈さんの場合は一千万ほどです」
「えっ、随分高額ですね……」
「一つの科目に複数の先生が絡んでますので、九科目で三十名ほどの先生方に納得して貰う必要があるんでどうしてもそんな金額になっちゃうんです。申しわけありません」
「いいでしょう。娘の喜ぶ顔が見たいですから……いつ頃振り込んだらいいです?」
「三月一杯で大丈夫です」そう言って一条准教授は振込先を記載したメモをテーブルに置いた。
*
剣田藤樹が研究室をでると一条は結奈の母親の剣田壮子に電話を入れる。
勿論、話は娘の結奈の入試結果についてだ。
そう言うと、壮子は一も二も無く午後七時には来ると言う。
どんな四十八歳か楽しみだ。
講義も終わった午後六時半、学生を帰して一条は一人コーヒーを啜っていた。
やがてドアがノックされ剣田壮子が姿を現した。
小柄だが肌が透き通るように白くウェーブの掛かった髪は艶やかで美しい。コートを脱ぐと白いセーターに明るい浅黄色のタイトスカート。
上品で一条の好みだった。
「わざわざお呼び立てして申しわけありません。娘さんの入試の結果について、ご相談がありまして……」
「はい、どういうことですの?」
「実は、合格ラインに届きませんで……」
「えっ、ということは不合格?」
壮子は目を見開いて口を手で塞ぎ固まってしまった。
「ただ、……」
「ただ、なんですの?」
「ただ、合格させてあげたいなと思ってるんです……あなた次第では」
「私? 」
壮子は意味がまったく分から無い様子で一条をじっと見詰め次の言葉を待っている。
「お父さんの務めるNasi食販(株)は当大学の生徒を毎年採用頂いているので、その見返りに入試で多少の甘辛をしてあげようという訳です」
「はぁ」
「ご主人には一千万円を出すと仰って頂きましたので、私以外の教授達には話を通せることになりましたが、私にはその恩恵がないんですよ」
「……」
「それで、合格させた暁に壮子さんに私とお付き合いして頂きたいなと思うのです。如何です?」
「お付き合いって……食事くらいなら……」
「ははは、壮子さん大人のお付き合いのことですよ。分かってらっしゃるのに、とぼけて……」
「えっ、いやですそんな……主人がいるのに」
「無理にとは言いません。ただ、娘さんの合否が掛かってるということです」
「それって、脅しですね!」
「ふふふ、はっきり言います。現状娘さんは不合格です。ただ、お父さんの会社との付き合いがありますので何とかしたい。ここまではいですか?」
「はい、そこまでは理解できます」
「それでお父さんにお金を出して頂いて教授に採点を見直してもらいます。いいですか?」
「はい」
「私は仲介なので、なにも良いことは無いので、壮子さんがお付き合いしてくれれば私はそれで満足できる。という話ですよ」
「なんか、そこが……」
「私は無理強いはしません。ダメであれば、娘さんは不合格で、お父さんはお金の用意は要らなくなる。それだけの事です」
一条は壮子の隣に身体を密着させて座り壮子の手を握る。
壮子はビクッと身体を震わせたが手を握らせたままにしている。
そして、壮子の顔を自分の方に向けさせじっと目を見て唇が重なりそうなくらいまで顔を近づける。
壮子は一条をみつめたまま頬を染めている。
「じゃ、いいですね。……話は終わりです。お帰り頂いて結構です」
ポンと壮子の両肩を軽く叩くと壮子ははっとして立ち上がり、何も言わずに部屋を出ていった。
――よし、これでまた新しい楽しみができた……。
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