第11話 こじつけ

 勇者を殺す、其のために編成されたネームドは5人。そして賢者に対するも4`人。勇者に対抗するのはオリアナ、エレガント、バイオス、義玄、ガルドである。賢者はクルシュ、メルヘム、ジムニー、ガランである。天使とは関係のない9名だが、賢者と勇者の両方を殺せたのならば情報は漏洩しない。問題なくなる。


 天使の軍勢が人間の国を襲ったという情報を完全に封鎖することはできないし、封鎖すべきではない。学術国で反乱がおこったというよりも、天使に滅ぼされたと言った方が納得しやすいだろう。サリオンはあくまで保険である。保険であるが、温存するつもりもない。確実にサリオンの天使の軍勢は出番が来る。


 今回の作戦でも、ネームドの中でも序列が低く、強さだけを持った者たちを集めた。最悪負けても損失が少ない者たちであり、勇者と賢者を完封できる数と強さを持っている。敵の戦い方がうまければ負けるかもしれないが、これを負かしたのならば勇者たちを褒めるべきだ。


 勇者個人の脅威度は大体150万でありシェリンと同等だ。戦えばシェリンの方が分が悪いだろうが、5人の総合的な脅威度が300万と上回っている。もっともシェリンには俺の持つ武器の中でも強いものを与えている。負けることはないはずだ。これらが直接的な勝因になったりすることはないが、あくまで目安として定める。これは魔力量のみを測定しているため出力や体術などを加味していない。賢者は70万といったところで、それに対するは230万だ。勇者が殺せなくとも賢者を殺せれば攻略はたやすい。ゑティーに限ったことであるが、今回敵対するのは彼だ。問題はない。もしネームドがすべて死ねばHOMEに残るネームドの数は一けたになる。大損失だが、流石に全滅はしないだろう。むやみに失いたくはないが、帝国兵の強さがネームドと同等ということが分かった。脅威はできる限り早いうちに潰しておきたい。


「いいですね皆さん。これは負けられない戦いですよ?特にあなた方は戦闘要員です。私を含め、勝つためだけに作られた、或いは招かれたのです」


 エレガントがネームドの頂点だ。故に鼓舞するのも彼だ。ネームドにとってこの言葉は大きな意味を示す。大概の場合、ロイスからの命令は存在意義であり、利用価値を示す事だけに邁進するべきなのだ。それ故、失敗できない任務というのは存在意義の証明であり、生きる理由だ。もっともオリアナのような忠誠の無い者たちにとっては、自分が殺されないために働くと言ったような強制力しかない。


「では始めましょう。此れから始まるのは、人間の醜い争いにすぎません」


 エレガントは念を押す。間違ってもHOMEの工作であることが露見しないよう、人間が勝手にやっている戦争である、と認識できるよう釘を刺したのだ。


 ネームドは奮起する。忠誠に証明するため、或いは殺されないために。


 ※


 ティオナの仕事は予測されていない事態への対応であり、必要であれば自らが力を振るう。ティオナの頭脳があれば最適な対処が可能だろう。ただ、予測されていない事態に陥ることはないと思われる。シェリンの作戦にはいつも予備戦力が控えている。ティオナが対処する必要もなく、ネームドかサリオンが対処すればいい。ティオナは予備の予備として控えている。


 当然のことながら、守護者は能力が高い。それ故に、柔軟な対応が必要になることが考えられるのならば控えておいた方がいい。前線で活動すべきは使い捨てられるネームドだ。その気になれば、エルメスとロイスの手によってネームドレベルの実力者ならば創造できる。


 ただ、命令を受けた身で何もしないままというのは忍びない。なので、反乱軍を指揮するネームドたちの管理をしている。反乱軍は洗脳によって組織される予定なので管理する必要もないのだが、不測の事態が起こらないとも限らない。ネームドたちが動いていれば当然なのだが、ティオナの出番もなかった。シェリン直轄であるだけに優秀なものが担当している。なのでティオナは暇を持て余していた。


「ドレベス、今どんな感じなの?」


「ハ。末端兵から洗脳を開始し、すでに反乱軍と呼べるほどの規模になっています。此れより指揮官を洗脳し、各国への工作に充てる予定です」


 指揮官は各々の本国を代表する英雄たちのハズだ。そんな彼らが何も言わずに暴動を起こすようなことはしないだろう。だから、それが自然となるように工作をしなければならない。すべて帝国のせいにするため、或いは天使のせいにするために。


 今は帝国に対する印象を操作しているため、帝国は目の敵にされている。流した情報は以下の通りだ。


 帝国は学術国を戦力供給地とし、評議国を起点とすることで北大陸を統べるつもりなのだ、と。


 噂を流してから数日のうちに平民の総意は”帝国を排すべき”というものにまで成長した。帝国は北大陸最強の国であり、評議国はすでに帝国の手中にある。だからこそ、あながちありえない話ではなくなっていた。さらに、帝国は外交をあまり積極的に行わず、元より印象の良い国ではなかった。平和主義な学術国の平民は戦争のことなど知りはしない。さらには、帝国の軍隊、戦争の象徴が身近に駐屯していては根拠の無い噂も真実味を持ってしまう。愚かな平民がこれを疑うことはなかった。


 流石に軍隊は戦争に詳しく、帝国が悪である、ということの信憑性がないと確信していた。だが、戦争をするしか能がない軍隊が帝国を庇えば、どうなるかは理解に難くない。多数派の味方をすることが学術国のモットーだ。戦力的に数というのは大きな価値があるためだ。帝国が数国分の戦力があろうと、学術国に駐屯する軍の全体に比べれば、障壁にならないと判断が下されたのだ。


 全てが無干渉を貫いている。帝国は孤立していた。孤立していながら総戦力をはねのける軍事力がある。学術国の読み間違いである。それもそのはずで、当然ながら学術国内にもHOMEの間者がいる。そいつが誘導しているのだから当たり前である。


「反乱軍の規模は?」


「凡そ55000といったところです。帝国は1万ほどでしょうか」


「学術国の兵士も唆しましょうか。洗脳はせずに、学術国に帝国が悪であると証言してもらいましょう」


 ティオナの提案をドレベスはしばらく考えた。学術国が帝国を悪と断定するということは、学術国と懇意にしている国が帝国と敵対関係となる、ということを意味する。学術国は出来る限り事なかれ主義で、多数決の味方をする。戦争が終わった際、学術国はより多くのつながりを残せるからである。仮に、少数派がかった時は学術国としての立場は保てないかもしれない。


 今この状況では帝国一国をとるか、その他の国をとるか、数でいえばその他の国を優先すべきであろう。ただ、帝国だけが生き残るのだとすれば帝国との仲を保ちたい。ただ、ここで帝国の味方をしなくともその他の国家が亡ぶわけではない。それに、学術国が亡ぶことになれば、学術国の土地をめぐって激しい戦争が巻き起こる事であろう。それを阻止するという名目でHOMEが介入するわけなのだが、中立国という未だ建国が宣言されていない国家の介入となれば、これ以上に怪しいものもない。準備はしているし、ローテルブルクも同盟国として確保している。宣言のめども時期に立つ。迅速な対応が求められるため、中立国としてではなくHOMEとして介入せざるを得ないだろう。


 学術国の議事堂はまだこの反乱軍のことを把握していない。だが、この内戦が終わり、学術国としての形を残していたのならば議事堂は大荒れとなることだろう。


 まあ、内戦が始まっても議事堂は荒れるだろうが、どうでもよい。ティオナにとっては細事に関わりたくはない。だが、学術国を制したのちはこの地を治めなければならないので細事にも関心を持つべきなのだけど。ティオナが統治するわけではないので、うまくかわせるかもしれないが。


「何故洗脳しないのですか?」


「永遠でないからよ。ホステルとかいう奴がどれだけ賢人なのか知らないけど、賢ければ対立はしてこないでしょうし、学術国の運営をホステルに押し付けられるでしょう?」


 なるほど、とドレベスは感心した。帝国でも敵わなかった、という事実が残りさえすれば、学術国は中立国に手が出せなくなるだろう。何といっても、帝国以上の強国となるわけだからだ。聡いものであれば、中立国との共存を望む。そうでなければ世界大戦が勃発し、遅かれ早かれ中立国以外が亡ぶ。


 それに、洗脳によって従えた者たちは洗脳が解ければその間の記憶を失う。恐怖を鮮明に覚えていた方が、こちらの異常性を示せる。力を示すのだから、洗脳して従える必要はなく、洗脳をしなくとも学術国の兵士を操れるのだから、無駄なことはしないに越したことはない。


「すでに学術国の兵の中にはシャーリーを忍ばせています。バレる気配もなく、順調に事を進めているようですよ」


「そうでしょうね。学術国が帝国の手を取った瞬間、この国もろとも破壊するわ。準備はしておいてね」


 まあ、ないでしょうけど。とティオナの言葉は続かなかった。仮に、学術国が帝国の手を取ればこちらにとってはかなり面倒なこととなる。いつでも最悪のことは考えておくべきだ、とロイスは言っていた。


 こちらにとって最も薬価ない状況は、学術国と帝国が共闘関係になり、そのご帝国の援軍が現れること。帝国の援軍はネームドが止め、学術国の誘導もまたネームドが務める。何も問題はないように思われるのだけども、帝国にどのような猛者が居るかわからない。油断はするべきではない。


「やはり、私とサリオンの魔法で壊滅的な被害を出しておくべきかもしれないわね」


「ですが、シェリン様は予定にない行動を嫌います。もし仮にシェリン様の演算にイレギュラーを与えることは作戦の失敗につながりかねません」


「そうよね。シェリンに嫌われたくはないし・・・何かあったら動けるように準備しておくわ」


 ドレベスは勇気を出した自分の発言を誇りに思った。シェリンの作戦を守り抜き、ティオナのメンツをつぶすことなくやり過ごした。ティオナが賢面な判断力を持っていたがための結果である。



 ※


 シャーリーは学術国の議事堂内で工作活動に勤しんでいた。不可視化のスキルを使い気配を絶った上で、五感を研ぎ澄ませ聞き漏らしの無いよう努めている。


 学術国は軍事国家ではない。軍事力については注力してはいるが、それは制裁のため、平和を守るための軍隊だ。他国の侵略や他国との共闘を目的としていない。場合によっては共闘することも多々あるが、攻めるというよりも防衛に徹するほうが多い。言い方によっては、どの国であっても自国の平和を守ることが軍隊の役割なのだが、学術国の兵は少し毛色が違う。


 多勢の味方をすることが前提で鍛えられている。なので、末端兵にまで情報が正しく分配される。前線の兵士は何が敵で、情勢はどうなっていて、どこまで前進すれば戦争が終わるのか、といった情報が与えられないことが常である。が、学術国の兵士は味方と敵の区別をはっきりさせなければ内戦がおこり、大陸同士の戦争につながりかねない。だからこそ、正しい情報が常に配布される。それは乱戦時であろうとも同じことであった。それを可能とするのは魔道具である。情報機タークと呼ばれる魔道具により、情報は遠隔で伍長にまで伝えられる。この魔道具は極めてコストの低い魔道具であり等級も希少レアといった程度のもの。


 伍長とは末端兵士を五人一組とした場合の指揮官を言う。伍はまとまって動くことが多く、一人の人間が最前線で目を配れる限度であるだろう。そのため、この魔道具が支給されているのだ。


 この魔道具が世界的に広く使われていないのは、材料が学術国の領土内にしかないから、また学術国の法により魔道具を作成することが許されていないからということが理由であった。学術国の法律によって世界を牽制できるのが、この国の特権なのだ。さらに、兵士一人一人の練度も、実力も高いため他国とは比べ物にならないほどの戦力を有する。だが、流石に一人一人が英雄級の強さを持つ帝国と張り合えるほどのものではなかった。


 帝国兵と学術国の連合軍が反乱軍とぶつかった際、負けるのは後者である。であるがゆえに、考えなければならないことはただ一つ。学術国の土地を中立国の土地とすること。これはサリオンが暴れれば結果として、この国に残る兵士、人民はすべて滅び、再建のため中立国が介入することができるだろう。多くの国は学術国に精鋭を派遣しており、軍事的打撃を受けるだろうし、直ぐに動きはしない。最善は学術国の機能を我がものとし貨幣の創造権利を実質的に奪うことだったが、今回は迅速な作戦実行が求められている。なにせ、ガーラがドワーフたちとの国交を結びきるまでが期日なのだ。彼女の手腕ならば、数日のうちにことを済ませて帰国して居そうだった。


 シャーリーはそのための重要な作戦を預かっている。シャーリーはとりあえず学術国で発言力のある派閥を誘導し、帝国の敵をするようにを促す。帝国軍は学術国の兵士を殺せない立場にあるだろう。実力至上主義の帝国であれば失敗は本国からきつくとがめられるだろうし、下手な真似はできないはずである。今はまだ、反乱軍の存在は露見していない。故に賢者の権能ですら、反乱軍を察知できずにいる。それは、賢者の動向を把握しているため、理解できた。反乱軍が未だに鎮圧されていない、対処されていないことを見れば自明の理である。このことから、洗脳によって使役した人間は賢者の加護の対象から外れることが証明された。これは副次的な収穫であるが、なかなかに重要だ。といっても、シャーリーの仕事は帝国への不感を高めておくこと。結果として、帝国が目の敵にされなければならないのだ。


「おい、何故帝国が責められているんだ?明らかに刺激するべきではないだろ」


「情報の出所はわかっていません。一市民の風潮した噂なのではありませんか?」


「そんなものがここまで肥大化するモノか!明らかにどこかの国…或いは何かの組織・・・。洗脳か?だとすれば敵は帝国を排せるほどの戦力を持っていることになるのではないか?」


 見た覚えのある男が額に汗を浮かべながら焦りの現れた口調で言い詰める。ホステルだ。この国の首相であり、実質的に軍事を操る立場にある人物である。


(察しのいい人がいるみたい・・・優秀な奴は殺すべきではないし、見た感じ唆されてくれなさそう。なら)


 そもそも首相は殺してはならない人物としてピックアップされていた。これは作戦がつつがなく成功し、帝国を排斥できた場合に利用価値があるからであった。学術国のトップが変われば怪しまれるだろうが、変わっていないのならばとりあえずは他国としては無干渉でいてくれる可能性が高い。


 失敗すればサリオンによる殲滅が行われるので、生死は問わないのだが、優秀な人間がいた方がこの先使える場面があるかもしれない。勧誘する、という線もあるのでシャーリーの一存では殺せない人物であった。


 この手の相手は証拠を見せれば納得するものだ。それが偽造であっても納得せざるを得ないほどのものであるのならば、精査し妥当性を見つけ勝手に勘違いしてくれるかもしれない。シャーリーはそう当たりを付けて準備する。


 幸いなことにその文書は手元にある。シェリンがこういう時のために作っていた、各国の情勢をまとめ上げたものだ。その中の一つ、を脚色した。帝国の兵士たちは戦争の準備をしており、この国に向けた歩み始めている、というものだ。その証拠っとなるような帝国財政管理書もある。これは本物であるので、偽造ではない。年代は別のものであるが、軍を組織したということに対する根拠となるよう金の支出がある。


 それを、もっともらしいものから渡されれば、このホステルも納得するかもしれない。別にシャーリーは洗脳などをして国兵を操ることが任務ではない。そういう状況を作ればいいだけのこと。


 であれば、こういった小さなことの積み重ねによって印象操作するしかない。ただ、機関がないことが気がかりだ。


 シャーリーはすぐさまこの機密文書を、情報統括部の管理庫に収める。情報が欲しい彼らにとって、この情報が見つからないとするのはおかしな話だ。この情報が得られたという記録も忘れずに偽造しておく。


 次にすべきは、末端兵の士気を高めることだ。帝国に対する嫌悪感を抱かせる。仮に帝国と手を取り合う関係になったとしても、ラグが生じ取り返しのつかない状況に陥れるためだ。これに関しては、シャーリーの召喚魔、暗殺魔シャドーデーモンが陰に潜み、何人かを操るだけでいい。


 暗殺魔に「帝国が反乱を起こそうとしている。学術国の情報部はその情報を握っている。挙兵はもうすぐだ」という風に、戦争を助長してやるよう命令した。そうすれば済むことだった。


「暗殺魔、行きなさい」


 シャーリーの合図とともに影が5つから10、10から20に分離し配置についた。これで20人の戦争助長者が誕生する。学術国の首都に控える戦力は多くない。此れだけいれば十分だろう。


 シャーリーの主な仕事はこれで終わってしまった。だが一つ、ホステルという人物がどういう決断を下すか、結局はそこに帰結するので彼にも接触しておくべきだ。


 シャーリーはホステルを捜索し、議事堂内を東奔西走する。今日はそれで一日を終えた。一日目にしてはノルマも達成していたので、十分な成果だったと言える。


 そして、二日目。学術国の兵士たちの帝国に対する不信感が煽られ、肥大化し始めていた。当初、軍人たちはこの程度の噂に惑わされはしない、といった態度をしていたが同じ軍人が、そして情報部がそう言うのならば、と信じ始めているのだ。暗殺魔による工作活動がうまく機能している証拠であった。


 情報機から通信がないのも、明確な情報を調達し精査している段階だから、と言われればそれ以上追及はできない。


 そして、目当てのホステルが偽造文書を入手し、その情報を鵜のみにしてくれた。


「幸運ね。―?」


 というガーラの独り言は誰にも聞こえないほど小さかった。


「ホステル首相」


 ホステルが防衛大臣に接触してしまった。完璧な偽造文書、それを見破れまいか、と心配になるシャーリー。そして、防衛大臣はその文書をホステルから奪い熟読する。


「最近巷で人気のある噂、それに対する調査、か。この文書、記録にあるし矛盾点もない。だが話に聞いていないものでございます」


 ホステルの疑惑の目線を受けて防衛大臣は冷や汗を流した。立場的にマズい発言をしてしまったのではないか、と不安に思ったのだ。だが、ホステルの思惑はそんなところにはない。この文書の収集記録や担当人物、さらに時期と帝国の動き、これらすべてが実在し合致していた。ここまでの情報を偽造できるものなどいよう筈もない。だが、この情報を入手したという話が防衛大臣の耳に入っていないこともあり得ない話であった。


 この文書の記録はそう古いものではない。数週間程度前のもので埃も大してかぶらないほどしか期間が開いていない。大臣は優秀な人物であり、これを忘れることはないだろう。


 仮に情報管理庫に何者かが侵入したのだとすれば一大事である。そして、偽造文書まで流入されており危うくそれを鵜のみにしてしまうところであったのだ。実際にホステル一人だけの判断が尊重されていればいいように操られてしまっていたかもしれない。


「部屋の入出録はなし、か。侵入者の情報も、記録が改ざんされた様子もないのだな?」


「はい、それは間違いないかと」


 台の上には文書の形を残すほこりのよごれ。だが、内容は数週間ほど前のもの。戦争の準備をしているかもしれない、という情報が連絡もなしに持ち込まれるものではない。こうなってくれば情報に矛盾点がないことが怪しくなってきた。この文書の内容がすべて正しかったとしても、これに従って作戦を立てれば何者かの思い通りになるかもしれない。


「この文書は処分しておきなさい」


「で、ですが帝国からの侵略を許してしまうのでは?」


「それがもし仮に本当だとしても、今から戦争の準備をして、迎撃できるというわけではないだろ。ここまで時間がたっていて動きがないとなればフェイクだ」


 防衛大臣は考えた。しばらくしてから、ホステルの言葉が正しいと確信し、帝国は何者かに踊らされているのだと、そして、何者かが学術国に干渉してきているのだと理解した。


「賢い・・・”先導者みちびくもの”」


 シャーリーは特有級のスキルを発動した。効果は自分の持つ考えを強制すること。これは暗示であり洗脳ではない。自分の思考回路を維持したまま、シャーリーの持つ目的を共有する。晩御飯に焼き肉を食べようと思っていても、実際には刺身を食べてしまう、といったようにシャーリーの暗示が優先される。もっとも、そんな命令は出さないのだけども。この場合、内心では帝国の味方をしようとしていても、実際は敵対してしまう、といったようなものだ。


「帝国をこの国から排斥する。そのために俺たちは帝国軍と対立しなければならない」


「ええ。私も同意見であります」


 彼女のスキルによって、ホステルの考えが正され、防衛大臣が賛同した。彼らに特有級のスキルに対抗する手段がなかったので、こういう結果になってしまった。このスキルは半日で効果が切れてしまう。だが、洗脳ではないので考え方が変わったまま戻らない者もいるし、思わぬ理解者が生まれたりもする。考えが変わるまで暗示をかけ続けてやれば済む話だし、間に合わなくとも、再び暗示をかければ意のままに操れる。少し手荒だが、致し方ない。中途半端に賢いのが悪いのだ。


「よし、お仕事完了!」


 シャーリーは息を吐いて深呼吸した。作戦終了まではこの地にとどまり綿密な調整に関わるのだが、主題は終えた。後は作業のようなモノである。



 ※



 人間の護り手たる勇者は南の大陸を回っていた。北の大陸にはシドがいるため、ひとまず人間が大勢死ぬことはない。実際にシドは北大陸を守っていた。といっても正強会の教徒が対処しているだけなのだ。シドはやはり信頼に置けない。人間かどうかも疑わしい存在をしようなどできようはずもない。


 南の大陸にて、賢者は異変を感じ取っていた。彼の加護により、人間の間での不和を感じ取ったのだ。とはいえ、正確な情報は何一つ手に入っていない。混乱しているのか、ただの噂に惑わされているのか真相は分からない、だが何かがあるのだろうと確信していた。学術国から察知した異変はそういう雰囲気を帯びていたからだ。彼の感性がそう働きかけただけで、実際に何かが起こっている可能性と何も起こっていない可能性はイーブンだ。そのためとりあえず勇者一行は学術国へと出向くのだ。特に宛てもない旅であるから行先はなんだっていい。


 学術国での不和、その正体が賢者の加護で分からないのだとすれば、人間が黒幕ではないこと、或いは人間が洗脳か暗示によって操られているか、ここからでは詳細など分かりはしない。


「人間同士の戦争がおこる、と?であれば私が出る幕ではないでしょう」


「人間は殺せない、ですか?いい加減そういうのやめましょうよ。戦争はまだ始まっていない。止められるかもしれませんよ」


 ゲルドは深いため息を吐いて言った。ウェンティーは間違いなく勇者の加護に呑まれている。それは同じ村で育ち、加護を授かる前のことを知っているから思うのだ。加護は天賦のものと後天的に授かるものがある。どちらがより強い、ということではないのだが、勇者と賢者の加護は後者である。希に生まれ持って勇者の加護を持つ者もいるようだが、そんなものは極少の確立を引いた者だけだ。


 そして、勇者の加護には強制力がある。それは積み重ねてきた先代勇者の思想によるのかもしれない。勇者の加護は継承されゆく過程で強化される。だからこそ、受け継がれる思想というものがあり、影響を受けているという可能性もあった。


「俺には分からないけどさ、お前、昔はそんなじゃなかったろ」


ゲルドがため息交じりにそう言った。昔の彼の口調に戻って話をするのなんて、数年ぶりのことであった。


「そうですね。だから苦悩してるのですよ。もう貴方と話すのでさえね」


「ッチ。毎回くだらねぇ理想を掲げて笑いあったってのによ。今じゃ苦笑もできやしねぇ」


 ゲルドはウェンティーの顔を見上げて、これ以上責め立てることをやめた。ウェンティーは加護に呑まれている。だが、彼の意思はその中にある。感じ取る感情はウェンティーが受容している。見ている光景も、後悔も、苦悩もすべてはウェンティーのものだった。加護はあくまで暗示をかけているだけで、ウェンティーの思考を乗っ取っているに過ぎない。実質的に体を操られているが、内面を操るほどのものではないのだ。


 彼の悲しそうで、困惑しながら、それでもはにかんだ笑みを浮かべようと努力する表情を見て、これ以上責められる者はいない。ウェンティーとはそういう顔をするやつなのだ。自分の苦悩を絶対人に打ち明けないはずだった。だが、勇者になってからは愚痴をこぼすようになったし、嫌味を言うようにもなった。これが勇者の加護であるならば、無くなったほうがいいとまで思えるほどの代物だ。


「悪かったよ」


 最悪の空気の中、馬車は学術国まで走った。


 学術国は平和主義国であり、勇者のような者は歓迎されるべきであった。だが、この国でも勇者は優遇されていない。始祖の悪魔と勇者の加護を持ったものとの衝突で国が消えた過去がある。理由はそれだけだった。いつ始祖が襲ってくるかもわからない勇者の加護を持つ者を入都させたくはない、というふざけた理由だ。始祖の行動なんて予測するだけ無駄だし、彼らにとって人間などありでしかない。それは勇者であってもそうだ。過去に始祖を撃退したのはクロウディアだったはずだ。彼は本物の勇者であって、現存する勇者ではない。


 だが、入都できたのは正体を隠しているから、というのとまだ名が売れていないからという理由だ。


「それで、どうするのですか?戦争を止めるなど」


「俺の―私の加護が正常に発動しなかった。学術国にはレベルの高い魔物が少なくとも数体いるはずです。戦争を起こそうとしているのはその者たちのせいやもしれません」


「そうですか。学術国の民の避難は済ませておいてくださいね」


「無茶言わないでください。まあ、努力はしますが」


 ゲルドの嘆きもむなしく、ウェンティーはまだ存在も定かではない強者と戦うことを決めてしまった。それも街中で。また嫌な役どころだ、とゲルドは天を仰ぐ。


「面倒を掛けますね」


 ゲルドはウェンティーの面影を見て、心の中で舌打ちをする。


 その顔をやめろ。その顔はお前のものではない。その声も、その眼差しもすべてはウェンティーだけのものだ。その顔と瞳と声で話しかけられると自分が惨めで仕方なくなる。だから、俺は賢者としてしか支えられない俺はお前の元を離れられない。


 ゲルドの中にあるのは、賢者の加護を授かったときから、勇者の加護に対する怒りだけだ。


 ―親友を閉じ込めやがって、ふざけるな―


 ゲルドは数年間ずっと親友を解放するために共に旅をしている。だからこそ、自分がウェンティーより早く挫折することはありえないし、力を貸さないなんてこともしない。彼は本物の勇者の右腕として、賢者として生きることを決めている。


 親友で、苦楽を共にした戦友で会ったウェンティーはもう眼前にはいない。せめてお前の苦悩だけは分かち合いたい。


 それがゲルドが賢者としてウェンティーを支える理由だった。加護に呑まれた友は救えない。そんな無力な自分が憎い。惨めだ。助けてやりたいし、また笑いあいたい。こんな苦悩でさえも笑い話に出来ればどれだけ幸福だろうか。だが、叶わない。それを痛感してしまっているからこそ、ゲルドは迷わない。


「気にしないでください」


 賢者は勇者に笑いかけた。彼の意思は関係ない。ただの加護の意思によって学術国の未来は決まってしまう。





 学術国にたたずむ立派な建物。それは緑の国旗がいくつも掲げられており、建物の背後には広大な敷地が広がっている。その敷地はすべて高い壁に囲まれており内側が見られないようになっている。ただ、建物は塀の一部となっており、学術国を見渡せる。


 一望できるだけの高さがないのだが、それでもある程度は見渡せた。建物の装飾が多くみられ財を感じさせる。民の生活水準も高く、技術も豊富にある。様々な国の文化が混じり、この国だけの文化として発展しつつあるため、学術国は流行の最先端と言われる。HOMEが種を作り、学術国がそれを流行として広める。種は服であったり、サービスであったりで、重要なのは多くの人間がそれを好ましく思うことである。HOMEのサービスを最も享受できるのが学術国であるため、両者は互いに利のある関係を保っていた。


 緑の国旗、それは帝国のものである。つまりこの建物は帝国兵が使う軍事拠点である。


 学術国に駐屯している帝国兵の規模は大きくない。首都に軍隊を置いており、それも多くの国が共生しているとなれば一国だけが割合を占めるなどとは不可能なことなのだ。それでも、帝国兵はその他の国の勢力を圧倒するだけの軍事力を有している。


 例えば一兵卒に当たる者であってもウルスと同等の戦力を有している。ウルスは王国において、世界において行ける伝説だ。それは冒険譚として、或いは強さの象徴として、種類は様々だろう。


 帝国にとってウルスは単なる一兵卒にすぎない。それでも、同じ人間が繰り広げる冒険譚に心が躍らないわけではなかった。故に帝国であってもウルスは人気を博している。いくらか美化された強さで歌い継がれるから、というのも理由の一つであろうが、それでも衰えぬウルスの評判は流石である。


 帝国の兵を率いているのは帝国外部駐屯軍司令の位を賜るテレザ・ヴァグノリア中将である。中将の位は高く、実力至上主義の帝国においては出世株だ。彼の年齢は35である。35歳で中将は珍しく、指揮官としての能力も高い。中将で軍司令を任される者も少数であるし、重要拠点の防衛を任されているだけにどれだけの能力があるか推して知るべしである。


 テレザにとって、学術国は気に入っている国であった。学術国の治安は半ば帝国が保っていると言っていい。帝国が駐屯しているため、喧嘩を売れないのだ。なぜならば勝てないから。


 そんな彼は、学術国の王になったような気分で都市を歩く。ただ、彼は傲慢な性格をしているわけではなかった。自分の身の丈を知っている。身の丈を知っているからこそ中将という役職に不満はない。自分がこれより上の階級に着任するには若すぎると判断しているのだ。それほど階級の高いものは強い。


 帝国は珍しい軍事形態を示す。本来であれば戦場に出ないような役職の、大将や中将であったとしても戦場にて采配を取り、時には戦う。結果として帝国に利益をもたらすものが出世する。故に、頭が良いだけでは出世しないのだ。腕っぷしがありかつ頭が良い者が出世する。


「どう考えますか?中将。最近の学術国には違和感があります」


 テレザに声をかけたのは少将として彼を支えるジンカである。ジンカの方が年齢が高く、50に近い。彼の役割は治安の維持だ。といっても学術国にいる間だけの任務であり、戦争になれば敵戦力の壊滅が主たる任務になる。


 現在は治安の維持にあたり情報を調達することが仕事である。何も戦って勝つ事が帝国の利益になるわけではなく情報戦を制した、ということも益とみなされる。ジンカなどはその部類で情報調達に長けていたため出世した。当然のように人間とは思えないほどの力を持っているが帝国ではかすんでしまう。


「少将で気が付けぬのならば気のせい、或いは切れ者がいるということだろう。警戒は怠るな」


 学術国は現在きな臭い状況にある。


 きな臭いというのは、帝国兵に対し不満が募っていることを言う。帝国に対して不満があるのは少なからず仕方のないことだ。しかし、それを表に出すことは禁忌となっている。そのはずなのだが、最近は帝国に対する不平不満が見て取れる。テレザとしては可愛がっていた犬に手をかまれたような感覚だ。今まで守ってきてやった恩をあだで返されたようなものなのだから、仕方ない。


 つまり、帝国が学術国にとって癌となる可能性がある。学術国が癌を残しておくわけがない。なので、帝国は早急に対処しなければならないのだ。無理に居座ることはできるだろうが、戦争になればそれなりの金を動かさなければならなくなるし、評議国の隣に発達しつつある正体不明の勢力もある。今は出来る限り騒動を避けたい。


(帝国にとっても学術国は失えない拠点であり同盟国だ、戦争にはできないな)


 テレザは困っていた。帝国がいかに強かろうと金が無くなれば戦争はできない。学術国だけが金を作れる。故に学術国を手放すことはできないのだ。


 学術国と帝国、評議国からなる防衛線は重要だ。シャウッドの森に新たな勢力が誕生したことは把握している。だが、情報封鎖が完璧でありそれ以上のことはわからなかった。


 だからこそ評議国の兵を使いドワーフを殺させた。その馬車に大臣が乗っていたことは予想外であり失態だが、まだ本国には露見していない。これを知っている帝国人はテレザだけであった。定期的に送る間者は森に入る事は叶わず斥候部隊も戻らない。間違いなくシャウッドの森にある勢力は一国家の戦力を超越している。であるため、前線基地たる評議国の守りを薄くすることはできない。


(いかにして敵を排除するか・・・そもそも何が相手なんだ)


 テレザは少し戦慄していた。情報調達に長けているジンカですらまともな情報を得られずにいるため、敵の潜伏能力は目を見張るものがあることになる。もし仮に魔王の勢力に組するモノならば帝国としても看過はできない。多くの国に勢力が隠されているのならば、防衛線がたやすく崩されかねない。などと考えるべき脅威は山のようにあった。


 重要なのは情報操作で対抗はできない、ということだ。評判が火種になり戦争になるということはある。情報操作はそれができてしまうから有効なのだが、それで勝てなければ現状を覆すことはできないということになる。


 敵の狙いは帝国である、と推測されるが帝国を学術国から追い出したのちで評議国を攻め落とすつもりかもしれない。


 大森林の勢力は今も沈黙を保っているため、ここで姿を見せるとは思えない。だが、もし仮にここで姿を見せれば評議国と学術国を制圧される可能性もなくはなかった。絶好のタイミングであるかもしれないが、敵の総数や思惑が把握できないので断言は不可能である。ドワーフがなぜ大森林に赴いたのか、それがわからないでいるため決断は下せない。


 依然として帝国がなすべきことは評議国の防衛と学術国の防衛である。であれば敵戦力の殲滅が最も手っ取り早くわかりやすい。だがこれは不和を生み、不利益を生じさせる。この騒動の収束も、敵が倒れなければ期待できないので結局はどうにか鎮圧して見せるしかないのかもしれない。


 ならばどうしたものか、帝国兵の動きを一時停滞させるのはどうだろうか。帝国の兵が動かないことが学術国にとってどのような事態を招くのかそれを報せるのだ。戦争の準備をしていると風評される者たちが動きを止めれば、おかしな騒動もおさまるだろう。


「俺は一切の業務を停滞させる。末端にもそのように伝達しておけ。学術国の法がある限り、勝手に戦力蜂起することはないだろう」


「私も同意します。敵がどのような手に出るか、それを調べない限り対応策も浮かびませんな」


 ジンカは力不足を嘆いた。


 帝国の兵士として皇帝の命令には背けない。祖国に残してきた家庭の話もある。失敗はできない。であるが、絶対的にやり切れる自信がある。武闘派の集まりである軍人にとって、いや指揮官自身が先陣を切って戦況を変動させることができるのであれば戦争による決着が一番簡単だと考えるのも自然かもしれない。


 内戦が始まった後も完璧に学術国を平定して見せれば任務に背くことはない。学術国が学術国としての機能を保っていれば良いのだ。金銭を生み出せる拠点であり、評議国を守れる拠点であるのならば問題はない。つまりは学術国を帝国の領土にすることができるのならば、それに越したことはないのだ。


 帝国単体でも世界と対抗できるだろうが、拠点を失えばまだ見ぬ脅威にさらされるのである。評議国の民数百千人の命の一端をテレザが握っている。武闘派ではあるが、それは喧嘩による決着程納得のいく結果をもたらせるものはない、と考えているだけだ。故に人を殺したいとは思わない。テレザの失敗は即座に評議国を危うくさせるものではない。だが、可能性があるのならば注意しなければならない。


 帝国は無敗の軍隊。一度の敗北ですら歴史に残っていない。ここで初の敗北をもたらすことは恥以外の何物でもなく、全力をもって作戦に当たる理由になる。


 テレザは己の腰に掛けられた軍刀の柄に手を当てて決意を固める。己が死んだとしても愛する家族は殺させない。それがテレザの役割だ。


 結局のところ、拠点を失わなければよい。それだけのこと。簡単なことなのだ。


「そういえば、王国での一件、中将はどうとらえますか?」


「七使徒程度があれほどの魔道具を持っているはずがない、と?王国には偵察兵も送っていないのだろ?判断はできない」


「それもそうですが、それよりもシドという男です。勇者と接触したようですが、彼は今この国にいます。話を聞いてみては?」


 テレザは考えた。勇者は人間にとって英雄となるはずのものだ。その強さは帝国兵の比ではない、それが常識なのだ。だが、帝国兵はその常識を逸脱している。兵士の水準は極めて高く、一般兵が英雄レベルの人間で構成されている。数は多くないが、少なくはない。他国に比べれば圧倒的な数がいる。その中で出世するものは勇者に近い実力を持っていた。


「そうしよう」


 シドという男の情報は得ている。数々の英雄級のアンデッドをいとも簡単に屠ったと、そういう情報を。だが、帝国兵からすれば面倒な作業という程度の内容でしかない。それでも一目置くべきだ。一人で数千のアンデッドを始末し、無傷。少なくとも逸脱者のレベル。逸脱者は帝国でも将官に属するほどの実力者として扱われる。だからこそ、仲間に引き込めるのならば引き込みたいのだ。勇者に認められる強者であることを加味すれば、将官級の強さがあると見た方がいいだろう。


 人間であるテレザやジンカが勇者に害されることはない。賢者は渋るかもしれないが、勇者というのはそういう者なのだと情報を得ている。


「一応警戒はしておくように」


「ハ!」


 二人だけの定例会議を終えて、二人はほぼ同時に葉巻に火をつけた。





 シェリンの考えた作戦は完璧だ。帝国が異変を察知し、それに対抗する策も一部のほころびも見せずに言い当てて見せた。膨大な情報から最も可能性の高い未来を予測できるのだ。これはスキルによるものではなくシェリンの経験と頭脳のおかげだ。


 帝国は学術国での不満を相手にせず無干渉を選択した。それが最適解、というわけではないが悪手ではない。下手に刺激すれば不満は爆発しかねない。帝国としては不満が爆発したところで勝ててしまうため、最悪の結果に至らないための無干渉だ。


 無干渉でいたならば取れる手段も残したまま時間が稼げるかもしれないし、不平不満を刺激することもない。最適解とするならば、噂を振りまく主犯を始末するべきだ。そして、其の主犯に代わるものを擁立し、自滅させる。それがシェリンの実行可能な最適解であった。だが、帝国は主犯を特定できずにいる。シェリンが直接采配を取って情報封鎖を行っているのだ。この情報封鎖を突破できる存在など数えるほどしかいない。


「少なくとも反乱軍が起こるまでは気づかれたくないからね」


 シェリンの思惑、帝国を学術国から追い出すための作戦。帝国は反乱軍と天使の軍勢を相手にする。ネームドは勇者と賢者を殺す。それがシェリンの作戦だ。


 最も、天使の軍勢は反乱軍が破れるという事態になった時の保険だ。反乱軍を用いて帝国を害すれば御の字で、学術国の法律により帝国を罰することができても万々歳だ。


「なかなか強そうだね。帝国兵か」


 シェリンは帝国官寮にて情報を集めていた。というのもシェリンが直接ではなくドレベスとギュンターが情報を集めているのだ。それを総括し、確かめたところテレザという男の脅威度は70万と高い。そしてジンカも50万であった。これが将官に位置していると考えれば、帝国の平均的な強さはHOMEに比肩する。そんなレベルではない可能性もある。


 直接戦って確かめたわけではない。なので、正確ではないかもしれないが作戦立案において楽観視はできない。最低でも脅威度が50万もある人間がいる、それが重要なのだ。ネームドとして活躍できるほどの強さがあり、おそらく守護者クラスのものも大勢いると目される。


(流石はロイス様です。直感で帝国の脅威性を把握しておられたとは)


 シェリンは考える。何が最も最適な作戦なのか。もはや反乱軍は組織されている。決起の瞬間に、学術国は反乱軍の存在に気が付き帝国に鎮圧の依頼をするだろう。そして、各国の軍が動き始める。ふたを開けてみれば帝国対他国家である。既に帝国以外の軍指揮官は物言わぬ傀儡と化している。そして、高度な洗脳魔法により管理された資源としての戦力となっている。


 帝国に対抗できるよう、強化魔法も施す。帝国がいかに強かろうが、末端兵は大勢死ぬ。指揮官クラスは苦戦し、善戦したのちに死ぬだろう。だが、将官級や佐官級は生き残ってしまう。戦争とは数がものを言うわけではない。戦略や戦力差を覆す個の存在によって決まる。つまり将官が生きていては負けだ。故の天使の軍勢だ。帝国は摩耗した状態で、加勢も期待できずにこの世界で序列が三番目の種族が徒党を組んだ戦力と戦うこととなるのだ。帝国は詰んでいる。詰んでいる、というのが守護者各位が下した結論である。


 だが、油断はできない。将官たちがいくら強かろうが、ネームド程度の力しかない。いざとなればサリオンが帝国兵を挫く。であるから、帝国が生き残るわけがない。だが、帝国本土の強者が動かないとも限らない。帝国本土に知れ渡っては困る。だがそれこそ、シェリンの情報封鎖が役に立つと、ロイスに判断され派遣されている。だからこそ失敗はできない。


 この世界にある通信手段をすべて遮断することは困難だが、異空間に隔離してしまえば可能だ。それも完璧な異空間でなければならない。学術国の首都すべてを異空間に隔離することはできない。だから、通信を阻害する技術が必要なのだが其れもまたシェリンの魔力量では困難だ。スキルを使えば或いは可能かもしれない。だが、この局面で賭けに出るような真似はできない。


 シェリンは慎重になる。電波による通信は容易に阻害できる。だが、魔力による通信は難しい。生憎、それが可能な魔道具もない。援軍が来なければいいのだから、ネームドを派遣し援軍を排除できれば良いが、援軍となれば中将級の者が駆けつけるだろう。それに転移魔法を使うかもしれない。完全に遮断することはできないだろう。とりあえずは首都への転移と侵入を拒む結界を下ろし、そのうえで通信疎外の結界を下ろせば済むだろう。それを突破する通信手段があればシェリンが自ら阻害すればいい。シェリンに阻害できない通信技術があるのならば、それは仕方ないとあきらめるしかない。


 やはり通信ができる物を初撃で破壊することが最も端的で分かりやすい。長距離を通話できる魔法が使える者の通信疎外は簡単にできる。母数が少なければ対処する範囲も小規模で済む。


 つまりは、反乱軍は帝国の残存勢力で対処が可能だと思わせることが大切であり、サリオンが天使の軍勢を送り込む時には初撃で拠点を破壊せねばならないということになる。


 学術国首都マスベル・ローグが崩壊するのは必然であり、学術国そのものが滅亡することもまた必然。金を作る、ということが許されているのは竜種によって決められたからだ。調停者たる彼らが世界の均衡を保つために学術国がその要を担うこと、それが義務付けられていた。だからこそ、絶妙なバランスで平和を保っている。そのせいで攻略が難しかったのだが、一度亡ぼせばいい。もはや竜種が干渉してくることはないだろう。人間の世界の均衡を保つなんて面倒ごと、いつまでも続けてられない。いつかは絶滅するのだから、守っても仕方ない。竜種が干渉してきたとしても、その役割をこちらが引き受ければよい話である。結果として竜種が学術国で暴れるか、サリオンが学術国で暴れるかの違いしかないはずだし、人間からすればどちらも同じことなので、そこまで考えるべきではない。闘争手段の確立はしておくべきだが、その程度で済むだろう。


 実際の話、魔大陸では勢力が均衡しているため、戦争は起こっていない。魔王たちは領土的な野心がなく、戦争好きではあるだろうが案外経済的だ。人間だけが戦争を繰り返し、領土を求め、強者を求める。だからこそ、世界の均衡を保つ調停者の仕事が増えるのだ。もっとも魔王同士の戦争になれば大勢が死ぬどころではなくなるので、簡単に戦争も起こせないというのが本音だろう。


 氷山の竜種が動けば作戦は失敗、即座に退却したのち滅亡した学術国に新たな拠点を急ピッチで築き上げる。それが最適だ。問題は逃げられるかどうか、ということだ。


 まだ竜種が出張ってくることはないと思われる。人間の国が少なくなれば出てくるだろうが、今残っている国のいくつかは始祖が作り上げた国だ。学術国が滅んだところで新たな中立地を設ければよいだけの話で、竜種にはそれができる。


「保険にサリオンさんか・・・贅沢な作戦だね」


 サリオンが出てくれば未憎悪の災害の一つとして処理される。なぜならば彼が熾天使であるからだ。そして、熾天使に勝てる人間は数えるほどもいない。天使最強の一角、それが彼の持つ肩書。負けて許される立場にないのだ。故に死力を尽くして命令を順守するだろう。





 テレザは勇者と面会する。勇者は世界を放浪しながら人間を守る。本来であれば人間の納める大陸から魔物を亡ぼすべきなのだが、そんなことはできない。無限に湧いて出てくるからだ。だが、勇者の力は本物である。テレザでは勝てないだろう。大将クラスであればよい戦いができるかもしれないが、テレザでは逃げざるを得ない。加護を持たない帝国兵としては理解したくないことだが、勇者の加護は強いのだ。


 今回は勇者とは敵対しない、と思いたいのだがそれを判断するのがこの面会である。もし、シドとやらと協力関係を築いていおり、帝国を害そうとしているのならば断固として許すわけにはいかない。シドと協力関係を築いているというのは、事実として把握しているのだが、勇者がこの場に着たタイミングがきな臭い。もし仮に、王国での事件の主犯がシドであり、自作自演で名を馳せたのだとすれば勇者と賢者が踊らされているという可能性もある。シドの持つ協会とHOMEが協力関係にあるということから、テレザの根拠の無い推測が理由で疑惑を抱いているだけなのだがなぜか否定できないのだ。


 勇者は首都で最も安い宿を借りているようだ。らしいと言えばらしいのだが、今回の勇者はかなり異質だと聞いている。異質というのも、人間以外に興味を示さないということ。人間に近い種族であるはずのエルフやドワーフにも興味はなく、守護対象に加えない。であれば、勇者というのは名ばかりなのだ。素質がない。歴史的に見ても歴代の勇者たちは、正しくあろうとする者の味方である、という印象を受ける。


「少将、分かっているな?」


「シドという男の話、出来る限り詳細に聞き出して見せましょう」


 勇者との面会は露見したくない。内容が機密というわけではないが、帝国に対する風当たりを考えると、出来る限り秘匿すべきだ。帝国に対する風当たりが改善するまでは、であるができるだけ鳴りを潜める方が無難だ。そのためには、安い宿などではセキュリティーの観点から心もとない。だからこそ、帝国軍官寮に招いた。


 帝国官寮には傍聴を予防するための用意がある。少なくともあばら家よりはましだ。


「おい、あれ」


 テレザはジンカを肘で突いた。目の前には勇者と賢者と思われる二人の影があったからだ。官寮の前で待機していたため、賢者がまず話しかけてきた。


「お初にお目にかかります。私は賢者ゲルド。貴方が中将テレザ殿ですね?」


「いかにも。ご足労いただいたこと感謝するゲルド殿。では隣の青年がウェンティー殿かな?」


 テレザの発言にウェンティ―は頭を下げた。そして、名を名乗る。


「私が勇者ウェンティーです。ところで、中に入れてもらえないのですか?」


「これは失礼。どうぞ」


 テレザが官僚の戸を開き、勇者と賢者を招き入れる。そして、部屋に案内したのち面会が始まる。寮の前は人払いをしてある。勇者たちの顔も売れていないので、特に波乱を招くこともなく面会するに至った。


 まず帝国側が聞くべきは王国での事件の詳細である。事件があったこと、鎮圧に成功したこと、それだけは帝国でも情報を得ていた。


 テレザが口を開こうとしたとき、ゲルドが割って入った。


「その前に、戦争でもするおつもりですか?」


 戦争、となるかはまだ分からない。戦争になれば勇者は介入できない。人間を殺す事はできないからである。帝国は軍事国家であり、軍隊が強く戦争で発展する国であるが戦争好きの者が多いというわけではない。その多くが生活のため、出世のためや家族のためといったように入軍を金策の手段と捉えるものが多い。実際に命を賭けるなど、御免被るというものだ。


「戦争にならないための情報集めだ。シドという男のことを聞かせてもらう」


「シドが関係していると?そうでないなら何故です?」


 ウェンティーが食い掛る。ウェンティーはシドを危険視している。危険視して居ながら人間ではないという確証もないことから手が出せずにいる。だから、シドがどういう人間か、最も興味があるのはウェンティーなのだ。か、か、それを見極めるために。


「今この国では水面下で何かの勢力が工作をしている。シドという人物、話に聞く強さがあるのならば我らにも脅威となる。正体は把握しておいた方が良かろう」


「あくまで保険、ということですか」


 賢者の発言を首肯する。テレザとしてはシドという人物が学術国で何かをしているとは思っていない。だが、シドが作った組織、正強会がどのような組織であり何を信条にしているかによっては関与しているかもしれない、と考えているだけだ。シドが直接関与して居なくとも、教徒が勝手に暴走している可能性もなくはない。杞憂で終わればいいが、くだらない失敗でこの拠点を失うわけにはいかなかった。それに、シド本人が何かの組織に属している可能性もある。その構成員の一人にすぎないのならば最悪だ。むしろそれが一番ありえそうで嫌になる。こういった考え事は永遠と付きまとうものだ。テレザの性格的にも、不安は払拭しておきたい。


「シド殿は異世界人であり、教祖になるまでは無所属であったと聞いています。正強会は強さを求めることが心情である、ということしかわかりませんでした。私の加護でさえ、詳細は分からなっかった。逸脱者をも超えた圧倒的な実力がありましたが、あれほどの強さがあるならば暗躍する必要もないかと」


「学術国を単体で亡ぼせると?」


 テレザの問いにゲルドが首肯する。それを見て、テレザの中で今作戦の難易度が変わった。シドがかかわっている可能性があるから、ではない。まだ見ぬ強者がいると分かったからだ。勇者よりも強いと賢者が言うならばテレザよりも強いということだ。そうであるならば、大将クラスでも戦って勝つ事は難しいかもしれない。そのような人物が今作戦に関わっている可能性があるならば、増援を要請しておくべきかもしれない。


 これほど完璧に情報封鎖ができるのならば、増援は到着する前に潰されてしまうはず。何なら増援を呼ぶことさえできないかもしれない。まだ通信が遮断されている様子はないし、今この瞬間にでも本国と何らかの連絡を取ったほうが良い。敵の作戦が本格的に始まる前に増援を要請すべきだ。何もなかったのならば軽い処罰で終わる。最悪なのは増援も呼べなくなった状態で袋叩きにされること。そうなれば帝国にいる家族は養えなくなる。自分が死ねば愛する娘を抱きしめることもできない。それは絶対に嫌だ。折角出世し、帝国の首都に戸建てを建てたところなのだ。テレザが死ねば、遺産が家族のもとに舞い込むだろうが、首都で暮らせるほどではない。


「アンデッドについてはどう考えている?」


「七使徒の秘蔵のアイテム、という可能性もあります。といっても、あれは人間にとって過ぎたアイテムです。誰かによって与えられたアイテムである、もしくは第三者による使用かもしれません。ですがやはり一番可能性が高いのは、前者でしょう」


 つまりは何もわかっていないということだ。だとしても、シドが魔道具を使ったと考えれば丸く収まる。シド自身が自分の晴れ舞台を用意したのかもしれない。初登場でアンデッドを全滅させた、それは美しさと神々しさを与え、教主となるに至るだろう。ただでさえ、王国には詩人が多いし三雄のような伝説となった者たちもいる。国民性的に逸話の類が好きな国だ。簡単に宗教を建てられる、かもしれない。シドが黒幕とするには、教会の在り方はおかしいかもしれないが、判断するには本人に会わねばなんとも言えない。


「ゲルド殿、力を貸していただけないか?話に聞けばどんな情報でも得られるのだとか」


「どんな、というのは違いますね。ですがそれが戦争を避けるためであるならば、私の力を使いましょう」


「もちろん、戦争を避けるためだ。我らにとってもここは大切な、守るべき場所である」


 テレザの力強い発言にジンカも頷く。そして、互いの利害が一致したためゲルドが力を使う。賢者の加護、その力は人間5人の間で噂になっている情報をすべて入手するというもの。


 そして、それを使う。だが、得られる情報は何一つとしてなかった。


「情報が得られない・・・主犯は人間ではないということですね。さらに、人間が徒党を組んでいるといった情報も得られません。流石に組織としてありえないことです。ただ、噂が広がる速度的に組織された何かがあるのは確実かと考えますね」


 ゲルドの発言に間違いはない。だが、テレザがそれを間違いであると確信した。ある組織が反乱分子を形成しつつあると目される現状下で、徒党を組んでいる組織はない、などと言えるはずがない。ゲルドの言うように、組織があるのは確実であるだろう。ならば、賢者の加護でも把握できない状況があるとしか思えない。たとえば・・・。


「全員が洗脳されていたら?」


「洗脳により会話ができない状況でいるのならば、ありえない話ではないでしょう。ですが、洗脳により反乱軍を組織したとしても、完璧に操るのは不可能でしょう」


 洗脳魔法により大勢を洗脳したとしても、動かす側は一人だ。戦争を起こそうというのならば、一人の脳で数千を動かすことができなければ話にならない。意味のない洗脳に終わる可能性が高い。そんなことは承知のうえで、テレザは納得した。それしか手段がないのならば洗脳により組織しているのだろうと。そうでなければ学術国にて戦力蜂起などありえない。仮に、一人の頭脳で数万の兵士を個別に操れるような異常者が居るのならばそれこそ脅威である。


「そのような組織に心当たりは?」


「・・・HOME、ですね。ただ、確信はありませんし、戦争を起こす利益もないでしょうが・・・なるほどそれで、シド殿を」


 確かにHOMEが戦争を起こすことはないだろう。HOMEは己の戦力を持たない。学術国で戦争をすると言って加勢するものはいない。つまりHOMEの持つ戦力が0の状態では反乱軍を組織できない。シドが協力関係を築いているということから、疑惑を抱いたというだけのことだ。それをゲルドが理解した。


「情報が得られないというか、得られる情報が多すぎて精査出来ないというのが正しいですが、内情は一切得られませんでしたね」


 HOMEは世界最大の組織、得られる情報も無駄なものから有益なものまで幅が広く、それが数十万という単位で脳に流れ込んでくる。それを精査できるわけもない。なので、HOMEが人外組織で洗脳により成り立つ組織として断定されるのではなく、賢者によって情報を精査出来ない組織という点において似ているというだけだ。


 それをテレザは理解した。理解してなお、HOMEとの関係性を否定できない。そこに論理的な思考はない。ただの勘だ。勘を頼りにすることは愚かであろうが、なぜか確信した。


「戦わねばならないのはHOME・・・骨が折れるとかいうレベルの話ではないな」


「中将、それは早合点が過ぎませんか?」


 テレザの早合点が仮に正しかった場合、敵は帝国と同等以上の戦力を集められる。幹部としてシドがいると仮定したならば、想定以上の戦力を有するということになるだろう。戦うことになれば、認めたくはないがあの者たちも前線で戦うことになるだろう。帝国とてただでは済まないし、負ける可能性もある。


「ああ。だが、極少だが可能性としては考慮すべきだ」


 そのまま王国での一件、その詳細を語りあった。そうすることでテレザの相対する敵、その異質さを再認識する。


「では此れにて―伏せろ!」


 テレザが自分たちのはるか上空にて収束する高魔力反応を検知した。そのエネルギー量は明らかに人間のなせるものではない。この世界の天上たる竜種のような片鱗を感じさせるような、異質なモノ。そして、其の声を皮切りに全員が防御結界を展開する。次の瞬間、この地は高熱により焼けた石と人の痕跡でいっぱいになった。


 骨すら残さずチリと化し、地面があげる蒸気ですら目を焼くほどに熱い。


 無事なのはテレザとジンカ、後は勇者と賢者、広場にいた帝国兵の生き残りだけだった。何ということか、帝国兵の半分以上がたった一つの魔法で消えたのだ。中には佐官級のものや、尉官級の者たちもいた。決して看過できる損害ではない。


「少将、今すぐに部隊編成!反乱軍が決起するなら今だ!」


「ッは!」


「今の魔力反応、人間のものではありませんね。私たちはこの魔法を放った者を殺します」


 勇者はそれだけ宣言すると賢者とすぐさま姿を消した。開戦の狼煙があげられた。





 シェリンは焦った。勇者とテレザが密会したという知らせを聞いたからだ。そして、ドレベスにより面会の情報を流入していた。正確に言えば、勇者に与えた魔道具からの信号をドレベスが傍受しただけであるのだが、そのおかげで詳細をつかめた。


 想定しなかったわけではない。だが、会話の中に看過することはできない単語がいくつか聞こえた。


 テレザはHOMEの名を口にした。それはつまり、疑われているということ。報告される前に、作戦を実行し通信手段を潰さなければならない。許される失敗ではない。何があろうとも必ずHOMEという存在を秘匿しなければならないのだ。


(なんで私たちがHOMEであるってわかるの!?ていうか、シドさんは関係ないでしょ絶対に!)


 シェリンの嘆きは誰も聞こえない。テレザの異様なほどの勘の良さにシェリンが困惑している。シドと今回の作戦の関連性ははっきり言って皆無だ。HOMEの正体と中立国の正体、そのどちらも不明瞭であるから関連性を見出した。飛んだこじつけだ。


 ロイスから念を押されたというのに、HOMEとの関連性を把握されてしまった。テレザとジンカを殺せばまだ取り返しはつく。


 ―ウソでしょ?賢者まで勘ぐり始めている気がする・・・。確実に殺さないと・・・。


 この密会のせいで、作戦実行が前倒しになってしまった。そして、命令が下される。保険たるサリオンがまさかの先鋒を務める。


「”サリオンさん、緊急事態です。今すぐに作戦を実行します。まずは帝国官寮に特大魔法を放ち、通信網を潰します。そののち、反乱軍を決起し、戦争を開始。しかる後にサリオンさんの軍勢による殲滅戦に移行します。ティオナさんもよろしいですね”」


「”それだけのことがあったってことね?了解したわ”」


「”テレザが我々の正体に至りました。即座に殺さなければなりません”」


 念話を聞いていた作戦に関わる全ての者が顔色を変えた。そして、行動を開始する。


「”俺も了解だ”」


 サリオンはこの作戦の先鋒、帝国兵を襲撃することで戦力を削り、反乱軍により雑兵を一掃する。それが、サリオンの役割。


「”始めますよ”」


 シェリンの合図とともに、サリオンの特大魔法”焼却法クリアキャノン”が放たれた。帝国官寮は焼失し、中にいた4名のみが生還。帝国兵の数は6割減、反乱軍でも対抗できる程度の戦力となった。核撃魔法を放っておけば中将もろとも殺せたはずだが、まだ中将の強さを把握できていない。実際に戦わせてどれだけ強いのか、性格に帝国の強さを図りたい。


 ―勘だけはいい蟻風情が、面倒なことをして!怒られるのは私なのに!


 シェリンは劣等種族たる人間に腹を立てた。ある意味、HOMEで一番怒らせてはいけないのがシェリンだ。相手は何もできなくなるだし、シェリンは重宝されるので守護者が惜しげもなく使わされる。故に、この国の未来は決まった。


「”シェリン様。反乱軍、帝国官寮へ進軍を開始しました。衝突まで約10分です。学術国への対処もドレベスが担当し、たった今帝国と対立することを宣言しました”」


 シャーリーの働きにより、学術国は思い通りに動いた。彼女は仕事を終えたため、ドレベスに引き継ぎシェリンの補佐に回る。


「”了解”」


 世界が始まって史上最悪の戦争が始まった。洗脳兵と人間の殺し合い、そこには何の価値もない。ただの殺し合いでしかない。もはや最終的にサリオンに蹂躙されるのだし、本当に意味がない。まだ、かろうじて帝国だけを排せるかもしれないのでサリオンは待機だ。


「”俺も天使の召喚終わったぜ。ネームドたちも勇者と接触したみたいだし、後は任せるぞ”」


「”了解、武運を”」


「”まあ、作業だけどな”」


 サリオンとの念話も終わり、ネームドの監視に回る。今作戦ではネームドによる勇者討伐が最も大切な鍵を握っている。絶対に失敗はさせられない。


「頼むよ、みんな」


 シェリンの願いに沿えるよう、ネームドは全力を尽くす。





 学術国で内戦を引き起こさせる、これに俺は賛成している。内戦を引き起こさなくとも学術国を落とすことはできる。学術国を悪と断定し、外部から潰す方法を執ればよい。だが、それでは学術国という場所が消滅してしまう。これが学術国を亡ぼすことが目的ならば、これでもよかった。


 俺ならば帝国と事を構えるのではなく、評議国か共和国の駐屯兵を追い出そうとするだろう。シェリン達が俺の思惑を深読みしすぎたが故の結果である。結果として帝国を追い出せるのならばこちらにしか利がない素晴らしいことなのだが、失敗するようならば帝国と対等の条件に落とし込むことで妥協できる。


 それでもシェリンの考えた作戦があれば問題なく成功するだろうと思えた。帝国のテレザという将官がかなり察しの良い奴で、思わぬことで作戦が決行されてしまったそうだが、連絡網の遮断には成功した様子。帝国からの援軍が来ないならば作戦の成功は約束されている。ここからは如何にネームドを生かして作戦を終了するかである。


 守護者はネームドの序列の意味を知っている。だからこそ、脅威度だけが高い者たちを戦闘要員として勇者と賢者に充てている。万が一にも賢者が生き残ることはないし、勇者であっても絶死の状況となるだろう。


「最悪なのはサリオンを失うことだが、最悪の場合は俺が出る。問題はない」


 俺であっても学術国を無血開城できるとは考えていない。攻略するにはネームドを使い捨てなければならないだろうし、損害は覚悟するべきだ。金銭的な損失はいくらでもカバーできるが、人的資源は替えが効かない。


 だが、内戦を引き起こすというならば評議国を大魔法で亡ぼせばよかったかもしれない。帝国の援軍が来る前にエルメスやフィンの核撃魔法を使えば評議国などひとたまりもなく滅ぶ。滅んだあとで援軍を送るようなこともしないだろうし、不可能ではないのだ。後々面倒なことになるから実行はしないけども。ただ、帝国と敵対することになるだろうしどちらでもよいか。


 学術国から帝国だけを除くことは難しいし、テレザを洗脳し操ることで学術国から追い出す、ということが成功率が最も高いような気がする。どっちにしろ勇者が関与してくるならば、面倒ごとは避けられないだろう。俺だってかなりの難易度だし、小さい失敗が大きな失敗になることもあるだろう。どういう結果になろうとも、今作戦にかかわった者たちには経験となる。温かく迎えようではないか。


「戦争を起こし過ぎると竜種が出張ってくるかもしれないし・・・裁定者と戦うのも面白くない。やはり内戦が丸いか」


 俺としては竜種や裁定者とかいう常識外の存在と戦っても面白くないので絶対避けたい。勝てないもん。勝てたとしても再建に時間がかかる。癒えない傷を負ったり、守護者が無意味に死んだり、アイテムを浪費したり・・・絶対に嫌だね。つつましく暮らしていれば相手にしなくていい奴らなので、建国したら身を潜めようかな。


 なにかが起こっても対応できるようにネームドを待機させているようだし、サリオンもいるしティオナも控えている。そういえばティオナの仕事は何なのだろうか。保険なのか、反乱軍を指揮しているのか、どちらにせよティオナを殺せる帝国軍人は見当たらないようだし保険としては最適だ。


 守護者たちは神話級の魔道具を持っているから勇者が神器を持ち出さない限り負けはしない。というか勇者の持っていた武器は伝説級の魔道具だったし、万が一にでも負けられては困る。負けては笑いものだからね。


「守護者を三人も当てているのだし、ネームドもほぼ総動員。失敗はしないだろうな・・・多分」


 俺は期待を胸に一人バーでコーラを飲む。これがまたうまい。一人で飲むからね。まあ、至高の時間も終わってしまったんだけど。


「ロイス様、心配されているのですね」


 エルメスがやってきてしまった。エルメスがここに居るということは封魔囚石を監視している者がいないということだ。何ということか、きつく言い聞かせなければならないかもしれないな。


「それで?何しに来た」


「ロイス様が柄にもなく配下如きを気にかけていらしたので気になったのです」


 答えになってないね。何しに来たの、というかなんでいるの、と聞いた方が良かったかもしれない。折角一人でティータイムとしゃれこんでいたのに。それに、配下如きって、お前も俺の配下じゃないか。自虐はよくないね、彼が言った場合嫌味になるから。


「まあ、今回の指揮官はシェリンだしな。ガキを気に掛けるのは普通なんだろ?」


「ガキとは・・・確かに演じているようですが、シェリン殿も100年生る魔人です。それに守護者は皆同じ年齢ではありませんか」


「お前以外な?つってもシドやらサリオンはもともと万年を生きるような種族だ。アイツらの人格は100歳かもしれんが年齢というならば俺より年寄りだろ」


 二人で少し笑った。冗談ではなく事実なのだけども、百年前の記憶を想起したら笑えてしまったのだ。


「ロイス様は何故回りくどいことをなさるのですか?演者の真似事のようなことまで」


 エルメスの問いに対する明確な答えは持ち合わせていない。守護者に経験をさせた方が後々利益が得られるから、回りくどい方法をとる、というだけのことなのだがすべて俺が采配を執れば万事問題なく事が運ぶだろう。


 演者の真似事、というのはよくわからないが確かに俺はいくつも偽って生きている。どれのことを指して演者の真似事、と言っているのか分からないがどれに対しても回答はだせない。俺の根本は空虚だからね。記憶がないってことが判明しているのだし。


「俺は記憶を持っていないわけだからな。今の俺が本質的な俺と違うと感じるのも仕方ないことだ」


「そうですか。かつての貴方はもっと伽藍洞な印象を受けましたが、何かあったのですか?」


「だから、これだけ生きていれば何かとあるだろうよ。感情がなかった訳ではないんだと思うが、なにせ感情を理解できないんだ。真似てみることで得られるものもあるだろう?」


「感情ですか・・・我らにとっていう感情と人間の言う感情とでは考え方が違うだけなのでは?」


 エルメスの発言はある意味正しいのかもしれない。魔物にだって喜怒哀楽はある。例えば今まで大切にしてきたものが壊されれば苛立つし、悲しくもある。それに今まで取り組んできたことが成就すれば嬉しいし楽しくもある。ただ、魔物の喜怒哀楽には損害と利益が関係しているように思う。


 価値あるものに対してのみ感情を持つ。そうでないものには無関心だ。対して人間やそれに近いエルフなどは価値のないものに対しても感情を示す。花の散り際に死を見たり、他人の愛玩動物の死に心を痛めたり、人道的というのか道徳的というのか、そういった価値観の差がある。俺はそれを勉強中なのだ。読み取れるのはあくまで今までの経験から最も近い状況に当てはめて考察しているだけ。


 感情が理由で起こる反乱や、戦争というのはあるものだ。感情がわからねば対処などできるはずもない。だから勉強中なのだ。


「そういうところが差なんだろ。まあ、そういうものだと割り切る程度の理解度しかない。完全に理解するには数年はかかるかもね」


 感情は理論で表せるものではない。同じ状況で同じ条件だったとしても人間によって感情の受け取り方は変わる。感情に答えはない。答えがないからこそ対立が起こったりするわけなのだけども、それを理解することなんてできはしないのだ。答えがあっても面白くないからね。


「話が脱線しているな。帝国兵はどうなっているか、と」


 俺の発言により、俺とエルメスはシェリンのスキル情報之王によって脳内に映写される状況をみる。
















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