第2話 カプグラ症候群

 武則はそれから少しして結婚した。相手は中学時代の友達で、武則が自殺を考えている時に再会した相手だった。

 その頃は、ある程度まで自殺を思い描いていたので、知り合ったその女性に対してあまり関心を持っていなかったが、彼女の方ではそんな武則から、

「愛されている」

 と思っていたようだ。

 武則は、

――俺はどうせ死ぬんだから、適当に付き合っていればいいや――

 くらいにしか思っていなかったかも知れない。

 実際には、そこまでも思っていなかったようだが、彼女の方からすれば、余計な詮索をされることもなく、何を考えているか分からないところもあるが、自分のことをしっかり見つめてくれているようで、悪い気はしなかった。

 武則が彼女を見つめていたのは、別に彼女のことを真剣に愛しているわけではないと思っている自分にどうして寄り添おうとしてくれるのか、それが単純に疑問だったからである。

 彼女の方からすれば、

「この人は他の男性にはない何かを持っている」

 という気持ちがあった。

 彼女は結構モテる方で、よく街でも声を掛けられていたろりした。その意識があるから、自分がお姫様にでもなったような気がして、結構上から目線で男性を見ていたことがあったが、それも次第に自分だけが浮いてしまっていることに気付くと、まわりがもう自分を相手にしてくれないと感じた時、すでに手遅れだと悟ったのだ。

 彼女がそのことを感じたのは、結構早い時期だったような気がする。だが、刻々と移り行くまわりの流れは、彼女の想像をはるかに超えていた。流れを感じることができるだけ彼女の目は節穴ではなかったということであろうが、結局それでも自分だけが孤立してしまったことに後悔の念はハンパではなかった。

 彼女の名前は、川上静代という。中学時代まではあまり目立たないどこにでもいるような少し暗めの女の子だったが、高校生になって、スタイルの部分でうまい具合に発育し、それが男性の目にピッタリヒットしたのだ。男性から見て、淫らに見えるその肉体に、どこか幼さが残る表情のギャップが、目を引いたのだ。いわゆる

「ギャップ萌え」

 とでも言えばいいのか、武則も正直に言えば、中学時代から彼女にはその素質があることは見抜いていた。だが、高校に入ると違う道を歩むことになった二人なので、

――しょせんは合うことはないんだ――

 と、武則を諦めの境地に至らせたのだ。

 彼女が自分のことで後悔することが癖になってしまったのは、中学時代からのことだった。

 実際にどこにでもいるような暗いタイプの女の子だったが、本当は、

「他の人と同じでは嫌だ」

 と感じるタイプだった。

 それは武則と同じ性格であり、武則と違うのは、

――自分と同じような性格の人は、他にもたくさんいるはずだ――

 と思っていたことだった。

 武則の場合は、自分の性格を、

――自分独自のもの――

 と考えていて、似たような性格であっても、微妙なところで同じ人がいるはずはないと思っていた。

 つまりは、

「少し似ているだけであれば、それは違うものだ」

 と考えることだった。

 これが静代とは違う考えで、彼女は逆に、

――少数派の考え方は、皆似ているので、一緒に考えてもいいのではないか――

 と感じていたのだ。

 同じような考え方を持っていても、その根底にある考え方は正反対だった。そのことを武則は分かっていたが、静代は分かっていなかった。それも二人の違いであるが、どちらも分かっていないよりもいいのではないか。二人とも分かっているとそこから先は発展性もないし、どちらも分かっていなければ、平行線となってしまって、二つが交わることなどないと言えるのではないだろうか。

 武則は、次第に静代に惹かれていく自分を感じていた。静代の方とすれば、武則が自分に興味を示してくれたことが少ししてから分かってきた。

 最初は、

――やっと興味を示してくれた――

 と思って喜んでいたが、そのうちに、

――あれ? 何かが違う――

 と思うようになった。

 武則に対して抱いていた気持ちの何かが違っていたことに気付いたのだろう。

 静代は武則の、

「勘の良さ」

 に惹かれていた。

 自分が気付かないことに気付いてくれる武則の気遣いが嬉しかったのだが、武則は本当は気付いてくれて自分のためにしてくれているのではないという思いに駆られるようになってきた。

 その考えは、

「当たらずとも遠からじ」

 であった。

 武則が気付いていたのはあくまでも、

「自分のこと」

 だったのだ。

 自分のことに気付くことで、相手も見えるようになったというのが本当のところであるが、静代は最初から、

「彼が自分を見ている」

 と思っていたことから、彼を好きになったのだ。

 その思いが少し薄れてきて、疑問を呈してくるようになると、武則を見る自分の目に一種異様な何かがあるような気がしてきた。

 今度はそのことが静代の関心ごとになった。

――あの人は何を考えているのかしら?

 見れば見るほど、武則に対して自分の考えていることが分からなくなってくる。その不思議な感覚が、またしても自分を武則に引き寄せることとになるのだった。

 二人はまわりから見ても不思議なカップルだったに違いない。顔はニコニコして見つめあっているのに、その間に会話の一つもない。

「アイコンタクトで、見つめるだけで言葉はいらない」

 という恋愛ドラマのセリフのようだが、実際の恋愛はそんなことはないだろう。

 言葉にしなければ伝わらないことが多く、言葉にしないと相手が何を考えているか分からない。

 贔屓目に見て唇が動いているのであれば、「読唇術」なるものもあるので、相手に伝わるかも知れないが、それも耳の不自由な障害者に対して言えることであって、健常者では口があるのだから、それを使わない手はないというものだ。

 逆にそれを使わないというのは、障害者に対しても失礼であり、

「せっかく目も口もあるんだから、いえばいいじゃない」

 と思うに違いない。

 そんな二人が、いつの間にか相思相愛で離れることができなくなり、結婚するまでにそれほど時間が掛からなかった。

「善は急げ」

 ということで、先導したのは武則だった。

 そんな武則に対して無言でついて行った静代だが、それまでに言葉でのコミュニケーションはしっかりと行われていて、障害らしいことは一つもなかった。

「二人は本当に円満な結婚だったな」

 とまわりからは結婚から何年も経ってから言われることもあった。

 おしどり夫婦とまでいくかどうか分からないが、この結婚を失敗だったと思うことは二人の間になかったことは間違いなかった。

 子供が授かるまでには、それほど時間が掛かったわけではなかった。いわゆる、

「できちゃった婚」

 ではなかったが、結婚してすぐくらいにできた子だったので、目聡い人には、

「できちゃった婚ではないか?」

 などと陰口をたたく人もいた。

 だが、武則も静代も、別に気にならなかった。

 気にする人というのは、結局自分たちを意識している人なので、自分たちのことを暖かく見守ってくれている人か、あるいは幸せな結婚に少なからずの嫉妬心を抱いている人かのどちらかだろうと思っていたからだ。

 静代の方は、ほぼ前者だと思っていたが、武則の方は、自分たちに嫉妬心を抱いている人も少なくないと思っていたので、それはそれで気分のいいものだった。

 自分が嫉妬心を抱く立場になれば、いたたまれないかも知れないが、嫉妬心を抱かれるのは、案外と嬉しいものだった。

 さすがに地団駄を踏んでいる姿までは想像できなかったが、顔が真っ赤になり、身体の奥から熱くなった血が流れ出ているような気分になってきたのも本心だった。

 生まれてきた子は男の子で、命名は、

「武敏」

 であった。

 父親から一文字取った形だが、命名にあまりこだわることのなかった静代は、自分の名前が入っていようがいまいが、関係はなかった。

 武敏が生まれてからというもの、それまでの不況で不幸のどん底だったと思っていた武則に風が吹いてきた。

 自殺しようとまで思っただけに、

「死んだ気になれば何でもできる」

 という言葉にピンとこないと思っていたはずなのに、実際に乗り越えてみると、その言葉の意味が分かったわけではないが、その言葉までも乗り越えたような気がしていた。

 乗り越えたのに、乗り越えた時の心境を分かっていないなどおかしなものだが、信憑性を度返しすれば乗り越えたという事実だけを見つめればいいだけなので、自分を納得させることができるのだった。

 さて、死んだつもりで努力もしたが、その努力がどこで生かされたのか、自分でも分からないうちに、再就職した先ではどんどん出世していった。そのうちに貯金もできたことで生活にも余裕ができ、そのうちに社会がまた未曽有の好景気に沸くようになった。

 試しにやってみた不動産運用。もちろん、下手をすれば地獄を見るのは分かっていたので、余剰の中から、さらに、

「あぶく銭」

 とも言えるようなお金を投資に使った。

 あぶく銭というと、

「お金を粗末にしている」

 などと批判されがちだが、これまでの武則はお金に対して、ずっと真摯に向き合ってきた。

 やってみた不動産が大きな利益を生んだのだが、それも、

「お前が謙虚にお金と向き合ってきたことが報われたんだ」

 と、他の人からも言われるくらいだったので、本当に自分でもそう思っていた。

 当時は、何かに投資して、そこからお金を増やすことが多くなっていた。

 最初の不況を乗り越えたことで、日本は加工という分野で世界にその存在価値を証明した。

 それがそのうちに、物資による利益ではなく、商品を転用したり運用することで利益を生む時代へと移行してくるのだった。

 それが、

「貯蓄をお金でするのではなく、投資で行う。株であったり、土地の運用が利益を生む」

 ということが言われるようになり、いわゆる、

「バブル経済」

 の時代に入っていった。

 土地は持っていれば持っているほど、どんどん価値が上がった。

「お金があれば土地を買う」

 と言われた時代があった。

 ただ、武則が最初に始めた時は、まだそれほど信憑性のあることではなかったが、あぶく銭という意識と、彼に備わっていた先見の明というものが、彼を駆り立てたと言ってもいい。そういう意味での彼の才能は間違いはなかった。またしても、まわりからは、

「ビックリさせられた」

 と言われたのであった。

「まるで小説のようなお話だな」

 と言われたことがあったが、それを実感していて、一番そう思っているのは他でもない武則本人だった。

――自殺しようとまで考えたのにな。いや、逆にあの時、死んだ気になれたのがひょっとすればよかったのかも知れないな――

「事実は小説よりも奇なり」

 と言われるがまさにその通りだ。

 本人には自覚がないが、死んだ気になってやったことが、ある意味王道を貫いていて、それが成功への近道だったのかも知れない。本人はかなり危ない橋を渡ったと思っているが、捉えるところをしっかり捉えていたおかげで、成功したに違いない。無意識だったことが幸いしたともいえるだろう。下手に意識してしまうと、踏み出せる一歩も踏み出すことができず、結局何もせずに終わってしまっていただろう。

 ただ、地道にやってきたという自負もある。たった一度のチャンスをものにできたのだとすれば、それはそれで正解だったのだ。

 会社を首になってから何年が経ったのか、武則は思ったよりもアッという間だったと思った。それが今はお金に困ることもなく、

「会社を運営してみたい」

 という衝動に駆られていた。

 前には働いている会社が倒産して、社長が悲惨な目に遭ったのを目の当たりにしているにも関わらず、今度は自分が会社を興したいと思った。これは彼が経営者への意識が他の人よりも高かったというのもあれば、一度は死にたいと思った時の気持ちを忘れることなく、驕ることもなく、まわりや自分と真正面から対峙してきたことによるものだろう。それだけ彼は真面目な性格であり、一直線なところがあるのだろう。

 家で妻に、

「会社を興したい」

 というと、別に反対もされなかった。

 妻の静代も、前の不況の時代に苦労をした一人だった。武則と知り合った時にはちょうどその不幸から少し光明が見えていた時であり、そういう意味では武則と境遇が似ていたと言えるのではないだろうか。

 武則は妻の静代の当時の話も聞いた。鶴代は水商売にも足を踏み入れていて、どこか男性に上から目線があったのは、彼女の美貌に対しての自信からだけではなく、

「まわりの人から舐められないようにしないといけない」

 という気持ちが強かったのも否めない。

 彼女は自殺まで考えるほどではなかった。芯が強い女性だからという理由もあるが、

「夢見る少女」

 でもあったのだ。

 その性格が幸いしてか、死というものを考えようとはしなかった。静代のいいところは、嫌なことがあっても、

「考えないでいいことは考えないようにする」

 ということができるタイプだったのだ。

 それに比べて武則の方が、嫌なことを考えないようにできるほど人間ができていなかった。これは武則に限ったことではなく、ほとんどの人がそうに違いない。そのことを武則は、

「人間臭い」

 と感じるようになり、この言葉が決して悪言ではないということを感じていたのだ。

 武則と知り合った頃の静代は、まだまわりに対して去勢を張っていた。まわりを見る目は完全な上から目線。自分を好きになる男性はたくさんいると自負していた。

 だが、それは他人といる時だけだった。一人になるとその気持ちは急速に萎えてくるようになっていた。最初の頃は、

「私を見なさい」

 と言わんばかりのオーラを放っていたこともあって、一人でいる時もそのオーラは発散され続けた。

 だが、このオーラを発散させ続けるには、かなりの体力がいった。体力だけではなく、精神的にも強くなければ保つことができないもので、きっと体力にだけ任せていると、精神に病を持つか、ひどい時には何かの疾患が襲ってくるレベルのものだったに違いない。

 静代は最初何も話そうとはしなかった。まだ彼女の中に、まわりに舐められないようにしなければいけないという思いが多分にあり、その思いが自分の思いをシャットアウトしていたのだ。

 だが、自分の身の上を飾ることもなく、しかも自分に気を遣いながら話をしてくれる武則を見ていると、自分が今まで精いっぱいに張っていた去勢がなんであるか、急に分からなくなってしまっていたのだ。

 武則のそんな様子を見ていると、急に自分が女性であることを思い出した。性別としてはずっと女性であり、仕方がなかったとはいえ、女性というものを武器にして、水商売に足を踏み入れ、それをいかんなく見せつけてお金を稼いできた。

 男性からは貢がれることもあった。

――私は自分の身体の中に「オンナ」という武器を持っているんだわ――

 と感じたものだ。

 誰から与えられたものでもない。しいて言えば生んでくれた両親なのだろうが、それでも育ってきたのは自分であり、自分の努力も十分に評価されるびきであると思ったとしても、それは無理もないことである。

 だが、それは表に向けた一方通行の意識だった。そうではなく、武則の視線は、自分に対して向けられたものであると同時に、

「俺も見てほしい」

 という彼の意志も伝わってくるのであった。

 そう考えると、

――一方通行の意志なのは『オンナ』を感じる時で、双方向の意志を感じるのは、『女』を感じる時なんだわ――

 と思うようになっていた。

 そう思うと、「オンナ」は意識して作り上げたものであり、「女」は無意識に作り上げられたものだと言えるのではないだろうか。どちらが本当の自分かということを考えると、おのずと答えが見えてくるように静代は感じた。

――自分で納得したことが自分にとっての真実なんだわ――

 という思いを抱いたが、その思いはその時から静代の中で、自分の本質に一番近い感覚になっていた。

 静代はそのことを武則から教えられたような気がした。その証拠が、

――自分の身の上を話すことがある相手なんて、きっと現れない――

 と思っていたのに、いとも簡単にアッサリと話してしまったことで、それだけ武則のことを想っていると感じたのだ。

 それを愛情だと感じるまで、静代には少し時間がかかった。それが恋愛感情だということに気付かなかったわけではない。自分のような一度は落ちるところまで落ちたと思っている女が、まともな恋愛などできるはずはないと思っていたからだ。

 落ちるところまで落ちたと思っている、その「落ちるところ」というのは、静代にしか分からないところであり、誰にも口にできない部分だった。口にしようにも、どう説明していいのか困るところでもあり、そのせいからか、恋愛というのは、自分のまわりに存在している結界の向こうにあるもので、見ることも触ることもできないと思っていた。

 だが、それをこじ開けてくれた人がいた。それが武則だった。

 今まで静代に言い寄ってくる男性は大げさではあるが、星の数ほどいた。

「ちょっとおだてれば、簡単にオチるだろう」

 とでも思っているのだろう。

 ただ実際に、上から目線で、男性を寄せ付けないタイプの女性というのは、口説いてみると案外簡単にオチると思っている男性は少なくない。単純に女性が上から目線なのは、寂しいからだと考えている男性が多いということであろう。実際にすぐに靡いてしまう女性も少なくない。男女の関係というのは、実に不可思議なものである。

「私なんか、一生結婚できないと思っていた」

 と、静代は言っていたが、それは本心だっただろう。

 この言葉を時々口にする女性がいるが、彼女たちと静代は明らかに違っていた。だが、静代には彼からプロポーズされるという予感があった。もっとも、

――結婚するなら、この人以外には考えられない――

 と思ったのも事実で、こんな気持ちになるのは、もちろん初めてだった。

 一種の初恋だと言ってもいいが、

「初恋というのは儚いもので、決して結ばれることはない」

 と言われるのが、静代には気になるところであった。

 だが、そんな気持ちは片隅にあっただけで、実際にはプロポーズされ、それを受け入れることで、結婚まで一気に加速した。

 結婚してからすぐに子供ができたことは、二人には喜ぶべきことだった。

「まだ若いんだから、結婚してからしばらくは子供を持たずに、新婚気分を味わっていればいいよ」

 と言ってくれる人もいたが、正直、武則には分からなかった。

――新婚生活に子供がいても別にいいんじゃないか?

 という思いがあったからだ。

 それは静代も同じであり、彼女も子供を授かったことを素直に喜んだ。大げさにされるとそれはそれで白々しい気がするが、そういうわけでもなく、自然に見えることが武則をも子供が授かったことを嬉しいと感じさせた。

 ただ、実際には実感が湧いているわけではない。武則は本当は子供が嫌いだった。誰にも話したことはなかったが、言いたい放題、やりたい放題で、親もいろいろな人がいるから、子供もそれぞれ別々の行動を取る。泣きわめいたり、大声で叫んだり、まわりを気にするところがまったくない。

「それが子供というものだ。お前だって子供の頃はそうだっただろう?」

 と言われるが、どうにも納得がいかない。

 自分が子供の頃は、うるさくしていると、自分の親でもないアカの他人からでも、平気で、

「静かにしなさい」

 と言われたものだった。

 自分の親から言われたのであれば、どこか反発心も沸くというものだが、アカの他人から言われてしまうと、子供であっても、恥ずかしいという気分にさせられる。それは人から言われるまで気付かなかったことに対しての思いと、他人が言うくらいだから、相当なものだったんだという両方の思いを同時に感じるからだ。

 それなのに、今の親は、いや大人はどうして子供を好き放題にさせておくのか、それがよく分からなかった。

 子供に対しての虐待であったり、家庭内の暴力というのが言われ始めたのもこの頃からだったのかも知れない。少しずつ社会問題になってきていることで、問題として知っていて、身につまされる世代もあれば、問題は知っているが、自分とは関係のないところで行われていることなので、他人事のように思う世代もある。まったく気にもしない世代は論外としても、やはり自分の身に直接降りかかってこないことは、実感が湧くわけもなく、想像に値するものでもないだろう。

 かと言って、人に気を遣うことがあまり好きではない武則は、気を遣う以前のやりたい放題の子供を見ていると腹が立ってくるのだ。対象である子供に対してはもちろん、親に対しても同等の、いや、さらなる立腹で、恨みに思うほどにまでなっていた。

 そんな感情が最盛期の時は、

――子供なんかいなければいい――

 と思うようになり、自分の子供ですら、ほしくないと思っていた。

 自殺を考えた時、一人で死んでいくということに対して、あまり感情が移入していなかったことからも、寂しいという感情が欠落していたのは間違いないだろう。それは普段から、寂しいという感情がマヒしていると言ってもいい。自分のまわりに人がいれば寂しくはないだろうが、煩わしいこともいっぱいある。それが嫌だったと言ってもいい。

 そういう意味では、今の時代の社会問題は、その時の武則の心理状態を反映しているような気がした。

「人とは一緒にいるだけで安心する」

 という人もいたが、それが寂しさと深い関係にあることは周知のとおりである。

 学生時代によく友達と一緒に勉強していたのを思い出した。友達の家に行ったり、こちらの家に来たりして、実際には勉強と称して雑談したり、マンガを見たりだった、今のようにゲームでもあれば、それこそ勉強どころではなかっただろうが、それほど熱中するほどの娯楽があったわけではなかったのは、幸いだったのかも知れない。

 そんな時代が自分にあったなんて、思い出すこともほとんどなかった。思い出したとしても、それが自分のことであったのかが疑問に思うほど、遥かかなたの遠い昔の出来事であり、下手をすると他人事のようにしか思えなかっただろう。

 そんな武則も、静代と知り合って、自分がかなり丸くなっていることに気付いた。それは静代と知り合ったからなのか、それとも死を意識するところまで来てしまったことでの心境なのか、ハッキリとは分からなかった。しかし、その両方があったからこそ丸くなれたのは事実なのだろうし、探求する必要は、この際ないような気もしていた。

――それにしても、子供ができて喜ぶようになるまで、よくなれたものだな――

 と感じた。

 それは自分の中の余裕がそう感じさせるようで、思わず溜息混じりで感じたということを自覚していた。まだ実際に生まれたわけではないので、これが本当の気持ちなのかどうかは分からないが、

「子供が嫌いだったり、好きでもないと言っているやつに限って、子煩悩だったりするからな」

 と言われるのは事実のようなので、武則も自分がそうなのではないかと思うようになっていた。

 それは自己暗示に近いものであり、その自己暗示がいつまで続くのか、自分でも興味深いところであった。

 相変わらず、近所の公園での子供の声を聞くとウンザリきてしまう。だが、最近は妻の静代と一緒に公園に来ることで、安心感を得るようになった武則だった。

 結婚してからというもの、妻と一緒にいることが多くなった。付き合っていた時期が短かったこともあって、結婚という儀式があっただけで、まだ恋愛が続いているような気がしていた。だが、実際には静代の身体の中で一つの生命が確実に育まれているのであって、意識していない武則をよそに、意識していないつもりでも、いやが上にも身体の変調を気にしなければいけない静代がいた。

 つわりはさほどひどいものではなく、それが武則に妊娠というものがさほど意識させるものではないと思わせた。

「大丈夫かい?」

 と言って、手を差し伸べてあげるのも、別に妊婦だからだというわけではなく、奥さんに対して気を遣っているだけだった。

 近所の公園のベンチに座って公園内を見ていると、なぜか落ち着いた気分になれた。子供の頃は公園があまり好きではなかった。あまり表で遊ぶことが好きだったわけではないのに、友達が勝手に誘いに来る。親の方も、

「お友達が来てるわよ」

 と言って、武則を呼びにくるものだから、むげに断ることもできない。

 それをいいことに、武則は公園で遊んでいても、いつも目立たないようにしていた。鬼ごっこをすればいつもオニであり、ドッチボールをすれば、最初の標的はいつも武則だった。

 要は人数合わせであった。

 それを他の連中は、

「お前を誘ってやってるんだぞ。ありがたく思え」

 とばかりに上から目線だ。

 そういえば、そんな上から目線が嫌いだったはずの武則が、よく静代と結婚まで行き着いたものだ。付き合った期間もさほど長かったわけでもなく、結婚にまで至ったのは、寂しさと、一度は死のうと考えたことで、気持ちがある程度大きくなってしまっていたのが原因ではないだろうか。

 公園のベンチにいると、そんな少年時代の嫌な思い出がよみがえってくるはずなのに、落ち着いた気分になれるのは、一度死を覚悟したからだと考えるのが一番妥当なのかも知れない。

――死ぬことを覚悟したことを想えば、子供の頃の嫌な思い出なんか――

 と考えてみたが、実際に小学生の頃を思い出すと、悲惨だった思い出がまるで昨日のことのように思えた。

 そのくせ、時系列でいけば、自殺を考えた時の方がよほど近いのに、思い返すこととしては、小学生の頃の方が間近に感じる。

 それは、死を意識したことを意識の外に追いやりたいという思いからなのか、それとも小学生の頃のことを想い出したくないという一心が、記憶の扉を開かせる本能のような働きをしたのかのどちらかに思えた。

 公園で佇んでいると、隣にいる静代が安心感を与えてくれるのだが、気が付けば公園で遊んでいる子供たちも、それを見ている親たちも、さらには隣にいるはずの静代もいなくなっているという錯覚があった。

 真っ暗な公園に、スポットライトが当たり、そこに一つのベビーカーが置いてある、中からかすかに赤ん坊の泣き声が聞こえるが、それが自分の子供であるということを武則はすぐに悟った。

「武敏」

 と叫んで、ベビーカーを覗き込んだが、そこには子供はいなかった。

 ただ、泣き声だけが反響しているが、その反響はどこから起こったものなのか、まったく見当もつかなかった。

――あれ? 子供の名前なんてつけてもいないのに――

 としばらくしてから、いまさらのように気付いたが、その時の印象が深く残っていて、子供の名前を「武敏」にしようと、武則は考えていた。

 不思議なことであったが、あれは子供が公園デビューしてすぐくらいの頃、妻の静代が話すのには、

「あなたは、私が妊婦の時に、公園に付き合ってくれたことはなかったわね」

 と言われたことだった。

「えっ、何を言っているんだ?」

 と言おうとしたが、その言葉になぜか信憑性がないような気がして、武則は言葉をそのまま飲み込んだのだ。

 言われるまで、公園デビューのことを想い出すのはそんなに難しいことではなかったが、実際にそういわれると、本当に公園に付き合っていたのかどうか、自分でもすこし不安に感じてきた。

――あれだけ意識があったのに――

 人の言葉を鵜呑みにするところがあった武則であったが、それは一種の自己暗示に近かった。

 武則はそれを、自分の素直な性格が及ぼしたものだと考えていたが、それは都合よく考えた結果だったのかも知れない。

 素直な性格が自己暗示を生むというのは、少し突飛な発想なのかも知れない。なるほど、理屈としては合っているような気がするが、自己暗示というのは、恐怖心を元に生まれるものだと思っていた武則とすれば、素直な気持ちになるのも、どこか恐怖心によるところがあるのではないかと思うのも、無理のないことだと思った。

 武則は自己暗示に気付き始めたのは、実は妻の静代の存在が影響しているというのは皮肉なことだった。

 静代と再会した時、武則は静代のことをそれほど意識はしなかった。そもそも自分の好きなタイプとは違ったからだ。

 武則の好みのタイプは、ぽっちゃり系の女性で、身長もそれほど高くない。いわゆる品行方正なタイプが好きだった。

 しかし、実際の静代は名前の通り、静かな雰囲気で、スラリとした風体に身長もあるので、

「お姉さん」

 のような存在だと言ってもいい。

 ただ、妖艶な雰囲気があるわけではなく、才色兼備と言った方がいいのか、妖艶さがないとはいえ、

「大人の女性」

 を十分に意識させた。

 それは彼女の内面から醸し出される知性のようなものが、見え隠れしているところから感じたことだった。

 物静かな雰囲気はまわりの空気の重たくするという感じもした。しかし、重厚な空気でがあるが、決して息苦しくなるような濃厚さではない。重たさを感じるだけで、濃さを感じるわけではなかったからだ。

 その感覚が武則には思っていた以上にヒットしたようだ。静代はどちらかといえば、自分の考えに自信が持てない武則を、後ろから支え、押してくれるタイプだったというのが正直なところである。

 ほとんど余計なことを言わないが、静代の方から話をしてくれることは、武則にとって一番言葉がほしい時に、的確な言葉を浴びせてくれることであり、最初はそこまでありがたいとは思っていなかったが、次第にありがたさが分かってきて、その時には、自分のそばに彼女がいないことを創造することもできなくなってしまっていた。

 静代も武則と一緒にいることで、安心感を抱いているようだった。

 静代は、実は武則と再会するまでに、何人かの男性とお付き合いをしたことがあって、その都度うまくいかずに別れている。そのことは武則の知らないことであった。

 静代と付き合った男性というのは、そのほとんどが相手の方から静代威付き合ってほしいと言ってきた人たちばかりだ。武則のように自然に付き合うようになった人はいなかった。

 付き合い始めると、それなりに世間一般のお付き合いはできていたと思う。しかし、なぜか付き合っている男性は皆、それでは満足ができなくなるようだった。付き合う相手が皆そんな性格だったのか、それとも静代の性格がそうさせるのか分からなかったが、一律に男性が満足できなくなるようだった。

 だから交際期間はほとんど皆一緒だった。ほとんどは半年近くで、半年から前後一か月と言ったところであろうか。半年という期間が長いのか短いのか静代には分からなかったが、まわりの人がいうには、

「半年は短いんじゃない? しかも皆半年っていうのは、何かあるわよ」

 と言っていた。

「何かあるって、何が?」

 静代は別に言われたことに腹を立てたわけではないが、そういう表現をすると、

「そんなに怒ることはないじゃない」

 と言われる。

「そんなつもりじゃないけど」

 と、静かに反省を込めてそういうと、相手も恐縮して、

「あ、いや、そんな」

 と口ごもってしまって、それ以上のことを口にすることはなかった。

 気まずくなってしまったというべきか、これが静代の同性との会話だった。男性との会話もおぼつかないだけではなく、女性ともこれでは、なるほど静かな雰囲気を醸し出しているのも納得がいくわけだった。

 静代を好きになった男性の気持ちも分からなくはない。どこか影のある女性で、抱擁を感じさせる相手のように思うと、

「守ってあげたい」

 と相手に思わせ、男性ホルモンを刺激するのかも知れない。

 それは普段であっても、性的な興奮においても言えることではないだろうか。グッと抱きしめると、相手も抱き返してくる。それは自分を頼ってくれているからで、その思いをひたすらに感じることができる相手を求めるというのは、男としての性なのではないだろうか。

 だが、男性は気付くのだ。

「抱き返してはくるが、この女性に思った以上に性欲を感じない」

 と……。

 その理由を最初は分からないことが多い。だが、何度か身体を重ねていると、物足りなさの理由が肉体的なものであることに気付く。自分が求めているよりも痩せていることで、自分が求めていた癒しは、自分にもたれかかってくるような雰囲気を肉体が反応してくれると感じたが、やはり肉体が自分を満足させてくれない。

 かといって、男としての絶頂には至るものなのだが、自分の絶頂と彼女の絶頂には、微妙なずれがあるようだった。

 それは彼女の快感を貪っている感情が伝わっていないことからだった。声は漏れてくるのだが、声を漏らさないように我慢しているのに、どうしても漏らしてしまう声とは明らかに違う。少しでも違うと感じると、男は、

「義務感で感じているだけなのか?」

 という疑念を抱く。

 男によっては、自分のテクニックの甘さを感じたり、自分の気持ちが相手に伝わっていないという思いがこみ上げてくるのか、次第に彼女に対して冷めてくる自分を感じた。

 そうなると、気持ちが遡ってくるというもので、

「俺は最初からこの女を好きだったんだろうか?」

 と、最初の気持ちまでも疑ってしまう。

 それは、疑問を感じてからすぐに感じる人もいれば、次第にジワジワと感じるように思えてくる人もいる、それでも最後には、最初に好きだったのかどうかという疑念に行き着いてしまうと、その瞬間から、それまで付き合ってきた事実が消えていくのを感じるのだった。

 そうなると、もう相手は静代に未練はなくなってしまう。

「もう別れよう」

 何度その言葉を聞かされたことか、

「えっ、どういうことなの?」

 と最初はパニックになって、相手にすがる気持ちを表に出していたが、相手が最初からなかった気分になることで、いくらすがってみても、それは時すでに遅くという状態になってしまうのだった。

 だが、これは静代自身も気づいていないことであるが、もしもう少し彼女と長く付き合っていれば、静代の真の良さが分かって、結婚を意識するくらいにまでなっていたはずなのだ。

 我慢が足りなかったと言えばそれまでなのだが、きっと普通の男性であれば、彼女に対して我慢の限界を超えてしまうのだろう。別に彼女に何ら落ち度があるわけではない。表に我慢しなければいけない確固とした理由があるわけではないというのも、男性側が我慢できる時間が短い理由でもあった。

 もちろん、武則にも静代に対して疑問を感じる時期はあった。そもそも好きなタイプがまったく違ったのだから、そう感じるのも当然だろう。しかし、それが逆に幸いしたのかも知れない。

 まったく違ったタイプだったので、実際に身体を重ねた時、最初から期待はしているわけではなかった。いわゆる未知の世界であったというのは拭えないが、それが武則を有頂天にさせたのかも知れない。

――こんな女性もいるんだ――

 という思いを抱かせ、その思いが、それまで我慢できなかった男性にとっての結界を、武則が初めて破ったのかも知れない。

 武則は静代と結婚してよかったと思っている。静代は武則に逆らうことはない。そういう意味では少し物足りなさもあったが、一度死を覚悟した武則にはちょうどよかったのかも知れない。

 静代は武則と結婚して、よかったと思っていることだろう。今までの自分を呪った時期もあった静代は、

――私に結婚なんて無理なんだわ――

 と、マイナス思考全開を思わせるのだった。

 武則の中では、静代という女性は余計なことを言わないので、

――もし、静代が俺に何か助言や忠告をすることがあれば、それは真摯に受け止めなければいけないな――

 と思っていた。

 だから、口数が少ないことを気にすることはなかった。何かあれば、きっと口に出して言ってくれると思ったからだ。

 静代は武則のことで気になっていたのは、

「自己暗示に掛かりやすいこと」

 だった。

 その性格が子供の武敏に遺伝していないことを祈るだけだったが、まだ小さい頃の武敏にはそんな性格が見えていなかった。

 武則が自己暗示に掛かっている時、静代は何かを口にするわけではないが、なるべくそばにいようと思っていた。武則の自己暗示は、傍目から見ている分には、誰にも自己暗示に掛かっているということは分からない。ずっとそばにいる静代だから気付くことで、それだけ大したことではないと思えるのだが、それだけに解消させることも難しい。

 そのうちに、次第に大きくなってくる自己暗示もあった。武則本人は、他人と同じで、他人が気付かない間は自分が自己暗示に掛かっているのを意識はしないない。だが、静代を含めて、まわりに、

「何かがおかしい」

 と感じさせるようになると、武則の中で、

――これは自己暗示に掛かっているな――

 ということも分かってくる。

 それも、どんな自己暗示なのかも分かってきていて、それに対するとりあえずの対処法も理解はしていた。

 しかし、自己暗示を解くことはできない。自分が掛けている暗示なので、自分でしか解くことができないはずなのに、自分には解けないと思っているのだ。だから、究極、

――自己暗示を解くことはできない。だから、沈静化させるしかないんだ――

 と思うようになった。

 つまり、自己暗示とは共存していて、それをなるべく表に出さないようにするにはどうすればいいかということを考えるしかないのだ。

 普段のように自分で意識していない程度の自己暗示であれば、それはまったく問題ないのだが、意識しなければならない自己暗示であれば、解こうという無理な意識をしないようにしている。

 自己暗示は、必要以上に意識しない方がいいのだろう。それを教えてくれたのが、静代だった。

「いいのよ」

 この言葉が武則の胸を貫いたのだが、それをいつどこで聞いたのかも分からなかった。覚えているはずなのに、記憶が交錯してしまっているのか、正確な場面を意識させようと故意に紛らわせているのか、武則には分かっていなかった。

 ただ、何か考えることがあると、いつも最後に静代の言葉がこだまして、

「いいのよ」

 と言われたような気がして、一気に身体から力が抜けていくのを感じた、

「癒し」

 と言われればそれまでなのだろうが、耳元で囁かれたような気がする。

 耳元で囁かれることが男性ホルモンを刺激し、普段よりもさらに彼女のハスキーな声が響いてしまい、重低音がこれほど響くものだと思ってもいなかった。

「武則さんは、それでいいの」

 何がいいのかよく分からないが、自然体が一番だと言われているような気がして、それは武則にも思うところのある言葉なので、十分に癒しになる気がした。

 自己暗示というものを悪いと考えていた自分もいるが、実は自己暗示を自分の性格として悪くない部分を模索している自分もいる。それを武則は意識し始めていて、静代がいなければ、そんな思いもなかっただろう。

「静代と一緒にいると、何もかも忘れてしまうことがあるんだ」

 と武則がそういうと、

「あら、やだ。それって私が悪いということなの?」

 とおどけたように、少し大げさな態度を取った静代だが、こんな態度を取るということは、本当は思ってもいないことをリアクションしたという意味に捉えることもできる。

 そんな静代の気持ちを武則も分かっていて、

「悪いなんて言っていないさ。いてくれるだけでいいんだ」

 と、本当に静代が聞きたいセリフなのかどうかを模索しているように答えた。

 二人の会話には、どこまでが本心なのか分からないところがある。それが大人の会話を形成しているようで、武則は嬉しかった。静代にしても悪い気はしていない。お互いに本音を隠しているように思えるが、別に相手の腹を探っているわけでもない。なぜなら腹を探る必要もないほど、相手のことを分かっているとお互いに感じているからだった。

 武則は静代の包容力に、静代は武則の依頼心に傾倒していたと言ってもいい。

「静代に抱きしめられている感覚があるから、静代から甘えられると何でもしてあげたくなってくる」

 と武則は思っていた。

 主役はあくまでも自分であるが、主役の力を引き出してくれるのは、静代である。しかし引き出した力を与える相手はこれも静代であり、お互いに阿吽の呼吸でキャッチボールでもしているような感覚だった。

 ただ、この武則の思いが実は、自己暗示であった。

 自己暗示を掛けないようにしようと思うと、自己満足に走ってしまいそうになるのを感じた武則は、ジレンマになっていた。自己暗示を掛けるのもあまりいいことではないが、自己満足はもっと悪い気がしたからだ。

 だが、それが間違いだということに武則はいつしか気付くようになった。何が間違いなのかというと、

「自己満足が悪いことだ」

 と感じたことだった。

 自己満足というのは、自分が他人よりも余計に満足することであって、決して悪いことではない。自分が満足もしないのに、人に対して勧めたりすることはできないだろう。そう思うと、

「自己満足をしないようにするのではなく、自己満足もできないことを恥辱だと思わなければいけない」

 と感じるようになった。

 自己暗示に関しては、これも本当に悪いことなのかと感じるようになったのは、自己暗示であっても、それまでできなかったことができるようになるのであれば、それはそれでいいことではないだろうか。

「自分さえよければいい」

 という考えが、自己満足であったり、自己暗示に影響していると思うから、悪いことのように感じられるのであって、決してどちらも自分さえよければいいなどという考えに基づいているわけではないだろう。

 ちょっとした言葉の使いまわしで、勘違いがあったり、思い込みをしたりすることがある。

「それが人間だ」

 と言ってしまえばそれまでなのだが、人間であるがゆえに、一歩立ち止まって自分を見返すことができるともいえる。

 猪突猛進というのは、時として悪いことではないが、突っ走りすぎて、足元が見えなくなることへの警鐘でもあるだろう。自己暗示にしても自己満足にしても、行き過ぎを戒めるという意味で使われている言葉だと思えば、他人の言っていることも分からなくもない。

 しかし、それをまともに受け取ってしまうと、いいことと悪いことを混同してしまって、何をしなければいけないのかが見えなくなるだろう。それをしないようにするには、やはり自分というものをしっかり持っている必要がある。その意味でも自己満足も自己暗示も必要なのではないかと武則は感じていた。

 このことを静代にも話したことがあった。静代は黙って聞いていたが、最後に一言、

「あなたがそう思っているのなら、それが正解なのよ」

 と言ってくれた。

 きっと、このセリフは武則以外にも当てはまることであろう。しかし、一番言ってほしい言葉を一番言ってほしい人に言ってもらえる喜び、それを味わってしまうと、その言葉の重みは、今までに感じたことのない重さにあるに違いない。

「ありがとう、静代」

 と一言礼を言うと、静代は黙って頷いていた。

 それこそが阿吽の呼吸というものなのだろう。

 あれはいつのことだっただろう? まだ、子供が中学生になったくらいの頃であっただろうか。武則は交通事故に遭った。

 その日は、会社の資金繰りを銀行の営業と話し合うために、駅前の取引銀行に行っていた。なかなか資金繰りも難しい世の中であったが、これまでの会社の誠実な営業方針と、社長である武則の性格とが銀行の営業の人には好感が持たれていて、商談は結構うまく行っていた。

「荻島さんの経営方針を私は結構評価しているんですよ。上層部の人も、荻島さんの会社ならということで、こちらが決裁書を持って行っても、さほど渋い顔をされたことはあまりないですね。銀行の決裁書を通すのは結構難しいこともあるので、そういう意味では私も荻島さんの担当になれてよかったと思っています」

 ここまで言ってくれると、建前も入っていると思っても嬉しいものである。

「そう言っていただけるとこちらとしても感謝しかありません。今回のお話もうまくいくように努力をしますので、どうか、決済の方、よろしくお願いいたします」

 と言って、武則は深々と頭を下げた。

 商談というよりもその後の雑談も結構時間を割いてくれる営業の人だった。

 武則の話は、業界の裏まで知っているので、営業の人としては、自分の情報を増やすという意味でありがたかった。他にも商談でやってくる会社社長などもいるが、彼らとはここまでの話をしない。商談の時点で、銀行側が難色を示すことが多いので、商談が終わった段階では気まずくなってしまっていて、雑談をするという雰囲気にはならないのだ。

 相手社長も、

「ここでダメなら、一刻も早く他で商談を」

 と考えているのかも知れない。

 中にはしぶとく粘る人もいるようだが、一度難色を示すと、そこから先は話が堂々巡りを繰り返し、先に進むことはない。結界を見てしまうからである。そうなると、一緒にいるだけでぎこちなくなり、相手はいつ痺れを切らして、キレてしまうか分からない。それでも粘らなければいけないというほど、背に腹は代えられない人もいるが、そうなってくると、最初から雑談どころではないのだ。ダメなものをいくらゴリ押ししても、無駄であることは当の本人が一番分かっているくせに、どうしようもないのだろう。

 雑談の中で、

「最近は、中小企業の社長さんの中で、いろいろなご趣味を持たれている方が多いので、私も誘われることがあります。特に商店街を形成しているところでは、商店会というものがあって、そこでの会合からよくあるのが、ゴルフコンペというものですね」

 昭和の終わり頃というと、まだまだ駅前の商店街には人が集まってきていて、

「このアーケードを通り抜ける頃には、ほしいものは何でも揃う」

 と言われるくらいの時期があった。

 それだけに商店街も賑やかで、商店街独自のポイント制であったり、割引サービスなども催されていて、いろいろな企画が成功する例もたくさんあった時代だった。

 武則も銀行の近くにあるアーケードによく出かけていた。そこにある喫茶店の常連にもなっていて、時々そこでチキンライスを食べるのが好きだったのだ。最初はオムライスを食べていたが、横でチキンライスをおいしそうに食べている人を見かけて、その様子につられるように、

――次回は、チキンライスにしてみよう――

 と思い、次回はチキンライスを楽しみに食べてみると、これが存外においしかったことで、その店ではしh金ライスばかりを食べるようになった。

 店の人もよく覚えていて、

「今日もチキンライスですか?」

 と言われて、

「はい」

 と元気に答える姿を、まわりの客は他人事のように見ているが、何度も見ている光景だったに違いない。

 その喫茶店には、よく商店街の中にある店舗の社長さんがよく来ているようで、一人できては、モーニングサービスを食べながら、新聞を読んでいる光景を見かけたことがあった。

 朝この店に来るようになったのは、その頃ではすでに珍しくなりかけている昔ながらの喫茶店でのモーニングを楽しみにしていたからだ。チェーン店のカフェのように、でき喘のものを出すのではなく、注文があれば、そこから作るというモーニングに、憧れのようなものがあった。

 しかもその時間の常連客は自分と同じ個人商店の店長であったり、零細企業の社長さんであったりが多いのだ。

――ここは自分がいるべき空間――

 と思ったとしても、それは無理もないことではないだろうか。

 武則は、朝その喫茶店でモーニングを食べてから、昼過ぎにこの銀行にやってきた。商談は午後一時からにしたのは、モーニングを食べる時間を考慮したからで、店に本を持って行って読みながら朝食を摂っていれば、ちょうどいい塩梅の時間になるからだった。

 その日は、朝ちょっと会社に寄ってから、すぐに出かけた。会社には一時間もいただろうか。個人の予定を書き込む黒板の社長の欄に、

「銀行」

 と書かれていて、その横には、

「直帰」

 と書いてある。

 最初から、その日は会社には戻るつもりはなかった。

 それはいつもの行動で、銀行での商談が終わってから、また商店街にある例の喫茶店に寄る。一日に二回寄ることになるのだが、今度は昼下がりから夕方近くになるであろうか。銀行ではいつも武則との商談時間をたっぷりと取ってくれている。どうやら二時間近くは予定してくれていて、その後の商談を午後三時以降に入れるようにしてくれているようだった。

 商談は長引いたとしても一時間がいいところであろう。それ以降はほぼ雑談である。商談をしている時はそれなりの時間が経っていると思っていたが、いざ雑談に入ると、さっきの商談が、相当前のことのように感じられ、しかもアッという間に終わったという感覚になっていることが多い。それだけ商談と雑談では雰囲気も違っているし、商談よりもむしろ雑談の方が話の内容としては濃いものだという意識が二人にあるのかも知れない。

 雑談の方が濃いと思っているのは、二人ともがそれぞれに、

「話が濃い」

 と思っているからで、片方だけが濃いと思っていたとすれば、そこまでは感じなかったことだろう、

 話には以心伝心というものがあり、阿吽の呼吸がなければ、お互いに生き違ってしまい、話がぎこちなくなることで、

――早く話を切り上げたい――

 と感じるに違いない。

 そうなると、商談をしていた時間が懐かしくなり、それほど過去のことであったという意識やあっという間だったなどという意識を持つはずはないだろう。

 雑談の中で出てきたゴルフコンペの話は、武則も誘われたことがあった。例の喫茶店でのことで、

「荻島さんはゴルフなどはしないんですか?」

 と、商店街にあるブティックの店長さんに言われた。

 彼は若く見え、見た目は三十代くらいにしか見えないのに、実際には四十代後半だという。武則よりも少し年上であるが、見た目が若いので、どうしても年下にしか見ることができなかった。だから、話をしていて時々、

――失礼なことはないようにしないと――

 と思いながら話をしているが、彼の方が丁寧な言い回しをしてくるので、却って武則の方がため口になっていることが多い。

 それを相手は別に咎めることはない。普通にしているだけだった。

「僕はしないんですよ」

 というと、

「どうしてですか? 最近はゴルフの一つもできないと、経営者としては……」

 と言いかけたが、それ以上は言葉を飲んでしまった。

 彼に悪気はないのだが、どうしても、どこか押し付けがましいところがあるように見える。言葉尻だけを捉えるから押し付けがましく見えるのだが、本人は決してそんなつもりはないようだ。

「僕は、話があまり上手ではないので」

 と最初に話をした時にそう言っていたが、仲良くなってみるとそんなことは感じなかった。

 だが、時々感じる押し付けがましさを人によっては嫌に思う場合もあるのだろう。武則はまったくそんなことはないので、そんな風に感じる人の方がどうかしているとさえ思うくらいであった。

 武則はその日、雑談を終えて、例の喫茶店に向かった。時刻は午後三時過ぎ、いつもの時間だったと言ってもいい。駅前を通り過ぎて感じたのは、

――相変わらず学生が多いな――

 という思いであった。

 ちょうど、学校が終わって、部活に参加していない生徒が帰宅を急いでいる時間である。そういう意味では半分以上が一人で歩いていて、足早に歩き去っていくのが目についた。

 かと思えば、買い物に来ている主婦の足は遅かった。いろいろと物色しながらの買い物に、目は店頭に並べられた野菜や惣菜に奪われているようだった。

 これもいつもの光景であり、武則は駅前を通り過ぎると、アーケードのないもう一つの商店街が横断している道との十字路に差し掛かった。

 アーケードのない側の商店街というのは、最近店ができてきたところであり、洋菓子屋さんであったり、美容室、さらには銀行のような店舗が多く、商店街というよりも、少し上品な店が乱立しているところであった。

 人通りはもちろん、商店街を通る人の方が圧倒的に多いが、夕方になると上品な店が立ち並ぶあたりにも結構人が現れるようになる。

 商店街は昼から夕方にかけて、いわゆる

「歩行者天国」

 となるので、車の往来は禁止だった。

 それだけに上品な商店街から来る車は結構多く、その日も、人を掻き分けるように走っているのを見かけた。

 そのうちに、一台が少しスピードを上げてきた。何を急いでいるのか誰も分からずに、

――少し乱暴な運転だな――

 と感じている人も若干はいたようだが、ほとんど誰も気にしていなかった。

 そんな時、武則は何を思ったか、いや、何も考えていなかったからなのかも知れないが、フラフラと横断しようとしたようだ。

「危ない」

 という声がどこからともなく聞こえてきたが、武則はその声をまるで別世界の出来事のように聞いていたようだ。

「キキーッ」

 という歯が浮くような音がなったかと思うと、武則は自分が吹っ飛ばされたのを感じた。

 そして、気が付けば、病院のベッドで寝かされていた。身体を捻ろうとすると、節々が痛い。点滴をされているようで、身動きにはかなりの制限があった。

「社長、大丈夫ですか?」

 と、声を掛けてくれたのは、事務をしてくれている女性だった。

 彼女は、心配そうに覗き込んでいたが、それを見上げている武則がボーっとしているので、まだ意識が朦朧としていることを察したのだろう。

 彼女はすぐにナースコールを押して、看護師を読んだようだ。

「どうされました?」

 と看護師とともに医者もやってきた。

「社長が目を覚まされました」

 と事務員がいうと、

「それはよかった。じゃあ、少し診ますね」

 と言って、医者は聴診器を使ったり、瞼を指で開いたりして診ているようだった。

 それを心配そうに横目に見ていた事務員だったが、

「もう大丈夫ですね」

 という先生の言葉に、

「ふぅ」

 という安堵の息を吐いた。

「僕はどうして?」

 と聞くと、医者は、

「荻島さんは交通事故に遭われたんですよ。横から車が突っ込んでくる形で、少し吹っ飛ばされたようだったので、大丈夫かと思ったのですが、骨が折れているわけでも大きな怪我をしたわけではないんです。吹っ飛ばされたことが却ってよかったのかも知れませんね」

 と言っていた。

 その横で看護士が点滴の確認をしているが、

「今日はここで一日、念のために入院してください。明日もう一度検査して、問題なければそのまま退院されて構いませんので」

 と言われ、事務員は本当にホッとしていたが、当の本人である武則には、まだよく分かっていなかった。

「奥さんにも連絡を入れましたので、もうすぐ来られると思います」

 と事務員は言った。

 その言葉通り、それから十分もしないうちに妻の静代と息子の武敏がやってきた。武敏は中学生になっていて、少し大人っぽくなった感じを、妻と一緒に感じていたのだ。

「あなた、大丈夫?」

 と妻の静代が声を掛けてきた。

 その横で何も言わずに武敏が立っていたが、先に母親に声を掛けられたことで、自分から声を掛けることができなくなってしまっていた。

 その気持ちは同じ男である武則にも分かった。

――そういえば俺も、中学時代の思春期の頃には、自分が最初に声を掛けたんじゃなければ、何も言わなかったな――

 と感じた。

 それは今でも同じことだが、その状態に落ち着いたのは、中学生の頃の思春期からだったということは明白である。

「大丈夫だよ。ちょっとその時の意識がないので、自分ではよく分かっていないんだけど、先生の話では別に外傷はないということなので、問題なければ、明日にも退院だ」

 というと、静代は本当によかったという表情で武則を見つめた。

 静代はかつて武則が死を意識したことを知っていた。それだけに、

「一度死を意識した人というのは、死から逃げられない」

 という話を聞いたことがあったので、それが今回の事故で頭をもたげたらしい。

 もし、今回の事故で死ぬようなことがあれば、あの話はただの都市伝説ではなく、ハッキリとした信憑性のあるものとなってしまう。

 いや、何よりも現実的に夫に死なれてしまうと困るという思いが前面にあった。少なくとも事故の一報を聞いて病院で問題ないということを聞くまでは、頭の中でいろいろなことが駆け巡っていた。

――もし、このまま死んだらどうなるのだろう? 家族が路頭に迷ってしまう。自分ももっと働かなければいけないし、生活だけではなく、息子の高校進学にまで頭が巡ってきた――

 それよりも夫が経営している会社である。社長がいきなり死んでしまったら、会社が倒産などということになると、自分たち家族だけの問題ではなくなってしまう。静代は短い間に結構いろいろなことが頭を巡っていた。そのために、一つ一つを整理することができず、混乱のまま病院に到着した。阿多阿野中はパニックで、結局は無事であることを最初に確認することだけしか考えていなかったと言ってもいいだろう。

 静代の狼狽ぶりは息子の武敏には意外だった。いざという時には家族の中で一番冷静なのだと思っていた母親が、ただの事故だけでここまで狼狽するなど思ってもみなかったからである。

「お母さん」

 思いつめたような顔をしている母親に何を言っても通用しないと思いながらも、聞いてみた武敏だったが、予想通り、返事はなかった。

 母親の指先は震えていて、唇も紫色に変色しているようだった。母親のどこが一番以上だったのかというと、唇の色だったように思えてならなかった。

 安心した静代だったが、まだ何も分かっていなかった時、自分がパニックになっていたことは分かっていた。何を考えていたのかということも理解しているつもりだったが、パニックになっていたという意識は消えていた。

「お母さん、本当にどうかしたんじゃないかって思うほど、パニックになっていたよ」

 と、安心している母親の横から武則に言った武敏だったが、その時に母親がどんなリアクションを示すか、それが気になっていた。

 予想に反して、母親は別に何らリアクションを示さなかった。

「な~あんだ」

 と心の中で呟いたが、どうもリアクションがないということは、母親がパニクっていた時に何を考えていたのか、落ち着いてからも思い出せるのではないかと思った。

 そして、パニクったことも覚えているだろうと思ったことで、実際の母親の状況に対して、

「当たらずとも遠からじ」

 だったと言えるのではないだろうか。

 ただ、静代の様子を見て。パニックっていたことを自分では意識していないということを理解していたのは武則であり、彼は自分が静代に感じていることのほとんどが当たっているという意識がないまま、本当に理解していたのである。

 当の静代は、自分よりも自分のことを理解してくれているのが夫の武則であるということを分かっているので、武則に対しては、

「逆らえない」

 と思っていた。

「ヘビに睨まれたカエル」

 のような恐怖心からではなく、彼女の性格ともいうべき従順さが、夫を見つめる態度の中にあったのだ。

 奥さんは武則の様子を見て、安心したようにいろいろ話をしていたが、どうやら武則には交通事故に遭ったという意識が自分ではないようだった。

「気がついたら、ここにいたんだ」

 としか言いようがなかった。

 当たったという意識はあったが、それをいまさら妻や子供に話しても仕方がない。

 ただ、意識を取り戻してから警察が事情聴取に来た。医者が許可したようである、事情聴取と言っても被害者なので、その時の様子を形式的に聞きたかったようで、きっと加害者の証言との辻褄を合わせていただけだろう。

 だが、本人がほとんど覚えていないということで、話をした時間は短かった。しかも、その短い時間で、武則に微妙な変化が訪れたのを掲示が察して、医者に相談したところ、

「今日はこのあたりにしていただけませんか?」

 と言われたので、すごすごと引き下がったというわけだ。

 話としては、それ以上粘ったとしても、得られる情報はないことが分かっていただけに、刑事もそのまま引き下がった。とりあえず元気になったことだけでもよかったと思っていた。

 当の武則の方は、

「大丈夫です」

 と医者に告げると、

「そうですか、きっと疲れがたまっているのでしょう。刑事さんには、またの機会にしてほしいと言っておきました」

「ありがとうございます」

 医者も武則も、その時は別に何もないということを信じて疑わなかった。

 医者というのは外科の医者であり、外科診断としては、問題なかった。ただ、頭を打っている可能性も否定できなかったので、レントゲンやCT、脳波の検査も行った。すぐに結果の出る部分だけでは、何ら問題はないということだった。

 脳神経かの先生に聞くと、

「まあ、今見た限りでは問題ないでしょう。精密な結果は後日になりますが」

 ということだった。

 一安心という感じで、二人は安心していたが、奥さんにもその話をすると、やはり安心して、一緒に連れてきた子供に、

「お父さん、大丈夫だって」

 というと、

「そうなんだ」

 という冷めたセリフが返ってきた。

――なんて冷たいんだ――

 と思われがちだが、思春期の中学生であれば、別に不思議のない態度に思えて、医者も顔色を変えることまではしなかった。

「じゃあ、明日は何か必要なものを揃えてきましょうね」

 と奥さんは言った。

 確かに取るものも取らずにとりあえずにやってきたという感じだったが、それだけ心配だったということを示しているのだろう。

 二人は、武則が大丈夫なことを確信して帰宅していった。何か必要なものを本人から聞いてメモっていたようだが、その顔は真剣に聞いていたのが印象的だった。

 奥さんと子供が帰ったのは、夕方誓うであっただろうか、帰ってからすぐに病院では夕飯の時間となった。普通に生活していれば、こんな時間に食べることはないというほどの早い時間だったが、武則にはそれほど早い時間という気がしていなかった。

 ケガをしているだけで、内臓などが悪いわけではないので、病院食は物足りないものだった。今まで病院に入院などしたことがない武則だったが、病院食の寂しさは人に聞いて知っていた。それでもさすがに目の当たりにすると、

――これじゃあ、足りないよな――

 と思ったが、さすがに口にすることはしなかった。

 ただ、表情には出ていたようで、それも仕方のないこと。気持ちを封印することなどできるはずもないし、する必要もないと思った。まわりの人を見ても、無言でさらには無表情で食べている。きっとこの人たちも最初は同じ思いだったのだろうと思い、そのうちに自分も彼らのように、何も考えずにただ食べるだけになってしまうのではないかと思うと、少し寂しい気がした。

 急いで食べることをせず、ゆっくりと時間を掛けて食べた。正直、おいしいと思えるものではないが、時間をかけることで少しでも腹に溜まればいいという意識だった。それは強く持った意識というよりも本能に近い意識だったように思う。

 他の人はすでに食べ終わっている。そしてそのうちの半分の人は、そのまま眠ってしまったようだ。それを見ながら食べていると、自分まで眠くなってくるのを感じた。

 武則はまわりが眠くなっている状況を見なくても、食事が終われば、自分も軽く眠ろうと思っていたようだ。その意識があるからか、まわりが眠ってしまったことを余計に意識するようになり、自分も食事を終えると、そのまま目を瞑って眠りに入っていくのを感じていた。

 普通、眠りに入ったからといって、眠ってしまうまで意識できているということはない。目が覚めて初めて、

――俺は眠ってしまったんだ――

 と感じるだろう。

 ただ、本当に寝ようと思っていて眠ったわけではない時に感じることで、今回のように最初から寝ようと思っていた時に感じることではないと思った。

 しかし、実際に目が覚めた時最初に感じたのは、

――眠ってしまったのか?

 ということだった。

 そして、病院のベッドで目を覚ましたということに違和感はあったが、すぐに前後の事情を思い出し理解はできたのだが、目が覚めたその時がいつなのか、すぐには理解できない自分がいた。

――一体、今は何時なんだ?

 と思い、まわりを見てみると、ライトは非常灯以外はすべて消えていて、他の人のベッドにはカーテンが掛けられていて、眠っているところを見ることはできなかった。

――ということは、病院の消灯時間を過ぎるまで眠っていたんだ――

 と感じた。

 本人とすれば、目が覚めた時にすぐに病院にいるということを理解できたことで、眠りは浅かったと思い、実際に眠ってから、長くて一時間くらいの睡眠だった気がしたのに、すでに消灯時間を過ぎているなど、思ってもみなかった。

 病院の夕食は五時前くらいに配膳された。そこからゆっくり食べたとしても、六時前には終わっていて、そのまま眠りに就いたはずだったので、消灯時間が午後九時だとしても、ガッツリと三時間近くは眠っていたことになる。

 武則は少し頭痛を伴っていた。これはよくあることで、眠りが浅い時に起こる現象であった。もっと眠っていたいと思っているところにふいに目を覚ましてしまったことで、そのまま眠れなくなると、身体が何かの拒否反応を起こすのだろう。そのせいで頭痛が襲ってくることがあったが、今まさにその状況なのだ。

 この頭痛は普段の頭痛とは違い、鼻から来るものだった。鼻の通りと微妙に関係しているようで、そのため、この頭痛は、

「眠り切れなかった時に襲ってくる頭痛」

 として、他の頭痛とは違った種類であることは明白だった。

 ただ、この頭痛は毎回のことではない。同じような状況になっても、頭痛が襲ってこないこともある。しかし、この頭痛が襲ってきた時は、間違いなく眠りが中途半端だった時だということは分かっているので、武則は中途半端だった眠りを、睡眠時間が短かったからだということで解決させたかった。

 しかし、実際には三時間以上の睡眠だった。これが何を意味しているのか分からなかったが、

―――ここは病院、いつも寝ている自分の部屋と環境が違うということが、そんな気持ちにさせたんだろうな――

 という考えで自分を納得させていた。

 病院の中で目を覚ますと、さっきまで明るいと思っていた非常灯もだんだんと暗く感じられるようになっていた。本当なら目が慣れてくるから、逆に明るく感じられるのではないかと思ったが、それ以上に静寂の中なので、自分の気持ちが暗さを誘発してしまったのではないかという、心理的なものが影響しているだけかと思っていたが、どうやら目の状態も少しおかしいようである。

 いわゆる、

「飛蚊症」

 と呼ばれるもので、目の前を蚊が飛んでいるかのように見えるもので、その時の武則の目には、

「まるでクモの巣が張ったかのような景色」

 に見えた。

 それは毛細血管ともいえるようなもので、クモの巣にしても毛細血管にしても、どちらにしてもあまり気持ちのいいものではない。そして、このクモの巣を感じた瞬間、自分の視界が薄れてくるのを感じた。

 最初は白い膜が張っているかのように見えたのだが、そのうちに白い膜が消えて、どんどん明かりが失せてくるような感覚だ。

――このまま、また眠りに就いてしまうのかな?

 とも思ったが、どうやら少し違うようだ。

 暗さを感じてから、クモの巣を確認できなくなるほどの暗さになるまでにどれほどの時間が掛かったのだろう。本人はあっという間だったような気がしているが、それは他に何も考えることができなかったからだ。

 絶えず何かを考えている武則にしては珍しいことだった。何も考えていないというのを意識できたということ自体がおかしな気がするのだ。

 さすがに起きたばかりでこの状態からまた眠りに就くことはなかった。一度目が覚めてもまた眠りに就くという時は、眠っていた時の状態でそのまま頭の中で意識が現実に戻っていない時に限って最後眠りに就くことができる。つまりは、完全に目が覚めてから途中で起きたということを想い出すことはできても、その時の感覚を思い出すことは無理だったのだ。

 武則は、身体を少し捻ろうと思って、横を向いたその時、

「痛いっ」

 と、思わず声が出てしまった。

 傷が痛いわけではなく、何か筋肉痛のようなものを感じた。そして次の瞬間、額から汗が流れ落ちるのを感じた。

――ヤバい――

 何がヤバいのかというと、武則には足が攣りそうになった時にその直前に予兆を感じることがあった。

 その予兆が今まさに訪れたのである。

 足を抱えようとも思ったが、身体を動かすことで余計に無理な態勢になってしまい、無理な態勢のまま足が攣る状態を迎えるのが怖かった。

 足が攣ってしまうと、身体全体が硬直してしまって、身体のどこも動かすことができなくなってしまう。呼吸すらまともにできなくなり、数秒後に収まるのを待つしかなかったのだ。

 そんな状態だけは避けようと努力したが、結局身体を動かさないことが一番だと判断した武則は、そのままの状態で、足が攣るという状態を迎えた。

「うっ……」

 声になって出そうなのを必死にこらえた。

 足が攣った時に一番気を付けなければいけないこと、それは、

「まわりの人に知られること」

 だったのだ。

 武則は必死になって声を出すのを堪えた。数秒もすれば治るのは分かっているのだが、それまでの数秒が結構長く感じられることもあった。

――これほど時間の感覚が違っているのも、足が攣った時くらいのものだ――

 と思っていた。

 ただ、それは痛いと思っている自分が感じているだけなので、痛いと感じているその時間が本当にいつも同じなのかどうか、検証のしようもない。他の人に知られることを極端に怖がっているから仕方のないことなのだが、それだけに疑問もどんどん膨らんでくる。抱かなければまったく考えることもないはずのことをいったん考えてしまうと、気になって仕方がないというのは、人間の性だと言ってもいいだろう。

 だが、武則はこの時間を一定なものだと思って疑う気がしていないのも事実だ。一定のものだと思うからこそ、そこからいろいろな発想が浮かぶというもので、最初の土台が不安定であれば、考えに基づく建物を建てることなどできないと思っている。

 武則にとってその時間を証明することができない限り、一度考えてしまうと、無限ループに入り込む。だから無意識に考えないようにしようと思うのだろう。

 足が攣ってしまうと、完全に足が熱を持ってしまって、足の感覚がなくなってしまう。それはまるで血液が沸騰して毛穴から赤い煙が出てくるのではないかと思うほどのもので、もちろん、そこまでの妄想はしたことがないが、

「文章にするのは簡単だが、絵にするのは難しい」

 という、本来とは正反対の状態を思わせた。

 痛みも次第に治まってくると、足の痛さも惰性になってくる。曲げると痛いが、少しでも筋肉を動かすことが却って早く楽になれることが分かっているので、歩くことを心がければいいのだろう。

 ちょうどトイレにお行きたくなったので、身体を起こして、点滴を針を刺したまま、点滴スタンドを引いて、トイレに向かうことにした。

 ベッドから腰を上げようとした瞬間、足に激痛が走ったが、さっき攣った足の部分とは違っていたので、逆に、

――気のせい――

 だと思った。

 一瞬にして、その激痛が消え、次の瞬間には痛みがあったことすらウソのように感じられたからだった。

 足が攣った痕というのは、筋肉痛に似ている。触ってみると、完全に硬直していて、

「これが本当に自分の足なのか?」

 と感じる。

 痛みを堪えている時というのは、まず何を考えるかというと、

「誰にも知られたくない」

 と思う。

 まわりが、心配そうに覗き込んできたりなどすれば、却って痛みが増幅してくる気がするからだ。

「どうせなら、放っておいてほしい」

 という思いを抑え、まわりに誰もいなくても、必死にあって声を抑えようとする自分がいるのに気付くのだ。

 痛みは一定の時間だけ我慢していれば済む。余計な心配をまわりに掛けたくないという思いと、余計な心配をされると、却って自分が辛いという思いが交錯するのだった。

 足が攣った時というのは、少々痛くても歩き回った方がいい。要するに足が硬直しているのは、筋肉がこわっているからで、筋肉を揉み解すようなことをすればいい。それには少々痛くとも歩く方がいい。そのことを分かっているので、我慢して歩いてみることにした。

 すでに、目は覚めていた。足が攣る瞬間というのは、前もって分かるもので、寝ている時にでもその時が来たことが分かる。実際に足が攣るケースのほとんどは眠っている時が多く、夢を見ていたとしても、見ていなかったとしても、足が攣る瞬間には、我に返ってしまうのである。

――ヤバい、来る――

 と感じると足の患部よりも、まず身体全体が固まってしまう。そして固まった身体が、足のどの部分が患部となるか、教えてくれるのだ。

「いたたた」

 声に出せない声を発する。

 額からは汗が滲んでくるような気がして呼吸困難に陥るのが分かる。必死に身体を曲げて、痛い部分をさすろうと思うのだが、身体が思うように動いてくれない。もっとも、幹部が分かっているので、そこを捻ったりすると楽になるのは分かっているのだが、その際に伴う痛みも一緒に分かっているので、どうしても、足を触るのを身体が拒否してしまっている。

 人に知られたくないという意識も同じところから来ているようだった。眠っていたにも関わらず、カット見開いた目は、虚空を見つめている。これから何が起こるか分かっているくせにその痛みに耐えるには、自分一人で耐えなければいけないと、最初に感じるのだった。

 武則は、足の痛みだけが身体を貫いているように思った。しかし考えてみれば、大したことはなかったとはいえ、交通事故に遭って入院しているのである。それを忘れさせるくらいの足の痛みを感じたということなのだろうが、痛みを他で緩和できるくらいであれば、本当にこの交通事故は大したことがなかったのだと、自覚もできた。

「交通事故なんて、今までに見たことがあったかな?」

 とふと思い出そうとすると、子供の頃、高速道路の入り口付近で、車同士の正面衝突を見た記憶があった。人通りも交通量も多いところだったので、あっという間に人だかりができて、いろいろなところから会話らしい声が聞こえてきて。ザワザワした雰囲気がまわりを包んでいたのだ。

 鮮血が飛び散っているのが見えた。だが、記憶の中に人が垂れているなどの惨状が残っているわけではなかったので、記憶が曖昧だったのは、それほど鮮烈でイメージに残るようなものを見たという記憶がなかったからであろう。

 それよりもイメージに残っているのは、警察や救急車のパトランプであった。鮮血というよりも、パトランプの赤さの方がイメージに残っているのは、救急車やパトカーのサイレンを聞くと、赤い色が思い出され、それがパトランプによるものであるという意識があるからに違いない。

 だから、救急病院は本当は嫌いだった。今でこそ臭いはさほどではないが、子供の頃などは、病院の扉を開けた瞬間に臭ってきたあの薬品の臭いが、血の臭いに交じって、鮮烈な感覚を思い出させるのだった。

「交通事故なんて見るもんじゃない」

 と言っている人がいたが、まさしくその通りだろう。

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