第2話 心理学的発想

 ヲタクと呼ばれる人と最初に仲良くなったのが、実は佐川だった。佐川はヲタクと言っては失礼に当たるのだろうが、里穂の中で初対面での印象は、

――明らかにあっち側の人――

 という印象だった。

 話をする時は、里穂の目を見ながら熱く語ってくれてはいたが、時々悦に入るというべきか、そうなった時は自分の世界を作って、勝手にその世界に入り込んでしまうことがあったからだ。

 最初はそんな彼を、

――私とは合わない――

 と決めつけていたが、急に我に返って、里穂の目をまた熱く見るのである、

 その視線は里穂にとってドキッとさせられるものであった。その正体が何であるか最初はまったく分からなかった。なぜなら、里穂という女性は、物事をまっすぐに見る傾向があり、悪くいうと、

「融通の利かないところがある」

 と言われても仕方のない性格だったからだ。

 そんな里穂は佐川を見て、

――この人も、まっすぐに前を見る性格なんだわ――

 と感じると、自分も彼の視線のその先に何があるのかを確かめたくなっているのを感じた。

 まっすぐに自分を見ている時だけではなく、何かに思い耽っている瞬間が、知り合った頃に比べれば、少し増えてきた気がした。

 今までであれば、

――なんて失礼な人なのかしら? こっちはちゃんと直視して見ているのに、急に思い耽るなんて――

 と思ったに違いない。

 だが、いつの間にか、里穂は彼に対して、ポジティブに見るようになっていたようで、

――この人が思い耽る時間を増やしたということは、それだけ私に対して安心感を持ってくれているからじゃないかしら?

 と感じるようになった。

 相手が気の許せない相手だったら、四六時中、気を張っていなければいけない。本来であれば、少しでも気の休まる時間を与えてくれる人と会話をしたいと思うのは、人間の本能のようなものだと感じた。

――少なくとも、私だったら、そう感じるわ――

 と思っていた。

 しかも、佐川の会話には、今まで知らなかった独特のムードがあり、それがどこから来るのか最初は分からなかった。

――そうだわ。これが大人の雰囲気なのかも知れない――

 相手を思いやることで、相手に気を遣わせないというテクニックは、高等なものだと思っていた。

 大人が持っている雰囲気そのもので、小さい頃、親に感じた思いがそのまま伝わってくるような懐かしさがあったのだ。

 難しい言い方になってしまったが、里穂は、元々人に気を遣ったり、遣わせたりという考えが嫌いだった。

 子供の頃、親と一緒に行ったレストランで、おばさん連中三人くらいのグループだったが、レジの前で、

「今日は私が払います」

「いや、何言うの。今日は私が」

 などと、里穂からすれば、どうでもいいような言い争いにもなっていない会話が聞こえてきた。

 それは、誰も自分からお金なんか払いたくないはずなのに、どうしてそこまで必死になってお金を払おうとするのかという疑問から始まって、次第に会話を聞いていて、息苦しさを感じるほど、いやらしく思えてきたのだ。それが白々しさからであり、これこそ大人の世界だなどと思いたくない自分との葛藤から、そんな思いにさせたおばさん連中に憎しみすら感じるほどになっていた。

 素直にまっすぐに前を見る性格が災いしてか、人の行動をそのまま解釈し、自分の喜怒哀楽に結び付けてしまうところがあった。そのせいもあってか、人の行動から感じる自らの感情が、喜怒哀楽のうち、「怒」の部分が一番大きくなっていると自分で思っていた。

 しかし、考えてみると、本当に一番大きいのは「哀」の部分であるということに気付かせてくれたのが、佐川だった。

 佐川は、どちらかというと、

「上から目線」

 のところがある。

 今までの里穂だったら、相手に上から目線を感じれば、思わず反発心を強め、そこから警戒心が溢れ出てきて、自ら相手を避けるようなところがあった。本当は反発心なのだから、相手をにらみつけて怒りを面に出すべきなのだろうが、それができないでいた。

 なぜできないのか、そもそも反発心が対抗心となり、相手に伝わるものだと思っていたのが、自分には対抗心が欠如しているということを自覚していたので、その思いが相手に伝わることはなかった。そのかわり、警戒心が溢れ出て、相手と一線を画すことになるのだが、その方法が相手を避けるということになり、その時点で、

「交わることのない平行線」

 が成立してしまい、理解に至ることは永遠になくなってしまうのだった。

 だが、佐川に対しては同じ上から目線だと思いながらも、

――どこか違う――

 と感じていた。

 それのどこが違うのか、それが分かったのは、彼の視線に、懐かしさを感じたからだった。

 その懐かしさは、ほのかな香りを伴うものだった。何の香りなのか分かってはいないが、――香りが懐かしさを誘発してくれる――

 ということが分かった時点で、里穂はそれが、

――子供の頃に感じたという懐かしさだ――

 ということが分かった。

 それは親に感じた思いからだろうか?

 いや、親ではない。もし親だったとすれば、懐かしいと思った時点で、すぐに親を連想し、連想がそのまま懐かしさに結び付くことで、ここまで考えを巡らせてしまうとは思ってもいなかった。

 佐川へ感じた懐かしさは、誰だったのか、顔が思い出せない。確かに子供の頃に知っていた人を思い起こさせるのだが、顔がまったく思い出せない。思い出そうとすると、その先に光があって、顔が逆光になっているため、

「真っ黒なのっぺらぼう」

 を連想させてしまうのだった。

 それでも、その人が微笑んでいるのは分かる。笑顔にもいくつかの種類があるが、その種類の中でも微笑んでいる笑顔なのだ。含み笑いなどでは決してないその笑顔に懐かしさがあり、香りがほのかに漂っているのが、今でも思い出せるのだった。

――いや、今だから思い出せるのかも知れない――

 今までに真っ黒なのっぺらぼうなど、思い出したことがないはずなのに、そんなに昔に見たという思いではないのはなぜなのだろうか?

 確かに、記憶というのは曖昧なもので、昨夜見たことであるはずなのに、かなり前に見たと思う記憶、逆に、かなり前に見たはずの記憶を、まるで昨日見たかのように思い出す記憶、さまざまである。

 しかも、その記憶のメカニズムに共通点はないのだ。

 印象に深いことほど、最近のことのように思うのであれば、それを共通点として記憶というものがどういうものなのか、素人にも考えがつくというものだが、どうやらそうではないようだ。

 それを思うと、

「記憶というのは、素人では解明してはいけない領域のようなものがあるのかも知れない」

 と言えるのではないだろうか。

 佐川の顔を見ていて懐かしく感じたことで、短い間にここまで発想できるというのもおかしなものだ。

 子供の頃だという記憶、覗き込んでくるというシチュエーション、逆光になっているので、真っ黒いのっぺらぼうになっているという感覚、そして、記憶というものが曖昧なものだという認識、そのすべてを、佐川という男が上から目線で見ているという思いを抱いたことによって、思い出した(?)ことであった。

 そんな彼の、

「上から目線」

 というものを、里穂は懐かしさから、

――彼の包容力――

 のようなものだと理解した。

 同い年ではあるが、年上のような感覚が、彼を安心感で包んでいるように感じるのであった。

 里穂は、今まで自分が好んで書いてきた学園ものや恋愛ものを、彼の立場になって、「上から目線」で見てみようと思った。

――なんか、子供っぽさが満載だわ――

 と感じた。

 そして、それと同時に、

――これじゃあ、上から目線になっても仕方がないわ――

 とも感じた。

 本当であれば、彼に上から目線という意識はないのかも知れないが、そう思わせたのは、無意識に彼の目線で見てみようという思いが働いていたからかも知れないと感じていた。

 この思いは、一種の堂々巡りを思わせるが、先にそのことを感じたことで、決して堂々巡りではないという思いに至った。堂々巡りであれば、意識するよりも先に無意識の思いが入り込むわけはないと思うからだった。

 だからと言って、一足飛びに彼の好みであるホラーやオカルト、ミステリーなどを自分に取り入れようとは思わない。一足飛びに考えてしまうと、きっと考えなければいけない大切なパーツを考えることができず、

「ネジが一つか二つ外れている」

 と思わせる不完全なものしかできないからだ。

 不完全なものを完成前に、きっと自覚することができると思っている。

 自覚というのは、完全なものでなければできないものなのかと聞かれると、ハッキリと、

「そんなことはない」

 と言えない自分がいる。

「何を持って完全だと言えるかということが分からない以上、自覚に至るわけはない」

 という感情が、里穂の中にあるからだ。

 だが、里穂は佐川を理解していくうちに、自分の世界が広がっていくということを分かっているだけに、相手が佐川でなくとも、

「自分のそばにいる人を理解するくせをつけることも大切だ」

 と思うようになっていった。

 そういう意味で、川上の要請にも、快く協力する気持ちになったのだし、実際に自分でやってみて、自分なりの世界が広がった気がした。

 そもそも、川上が話を持ってきてくれていなければ、いまだに自分の作品が世に出るということはなかったかも知れない。

 実際に恋愛ものだったり、学園もののシナリオの構想はいくつか出来上がっていて、後は実際にシナリオに起こしていくだけというのもあった。ただ、シナリオというものの性格上、どうしても、監督や配役を考慮に入れないといけないという思いがあったことで、シナリオという形にすることができなかったのだ。

 これは後で佐川と話したことであるが、里穂がこの時の心境を話した時、

「そんなことはない。シナリオに実際に起こしてみるのは大切なことだと思うよ」

 と言われて、

「でも、配役も監督も想像できないのに、どうして書けるというの?」

 と聞くと、

「そこが想像力なのさ。例えば、僕が君の作品を監督するんだって思うと、想像できないかい?」

 と言われ、

「そうね。あの頃の私と佐川さんだったら、きっとできなかったかも知れないわね」

「どうして?」

「私が佐川さんについて、いろいろな思いを描いていたからかしら? もし抱いている感覚が正解ではなくとも、一つであれば、発想としては抱くことができたかも知れないけど、そうではなかったことで、私の中に創造という世界は広がってこなかったのよ」

 と答えた。

「それは残念だ。僕は君なら、僕を理解してくれていると勝手に思い込んでいたんだ。それも、あまりいろいろ考えることなくね」

 と言われると、

「そういえば、後から思うと、確かにそんなにいろいろ考えることなんかなかったんだわって感じたのは事実よ」

 と、里穂は答えた。

「堂々巡りを繰り返したのかな?」

 と彼がいうので、

「そんなことはないと思うわ。確かに最初は回り道したって思ったんだけど、回り道とは違うので、堂々巡りではないと思ったの」

「それは君が堂々巡りと回り道を同じようなものだって考えているからでしょう?」

 と、あっけらかんとした表情で、佐川は言った。

 他の人が言ったのであれば、

「上から目線の言い方だわ」

 と、少し癪に障るのだろうが、最初から「上から目線」を感じている彼には、癪に障るという感覚は浮かんでこなかった。

「それはどういうこと?」

「確かに堂々巡りというのは、同じところを何度も行ったりきたりするというイメージでしょう? でもね、それが回り道とは限らないのよ」

「よく分からない」

「それは、君がその道というものを、住宅街などの区画された地域の、まっすぐな道だって思っているからなんじゃないかな? まるで昔の都、平安京や平城京のような区画された区域の道のようにね」

 と言われて、里穂はハッとした。

――確かにそうだわ。堂々巡りというと、どうしても、同じ道を何度も巡っているという印象いなってしまう――

「たぶん君は、自分で意識して歩いているから、『この角を曲がったら、この風景が見えてくる』という思いに必ず行き着くはずなんだよね。でも、堂々巡りというのは、『この角を曲がったら、この風景』というのが、実は違っていて、今曲がったのと同じ風景が目の前に広がっているという、一種のオカルトゾーンに入り込んでしまったかのように考えているんだって思うんだ」

 確かに彼のいう通りであった。

 里穂は、子供の頃に見たドラマで、あれはタイトルに、

「奇妙な物語」

 という言葉が入っていたような気がする。

 要するに、オカルトや都市伝説の類の物語である。

 一足飛びにそんな発想が浮かんできたわけではない。この時にテレビを見ていて、

――袋小路って、こういうことを言うんだろうな――

 と感じたから、今度は袋小路という言葉から、この時のドラマのシチュエーションが浮かんでくるに違いないと思ったのだろう。

 きっと、そのことを佐川は言っているに違いに遭い。相手のことが何でも分かってしまう佐川のことを、怖いと思いながらも好きになった理由は、やはりその包容力にあるのだろう。

「あなたの話を聞いていると、何でもかんでも本当に思えてくるから不思議だわ」

 というと、

「普段の僕なら、相手にそんなことを求めたりはしないんだけど、相手が君だったら、そう言ってくれることを素直に嬉しいと思うよ。君の言っていることは本当にまっすぐで素直だからだって僕は思うんだ」

 と言ってくれた。

 他の人が聞くと、会話のほとんどを端折っているように見えるので、何を言っているのかよく分からないことだろう。しかし、

「言葉にしなければ相手に伝わらない」

 というのは、彼と自分に限っては当てはまれないように思えて。

 そして、

「人というのは、人生のうちに少なくとも必ず一人は、言葉にしなくとも通じ合える相手に巡り合うようになっているものだ」

 と、思うようになった。

 それが今の佐川と里穂なのだろう。相手にその思いを抱かずに、やり過ごしてしまう人もいるだろう。そのまま付き合って、ずっと一緒にいるような関係の人でも、この関係についてハッキリと自覚せずに付き合い続ける人もいるに違いない。

 それでもいいと、里穂は思った。

「むしろ、そっちの方が一般的なんだ」

 と思えてきたのは、この関係に気付いた自分に、正当性を持たせたいからだと感じたからだった。

 里穂は川上の作品の脚本を書いてから、少しの間、筆を休むことにした。別にこの作品に不満を持っていたというわけではないし、執筆に対して、気持ちが離れたというわけでもない。

――これも一種の堂々巡りなのかしら?

 と感じた。

 回り道をしたような気がしていたが、

「堂々巡りは決して回り道ではない」

 ということを川上の作品と、佐川との話の中で感じた里穂は、少し筆を休めることで、さらなる自分の成長を促そうと思っていたのだ。

 佐川はその頃、映像クリエイトとは違う勉強をしているようだった。よく大学の図書室に通っているのは分かっていたが、何を見ているのか知らなかった。自分自身も筆を休んでいることで、少しまわりとも距離を置きたいという思いがあっただけに、佐川にも同じような思いがあるのではないかと感じ、彼に話しかけることを躊躇していた。

 人には、誰からも話しかけられたくない時というのは、絶対に存在する。どんなに大学で友達が多い人であっても、いや、むやみやたらに友達を増やしたことによって、寄ってくる人を避けることのできなくなってしまった自分を、

「まるで自分で自分の首を絞めてしまったような感じだ」

 と思っている人も少なくないだろう。

 実際に里穂の友達にも同じような人がいた。名前は高田という男だが、そういえば、名前を何と言ったか、聞いた記憶はあったが覚えていない。

 高田という男は里穂にとってはそれくらいの男だったのだが、なぜか無視できないところがあった。彼の行動には、時々理解不能なところがあった。

 いつもまわりの人に気軽に声を掛けている。まわりの人も声を掛けられると、気軽に返事を返しているが、よく見ると、その表情に、活気が見えてこない。

――私も同じような表情をしているのだろうか?

 彼から声を掛けられるのは他の人と同じで、自分も似たような返事しかしていないのは分かっている。

 彼の魔力にでもかかったのか、それとも彼から掛けられた声というのが、それほど漠然とした意識しか残っていないのか、返事をしたという意識はほとんど、記憶として残っていない。

 毎日のように声を掛けられて返事をしている人でも、本当にその意識をいつも持っているのか不思議な感覚だった。

 里穂も実際に彼に返事をしたという意識は、何日も持っていなかった。正直、声を掛けられた時、返事をしたという意識もなかったからだ。それなのに、彼に声を掛けられたのは、数日前だったということを覚えている。しかも、それがいつだったのかということさえ覚えているのだ。

 その日、彼の行動は少しおかしかった。それは、里穂に声を掛けるという行動とは別の行動だったのだが、里穂とすれ違いざまに彼が声を掛けてきたのを、本能的に返したところはいつもと変わらなかったが、すれ違って少しして、里穂は背中から視線を感じて思わず振り返った。

 そこにいたのは、とっくに歩き去っていると思った高田だったのだが、その表情は何かに怯えているように思えた。

 まったくの無表情で立ちすくんでいる。彼の顔はハッキリと分かったのだが、その時に思い出したのは、以前佐川に感じた、

「真っ黒いのっぺらぼう」

 だったのだ。

 ただ思い出したというだけで、まったく似ているわけでもないその二つを、どう結び付けていいのか、里穂の方も立ち竦みながら、考えてみた。

 だが、その答えが容易に出るものではないと自分で理解した時、ハッと我に返った里穂は、すぐに彼から視線を切ると、踵を返して、後ろを振り向くことなく、一目散に早歩きを始めた。

 その時にまわりにいた人は、誰もこの二人のおかしな行動に気付いていないようだったが、後から思うと、

――あれは二人だけの世界で繰り広げられたことで、誰も気づいた人がいなくても、それは当然なことなんだ――

 と感じた。

 高田の行動はその時の、まったくの無表情で立ちすくんでいたというだけではなく、感情を剥き出しにすることもあった。むしろその時の方がまわりに意識を与えることで、まわりの人と恐怖を共有できた気がして、よほど里穂にとって安心できることであった。

 里穂は、その時のことを一度克明に覚えていて、それをメモにまとめていた。その時里穂は誰かと一緒に歩いていたわけではなく、一人で歩いているところを声を掛けられたのだ。

 その時の里穂は、完全に一人で考え事をしていて、まわりをまったく意識していなかったので、声を掛けられた瞬間は、ビックリした。

 そもそも、里穂は一人でいる時は、考え事をしている時が多い。これは子供の頃からの一種の癖で、一人でいる時に何も考えていないという方が珍しかったに違いない。

 一人で何かを考えている時、考え事の結論が出ていたのかどうかは曖昧で、出ていることもあったはずだが、でなかったと思う時の方が圧倒的に意識としては残っているのだった。

 里穂は小学生の頃は算数が好きだった。女の子で算数が好きだというのは珍しいかも知れないし、算数が好きだった女の子が、どこでどうなって映像クリエイターの学校に入ろうというきっかけがあったのか、思い出そうと思えば思い出せるが、あまり思い出そうという意識はないようだった。

 考え事をするには、算数の問題が一番都合がよかった。小学生では方程式なるものは知らないので、自分なりに数式を組み立てて、法則のようなものを考えるのが楽しかったのだ。

 中学に入るとそれが代数という教科になり、方程式であるⅹやYに当て嵌めるという公式的なやり方は、小学生の頃に法則を見つけては満足していた子供にとってが、やる気を削がれるに十分なことであった。

 小学校の頃に考えていたのは、ほとんど算数だった。

「数字というのは、同じ間隔で並んでいるもので、整数とはよく言ったものだわ」

 と感じていた。

 だからこそ、法則を発見するには柔軟な頭で考えれば容易なことのように感じ、逆に中学以降の代数で数値を代入するというやり方が考案されたことも理解はできる。

 だが、そこまで発見されたことを、いまさら勉強して何になるというのだ。人が発見したことをいかにして早く解けるかということの練習でしかない。算数の方が、文章題として出された問題に対して、

「算数というのは、答えさえ合っていれば、それでいい。途中の解き方はどんなやり方を取っても理屈に合っていれば、それは正しい答えなんだ」

 と言われていた。

 しかし、数学では公式まで決まっていて、その公式に対しての回答だけが求められる。それでは想像力の入り込む隙はないというものである。

 そういう意味では算数の方がいかにも学問らしいと言えるのではないだろうか。

 中学に入って、急に数学が面白くなくなり、理数系に疑問を感じるようになったことが、里穂を映像クリエイトの世界に入らせるきっかけになっていったのだ。

 算数が好きだったのも、元々は、

「何もないところから、新しく作るのが好きだ」

 という発想があったからだ。

 算数の法則などは確かに昔の学者がとっくの昔に発見していることであるが、それをまったく知らずに自分が発見し、それが数式的に理論づけて説明されるものであれば、立派な発見だと覆えたのだ。

「新しいものを発見した」

 という意味で、当時の学校の先生と算数談義を放課後の教室でしたこともあったが、先生も里穂の発見を、素直に褒めてくれていた。

 その先生も女の先生で、算数の数列に秘密があるということを説明してくれたのはこの先生だった。理屈としては当たり前のことを言っているようなのだが、実際に口に出して説明してくれるのとしてくれないので、ここまで考えるきっかけになるかどうかということを教えてくれたのも、この先生だった。

「いやぁ、小学生でよくここまで考えることができたわね」

 と言われて、

「ありがとうございます。自分でも発見した時は嬉しくて、早く先生に教えてあげようと思ったくらいですよ」

 と答えた。

「またどんどん、新しい発見を期待しているわ」

 と聞きようによっては、ただ相槌を合わせているようにしか聞こえないが、この先生であれば、説得力には十分な気がして、安心して話ができたのだった。

 中学に入ってから、数学になり、一人で考え事をすることは一時期減ってしまった。一人でいるということは珍しいことではなかったが、一人でいても何も考えていないということが多かったので、自分がまるで別人になってしまったような気がしてくるのだった。

――こんなに何も考えないなんて――

 と、自分のことを顧みるようになっていた。

 それも一種の考え事なのだが、里穂はそれを自分の中での考え事として認めていなかった。

――こんなことばかり考えるようになったなんて――

 とはその時に思うのだが、我に返ってみると、何を考えていたのか忘れてしまっている。

 ただ意識として、

――また同じことを考えていたんだわ――

 という意識だけが残っていることがある。

 それは、自分が何を考えていたのかを分かっていて、いつも同じことを考えている証拠だということも分かっているようだった。

――これこそ、堂々巡りっていうんじゃないかしら?

 とその時は感じるのだが、この時の堂々巡りと、佐川との話の中で出てきた堂々巡りとは違うもののように思えてならなかった。

 そういう意味で、小学生時代と中学生に入ってから以降とでは、同じ考え事をしている時でも、まったく違った様相を呈しているということを表していた。

 小学生の頃までの考え事をしている時と、中学以降の考え事をしている時との一番の違いは、

――時間緒経過に天と地ほどの違いがある――

 という思いであった。

 小学生の頃までは、同じくらいの時間であっても、あっという間に過ぎているのに、中学以上であれば、かなりの時間が経っているように思う。それに対して二つほどの考えがあったが、一つは、

――好きなことを考えている時って、本当にあっという間に時間が過ぎてしまう――

 という考え方と、中学以降であれば、これが第二になるのだが、

――堂々巡りを繰り返しているという思いがあるので、長く感じているのかも知れない――

 という考え方があるからではないだろうか。

 それぞれに相対する考えであるため、それぞれを分けて考えることをせずに、一つの考えが派生していると捉えることもできるのではないだろうか。

 里穂は、大学に入ってから中学以降からの自分を変えようという考えでいるが、その中に、

――小学生の頃の自分を思い出したい――

 という思いもあるような気がしていた。

 そういう意味で、佐川と出会ったことはよかったと思っている。佐川と出会っただけでも、当初の目標の半分は満たされたのではないかと思うほど、里穂は佐川に傾倒していたのである。

 少し話が逸れてしあったが、里穂が高田という男を「おかしい」と感じたのは、一度や二度ではなかった。その日の無表情というのも、気持ち悪かったのだが、他の時には、自分との挨拶が終わるや否や、急に何かに怯えるような素振りを示したことがあった。

 その時も里穂は一人で歩いていて、いつものごとく高田から声を掛けられたその時だった。

 高田はいきなり里穂の方を指さして、その差した指先が明らかに震えている。それは恐怖で震えていることは指先の延長上い言える彼の目を見ていれば一目瞭然だった。

――どうしたのかしら?

 と不気味に感じたが、その時の里穂の表情も、相当おかしなものだったに違いない。

 自分で自分の顔を見ることはできないが、その状況から考えれば、疑う余地などないというものであった。

 高田の指先はすぐに里穂の顔から外れて、里穂の背中の方に向けられた。里穂はゾッとしたが、後ろを振り返るおとができなかった。それは、金縛りに遭ってしまったからで、身体が動かなかったというのが本音である。

 ただ、本当は振り向くだけの勇気がなかったのも事実だ。言い訳がちょうど行動に比例しているというのも、ある意味皮肉なことだと言ってもいいだろう。

 里穂の顔から外れた指先を、里穂はじっと見ていた。彼の顔を見るだけの勇気もなかったのだ。見ようと思っても意識は指先に集中してしまっていて、視線を逸らすにはかなりの勇気がいる。その勇気を持てないことは自分でも分かっていて、何を叫びたいという衝動はあったのだが、声も出せる状況ではなかった。

――自分自身で、堂々巡りに入ってしまったんだ――

 と里穂は思った。

「感情の堂々巡り」

 そんな感覚を感じた時、以前佐川との話で感じた、

「堂々巡りではない『回り道』があり、回り道ではない堂々巡りもある」

 という言葉を思い出していた。

 高田という男が妙な行動を起こしたのは、里穂だけではなく、他の人にも同じだった。

 だが、おかしなことに彼がおかしな行動を取る相手というのは決まっていて、どうやら五人くらいに絞られている。大学に入ってたくさん友達を作るために挨拶をしていた高田なので、友達もたくさんいるはずだ。その中での五人というのは、ある意味で少ないに違いない。

 このことを教えてくれたのは、他ならぬ佐川だった。

 佐川もこの五人の中に含まれているようで、佐川は彼のそんな行動を受け入れたうえで、少し研究してみようと思ったようだ。

 受け入れたと言っても、理解しているわけではない。しいて言えば、

「理解したいがために、研究をしている」

 というのが本音であった。

 ただ、高田は自分がおかしな行動を取っている人がいるという意識はないようだ。本人に意識はなく、まわりの誰も彼にそのことを触れるようなことはしない。彼からおかしな行動を取られた里穂と佐川以外の三人は、高田のおかしな行動を、

「これは特定な人物だけにしかしないんだ」

 ということは夢にも思っていないからだった。

 そのことは里穂には分かっていなかったが、佐川には分かっていた。このあたりが高田という人物を「受け入れて」研究してみようと思ったか思わなかったかの違いだと言えるのではないだろうか。

 佐川は、少なくとも里穂やその他の三人に比べれば、かなり進んでいた。もっとも佐川から見れば、里穂を含めた四人というのは、

「感情の堂々巡りを繰り返している」

 と思っていたようだった。

 佐川は、しばらくの間、里穂にはそのことをまったく伏せていた。何も言わずに一人で勝手に研究していたのだ。里穂に知られてしまうと、せっかくの研究材料の一人であり、しかも他の三人とは違ったイメージを持っている里穂という人間の性格を分析できずに終わってしまうのが惜しいと覆っていたのだ。

 佐川は里穂に対して、高田を通してからの見え方だけに興味を持っていたわけではない、むしろ、もっと別のところでの里穂を見つめていたかった。

 だが、高田を通しての里穂を発見してしまった以上、これを無視できるはずもない。

 この感覚が佐川の中で、里穂という女性を余計に意識させるに加速装置がつけられたような感覚だと言ってもいいだろう。

 里穂には、佐川がどこまで自分のことを分かっているのか、非常に興味があった。自分が佐川に対して持っている興味よりも、そっちの方が気になっていると言っても過言ではない。

 佐川にも、里穂が高田のおかしな行動に少なからずの興味を持っていることをどこまで知っているだろう。

 確かにおかしな行動を里穂の前でも示していることは分かっている。しかしそれがどんな様子なのか分かっていないだろう。なぜなら高田がおかしな行動を取ったという状況を理解するには、必ず彼と正対しなければいけないというルールがあるようだ。だから里穂が高田をおかしいと思っているということは分かっていても、それが里穂にどのような影響を与えているのかについては分からない。里穂から聞くしかないのだった。

――俺と同じような感覚なんだろうか?

 と思ったが、一度自分が近くにいる時、里穂が高田のおかしな様子に遭遇しているのを見かけたことがあったので、その時の里穂の表情を思い出すと、

――どうやら、俺とは違う感覚に陥っているようだ――

 と思った。

 そう思うのは、里穂も自分と同じようなリアクションを取るという前提があるからだと感じたからで、それはおおむね間違っているわけではなかったのだ。

 佐川は、そんな里穂と高田を見て、

――もし、俺が里穂に高田と遭遇しているところを見られたらどうなるだろう?

 と思った。

 だが、里穂は決してそのことを自分に言うことはないと思っていることで、そのことをそれ以上考えることは無意味に思えた。

――無意味なことを考えても仕方がない――

 というのが佐川の持論でもあった。

――きっと、いわなければいけないと思った時、いうに違いない――

 と思ったが、それがそれほど遠くない将来であると、佐川は感じていた。

 その機会を最初に持ったのは佐川だった。

 里穂の方とすれば、佐川も同じような感覚を佐川が思っているなど知らなかったので、最初は何を言っているのか、よく分からなかった。

 それもそのはず、佐川は里穂に対してこの話をした時、主語を敢えて、最後に持って行ったからだ。つまりこの話の主人公が高田であるということを、最後まで伏せていたというわけだ。

――おかしなことをいうな――

 と里穂が思っていたということは、彼女の表情から察しがついた。

 もっとも、それを感じたいがためにわざと話を曖昧にしたのであって、それは里穂の感覚をいったんマヒさせようという佐川の彼一流の感性だったと言ってもいいだろう。

 佐川は里穂が自分に対してまで疑念を抱いていることを理解したうえで、

――いいぞ――

 と自分の中でほくそ笑んでいた。

 そして佐川は、急に話を変えて、作品の話になったことで、里穂も急に身構えたが、これも佐川の計算だった。

「俺に今、ちょっとした構想があるんだけど、君に脚本をお願いしたいと思うんだけどいいだろうか?」

 と言われた。

「ええ、いいですよ。私もそろそろ痺れを切らしていたからですね」

 と言ったが、これも本音だった。

 書かなくなって久しいと思う時期に入ってくると、さすがに寂しさが募ってくるのを感じた。

――そろそろ書きたいわ。何か題材がないかしら?

 と感じたからだ。

「そこで相談なんだけど、僕はこの作品を二部構成にしたいと思っているんだけど、君にはその一部の方をお願いしたいんだ」

 と言った。

「えっ、というのは?」

 と里穂は疑問をぶつけた。

 二部構成の一部ということは、それぞれで話をしながらの脚本ということだろうか?

 時々テレビ番組などで、脚本が連名になっているのがあるが、それを見て、

――連名って、どういうことなんでしょう?

 と感じていた。

――最初にどちらかが書いて後から付け加える? それとも、構想だけは聞いて、それぞれ同時進行で書くということ?

 そのどちらかでしかないように里穂は思えてならなかった。

「いや、何ね。僕には構想ができあがっているので、僕が一部を書くので、もう一部をお願いしようと思ってね」

 後者のようだった。

「それで大丈夫なの? それぞれで書くとなると辻褄が合わなくなるのでは?」

 と里穂は当たり前のように話したが、

「僕にはそれが狙いなんだ。それぞれで書き上げたものをどのように組み立てるかが、このテーマを果たす意味でも大切なんじゃないかって思ってね」

「じゃあ、あなたが一つにまとめるというの?」

「きっとできると思っている」

「ところでテーマというのは?」

「これはね、心理学用語がテーマなんだ。それぞれの心理学的な考え方が一つになって展開する。これは僕が今までの集大成として書いてみたいと思っていることなんだ」

 ホラーやオカルト、ミステリー関係が好きな彼らしいと、里穂は思った。

「それってどんな言葉がテーマなの?」

 というと、

「ドッペルゲンガーと、カプグラ症候群という二つなんだ」

 ときっぱりと言った。

「ドッペルゲンガーというのは聞いたことがあるけど」

 というと、

「それぞれによく言われてきたことではあるんだけど、この二つをひっくるめた作品があまりないのが僕には疑問だったんだ。それぞれをテーマにした作品は結構散見されるんだけどね」

 と佐川はいう。

「もっと詳しく説明して」

 と里穂は言った。

 佐川は少し戸惑ったような様子を取ったが、戸惑いを感じるとすればそれは里穂にしかできないことだろう。それだけ佐川という男は自分の気持ちを表に出すのが苦手な人間で、それを分かっているのは里穂だということを、佐川は自覚している。

 ただ、佐川は普段谷と接している時と、監督をしている時ではまるで人が違っていて、監督をしている時の彼がどれほど生き生きしているかということは、里穂でなくともかかわった人なら皆分かることだった。

――そんな佐川がどこか戸惑っている――

 そう感じた里穂は、佐川が何を言い出すのか、興味津々が半分だったが、少し怖い気もした。

 佐川はゆっくりと話し始める。

「俺がこの話を考えたのは、高田という男を見てからなんだ」

 と言った佐川を里穂は一瞬目を見開いて見つめた。

――高田さん? 彼がどういう関係なのかしら?

 本当は声に出して聞いてみたかったのはやまやまだったが、それを控えたのは、彼にはそれなりに何かの言い分があることが分かっているからだ。

 何を考えているか分からないまでも、口に出して何かを話し始めた時の佐川には、必ずこちらが納得できるだけの答えを持っているはずである。それをいちいち途中で話の腰を折るように質問をぶつけてしまっては話が進まないことは分かっていた。

 それを分かっているのか、最初の一言を言ってから少し間を置いた佐川だったが、里穂が質問してくることはないと理解していたからなのか、表情を変えることはなかった。

 佐川はさらに話しを続ける。

「高田という男を見ていて、普段はまわりに気を遣っているようで、誰にでも挨拶をする。それは悪いことではないんだけど、その挨拶をした後に、どこか警戒心のようなものが見え隠れしているのを僕は感じたんだ」

「私には、そんな感覚なかったけど?」

「そうだろうね、君のように素直にまっすぐ相手を見る人には見えないようにできているものさ。しかも、挨拶をされた人には分からないはずさ。だから、彼が他の人に挨拶をしている姿を見ても、そんな警戒心を感じることはない。君の先入観が、そういう思いを抱かせないからさ」

「そんなものなのかしらね」

 これは話の腰を折るわけではなく、リアクションの一種であり、リアクションを示してあげる方が、話し手に対して親切だという思いを持っていた。

「ところで、里穂さんはドッペルゲンガーという言葉や、カプグラ症候群という言葉を聞いたことがあるかな?」

 と言われて、

「ドッペルゲンガーという言葉は聞いたことがあるような気がしますけど、カプグラ症候群という言葉は初耳です」

「そうだろうね。たぶん、ほとんどの人がそういうと思うんだ。これはどちらも心理学的な精神疾患を伴うような病気の言葉であり、一種の都市伝説的な話でもあるんだよ」

 言葉が難しいだけに、話の内容に言及することは里穂にはできないと思った。

 まずは佐川の話を聞いて、自分に意見があれば、それを質問するだけだった。

「まず、ドッペルゲンガーという言葉なんだけど、これは結構昔から言われている言葉であるんだが、この言葉は別名『二重歩行』とも言われていて、つまりまったく同じ人間が同じ時に別の場所で目撃されるということなんだよ。要するに『もう一人の自分』がいるという考え方なんだ」

 と佐川がいうと、

「その話、聞いたことがあります。小説なんかにもよくそれをテーマにしたものがあると聞いた気がします。そうなんですね。その現象のことを、ドッペルゲンガーというんですね」

「ああ、そうなんだ。この話は確かにたくさんの人がテーマにして作品にも描かれているんだけど、それにはいくつかの逸話や説があるからなんだ」

「世の中には似た人間が三人はいると言われているけど、それとは違うのかしら?」

「うん、それとは違う。ドッペルゲンガーというのは、『似た人』という意味ではなく、あくまでも『もう一人の自分』なんだよ」

「そんなことってありえるのかしら?」

「普通ではありえない。だから、いろいろな説があったり、逸話もあったりする。だけどSFの世界やホラー、オカルトの世界では、発想としては十分にありえることではないのかな?」

「そうですね。言えると思います。では、この話はまず小説の発想から生まれたものを、実際に見たということから出発しているのか、それとも、誰かが最初に見て、その発想が小説などのネタとして考えられるようになったのが最初なのか、どっちなのかしら?」

 と里穂がいうと、

「そうだね。そこまで詳しいことは分かっていないけど、実際に今までドッペルゲンガーを見たという話はたくさん残っている。特に歴史上の人物などで有名人が残した話が逸話になって、そこからいろいろな説だったり、ドッペルゲンガーの正体を想像させるようなものも出てきたりしているんだよ」

「というと?」

「例えば、ドッペルゲンガーにはいくつかの謂れがある。まず一番有名な話としては、『ドッペルゲンガーを見れば、その人は死んでしまう』という説なんだ」

「その話、何かで聞いたことがあるような気がします。ドッペルゲンガーという言葉は覚えていなかったんですが、何かを見ると死んでしまうという伝説のようなものを聞いたことがあったので、今何となくその時の話の辻褄が合ったかのように思えてきました」

「そうだろう。そして、ここからはドッペルゲンガーというものに対しての特徴なんどけどね。まずドッペルゲンガーは、人と会話することはないということ、そして、ドッペルゲンガーはその元になった人の行動範囲から逸脱した場所には現れない。これがドッペルゲンガーの共通点になるんだよ。そして、ドッペルゲンガーというのは、自分が自分を見るだけではないんだ。他の誰かが、出現するはずのないところで、もう一人のその人を目撃するということもある。それも一つの特徴と言えるんだ」

「なんか怖い話ですね。でも、だからこそホラーやオカルトになるんでしょうね。でも、SFとしてもいけそうな気がするわ」

「いろいろなイメージや想像を植え付けるのが、このドッペルゲンガーというものの正体なんだ」

「でも一番怖いのは、それを見ると死んでしまうという伝説があるんでしょう? それが一番怖い気がするわ」

 と里穂がいうと、

「それに対しては、いくつかの説があるんだ。一つは、ドッペルゲンガーというものが、幽体離脱のようなもので、肉体と魂の分離という考え方なんだ。その分離が行われるから、他の場所で目撃されたり、自分でも見たりする。でも、相手は抜け殻なんだから、決して会話をしないという理由はそこで証明されるんじゃないかな?」

「なるほど、それは確かにそうね」

 佐川は続ける。

「まるで夢遊病のような感じなんだけど、普段は肉体と魂が見えない糸、いわゆる『シルバーコード』と言われているものらしいんだけど、何度も幽体離脱を繰り返していると、そのうちにこの『シルバーコード』が切れてしまって、二度と自分の身体に戻ることができない。つまりは死んでしまうということになるという考え方。これがドッペルゲンガーを見ると死ぬという説への一つの答えになっているんだよ」

「分かる気がするわ」

 佐川の話し方がうまいのか、その発想は十分に理解できるものだった。

 佐川はさらに続ける。

「ドッペルゲンガーを見ると死ぬという説に対しての考え方はまだまだあるんだ。次に言われているのは、一種の『パラドックス』というSFの世界などによくある考え方なんだ」

「『パラドックス』というのは分かる気がするわ。タイムマシンなんかで言われている矛盾なんかのことでしょう?」

 という里穂に対して、

「ああ、そうだよ。SFの中に出てくるパラドックというと、確かに君のいうように、タイムマシンなんかの発想からよく言われるよね。ドッペルゲンガーの発想もそれと同じもので、タイムマシンで説明すると、まずタイムマシンに乗って過去に行くとするでしょう? 過去に行って例えば自分の親に遭う、そこで自分の親が自分を生む前にもし、死んでしまったら? という発想だよね。つまり自分が過去に戻ることで、歴史が変わってしまう。一番分かりやすいのは親が死んでしまうということ。自分を生む前に死んでしまうと、自分は生れてこないでしょう? だから自分がタイムマシンで過去に来るということもない。過去に来なければ、歴史が変わらないから、自分が生まれてしまう。生まれてしまうとタイムマシンで……。ということになる。要するに矛盾なんだよね。異次元を表現する時に用いられる『メビウスの輪』なんかの発想と似ているような気がするでしょう?」

 と、佐川はまくし立てるように言った。

 しかし、話には信憑性があり、どんどん引き込まれていった。話を聞いていて、無意識に何度も頷き、目は真剣に彼を捉えていたような気がする。

「話を聞いていて、どんどん想像力がたくましくなってくる気がするわ。やっぱり佐川さんよね」

 と言うと、少し照れたような佐川の表情があったが、普段はあまりしない表情をしたということは、それだけ今の自分の話に酔っているような気がしていた。

「つまり、これが『親殺しのパラドックス』と言われたりするものなんだけど、これと同じ発想で、『人は同じ次元、同じ時間に一緒に存在できない』という発想から、ドッペルゲンガーはパラドックスであり、どちらかの人間を抹殺しなければいけないという発想なんだ」

「なるほど、よく分かったわ。それで、もう一つというのは?」

 すでに里穂は彼の話に引き込まれていて、話をしているのが彼であるということよりも話の内容の方に引き込まれてしまっていた。

「もう一つというのは、今までの話からすれば単純なもので、ドッペルゲンガーを見る人間には、精神的な疾患があるという考えなんだ。脳に異常があって幻覚を見てしまうというのは、医学的にも心理学的にも言われることであって、だからこそ、この説もかなりの有力なものだと言えるのではないだろうか? これらが、ドッペルゲンガーというものの正体ではないかと言われているものなんだ」

 そう言って、佐川は少し深呼吸した。

「言い切った」

 という意識があるのだろうか、ただ、まだすべてを話してくれたわけではない。話には続きがあり、今は一呼吸おいているだけだった。

 少し落ち着いて佐川はまたゆっくりと話し始めた。

「今度は、ドッペルゲンガーを見たという著名人についてお話しましょうかね。では、まずは日本の著名人から行きましょうか? 有名な人としては、作家の芥川龍之介です」

「芥川龍之介と言うと、あの芥川賞の?」

「ああ、そうだよ。彼も自分のドッペルゲンガーを見たひとりなんだ」

 里穂は少しショックを覚えた。

 別に芥川龍之介を知っているわけでもなければ、意識して本を読んだわけでもない。だが、さすがに知っている人の名前を聞いて驚かずにはいられなかったのだ。

「彼はインタビューで、一人は帝劇に、一人は銀座に現れたと言っていたらしい」

「えっ、じゃあ、見たのは一度きりではなかったということなの?」

「そういうことになるようだね。彼は最後には自殺をするんだけど、その遺作となった小説があって、その小説の書きかけの原稿を、編集者の彼の担当が他の原稿を貰いに行った時、置いてあった彼の書きかけの原稿を見ようとして、龍之介から、えらい剣幕で怒られたというんだ。そして、その書きかけの原稿をビリビリに破いてしまったと言われているんだ」

「それで?」

「次の日になって、龍之介の睡眠薬を多量に飲んだ自殺死体が発見されたんだけど、何とその時傍らには、昨日編集者の前でビリビリに破かれたはずの原稿が、しわ一つない状態で残っていたというおまけつきのお話なんだよ。編集者が昨日見たのは、芥川龍之介のドッペルゲンガーだったのかも知れないね」

 という佐川の話で、里穂は少し凍り付いてしまった。

 なるほど、ドッペルゲンガーの話としてはよくできている。それが本当の話かどうか分からないにしても、話としては、十分に逸話となるものだと思えた。

「う~ん」

 里穂は思わず唸ってしまった。

 それ以上何も言えないという表情をしている里穂を横目に、佐川は悪戯っぽく微笑んでいた。

「ドッペルゲンガーを見たというのは、もちろん彼だけではない。海外にはもっとたくさんの目撃者がいて、芥川龍之介の話に負けず劣らずの話が残っているんだよ」

 里穂はそれを聞いて、

――聞いてみたい気もするけど、怖い気もするわ――

 さすがに名前だけでも知っている人の理路整然としたオカルト話を聞かされると、背筋に冷たいものを感じた里穂だっただけに、さらに新たな話をしようと目論んでいる佐川の表情が、まるで苛めっ子のように見えてきたのを感じ、

――そんな顔しないでよ――

 という気持ちになったのも事実だった。

 しかし、

――もっと聞いてみたい――

 という気持ちも次第に湧いてきた。

 それだけ気持ちが少し落ち着いてきたのかも知れない。

「次は誰のお話なの?」

 と里穂が聞くと、

「エイブラハム・リンカーン」

 と彼は冷静に答えた。

「リンカーンというと、アメリカ十六代目の大統領で、南北戦争の英雄だったはず、でも確か最後は暗殺だったわよね」

 と里穂がいうと、

「そう、その通り。よく知っているね」

 と言われたが、さすがに知っているのはそこまでで、、芥川龍之介の時ほど、意識が近しかったわけではない。

 彼は続けた。

「彼の話は結構有名な話なんだよ。特に彼は数々の超常現象に遭遇したということでお知られていて、そのことを自分から語っているんですよ」

「例えば?」

「最初の選挙の時、彼がソファーで休んでいて、ふと鏡に目をやると、そこには自分そっくりの顔が二つ写っていたというんだ。もう一人の彼はまるで幽霊のような青白い顔をしてじっと自分の方を見つめていたというんだ」

「怖いわ」

「彼は驚いて、ソファーから追いあがるとドッペルゲンガーは消えて、横になるとまた現れたというんだ」

「それで」

「彼の妻は、その時の死人のような夫の顔を見て、『彼は長くは生きられない』と感じたらしいんだよ」

「本当にオカルトっぽい話だわ」

 さらに話は続くようだった。

「リンカーンの話としてもう一つ有名なのは、彼が暗殺されることになるその日に、側近に対して、『暗殺などの話はないか?』と聞いたらしい。さらには、彼が死んだという情報を、まだ死んでもいないのに、同じ日に他の州で、死んだなどという速報が流れたりしたらしい。これも一緒にドッペルゲンガーがもたらす現象なのかも知れないね」

 と佐川は言った。

「それだけ彼が霊感が強かったということなのかしら?」

 と、里穂は呟くように言ったが、

「そうなのかも知れない。その意見には僕も賛成だ」

 と、佐川も神妙な面持ちで答えていた。

 そして、佐川は続けた。

「他にもたくさんいるんだけど、ここではもう一人、ゲーテの話をしてみたいと思う」

 と佐川は言った。

「ゲーテって、あの詩人の?」

「そう、彼は詩人でもあり、政治家でもあったんだ。彼のドッペルゲンガーは他の人と少し違うような気がするんだけど、まず彼はある日、馬で帰宅する途中、反対側からこちらに向かってくる自分を心の目で見たと言っているんだ」

「心の目?」

「うん、そして、それから八年後のある日、馬で出かける時にゲーテは、この日の服装が八年前に遭遇したドッペルゲンガーと同じだっていうんだ。過去に見たドッペルゲンガーは未来の自分だったということだね」

「八年も前のことを覚えているなんてすごいわよね。それがいわゆる『心の目』ということなのかしら?」

「そうかも知れない。別の比には、慈雨bンと同じ服を着て歩く友人を目撃したのち帰宅すると、そこにいるはずのまい友人が先に目撃した時と同じ服を着て腰かけていて、友人は突然の雨で服が濡れてしまったので、ゲーテの服を借りに来たと話したらしい」

「なんとも言えないお話ね」

「他にもドッペルゲンガーを見たという人はたくさんいるんだけど、とりあえず有名なところではこの人たちかな? 中には何度もドッペルゲンガーを目撃しても死ななかった人もいるらしいので、必ず死ぬというわけではないらしいんだ」

「確かに怖いお話ではあるけど、ドッペルゲンガーの正体と言われているものと一緒に考えると、なるほどと思えるところも結構ある気がするわ。そういう意味でも、小説やマンガのネタになりそうなのも分かる気がする」

「ドッペルゲンガーの現象が起こる理由というのも、いろいろ説があるみたいで、それも紹介しておこうか?」

「ええ、参考になるわ」

「これもいくつかあるんだけど、まず最初は、さっきのゲーテの話のような感じだね。いわゆる『未来の自分説』というものだよ。でも、この説には一つの無理なところがあると思われるんだ」

「どういうこと?」

「これも一種のパラドックスなんだけど、ドッペルゲンガーを見ると死んでしまうというわけでしょう? ということは死んでしまうと、未来の自分は存在しないわけじゃない。それを見たというのは、少し違うっていう説もあるんだよ」

「う~ん、ちょっと難しいけど、いわれてみればそうよね」

「もう一つの例としてあるのが、『パラレルワールド説』。世界にはいくつかお次元が存在すると考えられているでしょう? 一種の次の瞬間という発想なんだけど、可能性としては無限にあるよね? その無限がネズミ算式に増えていく考えが、いわゆる『パラレルワールド』なんじゃないかってこと、つまり別の次元にも自分がいてもいいわけであって、何かのはずみでパラレルワールドに繋がってしまった瞬間に、もう一人の自分を見たという発想だね。これはパラドックスが許されないのと同じ発想で、見てしまったことで、死ななければいけない運命になったという発想なんだ」

「これは少し分かる気がする。さっきの『親殺しのパラドックス』と同じような発想よね」

「そういうことだよ。

「次からは、簡単な説明で済む話で、一つは精神疾患説、つまり脳に異常が生じているから、ドッペルゲンガーを見ようが見まいが、その人の運命は決まっているという説だね。そしてその次にあるのは、心霊現象説。ドッペルゲンガーは、何も喋らず、死人のようだって言われいるところからの説だって思うよ。そして最後は幽体離脱説。これはまさしくさっきの『シルバーコード』の話そのままだね。幽体離脱を繰り返してしまうことで、元の身体に戻れなくなったという発想だよ」

「この三つは普通に理解できることだわ」

「普通に暮らしていれば起こりえるはずのないことのように思うんだけど、これだけ話が残っていると、普通の人がちょっとしたはずみで入り込んでしまうゾーンのように思えてくるよね。それがこのドッペルゲンガーという症例の恐ろしいところでもあるんだって僕は思うんだ」

 ドッペルゲンガーの話をしただけで、結構な時間が掛かってしまった。

 里穂は、十五分程度の話だったかのように思っていたが、時計を見ると、すでに一時間以上が経っていた。

「集中していると、時間が経つのって早いわよね」

 と友達と話すことがあったが、それはあくまでも一人で集中していて感じることであった。

 つまり人と話をしていて、自分で感じている時間よりも、時間があっという間に過ぎてしまうということは今までに経験したことがなかった。それを、

「話が引き込まれるような内容だったから」

 というだけで言わることであろうか。

「自分が感じている時間よりも、あっという間に時間が経ってしまった」

 という話は、浦島太郎などのおとぎ話で聞いたり、科学的な観点から言えば、

「アインシュタインの『相対性理論』」

 と同じ発想ではないだろうか。

 おとぎ話が書かれたと言われる時代に、果たして相対性理論のような発想があったのかどうか定かではないが、少なくとも誰かが何かの経験をして、その話を伝え聞いたことにより、

「おとぎ話としての残しておこう」

 という発想が生まれたのかも知れない。

 里穂は、ドッペルゲンガーの話を聞いただけで、結構疲れがあるのを感じた。それだけ集中して聞いていたということにもなるが、自分で身構えてしまったという発想もある。それだけ怖い印象の残った話であり、怖いだけに引き込まれたのだと言ってもいいのではないだろうか。

 この時の彼の疲れがどれほどであるかはよく分からなかったが、見ていて疲れていないわけはないと思えた。だが、

「まだ何かを話したい」

 という思いはあるようで、その話がカプグラ症候群であることは明白だった。

――一緒に話をした方がいいのかな?

 と思ったのは、ドッペルゲンガーと密接な関係にあることで、この二つを研究していたのではないかと思えたからだ。

「今度はカプグラ症候群のことなんだけど」

 と佐川は話を切り出した。

「うん」

「こちらは、さっきのドッペルゲンガーと違って、ある意味深刻な問題なのかも知れないんだ」

 と切り出した。

「ドッペルゲンガーというのも、相当深刻な気がしているけど?」

 と里穂がいうと、

「それは言われていることや伝説としての話は独り歩きをしているからじゃないかって思うんだ。カプグラ症候群の方はもう少しリアルで、実際に精神医療としても、問題になることでもあるんだよ」

 佐川の表情が少しこわってきたのを感じた。

「どういうこと?」

「ドッペルゲンガーは、見た人が死んでしまうということに諸説はあっても、それはどれももっともらしい話ではあるけど、信憑性には今一つだよね。でも、カプグラ症候群の方はハッキリとした現象として現れることで、一種の幻覚だったり、妄想だったりするんだよ。しかも妄想と言っても、これは完全に被害妄想に当たることで、これも小説や特撮のネタになったりしているんだ」

 と佐川が言った。

 さらに佐川は続ける。

「でも、この話が実際に世の中に出てきたのは、ある学者が1920年代に学会に発表したことからであり、歴史的にはドッペルゲンガーよりもはるかに新しいんだ。しかもこれをさっき俺は作品のネタと言ったけど、それは作者が意図してカプグラ症候群を題材にしているわけではないというところが特徴なんだ。カプグラ症候群というものがどういうものか知っている人がその小説を読んだら、最初は『これはカプグラ症候群の応用だ』って思うんだけど、実際に考えてみると、どうも逆の発想のような気がしてくるところが特徴だって思うんだよね」

 里穂は佐川の話を聞いていると、頭が混乱してきたような気がした。

 最初は何となく分かっていたような気がしていたが、話を聞くうちに分からなくなったのは、彼が話をはぐらかせているように思えて。そこにどんなサプライズがあるというのか、里穂は分からなかった。

「一体、どういう理屈の話なの? 頭の中が混乱してきたわ」

 と、わざと話をしてくれない相手に焦れている様子を表してみた。

 それを見た佐川は、ニタリと笑い、思っていた反応に嵌ってしまったのではないかと思えてきた。

「じゃあ、話してあげよう」

 と言ったので、思わずゴクンと喉を鳴らした自分に気付いた里穂だった。

「カプグラ症候群というのは、親や兄弟、妻や夫のような近親者などが、瓜二つの偽物と入れ替わっているんじゃないかと確信する妄想のことなんだ。しかもこれは完全にその人が確信していることで、頭の中が混乱してしまって、本当はそうではないにも関わらずそう思い込むのって、いわゆる被害妄想だよね」

 と言われて、里穂は思わず身体が固まってしまったのを感じた。

 言われてみれば、自分にも似たような経験がかつてあった。ただ、確信というところまでは行っておらず、自分でもこの妄想が、

「ただの妄想」

 ということが分かっていた。

 その時には、

――私は鬱状態に陥ったんだ――

 と考えた。

 被害妄想が確信にまで至らなければ、それは鬱状態ということではないかと思ったものだったが、鬱状態というのは、まわりの歯車がまったく噛み合っていない状態に起こりやすいもので、逆に言えば、歯車が少しでもずれれば、すべてがうまく行くともいえるのではないだろうか。

 そう思った里穂は、その時は完全に自分が鬱状態だと思っていた。実際にその感覚で間違っていなかったように思うが、ひょっとすると、その時に一歩頭を巡らせて、その時にもカプグラ症候群について、意識していたのかも知れないと思った。

 あくまでも妄想の世界であり、確信にまで至れば、それはすでに精神疾患であり、薬物による「禁断症状」のようなものだと言っても過言ではないだろう。

 里穂もカプグラ症候群という言葉は知らないまでも、このような幻覚症状の話は聞いたことがある。というよりもこれを聞いた時、頭をよぎったテレビドラマがあった。

 そのドラマは、ホラー系の強い話で、自分の知り合いが皆悪の手先と入れ替わっているという設定で、それを主人公が知って、悪の手先から自分の肉親を断つけるというような話だった。

 これは厳密なカプグラ症候群とは違うのかも知れないが、連想させるに十分な話だった。カプグラ症候群は、あくまでも幻覚であり、妄想なのだ。本当にそういうわけではない。実際には怖いわけではないが、ある意味、精神疾患としては、恐ろしい話である。

 里穂は、高校時代に自分のことを、

――鬱病なのかも知れない――

 と思ったことがあった。

 それは躁状態と密接に関係しているものであり、鬱状態と躁状態が交互に襲ってくるというものだった。

 その特徴としては、躁状態、鬱状態のそれぞれで、時期がほとんど同じだったということだ。鬱状態と躁状態が同じ期間だったというわけではなく、躁状態、鬱状態同士て、それぞれ同じ時間だったということである。

 しかも、躁状態から鬱状態に陥りそうな時も、鬱状態から躁状態に抜ける時も、それぞれに何となく予感めいたものがあるのだが、実際にハッキリと感じるのは、鬱状態から躁状態に抜ける時であった。

 躁状態から鬱状態に陥る時の感覚として、

――何をやっても、うまく行かないような気がする――

 という感覚に、まわりの色が明らかに変わってきているのを感じるからである。

 色としては、昼と夜とで感じる色が違う。昼間はボンヤリとしたもので、まるで黄砂でも振ったかのように色もぼやけている。信号機の青色が緑に見えたり、赤い色がオレンジのように見えたりといった具合だった。

 だが、夜になると今度は、色がハッキリクッキリと見える。信号の青い色も赤い色も、真っ青にそして真っ赤に見えるのだ。

 この二つの違いだけでも十分に、

――鬱状態に入りそうだ――

 と分かるのだが、今度は鬱状態から躁状態に抜ける時と言うのは、複数の状況を感じるわけではない。しかし、その状況に流れがあることで、鬱状態に陥る時よりも、鮮明に感じることができるのだと感じるのだった。

 里穂は、鬱状態から抜ける感覚を、トンネルで想像することができる。

 トンネルというのは、トンネル内には全体的に黄色に見えるランプが張り巡らされているのが前提となるが、自分は車に乗っていて、助手席にいるのだが、隣で運転している人のギアを握っている手や、横顔を覗いた時に感じる首筋などが、黄色いランプの影響か、まったくのモノクロに感じられる。

 まるで死人のような顔色の悪さ、きっと自分も運転手から見れば同じような顔色になっていることだろう。

 そんな気持ち悪い状況を想像しながら、トンネルの中にいる間はそれが鬱状態の進行中であることは分かっていた。そのトンネルを抜ける時が来るのは、前を見ていて、次第に全面黄色だった背景に、次第に真っ白い光が差し込んでくるのが分かってきた。

 その光はきっと太陽光線なのだろうが、最初に感じるのは、蛍光灯の真っ白い色のはずだった。いきなり太陽光線を見ると、自分の目がどうかしてしまうのではないかという思いが頭をよぎるからだった。

 白い色に次第に包まれてくると、隣で運転している人の手や首筋を見ると、さっきまであれだけ気持ち悪いくらいに血の気のなかったはずのモノクロに、やっと本来の色が戻っているのを感じる。

 あくまでも創造の世界なのだが、この想像が自分の中で、

「鬱状態から、躁状態に抜ける感覚」

 と思えてならないのだった。

 里穂は、そんな躁鬱状態をそれくらいの間、何度繰り返したのかハッキリとは覚えていない。その間に普通の状態が入ったのかも知れないとも感じたが、その信憑性はあまりにも低かった。

――勘違いに違いない――

 と言い切れるレベルの話だった。

 そんな躁鬱状態を経験してきた里穂は、佐川から聞かされたカプグラ症候群の話を聞いて、

――躁鬱を想像してしまったけど、カプグラ症候群というのは、躁鬱の感覚に単純に結びつけることのできないものなのかも知れない――

 と思った。

 躁鬱状態と、カプグラ症候群のどちらを脚本として書けるかというのを聞かれるとすれば、

「カプグラ症候群の方かな?」

 と答えるだろう。

 カプグラ症候群というのは、その正体がどうであれ、それ以前に話を聞いただけで想像できるものがあった。厳密には違っているのだが、フィクションというドラマの世界ではその想像力をたくましくできるものを、カプグラ症候群という発想は持っているように思えたのだ。

 躁鬱症というのも、ドラマのテーマにはなりそうだ。しかし、躁鬱症というのは、それを単独でしかも表にハッキリと出さなければ難しいのではないかと思えた。

 逆にカプグラ症候群の場合は、躁鬱症とは違い、前面に押し出すことでなくとも作品を完成させることができると思った。ただ一つ言えることは、カプグラ症候群だけ単独でのテーマにはなりえないという思いがあった。つまり佐川がいうように、

「ドッペルゲンガーとのセットで」

 というのが、前提になるのではないかと思うのだった。

 ドッペルゲンガーの話にもかなり大いなる衝撃を受けた。ドラマや映画、小説などに描かれるテーマになりうるに十分な気がする。

 だからこそ逆にすでに何度も作品化されているテーマなのだから、

「使い古された」

 という言葉が付きまとっている。

 それだけに、ドッペルゲンガー単独では難しく、何か他のことと結びつけて考える必要があった。そういう意味でのカプグラ症候群という発想は、

「ありなのではないか?」

 と里穂に思わせた。

 里穂は次に考えたのは、

――ドッペルゲンガーと、躁鬱症とを組み合わせることはできないだろうか?

 という思いだった。

 ドッペルゲンガーの基本は、

「もう一人の自分の存在」

 だった。

 躁鬱症も、自分の中に二つの人格を持った、一種の「二重人格」だと思うと、ドッペルゲンガーとの共有もありえると思えたが、ふと考えると、そこに一つの疑問が浮かんできた。

 ドッペルゲンガーは、もう一人の自分を自分自身、あるいは他人に認識させるのが前提だ。躁鬱症というのは、鬱状態の時に躁状態の自分を、逆に躁状態の時に鬱状態の自分を感じることはできない。他人が感じることはもちろんできるはずもなく、そういう意味ではドッペルゲンガーという発想と噛み合うとは思えなかった。

――では、カプグラ症候群ではどうだろう?

 これも、躁鬱の発想と同じことが言えるのかも知れない。

 しかし、あくまでカプグラ症候群は、幻覚であり妄想なのだ。自分に対してというよりもまわりの近親者に瓜二つの人がいて、入れ替わっているという発想がカプグラ症候群の本質だとすれば、ドッペルゲンガーの発想が入り込む余地もあるのではないだろうかと思えた。

 だが、今までにこの二つをテーマに織り込んだ小説や作品を、少なからず知らなかった。カプグラ症候群の発想を柔軟に膨らませることで、できなくはないと里穂は思ったが、それだけ発想を膨らませるのは難しいことだろう。

 だが、これもニアミスの平行線のように、どこかにカギを合わせる箇所があり、そこでカギが合うことで、すべての辻褄が合ってくるのではないかと里穂は思っていた。

 話をしてくれた佐川の様子を見ていると、その横顔からは、真剣な眼差しが見えていた。真剣に見ているのは、真正面を見ながら、何か遠くを見ている感覚もあり、彼の視線の延長線上に何が見えているか覗いてみたい気がした。

 もちろん、見えるわけはないが、里穂と同じような発想をしていてくれれば嬉しいと思ったが、少なからず接点はあるように思えたのは、

――ドッペルゲンガーとカプグラ症候群の話を今初めて佐川さんから聞いたはずなのに、前から考えていたような気がする――

 と感じたからだった。

 自分がこれから小説を書くとすれば、心理学的な発想をテーマに書いてみたいと思っていたのを思い出したが、まさか他の人から誘われるとは思ってもみなかった。だが、それが佐川からだったのは幸いな気がした。

――きっと一人で小説を書こうと思うと、挫折していたかも知れない――

 と感じたからだ。

 カプグラ症候群が難しいのか、それともドッペルゲンガーが難しいのか、それとも二つを組み合わせるという発想が難しいのか、里穂にはまだ頭の中に具体的な発想がない分、思い浮かぶことはなかった。

「佐川さん、あなたはこの二つのテーマについて、何かお考えは持っておられるんですか?」

 と里穂は聞いた。

「ドッペルゲンガーというのは、かなり昔から考えられていることであり、古代などの神話や逸話として残っているんだけど、カプグラ症候群についてが、まだ百年くらいしかその発見発表から経っていないんだ。カプグラ症候群というのも、きっともっと昔からあったもので、それをどのように学術的に解説するか、誰にもできなかったんじゃないかな?」

 と言って、一旦話を切った。

 だが、少しして話し始めた。

「それだけに理解するには難しいことなんじゃないかって思う。でも、考えてみると、今発表されているいろいろな現象にも、その解明がされていないことも結構あるよね。どこが違うんだろう? って思うんだけど、被害妄想であったり、幻覚であったりと、薬物による禁断症状に似たものは、社会的にはある程度証明されていることでないと、発表できないという発想なのかもって感じるんだ」

 と佐川は言った。

「考えすぎなんじゃないですか?」

 里穂は単純にそう答えたが、

「確かにそうかも知れないんだけど、僕はそうは思わない。社会的というよりも政治的にというべきなのかも知れないが、カプグラ症候群のような発想が、二十世紀前半まで発見されないというのは、僕には腑に落ちないんだ。ドッペルゲンガーのような発想が古代からあるにも関わらずだよ。ただだからと言って、そのことを問題にしようとは思わない。それよりもテーマの一部として使う分には何の問題もないんじゃないかって思うんだ。これってクリエイターのエゴなのかも知れないんだけどね」

 と言われると、里穂の方としても、

「そんな……、エゴだなんて思わないわ。私もクリエイターの端くれとして、あなたと同じような考えを持っているつもりだわ。確かに作品のエッセンスとしては面白いかも知れないわね」

 と里穂がいうと、

「そうそう、そのエッセンスという言葉、素晴らしいと思うよ。僕が君をクリエイターとして素晴らしいと思うのは、そういう語彙力に代表されるような、奇抜な発想なんだよ。僕にも君のようなそんな奇抜な発想がほしいと常々思っているんだよ」

 興奮気味な佐川を久しぶりに見た気がした。

 しかも、それが自分を揉めてくれている言葉なだけに嬉しくて、恥ずかしさ半分であったが、久しぶりに楽しい気分になった。

「ところで、カプグラ症候群なんだけど、これをそのまま作品に織り込むというのは、やはり難しい気がするんだ。過去の人がさっきも言ったような発見することができていたとしても、その発表に躊躇したように、作品に織り込むとしても、よくよく考えないといけないことも多い気がする」

 と、佐川は続けた。

「でも、だからこそ、やりがいはあるというものなのかも知れませんよ。すぐに出来上がるものではないと思っているし、いろいろな資料を研究したり、人の意見を聞くのもいいかも知れない」

 と里穂はそこまで言って、

――誰かの意見を聞くとすると、すぐに思い浮かぶのは高田さんの顔なんだわ――

 と感じた。

 元々高田から発想したこの話、彼の被害妄想は、どうも他の人に感じる被害妄想とは違うような気がしたのは、里穂だけではないかも知れない。

――きっと、佐川さんも同じことを彼に感じているのかも知れないわ――

 と思うようになっていた。

 だからと言って、いきなり高田に聞くのは危険な気がした。そもそも、どういうきっかけで話を始めればいいのか、まずはそこからである。このきっかけが意外と難しく、ひょっとすると、これさえ乗り越えれば、話を聞くことなど、そんなに難しいことではないかも知れない。

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