自殺と症候群
森本 晃次
第1話 自殺症候群
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。ご了承願います。また歴史認識や自殺論議などに関しまして、主観が入っている部分はあくまでも作者個人の主観ですので、これもご了承願います。さらに死に対してもかなりの偏見が混ざっているかも知れません。あくまでも私見ですので、ご容赦ください。
時代は、昭和四十年代終盤に遡る。同時の世の中は戦後の布教を乗り越えて、その後に訪れた空前の好景気によって、戦後復興を見事に果たすことができた。もちろん、東西冷戦などという暗い時代がその背景にあったのは間違いないが、日本という国は、その間隙をぬうようにして、うまく立ち回ったというよりも、超大国の思惑があってのことだが、奇跡とも言える好景気を迎えることができた。
オリンピック招致という好タイミングにも恵まれ、インフラ整備や需要の拡大、さらには日本人独特の発想から、加工という分野でその実力をいかんなく発揮し、輸出という一番利益となる部分で、高収益を挙げた。それが空前ともいえる日本の復興に役立ったのだが、やはり根本には、
「日本人としての気質:
が大いに実力を発揮したに違いない。
元々日本人というのは、開発という部分で昔から長けていた。戦前の日本も決して世界に劣ることのない開発力をいかんなく発揮し、日清戦争から大東亜戦争敗戦までの約五十年というのは、日本紛れもなくアジアの派遣を握った時代と言っても過言ではないだろう。
特に明治時代の日本というのは、諸外国に対して謙虚で、国際法も忠実に順守していた。厳格な軍紀も順守された統制された軍隊だった。すべては、
「欧米列強に追いつき、追い越すため」
と言ってもいいだろう。
強大なアジアの大国、清国に挑み、さらには無謀ともいえるロシアとの戦争。一括りで言うには無理のあるこの二つの戦争は、元々の主旨も違っていた。
当時、清国の冊封国として、まるで属国のような支配を受けていた朝鮮を、日本は開国させた。ただ冊封というのは、属国としてはまだ緩いものであった。いわゆる植民地のような直接支配ではなく、朝貢制度やその見返りとして他の国から責められた時に、軍を送り助けるなどと言った、一種の封建制度のようなものだった。冊封された国に主権はあり、立派な独立国であるため、一種の鎖国のような形をとっていたので、開国させられた朝鮮としても、開国に対しては国内では賛否両論があった。
それは日本が開国した時と事情は似ている。
「攘夷」
という言葉の元、外国人の介入を嫌う一団があり、しかし、黒船による、
「艦砲外交」
と言われる一種の脅迫にも似た開国には、日本側にも大いなる激論が巻き起こり、各地で反乱や、幕府内での騒乱が巻き起こっていた。
日本はそんな時代を何とか乗り切った。開国派したが、植民地になることはなかった。これも一種の奇跡と言ってもいいだろう。
もちろん、これには、
「地の利」
というものが存在した。
諸外国とすれば、その後のアジアでの自分たちの権益を考えると、日本を植民地にするよりも、通商条約などを結ぶことで日本との関係を無ず部方が得策だと考えたのだろう。
ただ、老司裁判権や関税の問題など、あくまでも不平等な条約で、日本が諸外国の意志にそぐわないと判断されれば、どうなっていたことか、それを思うと恐ろしい気もする。
ただ、日本、いわゆる明治政府も努力はしている。鹿鳴館などを建設し、諸外国に日本がいかに発達を考えているかをアピールしたり、
「富国強兵」
と言われる、同時に推進することは一種の矛盾とも思えることを実際に行い、ある程度の成果を見たことは、これひとえに明治政府の努力の賜物と言えるのではないだろうか。
そんな時代に、鎖国から開国へと導いた朝鮮を巡って、挑戦国内の内情に付け込んで、日本軍が関与したクーデターが発生し、失敗には終わったが、そのために影響力を強化してきた清国に対し、朝鮮開国派がさらにクーデターを起こした。またしても失敗であったが、これにより、さらに日本の影響力は微妙となってきた。
「朝鮮の独立が守られないと、南下政策を取って朝鮮を虎視眈々と狙っているロシアが勢力を増してくる前に、清国を破る」
という目的から発生したのが日清戦争だった。
日清戦争は、
「眠れる獅子」
と言われたアジア最強国の呼び声が高い国であるだけに、最近やっと出てきたような小国「日本」には荷の重い相手だった。
それでも、それまでに欧米列強に半植民地と化した清国は軍備整備もままならなず、さらに西大后の浪費癖により、さらに軍備に困窮していた清国軍の軍備は老朽化したものだった。
富国強兵政策によって最新鋭の軍備を誇り、士気も旺盛な日本軍にとって、当時の清国軍は敵ではなかった。清国は無情にも敗れ去り、下関条約にて、莫大な賠償金と、遼東半島、台湾の割譲などの講和条約を結ぶことで、日本の勝利となった。
ただ、その際に遼東半島の返還を求める、ロシア、フランス、ドイツといういわゆる「三国干渉」により、日本は賠償金の増額と引き換えに、泣く泣く遼東半島を返却することになる。
さすがに当時の日本の国力ではロシア、フランス。ドイツの三国を相手に戦争するにはあまりにも無謀だったからだ。
ロシアのように遼東半島に国境が近い国は当然の主張であろうが、何も関係のないフランスドイツがこの話にどうして乗ったのかというと、日本に遼東半島を返却させることで清国にさらなる賠償金を課して、それに乗じ、貸し付けを行い、その条件として、さらなる租借地を得たり、開港地域を増やしたりという利益を得ようという思惑があったと考えられる。
日清戦争の効果で、朝鮮は独立国として世界に証明されることになったが、問題はロシアの南下政策にあった。
すでに清国は虫の息となっていて、滅亡が秒読み態勢だった。そのこともあって、日本の仮想敵国は完全にロシアとなったのである。
ロシアは清国と通じ、密約を結んだりして、日本をけん制する。日本もロシアの脅威をいかに解消させるかということで、国内は真っ二つに割れていた。
ロシアと親しくすることで、戦争を回避しようとする派。あるいは、他の国と同盟を結ぶことでロシアの脅威をけん制しようとする派。それぞれが存在した。
他の国ということで候補に挙がったのは、イギリスだった。イギリスはクリミア半島におけるロシアの南下政策を阻止することができたので、ロシアが今度目をつけたのは、極東であった。シベリアから満州、モンゴルを巡る極東がロシアの南下背策の目玉となった。満州の次に見えるのは、朝鮮半島である。またしても、朝鮮半島が日本の防衛線として浮上してきたのである。
そんな極東での不安定な治安を他国も気にして見ていたことだろう。さらにいくら清国を破ったとはいえ、しょせん滅亡寸戦の国だっただけに、列強も日本のことを、
「アジアの小国」
としてしか見ていなかったに違いない。
そんな日本がアジア以外のしかも大国であるロシアと戦っても勝ち目のないことくらいは誰の目にも明らかだったはずだ。
だが、日本はロシアの南下政策という意味で共通の利害関係を持つイギリスと条約を結ぶことができた。これまでどこの国とも条約を結ぶことのなかったイギリス、
「光栄ある孤立」
と言われ、世界のどの国とも同盟を結ばなかったイギリスを同盟の席に引きずり出したのは日本の外交の中でも最高と言える成果ではないだろうか。
そのおかげで、ロシアが清国内で行動を制限され、さらに極東に向かう船舶も、イギリスの植民地を通る関係で、なかなかうまく航行できないという弊害も生まれた。
満州や朝鮮半島でロシア陸軍が苦戦している間、バルチック簡単が大西洋からインド洋を経て日本を目指した時も、日英同盟がいかに有効に作用したのかは、日本海海戦の結果を見れば一目瞭然と言えるだろう。
しかし、しょせん小国が大国に立ち向かうにはかなりの無理を生じさせることになる。日本が各地で勝利したというのも、多大なる犠牲の元であった。しかも、
「こうしなければ勝ち目はなかった」
と言われる唯一の道を、踏み外すことなく乗り越えてきたという、勝利と言ってもそこにあるのは、
「薄氷を踏む勝利」
だったのだ。
日本はそれでも大国のロシアに勝利した。賠償金がもらえなかったため、国民が怒り、日比谷公会堂焼き討ちなどの暴挙にも出たが、これは日本ができる最善の勝利に他ならなかったのである。
ロシアが本国の革命という足元に火が付いたことで、戦争継続が困難になったのも日本に追い風が吹いたと言ってもいいだろう。
しょせんは、モスクワまで乗り込んで相手の首都を占領するというようなものではなく、相手の侵略を阻止できればそれで十分な戦いだったのだ。
ただ、あまりにも大きな代償だったため、国民が戦利品に望むものが小さなものではなかったというのが真相であろう。
のちに起こったシナ事変や大東亜戦争などで、日本軍の軍紀は乱れ、虐殺や謀殺が問題になったが、それも時代が帝国主義であり、世界各国で戦争が起こっていたという背景を考えれば、日本だけの問題ではない。かつてのソ連軍、ナチスドイツ軍のように、日本軍を上回る暴挙を演じた軍もある。
歴史の表舞台に出てはきていないが、中華民国の反日運動というのも激しいもので、彼らによる日本人に対しての虐殺行為も、決して見逃せるものではないだろう。
要するに戦勝国による、
「勝てば官軍」
意識なのだ。
ドイツで行われた「ニュルンベルク裁判」、東京で行われた「教頭国際軍事裁判」などは明らかに、
「戦勝国による裁判」
であり、どこに正義があるのか、今でも問題となっていたりする。
世界は二つの世界大戦を経験し、同盟国による平和、さらに植民地支配における帝国主義の葛藤などが原因となり起こったもので、最初の大戦の反省どころか、敗戦国に課した多大な賠償金が敗戦国に大きくのしかかり、それが世界恐慌と相まみえて、ファシズムの台頭を経て、民族主義を旗印にしたファシスト政権が、世界の列強と対峙したのが、第二次世界大戦だと言ってもいいだろう。
ファシズムが破れ、世界はアメリカ中心の資本主義陣営と、ソ連中心の共産主義陣営に分かれて世界は、核兵器の元、一触即発の危機を迎えた。
そのせいもあってか、日本は地理的な意味も含めて、敗戦国でありがなら、アメリカの軍事力の傘に掛かって、平和を推し進めてきたのだ。
それは悪いことではなかっただろう。そのおかげで、朝鮮戦争の煽りのおかげで軍需景気に沸き、景気を取り戻すことができた。本当の平和と言ってもいいのかどうかは難しいところであるが、戦後復興どころか、経済大国として、世界にその名を連ねるまでになっていったのだった。
それが昭和三十年代だったのである。
昭和三十九年には東京オリンピックも開催され、そのおかげで新幹線を中心として、高速道路の整備などと言ったインフラも発展してきた。
科学技術の発展も目覚ましく、テレビ、電気洗濯機、冷蔵庫などのいわゆる、
「三種の神器」
と呼ばれるものも発展していったのである。
ただ、その後日本は、オリンピック景気の反動から、不況に陥った。だが、それも日本人の加工能力が幸いして、持ち直してきたという経緯があった。
ただ、見えてこなかった問題も水面下で静かに進行していたようだ。
例えば、公害問題。
昭和四十年代後半から五十年代にかけて、全国でいろいろな公害問題が発生した。
「水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく」
などがそれである。
中には人災もあったであろうが、国がどこまで責任を持つかが問題だった。
ただ、この頃になると、科学の発展だけで手放しに喜べない時代に入ってきたのは周知のとおりに違いない。
またそれに追い打ちをかけるように、世界では中東で戦争が頻発し、その影響で、
「トイレットペーパーが売り場からなくなる」
という話が流れ、それに呼応した消費者が、われ先にとトイレットペーパーを買い占めるという状況になった。
実際にデマだったのかどうかは別にして、買い占めが起こると普通であれば問題なく流通しているものが品薄になり、価格を高騰させてしまうという問題が起こる。
これはいわゆる、
「負の連鎖」
と呼ばれるもので、三段論法の類だと言ってもいいだろう。
「世の中は一つの線に沿って時系列に動いているようで、実は定期的に同じような時代を繰り返しているのではないか」
という人がいたが、まさしくその通りに違いない。
これから話すお話の前半は、この昭和四十年代が背景となっている。この時代を知っている人はほとんどが老人と言ってもいい世代になってきている。だが確かに存在したのは事実であり、それは明治維新から敗戦までの時代にも言えることだ。いわゆるこの時代とて、
「激動の時代」
である。
昭和四十年代、それは昭和復興が終わり、オリンピックも終了し、その反動で起こった不況、さらに公害問題などで社会が混迷を呈した時代だった。
この時代には自殺が流行した。特に中小企業の経営者などのように、景気悪化をもろに食らった人、会社が倒産し、家族を含めて路頭に迷う人。結構いたかも知れない。今のようにアルバイトや派遣社員のような非正規雇用などという発想のほとんどなかった時代、家の大黒柱が失業すれば、そのまま収入が途絶えてしまうところも多かったことだろう。
そんな時代、実際に自殺者が急増したことが社会問題となっていた。
ビルから飛び降りる人、列車に飛び込む人、睡眠薬やガスを使う人。さまざまだったことだろう。
そんな中に荻島武則という青年がいた。彼は高校を卒業して近くの工場で働いていたが、折からの不況で、会社が倒産した。社長は家族を残して自殺。当時としては、
「よくある話の一つ」
だったのだ。
当然、退職金が出るわけでもなく、いきなり路頭に迷うことになった。彼は当時二十歳代前半で、やっと工場の機械を一人前に操作できるようになり、入ってきた後輩に指導係としての役目を負わされるくらいにまで成長していた。いわゆる、
「これからの前途有望な青年」
だったわけである。
幸いなことに、彼の家庭はさほど貧乏ではなく、父親の仕事は金融業で安定していたため、差し当たって生活に困ることはなかった。まわりはその日をいかにクラスかで困窮していたのに、それを後目に彼はゆっくりと再就職を考えればよかったのだ。
世の中はどれほど不公平にできているのか、その日一日をいかに乗り切るかと生活に困窮していた連中よりも武則の方が先に職が決まった。
武則は知らなかったが、どうやら金融業に勤務している父親が取引先に手をまわしたようだった。武則は再就職できたことは自分の力だとまでは思っていなかったが、それまで何のとりえもなく、その日をただ漠然と生きてきた自分が他の人よりも先んじて就職できたことには驚きとともに、それまで持ったこともなかった自信のようなものが少しは出てきた気がした。
だからと言って、新しく入った会社でやる気がみなぎっていたというわけではない。相変わらずの毎日を平凡に過ごすだけで、ほとんど何も考えていなかった。
傍目から見る分には、彼の心境を図り知ることは困難だった。再就職に一役買った父親ですら、
――これで一安心だな――
とホッと胸を撫でおろしたほどである。
父親が武則の仕事にこだわったのは、息子のためというよりも自分への保身があったのも見逃せない。いくら時代が不況に喘いでいるとはいえ、息子が無職でさらにそこから不良に走ってしまうことを恐れたのだ。
正直言って、恥と外聞を優先したと言っていいだろう。息子の恥は自分の恥だとでも思ったのか、見た目だけでもしっかりしてくれていれば、それでよかったのだ。
息子も息子である。そんな父親の意図を見抜くこともできず、流されるように生きている。だから、まわりの苦労している連中に先んじて就職できても最初は自分に自信が持てると思った時期もあったが、仕事を始めてすぐに、自分が会社でどれほどのことができているのかを思うと、今まで工場で培ってきたものも何ら役に立たない。それどころか、元々工場に勤めていたことが分かると、他の人たちの視線が冷めているように感じられたのだ。
父親が紹介してくれた会社というのは、不動産関係の会社だった。それまでの工場での勤務とは違い、パリッとしたスーツに身を包み、お金を持っている連中に高い土地や家を買わせるというやりがいの欠片もない仕事に完全に意気消沈していた。
そもそも、
「外見から入る」
ということに対して嫌悪しかなかった武則にとって、就職した不動産会社は、毎日が苦痛でしかなかった。工場のように自分で何かを作るということへの喜びもない。
「今までこの喜びがあったから、工場での勤務をやってこれた」
それを思うと、今の日々は苦痛でしかなく、一日に一度は不定期な時間であるが、呼吸困難に陥ってしまうほど、嫌で嫌で仕方がなかったのである。
そんな武則が呼吸困難を起こすのを毎日のように見ているまわりの同僚や先輩は、最初の頃こそ、
「大丈夫か?」
と心配そうに介抱してくれたが、そのうちに誰も構ってくれなくなった。
――またか――
という目で見られ、本当に白い目というのが存在するんだと思うほどにその視線は「上から目線」だった。
武則は完全に、
「オオカミ少年」
と化していた。
「オオカミが来た」
と毎日のようにウソをつきすぎていると、まわりから誰も信じてもらえず、最後には本当にオオカミがきたのに誰も信じてくれず、悲惨な結末が待っているというものである。
しかし、武則はオオカミ少年ではなかった。呼吸困難に陥るのは本当のことだし、そのたびにまわりに迷惑を掛けてしまう自分を情けなくも思っていた。
それなのに、まわりは信じてくれない。そんなまわりに対して申し訳ないなどと思っている自分も忌々しかった。
そのうちにまわりを信用しなくなり、
――どうせ信用されないのなら、こっちだって信用しない――
と思うようになると、呼吸困難に陥っても、それまでと心境は違っていた。
苦しいのには変わりはないが、それまでは、
「誰かが助けてくれる」
という甘い気持ちがあった。
しかし、まわりの冷めた視線を感じるようになってからは、誰も助けてくれないのが分かり、却って自分がしっかりしないといけないと思うようになり、意識が朦朧としている中でも、まわりから何かされないように警戒していた。まわりはそんな武則の変化に気付いている人などいないに違いない。
呼吸困難はそのうちに、最初の頃ほど苦しいものではなくなってきた。
ただ、感じている苦しみは今までと変わらないという意識があったのに、どうして緩和されたという意識になったのか、最初は分からなかった。しかし一週間もすればその理由が分かるようになってきた。
まず、呼吸困難に陥りそうになる時と言うのが前兆として分かるようになったということだ。前兆があれば、それなりに対処することも可能だ。毎日のように襲ってくるのだから、対処法というのも身体が覚えているのかも知れない。
そしてもう一つは、呼吸困難に陥ってから抜けるまでの時間が一定していることが分かってきたことだ。
これも前兆と同じで、いつ抜けるか予知できると、やはり対処法も何とかなるもので、それを超えると、次第に意識が朦朧としてきて、意識を失う寸前まで行く。
実際に意識を失うことはないが、この瞬間こそ、至福の時間のように感じられた。それまで苦しくてたまらないと思った時間を通り超えると、そこには恍惚の感情が湧いてくる。本当にこんなことがあるとは思っていなかっただけに、現実に戻った時は、苦しみは完全に消えているのだ。
至福の時間を感じることができるのは、
――意識を失う寸前で止まるからだ――
と思うようになった。
そのまま意識を失ってしまうと、至福の時間を味わうことはできない。失った意識の中で感じているのかも知れないが、それは夢を見ているのと同じで、目が覚めてからはまったく覚えていないのと同じだと思った。
武則はすでに童貞ではなかったが、果てる寸前の恍惚の感情を思い出していた。果ててしまうとそれまでの盛り上がってきた感情が一気に萎えてしまう。だから気持ちが高ぶってきても、そう簡単に果ててしまうことを嫌い、我慢するのだ。
性行為とはまったく逆の感情ではあるが、気を失いことが、性行為での、
「果ててしまう」
という行為と同意語であると考えると、寸止めされている瞬間こそ、至福の時間だと感じた理屈も分かる気がした。
このような感覚は理屈ではないと言えるのだろうが、武則は恥じらいという感覚をあまり知らない。性行為も淡々としたもので、感情というよりも本能の赴くままの行動だとしか思っていなかった。
それは本当に誰かを好きになったことがなかったからで、そのことを自分の中でかわいそうだとさえ感じることはなかった。
時々、
「荻島君は感情が死滅している」
と言われることがあった。
もちろん、誰も面と向かっていうわけではないが、どうやら女性社員たちは武則に対してそういうウワサを流しているようだった。
武則はそのことを知らなかったが、もし知っていたとしても、それを聞いてビックリしたり悲観的になることはなかった。
何しろ感情が死滅しているのだから、人に何を言われようとも気にしなければいいだけだった。
武則は無意識のうちに、余計なことを考えないようにしていた。心配事などまったくの無用、心配して解決できることであればいくらでも心配するが、そんなことはありえない。それなら余計なことを考えないようにするのが正解なのだ。
武則はまわりがいうように、
「感情が死滅している」
というわけではない。
きっと、他の人よりも理屈っぽく、理路整然とした考えを無意識のうちにできるだけのことだったのだ。
だが、彼が無意識のうちにと思っていることは、本当は意識していることであった。意識しているから自分が孤独であることが分かるのであって。孤独を好きだと感じるようになれるのであった。
そう、武則は自分が孤独を好きな人間だということを分かっている。ここまで分かってくると、それまでの自分の生い立ちも何となく分かってきた。子供の頃から親からは甘やかされて育ってきた。そのせいからか、まわりの友達からは胡散臭く思われていた。ただ、本当に胡散臭いと思われていた原因は、
「言動が理屈っぽいこと」
だったのだ。
子供の頃から勉強は嫌いだったが、理屈っぽいことに関しては本を読んだりして研究していた。
もしこれが大人になってからであれば、
「ウンチク」
として、悪い意味に取られることはないのだろうが、何しろ子供の世界のことである。
得意げに理屈っぽいことを話すと、聞いている方はウンザリして、鬱陶しく思うに違いない。武則は中学に入る頃にはそのことに気付いて、自ら「ウンチク」を封印してきたが、再就職して自分がサラリーマンとして少し偉くなったかのように錯覚した時から、「ウンチク」が戻ってきた。
ただ、偉くなったわけではないということは一瞬にして考えを翻した。ただそれは偉くなったと感じたことにだけ有効な考えで、それ以外の自分が偉くなったと思った時に同時に感じた感情にまで影響を及ぼすことはなかった。
これが彼を中途半端に見える存在にさせてしまったのだ。
呼吸困難に陥るようになったのは、そんな中途半端な自分がバランスを失ったことで起こった現象であり。まわりはもちろん、本人にも分かることではなかった。むしろ本人が一番分かるはずのないことなのかも知れない。
武則は自分のことをどちらかというと分かっていると思っている方だった。
確かにそうかも知れない。だからすぐに逃げに走ってしまって、それが、
「余計なことを考えない」
という気持ちにさせてしまうのだろう。
しかし、彼はそんな思いとは裏腹に、行動力には長けていたのかも知れない。それが「ウンチク」を口走ることで、ウンチクを語っている時は自分に酔ってしまうこともしばしばあった。
当然まわりをしっかり見ることができず、何かを見ているはずなのに、見ている被写体をまったく意識しないことが多かった。
目の前にあって実際に見えているのに、まったく意識に入ってこない。もしその時一緒にいた他の人から、
「あの時、一緒に見たじゃない」
と言われても、ハッキリと見たと言えない自分がいる。
「ああ」
と言って答えても、どちらかというと顔に出やすい方である武則には、すぐに他の人から感情を看破されてしまうことが多かった。
武則はそんな見えているはずなのに意識することがないものを、「石ころ」のような存在だと思うようになった。
「石ころ:は見えているのに意識の外に置かれることで、
「かわいそうな存在」
として少年の頃の武則には意識させられていたが、自分がそんな石ころのような存在になっているかも知れないと感じた時、自分をかわいそうだとは思わなかった。
「人から気にされないことの方がむしろ気が楽だ」
という意識を持った。
武則は自分が一人でいる時はまわりを意識しないが、人から少しでも意識されると増長してしまうところがあった。口数がとたんに増えてきて、それまでの自分とはまるで違う自分がいるように思えてくる。
それまでは自虐的な感情が強かったのに、人から少しでも声を掛けられると、そこに自分のまわりに対しての影響力が強くなったことに気付く。
いや、影響力が強くなったわけではなく、反対の意識だ。自分が今までまわりから意識されるべき人間であるということに気付いていなかっただけだと思い込んでしまう。それが増長を引き起こすことになるのだが、増長している時の自分は、
――俺以上に人への影響力のある人はいない――
というほど自惚れてしまうのだが、一旦自惚れてしまうと、抑えが利かなくなる。
それは今まで自分が自虐的だったことを言い訳にしてまわりを見てこなかったからであり、急に自分が日の目を見ると、眩しさから目を逸らしたくなるという感覚を忘れてしまったかのように、眩しさすら感じない不感症になってしまったかのようだ。
そんな状態でまわりが見えなくなるのだから、当然自分のことも分かっていない。思い切り自惚れる自分に酔ってしまうと、
「今までどうして自分のことをもっと考えてこなかったのか?」」
という疑問が生まれてくる。
そうなると。今までの遅れを取り戻したくなるのは人間の真理だと言えるのではないだろうか。
自分のいいところを知っていながら目を瞑ってきたのは、自虐的になってしまったことが原因だと思い込み。あくまでも、
「自分はもっと人から尊敬されるべき人間なんだ」
という思いと、
「これまで考え方が偏っていたことで、ずっと損をしてきた」
という思いとが交錯して、本当は矛盾している考えであっても、その二つを融合させることを考えてしまう。
少なくとも自分がウンチクに自信を持っていることで、まわりの人も、
「もっと俺のウンチクを聞きたいに違いない」
という思いに駆られる。
それは完全な押し付けがましさなのだが、まわりの人はそれを咎めたりはしない。
その理由として、自分がもし彼の立場で咎められたりすれば、嫌な思いをしてしまうのではないかという理由からではないだろうか。
人は相手に起こる現象を、まず自分に当て嵌めて考えてしまうことも多いようで、そのために本当であれば、戒めたりするはずのことを、口にできない場合が往々にしてあるというものだ。
「自分と同じ顔をした人間が世の中には三人はいる」
と言われているが、性格が似ている人となればどれくらいなんだろう?
目の前の人も自分と同じような考えの人だと思うと、どうしても贔屓目に見てしまって、注意を促す時には細心の注意を払ってしまうことだろう。そんな思いをするくらいなら、余計なことを言わない方がいいと思うのも仕方のないことなのかも知れない。
石ころというものをどのように考えるか、それは人それぞれなのだろうが、少なくとも、
「石ころになりたい」
と、一生のうちに最低一度は誰でも思うものだと武則は思った。
ただ、その分、
「石ころでは嫌だ」
と思うこともあるだろう。
それは自分が石ころだという意識を持っているから感じることで、逆も真なりではないだろうか。
「石ころでは嫌だ」
と思うからこそ、石ころになりたいと感じる人もいる。
ただその場合は、外的要因に基づくことがほとんどではないだろうか。人から諫められたから卑屈になって石ころになりたいと思う。そんな感情は自分だけでは抱くことができないものなのかも知れない。
ただ一つ言えることは、
「石ころになりたい」
という思いと、
「石ころでは嫌だ」
という思いを両方抱いた人は、その両方を絡めながら繰り返すという特徴を持っているのかも知れない。
つまりは、石ころになりたいと感じるのは、その人にとっては一度だけではないということだ。
ただこの時代は自殺が横行している。
「なぜ人は死にたくなるのか?」
というのを、高校時代のクラスメイトが話していたのを思い出した。
その時は、
――こいつ、何を言っているんだ?
と真に受けていなかった。
彼は普段から理屈っぽいところがあり、武則のウンチクとは少し違い、ただの
「鬱陶しいやつ」
というイメージしかなかった。
しかし、考えてみれば、似た者同士だったと言えるのかも知れない。
相手が自分と似ていたからこそ、そんな相手を毛嫌いしていたからこそ、
――俺はあいつとは違う――
という思いが強く、その感情が反面教師として表に出てきて、武則は敵対視していた。
相手も同じだっただろう。自分が同じように相手を避け、敵対視しているのだから、当然相手も同じことを考えていて当然だ。
――そっちがその気なら、こっちだって――
という思いが頭をもたげる。
そもそもこの思いがあるからこそ、相手に対して敵対視できるのであって、相手がこちらのことを意識していなければ、まるで糠に釘の状態ではないか。反応のない相手に何をしても無駄だという感覚は、
「ゼロに何を掛けてもゼロでしかない」
という発想と同じである。
武則は、
「学生時代にもう少し勉強しておけばよかった」
と思っていた。
ウンチクが好きで、勉強も実際には嫌いではなかった。成績もそこまで悪かったわけではないので、行こうと思えば、大学進学もできたのではないかと今では思う。
しかし、中学の頃からどうしても受験勉強が嫌だった。詰め込み教育というのか、ちょうどこの頃から激化してくるいわゆる「受験戦争」に、武則は目を背けていた。
基本的に人と争うということがあまり好きではなかった。よくよく考えれば受験というのは自分との闘いであり、成績における順位というのは、本当は関係ない。受験の際に受け入れる側の学校に「定員」というのがあるから、どうしても他人を意識するのだろうが、そのために偏差値やランクがあるのであって、それは自分だけで決めるものではなく、学校の先生などと相談してもいいのだ。一人でできるのは勉強だけで、勉強をするだけであれば、別にまわりを意識する必要はない。
だが、世の中の風潮がその考えを許さなかった。武則の親にはそこまではなかったが、世の親たちは自分の息子や娘に期待するあまり、近所でのうわさ話に自分の子供を肴にするほどだった。
そんな風潮に武則は嫌気がさしていた。その当時はまだ高度成長の時代で、それからやってくる不況を誰が予想できたであろう。若いのだから、夢の一つでも持っていれば少しは違ったのだろうが、武則には別に目指したい夢があったわけではない。
「金持ちになりたい」
などという漠然とした夢が、武則は一番嫌だった。
本当は夢を持つというのは、えてしてそういう大雑把なところから入るものなのかも知れないが、武則には受け入れるだけの気持ちはなかった。
どちらかというと、他の人と同じ考えでは嫌だと思っていた武則なので、ブームや流行には疎いところがあった。ブームに乗っかって騒いでいる連中を横目に見ていると、
「ただの虫の大群」
のようにしか見えず、次第に遠目にしか見えてこない自分を感じた。
ただ、それは決して上から目線というわけではない。上から目線になると、見たくないものまで見えてくるような気がしたからだ。あくまでも遠くから見ていて、その存在を意識されないようにすることが、武則の考えだった。
だが、世の中は武則が思っているようには進んでくれなかった。これは武則だけではなく、誰もが感じていることだろう。まさかオリンピックの後に不況が待っているなど、想像もしていなかった。
あれだけ建設ラッシュで、どんどん新しいものができてきて、やっとオリンピックの時には、諸外国に恥ずかしくないような都市ができたと思ったのに、オリンピックが終わったとたん、それまでの建設ラッシュがまったくなくなってしまった。
「大どんでん返し」
と言えばそれまでだろう。
歌舞伎などの舞台で、舞台全体が反転し、まったく違う舞台セットが現れる。早変わりのその状態を、観客はクライマックスとして賞賛の拍手を送っている。しかし、それはあくまでも歌舞伎の世界だけのことで、現実にどんでん返しが起こるということは、よくないことだと相場は決まっているような気がした。
「悪い状態からいい状態に移行するのには、かなりの時間が掛かるが、いい状態から落ちるのはあっという間だ」
という話を聞いたことがあった。
いい状態に向かうには、ゆったりとした上り坂を、ゆっくりと昇っていく。それは着実という意味もあり、その方が確実にいい状態に近づけるからだ。一気にいい状態になれば、どこそこに綻びを残してしまい、ロクなことにならないと思うからだった。
その反面、いい状態から悪い状態に移行する時と言うのは、一気に落ち込むものだ。断崖絶壁から飛び降りるような感覚。歌舞伎でいうなら、奈落の底に叩き落されるとでもいうべきであろうか。
完全に大どんでん返しの状態である。この状況を一体誰は想像しただろうか。当時の政治家には分かっていたのだろうか。分かっていて対策を取ったりはしたが、それ以上に不況の波の勢いは激しかったということなのか。世の中の波というのは、そんな簡単には理解できるものではないのだろう。いかに努力をしても解消できないこともたくさんある。特に経済推移など、専門家が考えただけでどうにかなるものでもない。しかも、専門家と言ってもたくさんいる。彼らの意見がすべて一致しているわけでもないので、どこを目指していいのかも問題になる。仮にすべての専門家が同じ道を模索したとして、それが正解だと誰が言えるだろうか。それを思うと、未来予想などできる方がおかしいというものである。
武則が「石ころ」を意識したのも無理もないことだったのかも知れない。
武則は中学時代にバスケット部に所属していた。小学生の頃には何もやっていなかったので、中学になって始めたスポーツに、入部当時はよく夜中など、寝ていて足が攣ったりしたものだった。
寝ていても、足が攣るということは前兆として分かるものだった。
――うっ、ヤバい――
と夢の中でなのか、うつつの状態でなのか分からないがそう感じると、一気に身体が硬直し、
「ピキッ」
という音が本当に聞こえた気がして、一気に足が別を帯びたようになり、呼吸困難に陥って、声も出なくなる。
まわりに誰もいないのに、無意識に声を出さないようにしていた。
まわりに人がいればなおさら、声を抑えようとするだろう。自分の足が攣っているという事実を誰にも知られたくないという思いからだ。
もし、まわりがそのことを知ったら、きっと
「大丈夫か?」
と言って、心配する顔をするに違いない。
その心配そうな顔が苦しんでいる自分に対し、余計な苦しみを与えるのだ。
――まわりが心配しているんだから、よほど痛いに違いない。自分が思っているよりもさらに――
と思う。
だからまわりに知られたくない。そしてまわりがさらに自分が痛がっている様子を見て、心配しながら、目を背けるのだ。きっと、
「自分がその痛みを感じたら、どうなろだろう?」
などという想像をしながらである。
それらのことが、痛みを堪えている自分の中で想像できるのだ。本当は痛みでそんなことを考えるだけの余裕などあるはずもないのに、どうしてそこまで考えなければならないのか、武則はきっとさらに痛みが継続することを確信する。
――本当なら治っていてもいいのに――
と感じることだろう。
そう感じると、余計に時間が長く感じる。いろいろなことを一気に考えている時というのは、意外と時間を長く感じるものだ。一つのことに集中している時はあっという間に過ぎてしまうのに、きっとそれだけ頭が回転している間、別のことを考える間隙をついて、その間の時間が長くなっているのかも知れない。
その時の思いがあるからだろうか。
「人に意識されたくない」
と思う時期が定期的に襲ってくるようになった。
それが長い時もあれば短い時もある。短い時は本当に数時間程度ですぐに忘れてしまうが、長い時は一週間でも二週間でも先が見えないほどに感じられる。
そのくせ、気が付けばその時期を通り過ぎているのだ。人に意識されたくないと思う感覚は、忘れた頃になくなっているようである。あっという間に消えてしまう時も、消えてしまうという意識はなかった。しばらくして、
――あっ、そういえば消えてる――
と感じるのだ。
武則は自分のそんな性格を、
「損な性格だな」
などと思ったことはなかった。
しかし、あまりいい性格ではないということは自覚していた。それでも、まわりに染まってしまうよりもよほどいいと思っていて、もし、自分がもう少し違った環境で育っていたり、違う時代に育ったとしても、この性格は変わらなかったと感じている。
人の性格というのは、
「持って生まれたもの」
と、
「育った環境によって左右されるもの」
という二つがあるというのが一般的な意見である。
そのことに武則も間違いではないと思っているが、もう一つ、
「自分が意識して作り上げた性格」
というのも存在するだろう。
この第三の考えは、あとの二つのどちらかに含まれるものなのかも知れないが、含まれたとしても、どちらにもまたがっているように思えた。だが、意識はあくまでも意識が生んだという思いから来るものなので、それが生まれ持ってのものなのか、それとも環境によるものなのか、ハッキリはしないだろう。
武則は自分のこの性格を、
「損だ」
とは思うが、決して悪い性格だとは思わない。
もし、他の得になる性格と交換できるとしても、どの性格と交換するかで悩むだけ無駄だと思っている。結局悩むというのは、他のどれがいいかで悩むわけではなく、今の自分の性格との比較がすべてだと思うからで、そう思うと、本当に見つけるべき性格を見つけることができないのではないかと思うのだった。
――これは時間の無駄なだけだ――
と感じるが、そう思うと急に自分が冷めた性格なのではないかと思えてきて、考えることをやめてしまう。
武則は、自分が哲学者でも、心理学者でもないと思っているが、こうやって自分の分析をするのが嫌いではなかった。それが、
「他人と同じでは嫌だ」
と感じた最初のきっかけであり、この思いが武則を自分分析の世界に引き込むことになったのだから、皮肉なものだと言ってもいいだろう。
しかし、他人と同じとという「他人」という言葉の定義が実は難しい。
「自分以外のすべての人」
と言えば簡単だが、そのすべての人の性格を分かっていなければ、
「他人と同じでは嫌だ」
ということにはならないだろう。
中には自分がこれから出会う人もいるだろうし、まったく出会うことはないが、何かのきっかけで自分に関わってくる人もいるかも知れない。そこまで厳密に考える必要などないのだろうが、これも武則の性格として、ふと感じてしまったことなのだが、無視できないものとなってしまっていた。
最初に感じた時から、その答えは見つかっていない。このままずっと見つからないものだとも思える。
――ずっと考え続けるのも悪くないかな?
と思うようにもなったが、それだけでいいのだろうか。
武則のまわりに自殺者が増えてきたのは、武則が失業してから数か月後のことだった。ニュースなどで失業者の数がどんどん増えて、社会問題になりつつあった時、自殺者もそれに比例して増えてきたという。
ニュースでは言及していなかったが、巷のウワサでは、
「不況による失業が、自殺者を増やす原因になっているんじゃないかな?」
と言われるようになっていた。
「失業だけではなく、中小企業の会社社長などの方が深刻なんじゃないか? 負債を抱えて倒産だぞ。借金取りからは追い立てられる。自殺だけではなく、一家心中などというのも大っぴらになってきたようだしな」
「嫌よね」
と、話を聞いているだけでは他人事のようだが、その声の抑揚は、とても他人事と思わせなかった。
それだけ深刻な内容を話しているのだし、話している連中にも、自殺しないという保証があるわけではなかった。きっと、ウワサをすることで自分だけの中に抱え込んでおきたくないという意思が働いているからなのかも知れない。
「人に話すと安心する」
という心理は分かる気がする。
しかし、足が攣った時のように人に知られたくないという思いがあるのも事実で、どのように分ければいいのか、武則にもハッキリと分かっているわけではなかった。
だが、武則は自分から、
「他人と同じでは嫌だ」
という根本的な意志があることで、あまり人に話をするということはなかった。
そのせいもあって、
「あいつは暗い」
であったり、
「何かとっつきにくいんだよな」
と言われて、まわりから避けられているのは分かっていた。
それでもいいと思っていたが、このあたりの矛盾が、自分の中の、
「損な性格」
に影響を与えているのかも知れない。
世間で発表される小説や映画にも、時代背景に則ったような作品が多く見られた。
「失業、倒産、自殺」
などのキーワードが広告に並び、週刊誌でも社会問題として大いに取り上げている。
テレビのワイドショーなどでもコメンテーターが出演して、いろいろなことを言っているが、そのほとんどは誰もが考えていることであったり、他のコメンテーターと同じ発想でしかなかったりすると、
「またか」
というウンザリした気持ちにさせられるのは、
「他人と同じでは嫌だ」
と思っている武則だけではないに違いない。
ただ、テレビでは話されることはないが、週刊誌に奇妙な話が書かれていた。それを書いたのは評論家でもコメンテーターでもなく、ホラー作家だった。
その作家はホラー作家という触れ込みで、SFも書いたりミステリーも書いたりしているが、
「基本はホラーにある」
ということで、自らを、
「自称、ホラー作家」
と名乗っているのである。
彼は週刊誌で興味深い内容を書いていた。ホラー作家が書くから面白いという目で見ることができるが、これをコメンテーターや評論家が書いたのであれば、
「何これ、笑えるんだけど」
と一蹴されて終わりではないだろうか。
彼の提唱している内容は、
「自殺菌」
なるもので、自殺が流行しているのは、この菌が蔓延しているからだという。
ただ、この菌が蔓延するには条件があり、今の世の中のように理不尽さがハッキリした形で世間に認められるとこの菌が流行するのだという。一見、笑い話のようだが、武則には笑えないものがあった。自殺が流行するのを、このようなハッキリとした媒体を創造した人は誰もいない。ある意味勇気のある発表だと思った。そして、自殺菌なるものを信じてみようと思ったのだ。
自殺菌なんて発想、誰にでも思いつきそうなのだが、思いついたとしてもバカにされるのが嫌で、誰も口にはしないだろう。それを口にするというだけでも勇気に値すると武則は思ったのだ。
人の「死」について今までほとんど考えたことが武則にはなかった。そもそもほとんどの人は死について考えることなどないのだと言われると、その言葉を鵜呑みにしてしまいそうだが、
「考えること自体が悪なんだ」
と思えば、考えなかったことを正当化できる気がした。
武則は別に宗教家でもなければ、宗教に興味を持ったこともなかった。だが、死というものを考えることは、人間を作った神様への冒涜だという考えは彼の中にあった。
「人間は生れてくるという自由はないが、生まれてしまえば、死ぬことを選択することはできる」
という考えも成り立つ。
ただ、世間一般に言われていることは、自らの命を自らで断つということは、それ自体が犯罪だという考え方だ。死んでしまったのだから、誰が裁くのかという問題もあるだろうが、それを解決するのが、いわゆる「死後の世界」という考え方なのだろう。
だから宗教によっては、自殺を許していない。代表的なものがキリスト教で、自殺を認められていないので、昔の人は自殺のかわりに、配下の者に自分を殺させるという手段を取ったりもした。
細川ガラシャの話などもそのいい例で、クリスチャンである彼女は、石田三成から人質になるため城を包囲された時、夫のために人質になるより、自らの死を選択した。クリスチャンであるがゆえに自殺することが許されないということでの苦肉の策であったが、自らで命を断ったということに変わりはないのだから、本当に彼女が許されたのかどうか、あの世に行かなければ分からないだろう。
自分の死を自らで決められないのであれば、一体誰が決めるというのか、武則はその答えを見つけることができず、さらに死というものに対しての数々の矛盾に答えが見つからない以上、
「死について考えることは無駄なことだ」
と考えるようになっていた。
死など考えることのない幸せな生活、幸せとは言えなくとも、普通に生活している間はまったく考える必要のないことであり、必然にやってくる寿命であったり、偶然にやってくる事故などによる死というものは受け入れられる気がしていたが、自分の不摂生に対しての死であれば、きっとどこかで後悔するに違いないと思った。
だが、死というもの自体を考えることを無駄なことだと最初に感じてしまったことで、病気による死について考えることも、自然と拒否してしまっている自分がいた。
いわゆる、
「逃げ」
なのであろうが、死について考えることが答えの見つからないものを永遠に考えるという堂々巡りを繰り返してしまうことを分かっているだけに、負のスパイラルになることはやはり無駄なことだと最終的に考えるのだと思えた。
「年を取ってから嫌でも考えるんだろうな」
と思ったが、若いうちはどうしてもピンとこない。
年を取ってから考えるのであれば、時すでに遅しで、後悔のあらしになるのだろうが、ピンとこないのだから仕方がない。これほど皮肉なことがあるだろうか。やはり死というものはいくら本人であってもコントロールできるものではなく、神様によって生命が与えられたと思うしかないと武則は思っていた。
彼は、そういう意味で自殺に対しては否定的な考えを持っていた。自殺をする理由もないし、まずそんな勇気も沸いてこない。実際に自分のまわりで何かが起きて、二進も三進もいかなくなり、身動きが取れなくなると、死を考えるのかも知れないが、それに対してもピンと来るものでもないし、やはりその時にならないと分からないことを今考えるというのもナンセンスでしかないと思うのだった。
まだ二十代前半という年齢は、大学に進学していれば、まだ学生という年齢であった。実際に大学に進学した連中を見て、眩しく見えていた時もあったが、それも最初の一年目だけで、自分が勤め始めた工場にて、一人前とまでは評価されていないが、少しずつでも仕事の部分部分をやらせてもらえるようになるだけで、
「お前らには味わえない感動だ」
と、心の中で、楽しそうにしている大学生に呟いていた。
彼らを見ていると、絶対に集団でしか行動していないように見えた。もちろん、大学生活を勉学に注ぎ込んで、将来をしっかりと見据えている人もいるだろう。しかし見えてくるのは、団体でしか行動できず、まわりの迷惑も顧みることもなく大声で叫んでいる連中ばかりだった。
――あいつらは、自分たちがバカの代表のように思われているのを気付いていないのかな?
と感じたが、実際にまわりが彼らをバカの代表のように見ているかどうか分かるわけもなかったが、少なくとも多数決を取れば、バカの代表に見える人が一番多い気がしていた。
民主主義というのは実に分かりやすいものであるが、融通の利かないものでもある。理論だけを聞くと、公平に聞こえるが、実際に運営してみると矛盾や不公平の山なのかも知れない。
武則は高校までの勉強しかしていないので、政治などの詳しいことは知らないが、民主主義が多数決の主義であるということだけは知っていた。
子供の頃(高校時代も含めてであるが)、何事も多数決で決めていた。
「これが民主主義というものだよ」
と、誰かがいうと、それに誰も逆らう人はいなかった。
多数決で少数派の人は理不尽を感じていたことだろう。実際に武則も民主主義の理不尽さを感じたことがあった。だが、反論はできなかった。誰に反論していいのか分からないし、反論したとして、
「じゃあ、他に何かいい案でもあるの?」
と聞かれれば絶句してしまうからだった。
それを言われてしまうと、もうどうしようもない。どう答えていいか分からずに戸惑っていると、戸惑いを見せた時点で、その口論は負けることは決定したも同然だった。
子供の頃というと、高度成長時代の真っ只中。
「もはや戦後ではない」
と言われているが、それも占領軍が目指した日本の民主化が成功したという現れであろう。
日本の成功例は、敗戦国であるにも関わらず、他の国からも称賛を受けていたことだろう。特に社会主義国との冷戦の時代だけに、民主化による経済復興、そして国としての復興が成ったことは、日本だけではなく、世界的にもいいことだったに違いない。
そんな高度成長時代がオリンピックをピークに最高潮を迎えた。ほとんどの日本人は、
「これからもどんどん発展する」
と信じて疑わなかっただろう。
だが、景気の後に襲ってくる不況というのも、経済学では定石であった。だから、好景気しか知らない人たちは、どうしていいのか困ってしまうだろう。中小企業の倒産などそのいい例で、高度成長時代には見えていなかった。いや、見えていたのかも知れないが目を瞑ってきたであろう公害問題が本格的に論じられるようになると、大企業もただでは済まない事態に陥ってしまう。
そのせいもあってか、自殺者が増えてきた。今までいなかったわけではないが、これも時代背景が暗い時代に入ったことを証明するかのように自殺が増えたことが話題になると、これも公害問題と同じで大きな社会問題となっていった。
モラルの問題でもあるが、生まれた子供をコインロッカーに遺棄するという「コインロッカーベイビー」が社会問題になったのもこの時代だった。
自殺ではないが、自分の子供をひそかに生み落とし、育てられる自信がないということでの遺棄なのだろうが、
「だったら、どうして堕胎しなかったんだ」
とほとんどの人がいうだろう。
だが、ギリギリまで迷っていて、堕胎できない時まで来てしまえば、後は生れた後に遺棄するしかないという一番安直な考えに突き進んでしまったのだろう。
一人がやると、似たような境遇の人はそれをマネしてしまう。本当はこれが一番怖いことなのかも知れない。そういう意味では、一番最初にやった人が一番罪が深いと言えるのかも知れないが、果たしてそうなのか、誰にそれを裁く権利があるというのか、社会問題というのは、このあたりの倫理にも影響してくることであろう。
ただ、自殺というのも、殺人と同じなのかも知れない。
まったく身寄りのない人であれば別だが、その人が死ぬことで悲しむ人がいるのであれば、それは、
「自分で自分を殺す」
という殺人に他ならない。
「人を殺すのと、自分を殺すのでは、勇気という意味ではかなり違ってくるものなんでしょうね」
という人がいた。
確かに人を殺そうとする人は、一発で息の根を止めていることが多い。
「一気に殺してやらないと苦しむ姿を見たくない」
という思いや、
「殺そうとしている相手が生き残ってしまうと、今度は自分が危うくなる」
という思いから、一気に殺してしまうという意識が無意識に働くのかも知れない。
だが、自分を殺す場合は、苦しむのは分かっているので、どうしても躊躇ってしまう。手首を切るという
「リストカット」
と呼ばれることを何度も繰り返している人も多い。
「死んでも死にきれない」
と、この世に未練を残した人がいう言葉であるが、自殺しようと思った人も、自殺に赴くまでは、
「生きていても仕方がない」
という考えから自殺を実行するのだが、いざ決行しようとすると、躊躇いが生まれるようで、その時に、
「死んでも死にきれない」
という未練を思い出すのだろう。
家族の顔が頭に浮かぶのか、それともやり残したことを思い出すのか、どちらにしても肉体の苦痛以外でも死ぬことへの躊躇いが生まれるのだ。
肉体的な苦しみと精神的な未練と、どちらが自殺を思いとどまらせるのに決定的なのだろうか。両方が頭をもたげることで初めて、
「死にたくない」
と思うのかも知れない。
毒を飲んでしまったり、何かに飛び込んでしまったりすれば、時すでに遅しなのかも知れないが、飛び降りる際には、無意識に身体を捻ったりして、少しでも被害を少なくしようと思うのかも知れない。
そのおかげで命は助かることもあるかも知れないが、そのまま植物状態に陥ったり、後遺症が残ってしまったりと、生き残ったとしても、後に待っているものは、悲惨しかないのかも知れない。
それを思うと、生き残ったことが果たして正しいことなのかと言わざる負えないだろう。
生と死の狭間には何かが存在しているように感じている人がいるという。死んでから死後の世界に行くまでにとどまる場所があるという考え方だ。映画や小説などでそのような話を聞いたことがあるが、武則にはその話に少なからずの信憑性を感じていた。
死にたいと今までどうして思わなかったのか、死にたいと初めて感じた時に思った感覚だった。
子供の頃にも理不尽なことがあり、家出をしてみたりしたことはあったが、死というものまで考えたことがなかった。だが、実際に死というものに向き合ってみると、
「なぜか初めて感じた感覚ではないような気がする」
と思ったのだ。
それはきっと、いつの時にか死に対して感じたことがあったからなのだろうが、その時の記憶がまったくないのだ。死を意識したことで気が付いたのだが、もし死を意識することがなければ、一生気付かずにいたかも知れない。
――いや、いずれ迎える「本当の死」の際で感じることになるだろうが――
と感じたが、「本当の死」というものを自分で感じたくせに、その言葉に一種のおかしさを感じたのだ。
本当の死というのは、自殺で迎える以外のすべての死のことをいうのであろうか? もしそうだとすれば、自殺以外はすべて肯定されるということになる。
自殺以外でも、理不尽な死に方もあるかも知れない。今は思いつかないがそれがどのような時に生まれるのか考えていた。
「誰かに迷惑を掛けて、それが恨みとなって相手に殺意が生まれ、その人に殺されることがあるとするならば、それは肯定される死になるのだろうか?」
と考えてしまった。
自分が原因で自分が殺される。自分が殺されるだけの理由を作ったのだろうが、それでも自分を殺した人は、無理もない状況だったとしても、その人が殺人という罪で罰せられることになる。これは自分に対して理不尽というわけではなく、殺した人に対して理不尽ではないだろうか。
だが、考えられている死後の世界では、殺された人はさておき、殺した人はどんな事情があったとしても、死後も地獄に落とされるという考えである。だったら、殺された人も地獄ではないかと思うのだが、果たしてどうなのだろう? 殺人という事実だけがドラマなどでは強調され、殺された人の事情には言及していないというのは、理不尽である。
それをどのように表現すればいいのか難しいところではあるが、やはり結論が出るものではないのだろう。
「自殺する人間が最後に何を考えるか?」
このことをずっと考えるようになった。
このことを考えている限り、自分から自殺することはないわけなので、それはそれで皮肉なことだった。
最初は自殺というと、
「どんなに痛いものなのか、苦しいものなのか」
ということばかりを気にしていた。
それは子供の頃の感覚であり、考えてみれば、子供の頃から死というものをいつも考えているような少年だったということだ。
だからと言って、いつも、
「死にたい」
と思っていたわけではない。
むしろ、死を意識することで死にたいと思わないだろうという思いが無意識に働いたのではないかと後になって考えたほどである。
死というものに対してこれほど自分で何を考えているのか冷静になって纏めたことはなかった。纏めたと言っても文字にして残したわけではないので、整理したというわけではない。どちらかというと、箇条書きにしたと言った方が正解ではないかと思うのだが、今まで避けてきたことをここまで考えるようになったのは、やはり死というものに向き合おうとしているからなのかも知れない。
本当は死にたくない。自殺をする人のほとんどが、
「生きられるものなら生き続けたい」
と思っているに違いない。
そのまま死ねる人、生き残ってしまう人、どちらが幸せなのか判断がつかないだろう。そもそも死を考えた人のどこに幸せなどという言葉が存在するのかと言われればそれまでだと思っているが、ここでいう幸せというのは、
「どちらが不幸ではないか?」
という減算法で考えられたものである。
ただ、本当に自殺するかしないかは別にして、
「どの方法が苦しまずに死ぬことができるか?」
ということを真剣に研究してみたかった。
もちろん、このことは誰にも話すつもりはないし、自分だけの胸に閉まって、秘密裏に事を運ばなければいけないと思っている。
自殺というものにはいくつか種類がある。
――服毒自殺、列車に飛び込む、ビルなどの高所から飛び降りる、リストカットする。首吊り自殺を試みる。睡眠薬を服用する、などなど……
である。
最初の服毒自殺と睡眠薬の服用とは似ているように思えるが、苦しみという意味でまったく異なものであることから、別に挙げてみた。
いろいろ調べてみると、楽に死ねそうに思うことでも実は難しく、苦しいように思うがあっという間に終わってしまうということもあるのが分かってくる。要するに自殺の手段として、どれを取っても、一長一短あるということなのだ。
例えば服毒自殺であれば、まず考えられるのは、苦しみにのたうち回るが、確実に致死量を飲めば、死ぬことができる。だが、もう一つ問題なのは、その入手が困難なことである。
ただ、毒と言っても、何も精製された毒だけが毒ではない。天然に存在しているものも毒として存在している。下手をすると、知らずに口にしてしまうこともあるのではないかと思うようなものである。例を挙げれば、花のスズランをイケている水、これは毒である。イケてあった水を飲むだけでも人間は死に至ると言われている。ミステリーのトリックとしても用いられる、入手が楽な毒の一つである。
次は列車に轢かれるという轢死の場合、この場合は微妙である。電車に飛び込んでもタイミングによっては生き残ることになるだろうし、生き残った場合にどのような後遺症が残るかも分からない。何よりも、自殺とはいえ、公共の列車を止めることになるのだから、それなりの賠償金が請求される。いくら半身不随となったとしても、その代償は家族に求められる。それは死んだ場合も同じことで、遺族は悲しみに打ちひしがられながら、賠償金にも苦しめられることになる。それなのに列車に飛び込むという自殺は未来においても減ることはない。賠償金の事実を知らないのか、それとも安直に考えてしまうのか、これほど理不尽な自殺というのもないというものだ。
次にビルの上などから飛び降りる場合の話であるが、これはある程度確実に死ねると思える。だが、飛び降りてから実際に地表に達するまでにどれほどの時間が掛かるかを考えると、恐怖を味わうという意味では即死であっても、恐怖を免れることはできないであろう。
そのせいもあってか、無意識のうちに飛び降りている間に、
「楽なところに落ちよう」
という意識が働かないとは言えないだろう。
そう思うと、死にきれずに生き残ってしまうこともあり、そうなると、その後を思うと何のために自殺を決めたのか分からなくなる。
「人間というのは、死ぬ勇気など、そう何度も持てるものではない」
と言われるが、それも当たり前の話である。
ただ、ビルとは違い、断崖絶壁などから飛び降りる場合、相当な加速度がつくことで、目的地に到達する前に死んでしまうということがあるようだ。ひょっとすると、この方が一番楽な死に方なのではないかと思うが、あくまでも科学的な話だけなので、どこまでの信憑性があるのか、特に死を前にした人に信じられることなのか、疑問であった。
列車に轢かれる場合も、ビルなどから飛び降りる場合のどちらも、死体となって残った時、どのような悲惨なものかを創造すると恐ろしいものもある。自殺を思いとどまる人の中には、それを創造する人も少なくないだろう。
自殺を考える中で、次に考えるのはリストカットであろう。血飛沫が飛び散らないように水に腕をつけて、手首の動脈にカミソリを当てる。一番楽な死に方に思える。だが、これは他の死に方と違い、手首を切るという行動は自分本人で行わなければいけない。飛び降りや飛込も足を踏み出す行為は自分だが、最終的な死をもたらすのは自分ではない。そのため、やめることができるとすれば、手首を切ることくらいであろう。飛び降りや飛込はある意味、足が離れてしまうと終わりである。しかし、リストカットは手加減を加えることができる。だから、自殺志願者は何度も試みて、結局達成することができず、後がいくつもできているのだ。
「人間、死ぬ勇気をそんなに何度も持てるものではない」
と言われるが、リストカットは何度も繰り返す人がいるということは、手首を切る際に、本当に死を覚悟している人ばかりではないということになるのかも知れない。
もちろん、精神的な疾患からリストカットを繰り返す人もいるだろうが、自殺を考える人のほとんどは精神的には健常者ではないだろうか。そう思うと、リストカットが一番自殺には手軽で、自覚のない中で行われていると思うのは乱暴な発想であろうか。
次には首吊り自殺である。
会社の倒産などで多く見られるのがこのパターンであるが、これもかなりの覚悟が元でなければいけないと思う。首吊りを行って、生き残ったという人をあまり聞いたことがないのは気のせいだろうか?(作者が知らないだけなのかも知れないが)
しかも首吊り自殺の場合、よく言われることとして、
「死んだ後の姿は、放尿、排便、嘔吐など、死体としては見られたものではない格好になるわよ」
などと言われることが多い。
自殺を思いとどまらせる言葉であるが、どうやらそれは本当のことのようで、残った家族には見せられないものだと言えるかも知れない。
もちろん、他の自殺でも同じことが言えるが、生前の姿とは程遠い恰好の飛び降りや飛込とは違って、人間の姿を維持したままの死に姿は、無残以外の何物でもないに違いない。
その次に考えられるのは、ガスなどの自殺。
これも服毒に似たものがある、ただ、これは後述の睡眠薬と同じで、死にきれなかった時が恐ろしい。
睡眠薬による自殺であるが、これは一番楽に思える自殺であるが、睡眠薬だけでは死にきれない場合がある。実際の致死量がどれほどのものか分からないし、
「たくさん飲めばいいというものではない」
と言われる。
下手にたくさん飲むと、今度は身体が拒否反応を起こし、死にきれないばかりか、拒絶反応から、苦しみだけが残ってしまい、さらには死にきれなかったことで後遺症を抱えたまま生きていかなければならなくなってしまう可能性が強いということだ。こsれは先ほどのガスによるものとも同じことで、どこまでが死に切れるものなのか難しい。だから、ガス自殺をする人の中には、
「睡眠薬との併用」
を試みる人も多いという、
その方が確実に死ねるというのか、それとも楽な死に方を確実にする考えなのか、難しいところでもある。
後、変わったところでは、人知れずに死ぬことでm死体が発見されないということを望む人もいる。
例えば潮の流れの急な断崖から飛び降りるというものであったり、珠海に入り込むというのもその一つであろう。
いわゆる、
「自殺の名所」
と呼ばれるところがその主なところであるが、ミステリーなどの場合では、
「死んだことにして、他の人間になってどこかで生きている」
という発想も成り立つが、ここまでくると自殺論議とはまったく違った世界に入ってくるので、言及は避けたいと思う。
自殺にもいろいろな方法手段があるが、一つ言えることは、
「確実に死ねることは、想像するだけでも恐ろしく、楽に死ねると思うことは、生き残ってしまう可能性、そしてそれに伴う後遺症、さらに死に際の様相など、やはり自殺というものはロクなことはない」
と考えさせられるものである。
ただ、実際に自殺する人が本当にいるのは事実である。自殺する人がどこまで考えているのかは分かりかねるが、パッと考えてこれくらいのことは想像できるのだから、分かっていないということはないだろう。
当然、死のうと思うのだから、確実な死を望んでいるのだろうし、そのために、この世への未練を断ち切るだけの思いも一緒に抱えているはずなので、自殺という行為だけに言及する問題ではないように思う。
そんな中でも社会問題になるほどの自殺者の数、昭和二十年の終戦を迎えるまでは、行きたくても生きられない人がいた時代から考えれば、自殺者が多いという二十年後の世界をどのように考えただろう。
「本当に矛盾していることだな」
と考える人も多いだろう。
矛盾というのは理不尽がなければ存在しない。どちらかがいいことであれば、どちらかが悪いこと、それがバランスを取れなくなると、矛盾であったりが発生し、それが理不尽に思えることへ発展するのである。
自殺する人が多い中、最初は皆、自殺する人のことを、
「他人事」
というイメージで考えていたのではないだろうか。
特に、ニュースで話題にでもならない限り、自殺というものを意識することはないだろう。
実際に飛び降りる人や列車に飛び込む人でも見ない限り、近所で自殺者が見つかったりして警察が出動したりする場合は別だが、それ以外で生活していて自殺を意識することはないだろう。
だが、経済がそれまでの好景気から一気に不況になってくると、経営者を中心に、労働者にもその風当たりの強さは無視できないものとなってくる。
従業員にとって、給料が減らされるというだけでも大問題なのに、そのうちに首になったり、あるいは、いきなり会社が倒産したと言われたり、真面目な経営者ほど、ギリギリまで自分で抱え込み、まわりの人に心配を掛けないように努力するものだ。そして二進も三進もいかなくなると、それまで張り詰めていた気持ちが爆発し、現実逃避の気持ちから、無意識な自殺に及んでしまうという人も多かったことだろう。
遺書が存在するかどうかも分からない。
「なぜ死を決意したのか、まったく分からない」
という家族の、それこそ青天の霹靂を思わせる状況に、自殺者の、
「張り詰めた気持ちが爆発した「
という以外の説明がつかない状況をどう説明すればいいというのか。
そんなある日、テレビのコメンテイターの人が言っていたことに、
「これは、そもそも自殺菌という菌が影響していると言ってもいいんじゃないでしょうか?」
と言ったことがあった。
医学者でも精神的な専門家でもない、ただの社会派のコメンテイターの言葉に、ほとんどの人は聞き逃したことだろう。
もちろん、人が死ぬということなので、笑い話にするわけにもいかず、逆にそれを口にした人の不真面目さが批判を浴びるというくらいであろうが、なぜか自殺菌に対しての批判はなかった。
もっとも、それを口にした人はその人だけで、一度だけワイドショーで口走っただけのことだった。
「自殺菌などという言葉を使った人がいた」
ということを意識していた人がどれほどいただろう。
その日、当事者でして出演していた他のキャスターも、ほとんどがその言葉をすぐに忘れてしまった。
――忘れてやった方がいいレベルだ――
と思ったのかどうか分からない。
しかし、忘れてしまうことがあの場では一番ベターなことだったのは、紛れもない事実であろう。
だが、この時自殺菌という言葉を実際に意識し、頭から離れなかった人がいた。それは武則であり、武則はそのことを意識していたようだ。
武則の会社は倒産し、武則は会社経営者の自殺という事実に直面した。
しばらくは就職もなく、どうしていいか分からなかったが、
「捨てる神あれば、拾う神あり」
たまたま母校の高校の先生に相談に行った時、他の会社社長がその場に来ていた。
武則を見ていて、同じ業界で働いていたことが分かったので、いろいろ詰問してみたが、その回答は結構的を得ていて、しっかりしているということが分かったということで、その場で採用ということになった。
実は武則も自殺をまったく考えなかったわけではない。自殺を頭の片隅に置きながら、
――なるべく自殺なんてしたくない――
という思いから、自殺を思いとどまるためにどうすればいいか、彼は真剣に考えていた。
そんな時であった。ある食堂でついていたテレビ番組を見ていたが、別に見ようと思って見ていたわけではなかったのに、自殺が話題になってくると、耳が離せなくなった。
ふと聞こえてきた言葉に、
「自殺菌」
というものがあった。
――何なんだ、自殺菌というのは?
正直、好奇の気持ちしかなかった。
自分を救ってくれる言葉にはあまりにも程遠いものであるという意識とともに、
――何を死に対してバカにしたような発言をしているんだ――
と思った。
実際に他の出演者の表情を見ていると、完全に白けていた。言っている本人は、次第に饒舌になってきて、誰も止めることをしなかったので、どこまで突っ走るか分からないところまで来ていたが、メインキャスターが我に返ったのか、
「すみません、お話の途中ですが、コマーシャルです」
と言って、スタジオ内に用意されたスポンサーによる宣伝スポットが写しだされた。
当時からよくある宣伝方法であった。
コマーシャルが終わると、もう自殺菌の話は誰もしなくなった。最初に自殺菌を口にした人は黙り込んでしまって、最後まで何も語ろうとしなかったのは特徴的だったが、それも自殺菌という言葉を意識した人にしか感じることではなかったに違いない。
武則はそれを聞いて、
――自殺何て、つまらないもの――
と思うようになった。
彼が自殺を思いとどまったとすれば、それが理由となるだろう。
かくして、武則は運がよかったしかいいようがなかった。自殺を本当に試みたかどうか、今となっては分からないが、少なくとも思いとどまれたのは、自殺菌という言葉のおかげだった。
そのおかげでいい人に出会うことができ、その後も持ち前の真面目な性格が幸いして、仕事も順調に行き、その後の結婚から家庭を持つなどの、
「一般的な幸せ」
を手に入れることができたのだ。
そんな人が他にいたとは思えないが、本当に自殺菌という言葉はその時だけのものであり、誰も知らないというのが事実だろう。それがまた話題になったのは、
「時代は繰り返す」
という言葉が証明しているのかも知れない。
自殺菌という言葉がささやかれたのはそれから数十年後のことであり、意外なところから自殺菌について言及されることとなった。
先ほど、自殺についての「ウンチク」を書いてきたが、その話題に対しては、景気が落ち着き、自殺が社会問題ではなくなってからも、研究され続けてきた。
それは研究材料としてだけのことだったのかも知れないが、一時代の社会問題であったという事実に変わりはない。それだけにこの問題に終わりはないと言えるのではないだろうか。
武則は本当に自殺を考えていた。実際に意識として自分がこの世にいないという想像をしたこともあったし、一人寂しく死んでいくという妄想を抱くことができた。
――こんな気持ちになるなど、人生のうちでそんなにあることではない――
と思っただけに、近い将来、自殺をするものだと思っていた。
自殺については完全に他人事の発想だった。
――自分のことだと思ってしまうと、きっと自分で自分の命を断つなどできるはずもない――
と思ったからだ。
他人事のように思うことで自分が死を選んだとしても、それは正当化される気がした。そのために武則は、
「自殺菌」
なる架空の発想ででっち上げて、自殺という出来事の背中を押したものを正当化しようという考えだ。
だが不思議なもので、自殺菌というものを創造してしまったことで、今度は自分の中で躊躇いが生まれてきた。
一種の正義感に近いものであるが、それは自殺菌なとの悪玉と対決するという構図だった。まるでゲームか何かのようで不謹慎ではあるが、考えてみれば自殺を他人事として考えようとしてしまったことが招いた自殺意識。ゲーム感覚で何が悪いというのか。武則は自殺菌を考えてしまった自分に対して自嘲してしまった。
――何てバカバカしい発想をしてしまったのだろう?
と思うと、それまで何とか正当性を与えることでしようとしていた自殺が、急につまらないものに思えてきた。
本当は怖かったというのが事実なのかも知れない。恐怖心を感じたことで、せっかく正当性を主張するために創造した自殺菌なるものを抹殺しようとしているのだ。それはきっと自殺菌への創造というのが、
――恐怖心を和らげるための苦肉の策――
だったと考えると、さらに辻褄が合ってくる。
いったんつまらないと思うと、今度は自殺をする勇気が失せてしまった。生きていく勇気が生まれたわけではない。正直、死ぬのが怖くなったのだ。
――これほど人間臭いものはない――
と思ったが、自殺をするのも人間、結局最後は人間なのだ。
自殺を思いとどまった武則がそれから別に何かの強い意志を持ったわけでもなく、生きていくことの意義を見つけたわけでもない。
実際にそんな意義を探していたわけでもない。どちらかというと、流れに身を任せていただけだ。それなのに、何とか生きてこれたのは、
――人間なんて、しょせん余計なことを考えなくても生きていける――
という思いを持ったからなのかも知れない。
それまでの武則は絶えず自分のやることなすことに何かの理由をつけて、正当化しなければ気が済まなかったような気がする。そんな自分が何も考えないように生きていくなどできるはずもないと思ったが、一度自殺を考えたことで、何とかなることができたようだった。
「死んだ気になれば何でもできる」
と、自殺志願者によく言われる言葉である。
武則は、
――そんなのただの気休めだ――
と思っていた。
実際に今もそう思っている。自殺をする人間にいい悪いと言える立場ではない。もしそれを言える立場の人がいるとすれば、実際に自殺した人だ。それは未遂では成立しない。実際に死なないと分からないことだ。つまりは、生きている人間には資格はないということになり、
「実際には不可能である」
という結論に至ることだろう。
死ぬということはいろいろな葛藤がそこには存在するだろう。それが自然死であっても、寿命であっても、自殺であっても事故であってもである。
「気がついたら死んでいた」
という笑えない言葉もあるが、これも一つの真理と言えるのではないだろうか。
そこに未練があってもなくても、死というのはあっという間に訪れる。いくら一瞬で即死だったとしても、苦しんで死を迎えたとしても、命が断つ瞬間というのは、まったくの平等に一瞬なのである。
人はその瞬間をいかに迎えるべきかを考え、宗教に走ったり、一生懸命に生きようとする。それが本当に死を直視していることになるのかは分からないが、自殺菌を意識してしまった武則は、他の人にはない自分だけ、
――死の世界を覗いてしまったのではないか――
と思うようになった。
市の世界をこれからまた想像することもあるかも知れないが、少なくとも当分の間はないと思っていた。やはり、
「一度死を意識した人は、死についてあまり考えたくない」
と思うものなのではないだろうか……。
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