石榴色(ざくろいろ)の恋模様

きよのしひろ

第1話 真っ赤なベンツの女

 「お帰り~」

高木聡一は東京の財務経済大学の四年生になっていた。

卒論は十月には書きあがっていてゼミの一条崇智准教授に提出済みで、今は就活に集中すべき時期になっている。

しかし、街が十二月に入りクリスマスの華麗な賑わい一色に包まれると、高木はその雰囲気に飲まれ就活は開店休業状態だった。

 授業が終わり正門を出ると准教授の奥さん一条幸子が真っ赤なベンツに乗って迎えに来ていた。

「ただいま~」

助手席のドアを開けると男を誘惑するような甘美な香りが高木を包む。シートベルトをして「今日は?」と訊くと「ふふっ」と鼻で笑う。

車は静寂を保ったまま滑り出した。

「今日は、予定ないんでしょ?」

いつもそう訊かれる、あると答えると、「それキャンセルね」と言われる。半ば強制だ。

 

 知合ったのは高木が三年生になり一条准教授の研究室に入った時に准教授宅で行われた歓迎会だった。

ご夫妻と先輩ら十名ほどが参加した会なのだが、次々に酒を注がれかなり酔ってしまった高木は、幸子――その頃はまだ奥さんと言っていた――に送ってもらうことになったのだが、「高木くん着いたわよ」と起されたのはラブホテルの駐車場だった。

「えっ、奥さんこんな所へ……准教授に怒られます帰りましょう」

高木の悲鳴に近い訴えを幸子はにやりとしただけでさっさと車を下り「さ、もたもたしないで、来なさい」そう命令する。

 ――その先で起きることを想像すると、一気に酔いが醒め脈動が激しく全身の血液を沸騰させる……

 五十歳には見えない艶やかな肌、ボリュームのある胸や腰、大きく開いた胸元から覗く深い谷間、身体にぴったりと寄り添うワンピース、どれをとっても二十二歳の若者に強烈な刺激を与えるには十分すぎる。その誘惑に勝てる男はいないはずだと自分に言い聞かせながらついて行った。

 ――何てラッキーなんだ。こんな熟女とホテルに行くなんて……そう思うだけで爆発しそうだ。

それが切っ掛けで幸子の気まぐれで食事や買い物などをした後ホテルへ行くようになった。

 

 高木には思いを寄せる大林康代という一年下の同じ学部の娘がいるので、幸子とは別れたいと思ってはいるが、季節の変わり目にはそれなりの衣料品を買ってくれ、月に一度は高級店で好きなものを食べさせてくれる。

そして際限のない若者の欲望を熟女のテクニックで吐き出させ、その心地よさの虜にしてしまう。

 ――高木はそういう時はいつも目を閉じて康代を抱いているという妄想の中にいる。

 

 康代には何回も告ったのだが、うん、とは言ってくれない。

好きな男がいるらしいのだ。

……それで一度尾行してびっくりした。

なんと一条准教授と一緒に学校を出て准教授の仕事部屋として借りているマンションへ入って行った。

そして康代がそのマンションを出たのは翌朝だった。

学校で康代に会った時「朝まで一条准教授のマンションで何してた?」と訊いてやったら「提出レポートの添削」と白々しく答える。

 ―― 高木も一条准教授の部屋を知っていて、その部屋の明かりが午後十一時には消えていることを確認してるんだ。嘘つくな……

高木は「不倫なんてしてもお前には良いこと無いぞ、それとも単位取るのに媚を売ってんのか?」と言ってやった。

康代は何も答えず眉を吊り上げてプイと背中を見せて立ち去った。

 ――高木の心配する気持ちが嫌らしい焼きもちに聞こえたかもしれない……と反省。が、どうして遊ばれていることに気付かないんだろう……

 

 

 そんな事を考えているうちに車は新宿に入ったようだ。

きっと今日も食事の後はいつもの高級ホテルで戯れることになるのだ。

高木のほかにも何人かこのベンツに乗せられている男を見ているから、愛人は二人、三人ではきかないのだろう。

 ――これで良いのかという思いと、別に彼女がいる訳でもないもの欲求不満解消に良いんじゃないかという思いと交錯する。

「ねぇ今日はどこへ連れて行ってくれるの?」

「そうねぇ、聡ちゃんにクリスマスのプレゼントでも買ってあげよっかなぁ」

幸子はハンドルを握っている指にはめた大粒のエメラルドをきらきらさせながら高木に目線を走らせる。

「えっ、何買ってくれるんだ?」

「何欲しい?」

「そうだなぁ、……スキーしたいなぁ」

「そう、滑れるの?」

「あ~、子供のころは長野に居たからさ」

「そ、じゃぁ、おそろで買おっか。で、一緒にスキーに行くってのは楽しそうじゃない?」

「お~いいねぇ。」

「じゃ、ご飯食べてから、どっか見に行こうね」

「うん、ありがと」

 ――本当は康代と一緒に行きたいんだけどなぁ……それに、いつか別れを告げないと……

 

 

 

 

「いや~っ! 何すんの……離してっ!」

真昼間の雷門通り。

探偵の岡引一心が妻の静と浅草寺での散歩の帰り道、ひさご通りへ向かって喋りながら歩いていると、若い女性の悲鳴が聞こえた。

五十メートルほど先で柄の悪そうな五人の男達に囲まれ女性が黒のワンボックスに引きずり込まれようとしている。

 一心が気付いて走り出した時には、静は既にその距離を半分ほどを走っていた。

着物の裾を端折って、帯締めでタスキ掛けし何かを叫びながらその五人の輪の中へ飛び込んでゆく。

男達が思わぬ珍客にあっけにとられ固まっているすきに静が女性の手首を掴んで「さ、帰りまひょ」

男達の間から姿を表す。

男達はそのすばやい動きに見ているだけだったが、その内のひとりが

「何しやがるっ! てめえ!」

叫んで静の着物の襟を掴んで後ろへ引こうとしたように見えたのだが……

刹那、その男が道路に倒れ伸びる。

一心には何が起きたのか見えなかった。

 ――いつもの事なんだが。

男達にも見えなかったようだ。

しばしの沈黙。静と女性だけがすたすたと一心に向かって歩いて来る。

「待てこらっ!」

男らが慌てて静に駆け寄り周りを囲む。

「あんはん、この娘お願いどす」

そう言って、一心の方へ女性を押し出す。一心は女性の手首を掴んで自分の後ろに女性を隠す。

静を取り巻く男達に向かって

「お兄さん方、昼間っから若い女性に何しはりますの?」

そう言う静の目はすでにギラギラとボクサー色に輝いている。

一心はやばいと思った。

 ――余り酷い怪我をさせないように祈る……

 

「ごちゃごちゃ五月蠅い婆ぁだ、いてまえ!」誰かが怒鳴る。

一斉に男達が静に襲い掛かる。

その状況を見ていた女性が一心の後ろで悲鳴を挙げ一心の背中にしがみつく。

 

 数拍の間もなく四人の男達が道路に倒れ伸びている。

最初に倒れた男も微動だにしない。

一心は浅草警察の丘頭警部に電話を入れ事情を話す。

そして五分程歩いてひさご通りにある岡引探偵事務所に女性を連れ帰る。

静が女性を座らせお茶を勧める。

「どう、少しは落ち着きはった?」静が優しく訊く。

女性はまだ青ざめた顔をして指先が震えている。――よほど怖かったんだ。可愛そうに……

 

 そこに長女の美紗が自宅の三階から下りてきて顔を出した。

「あら、染佳ちゃん? どうした?」

と女性に声を掛ける。

女性が振向いて「あ~美紗ちゃん……えっ、ここ美紗ちゃんの家?」

「そう、一心、染佳ちゃんに何か有ったの?」

「おー、雷門通りで男達に襲われて車に乗せられそうになったところにでくわしたんだ」

「あ~それで、静が叩きのめして、彼女をここへって訳?」

説明してないのにそう言って納得して頷く美紗。

「せや、危機一髪どしたわ」

「あの~、美紗のお母さん……どうやって沢山の男倒したんですか?」

染佳は美紗の顔を見てやっとほっとした顔をする。

「ははは、お嬢さん、実は、静はプロなみのボクサーなんだ。だから、パンチが見えないんだよ」

一心が拳を突き出して説明すると染佳は分かったような分からないような顔をし首を傾げる。

「ところで、お名前なんと言うんでっしゃろ?」

「あっ、済みません、助けてもらったのに名前も言ってませんでした。下井染佳といいます。助けて頂いて本当にありがとうございました」

「あ~染佳ちゃん、私のハッカー仲間なの。結構色々教えて貰ってるのよ」

「ほう、美紗に先生がいたんだ。……ところで、立ち入った質問なんだけどさ、……どうしてやばそうな男達に襲われたの? 心当たりない?」

一心がそう訊くと染佳は目線を落してもじもじしている。

「いや、無理に言わなくても良いんだ、また襲われたりしたら……と思ってよ」

「染佳ちゃん、何か問題抱えているなら話して力になりたいから……ね」

美紗が言うと染佳が顔を上げて、

「……実は別れた彼氏が借金一杯作って、私バカだから闇金の保証人になってたんです。そしたら彼が何処かに逃げちゃって……それで催促されてるんです」

「あ~あれ闇金の連中か」

「ぎょうさんおますのんか?」

静の質問に染佳は意味が分からないのか首を傾げ美紗に目線を送る。

「借りたお金はまだ沢山あるのか? と静が訊いたんだよ」と、美紗が通訳する。

「あ~、済みません、京都の言葉良く分からくって。あと百万くらいです。それを一括で返せって言われてて……」

「そんな無茶な。返せるわけない」

「はい、私もそう言ったんですけど、そしたら……」

「そしたら?」

「ソープ紹介するから、そこで働けって言うんです」

「私、そんなとこで働けないって言ったら、車に連れ込まれそうになっちゃって……」

「何て会社?」

「徳森金融という会社です」

「あ~、浅草の隅田川に沿った道にある……じゃ、次返済に行くとき俺と静一緒に行って、分割返済の話つけてあげるな。良いよな、静?」

「へい、よろしおま」

「家はどこ?」

「はい、稲荷町駅近くの公園の横です」

「あ~近いな。美紗! 一助連れて家まで送ってくれ」

「あいよー」

「一助行くよ~」と、三階に呼びかける。

「おー」返事だけは元気な一助が階段を駆け下りてくる。

「で、どこ行くんだ?」

女性に気付いた一助はちょこっと頭を下げる。

「染佳ちゃん行こう」美紗はそう声をかけ、一助には無言で付いてこいと合図を送る。

美紗より一つ年上の一助だがいつも美紗に扱使われている。

「次、行くときに連絡よこしてな。怖い目には合わせんから」と、一心。

「はい、ありがとうございます」

 

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