第2話 自殺の名所

 岡引探偵一家の長男数馬は恋人のめぐこと和崎恵と鬼怒川温泉に来ていた。初めてのお泊まりデートだ。

少し前に数馬の友人の親子が起した保険金殺人事件のショックを和らげようとめぐが提案したものだった。

 紅葉も終わり山々は雪こそないが冬枯れした木々で埋め尽くされている。

「数馬ごめんね、心の傷癒すならちょっとこの枯山水的な景色は拙かったね」

めぐは苦笑いするが

「全然、景色はおまけ、めぐと一緒に居ることが癒しなんだよ」

と、普段なら絶対口にしないような言葉が何故かふっと湧いてくる。

 ――恋って不思議……。

「そう思ってくれるなら嬉しい」

めぐは数馬の腕に絡みついて来る。

 

 そんなやり取りをしながら川沿いの散歩道を歩いていると、数馬より大分若そうなカップルとすれ違う。

「あそこいい場所だね」

「うん、私もそう思う。あそこにしよう……」

そんな会話が数馬の耳に妙に残った。

そんなことはすぐに忘れてしまい、歩いてゆくとちょっとした崖があってその向こうに滝が見えた。

「わ~綺麗っ! ねぇ数馬」

数馬はそうか、ここの事をさっきのカップルが言ってたんだと気付く。

 ――ってことは、あの二人……


 ホテルに戻って朝食のテーブルにつくとあのカップルも談笑しながら食事をしている。

「数馬? どうした? 何か気になるの?」

「あ~、めぐ、気付かなかったか、散歩道ですれ違った二人」

「え~、女性が妊娠していたんでしょ」

「えっ、そうなの? 気付かなかった」

「え~、じゃ、何に気付いたの?」

「あの二人何かをするための場所を探してたみたいなんだ」

「何かをするって、何?」

数馬はめぐに顔を近づけて「自殺」と小声で言う。

「え~、自殺!」思わず出たのだろう声が周りにも聞こえてしまったようで、こちらを見ている。

数馬は慌てて唇に人差し指を立てた。

めぐは肩をすぼめ口を押さえる。

例の二人にも聞こえたのかこっちを見ている。

めぐの指摘と合わせると、恋人に子供が出来て結婚しようと親に話したが猛反対され子供も下ろせと言われる。

それで困った二人は駆け落ちも考えたが見知らぬ土地での子育ては自信が無く追詰められてゆく。

そして、自殺という選択肢を選んだ。……と想像される。

それをめぐに話すと「まさかぁ……そんな単純に自殺を考えるなんて、無い無い」と、一蹴される。

 

 朝食を終えた数馬とめぐが部屋に向かって歩いていると

あの二人がレストランの出口で立ち話をしていた。

「おはようございます」

めぐが持ち前の明るさで声を掛ける。

女性の方が振向いて「おはようございます」にこりとして返す。

「あの~、失礼ですがお腹に赤ちゃんが?」

めぐは、数馬がヒヤリとするようなことをずばりと訊いてしまった。

「え~わかります? 四カ月になるんです」

女性は嬉しそうに答えてくれた。

「すみません。知らない方にいきなりで、でも、なんか羨ましくって……」

めぐがそう言うと、女性は寂しそうに微笑んで軽く頭を下げて部屋の方へ歩いて行った。

「めぐ、なんか寂しそうな顔してなかった?」

「うん、何か事情がありそうね。訊いてみる?」

「しかしなぁ、他人のプライバシーに土足でずかずか踏み込むのはどうだろう?」

「でも、数馬はあの二人自殺志願者だって……」

「それは間違いないと思うんだけど……何か良い手は……」

 

 

 

 

 一条崇智准教授は午前の講義を終えて研究室に戻ると一人の女子学生徳森敦子を呼んだ。

昼食は大体菓子パン二つとコーヒー牛乳で済ませる。

一時近くなって徳森敦子が姿を見せた。相変わらず地味なTシャツにGパンと黒縁の眼鏡。

会議テーブルに対座して、敦子が提出したレポートを広げる。

「きみ、これじゃぁ単位はあげられないよ」

イケメンのラクビ―選手の風貌をした一条は女子学生に人気がある。それを良いことにこれまでも何人もの生徒と関係を持ってきた。

そして狙った獲物を逃さない自信があった。

「え~、先生! 私授業を休んでないし、提出物も欠かさず出してるのにどうして?」

敦子は成績は良い方でこれまで単位を落としたことは無かった。それだけに一条の言葉に驚きを隠せないようだ。

「ははは、きみ、それは当たり前に学生がすることだ。問題はその中身だろう」

レポートに対する批判はいくらでもできる。所詮専門家ではない学生に調査や分析にも限界があるのだ。

 ――徳森のレポートもそんなに悪いものではないが、企みがあって因縁を付けている。

「はぁ、そうですが。でもほかの子も私と大差ないと思いますが」

「大差は無くてもボーダーラインの上と下の差がでるんだよ」

「先生、追試してください、私頑張ります」

「いや、レポートを修正して再提出でいいよ」

「えっ、そうなんですか、ありがとうございます」

再提出と訊いて徳森の顔に安堵の表情が浮かぶ。――罠にはまったな……ふふふ。

 

 そこへ数人の学生が入って来た。学生の共同研究発表の打ち合わせをすることになっていたのだった。

「あ~今終わるから、ちょっと応接で待ってて」

一条は徳森の方へ目線を向けて

「で、わたしも忙しいから、今夜わたしの仕事場にしているマンションに来なさい。それまでに出来るだけ修正ポイントを書き込んでおいてあげるから。場所は・・・」

そう言ってメモを渡す。

徳森は一瞬戸惑いの表情を浮かべるが事務的な一条の口調に「分かりました」と言った。

「じゃ、午後九時に」

 

 

* 

 

 

 只畑宗司は48歳、大手の建設会社K建設(株)の課長として部長職を目指してあくせくと働いている。

妻の彩音は40歳で専業主婦、長女は大学三年生、次女も同じ大学の一年生になった。

彩音は

「一応、母親の責任を果たしたわねぇ」

と最近口にするようになった。

後は何時嫁にいくと言い出すのかそれを心配しているようだ。

休みの日にぼやっとしている妻を見ていると、こいつ早くにぼけちゃうんじゃないかと心配になるほどだ。

 娘たちは、授業のない日曜日などは交代で家事をやるようになり、彩音は一層することが無くなってぼんやりしている時間が長くなった。

「おい、彩音、お前何か仕事始めた方が良いんじゃないか? 毎日見てるとぼやっとしててぼけちゃいそうだぞ」

と、言うと

「え~、ちょっと考えてみる」そう言って、また何かをぼやっと考えている。

只畑が毎朝新聞を読む時に折込の各種のパート募集チラシを目立つようにテーブルに置いてゆくのだが、彩音はさっと流しているだけで気乗りがしないようだった。

 

 そんなある日、フランチャイズのオーナー店募集のチラシが入っていた。

彩音はそれを取上げじっと見入っていた。

「私、これやってみるかなぁ」

只畑が朝食を取っていると彩音が呟いた。

「どんな仕事?」

「フランチャイズのお弁当屋さんよ。開店資金が五百万円だって、どうかしら?」

只畑はそこらのパートの仕事を週三、四日やる程度のことを考えていたのでちょっと驚いた。

「え、あ~、まぁどんな仕事だか知らないが、初期投資がちょっと大きい様な気もするが……」

「そうねぇ、やっぱり無理か……」

「えっ、そう簡単に諦めるな。話だけとか、資料請求とかだけでもしてみたら?」

 ――まったく経験のないフランチャイズのそれも弁当屋なんか出来るはず無いし、話を訊いたら諦めるだろう……

 

 それから暫く彩音がその話をしないので只畑は諦めたのだと思っていた。

ところが数週間が経って只畑が会社へ行こうと玄関で靴を履いていると

「あなた、今日、帰り少し遅くなるかもしれないわ」と、彩音。

「お~、何かあるの? 俺も今日は遅くなる」

「あら、ちょうどよかった。今日この前話したフランチャイズの説明を訊きに行くのよ」

「あ~そうなんだ。じゃ確り訊いといで」

そう言って家を出たのだがちょっと驚いた。――まさか、本気じゃないとは思うのだが……。

 

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