第19話 不吉を占う釜の音④

 茶羽織の鳴釜が二刀の連撃を繰り出す。対する日和も左右の手に計二つの武器を携えているが、質の差は歴然だ。だがそれ以上に剣の技に決定的な差がある。そしてその差を以てしても、膂力の差は如何ともし難かった。

 その差を埋めるべく、日和は同化の危険を覚悟で合氣道を行使する。『風見』による先読み、『流帆』による加速、『纏血』による身体と武器の強化、そのいずれが欠けても敗北は必至だ。ここにネオニホンソードが加われば勝利への道が拓ける。が、その剣は今この手にない。


 歯痒い想いで遠くへと飛んで行った愛刀を見やる。すると、横たわるネオニホンソードの向こうに、走り来る自動車が見えた。一椛の車だ。シェリルもあれに乗っているのだろうか。更に後方には、彼女らが引き受けたチャイナドレスの鳴釜が見える。

 次の瞬間、チャイナドレスの鳴釜が音圧の大砲を放った。先程、薄紫色の襤褸を纏う鳴釜が放ったものと同種の大技だ。日和は背筋が凍る想いがした。合氣道もなしにあれを受けたら命はない。その悪寒の正しさを証明するかのように、車が宙を舞って横転する。車体は上下逆さになって墜落し、そのまま天井部をそりに滑ると、信号機にぶつかって静止した。

 横転した車の運転席から、ぼろぼろのシェリル・X・カリバーが這い出でる。ひとまず命は無事なようだ。彼女はよろめきながら、半壊した後部座席のドアを引き剥がし、その中から一人の若い女性を引きずり出した。彼女は頭から血を流し、ぐったりとしていた。


「一椛!」


 日和は思わず叫び、彼女たちの下へ駆け出そうとする。だが、戦場で背中を見せることを許す敵はいない。すぐさま紫襤褸の鳴釜の拳が背後から襲い掛かった。背中に正拳を受け、日和は走り出した勢いのままうつ伏せに倒れる。

「くっ……」

 頬のすぐ傍を掠めた死の感覚に、自分が熱くなっていたことに気付く。が、既に遅かった。

 茶羽織の鳴釜が目前まで迫り、二本の木刀を振り下ろす。日和は折れた鞘でこれらを打ち払った。鳴釜は振り抜いた木刀を戻そうとするも、それより先に日和は半身を捩じった敵の胴へ回し蹴りを放っている。氣の流れに乗って加速した踵が腰を穿ち、体勢の不安定だった鳴釜を吹き飛ばす。


 再度車の下へ駆ける日和。しかしその瞬間、頭の中に電撃が走ったような感覚が襲い掛かり、膝を屈する。

 地に手を突き、乱れた息を整える。額の汗を拭う一瞬、日和は自分が今何をしようとしていたのかを忘れた。目を落とすと、手の甲と袖から覗く腕には、緑に光る氣の回路が走っているのが見えた。同化の症状だ。曇った窓を指で拭き、外の景色を見るように、半歩遅れて現実感を取り戻す。


「一椛……シェリル!」


 名前を呼び、彼女たちの下へ駆けようとするも、神経が凍り付いたかのように動かない。心と体とが上手く接続されていないかのような感覚だった。無理を押して急激な合氣道を行使し続けたことによるリバウンドが蓄積し、肉体が氣との同化現象に見舞われたのだ。

 日和は唇を噛み、折れた鞘の先を手の甲に打ち付ける。痛みを頼りに肉体の実感を喰らった。ぶたれた左手が痛みに痺れる代わりに、全身から同化による痺れが退いていく。が、まだ完治からは程遠い。


 日和は何度も何度も左手に鞘の先を打ち付けた。骨が割れようが、神経が千切れようが知ったことではなかった。日和の心中には怒りが渦巻いていた。

 全身を内側から焼き尽くす無力感に、日和は声の限り吠えた。このとき日和は力を求めた。

 その力への飽くなき希求が、自らがこの世界を揺るがさんとする意志が、己と己の生きる現への執着が、日和の存在を侵す氣に指向性を与える。即ち、外の世界ではなく、己の内へと。氣が収束し、少しずつ、ひとつの濃く重い塊へと化していく。

 日和の体を這う緑光の回路が、血のような深紅に燃える。同化の反転、鬼化が起こったのだ。


 日和は肉体の自由を取り戻した。代償として、体を動かす度、燃えるような激しい痛みが全身を駆け巡った。ある意味それは、日和が肉体の対価として既に引き受けていたものでもあった。

 折れた鞘の両端を捨てる。背後から薄紫の襤褸を纏った鳴釜が迫っていた。振り返りざまに手刀を打ち込み、腕でガードされるや否や、踏み込んで膝蹴りを見舞う。続けて裏拳、掌底と放ち、よろめき後退ったところを合氣道で投げ、一回転させて背中から地面に叩き付けた。

 今度は茶羽織の鳴釜が来る。ひどく苛立っていた日和は、取り合う気になれず、渾身の『流帆・空衝』で圧し飛ばした。立ち上がった紫襤褸の鳴釜も同様に圧し飛ばす。


 不意に焼ける痛みが視界を眩ませ、意識が遠退く。日和は頭を押さえ、地に膝を突いた。酩酊がひどい。息をする度に肺が焼ける気がした。

 このままでは本当に妖になってしまう。そうしたら一椛にもシェリルにも合わせる顔がない。それどころか暴走して彼女たちをこの手に掛けかねない。

「私としたことが、こんな……クソッ」

 懐から鬼化抑制剤を取り出し、袖をまくって腕に打ち込む。皮下に浸透していく薬液の効能で、赤く燃える文様が青く澄んで消えた。もとよりサムライの常備品のひとつではあるが、シェリルの為に用意したつもりが、まさか自分に打つことになるとは。日和は未熟な己を恥じた。これでは師失格だ。


 深く息を吸い、焦る気持ちを鎮める。が、気が立って上手くいかない。氣が乱れている。このような精神状態での合氣道は自殺行為だ。

 辛うじて最低限の冷静さを取り戻した日和は、現状最優先ですべきことを見極め、実行した。即ちネオニホンソードの回収だ。剣がなければ何も守れない。

 それを阻もうと考えてまではいないだろうが、それを阻む者が当然あった。再起した二刀の鳴釜が背後から切り掛かる。日和はあえて合氣道を封じ、この体本来の力のみでこれを避けた。


 振るわれる木刀をかいくぐりながら、日和は思わず縋る想いでジャケットのポケットに手を添えた。切り札を切りたい誘惑に駆られる。が、それこそ自殺行為だ。呪具に込められた氣を解放したとして、今の状態で御し切れるはずもない。

 万事休すか、あるいは。日和はジャケットの上からストラップを握り締める。


 そのとき、新たな希望が彼方より昇った。


「──ヒヨリサン! コレヲ!」


 声のした方を振り向く。果てなき晴れ空の如く澄んだ、ライトブルーの煌めき。今まさに欲した、守る為の力だ。


 投擲のモーションから姿勢を戻し、大きく手を挙げてサムズアップしてみせるシェリル。その後ろ、横転した車体の傍らには、横たわる一椛の姿があった。傷は深そうだが、シェリルの様子を見る限り、ひとまず命に別状はなさそうだ。


 思わず頬が緩む。日和は大きく側転した。その過去位置を鳴釜の木刀が打ち払い、時を同じくしてシェリルの投げたネオニホンソードが飛び込む。はたしてネオニホンソードは、鳴釜の胸に深々と突き刺さった。

「ありがとう、シェリル!」

 愛弟子へと叫び返し、それとは逆の方向に駆ける日和。鳴釜の胸に刺さったネオニホンソードの柄を握り、一気に引き抜く。久しく思える、手に馴染んだ刀の感触。自分はサムライであるという実感を噛み締め、日和は刀を振るった。


 迎え撃つ茶羽織の鳴釜。しかし妖の木刀とネオニホンソードとでは、武器としての質の差は歴然だ。そして、それ以上に剣の技において決定的な差がある。いかに膂力で秀でようと、この差を覆すことなど不可能だ。

 目にも止まらぬ剣捌き。合氣道を用いるまでもなく、日和は純粋な剣技のみで瞬く間に二刀の鳴釜を追い詰めていく。釜の音の共鳴さえなければ、この程度の妖に遅れを取る所以はない。

 茶羽織の鳴釜の持つ二刀のうち、一刀が半ばから断ち割られる。一刀のみとなった鳴釜と鍔迫り合い、膂力で負けるにもかかわらず、刀の鋭さで押し通した。


 刹那、ピコンピコン、と電子的な警報が鳴る。日和にとっては聞き知った音で、その源がどこかは明白だった。日和は慌てて刀を妖の木刀から離し、敵から距離を取る。

 警報の源は、他でもないネオニホンソードの柄。電池切れが近いのだ。

「何……ッ!? 馬鹿な、なぜ今……!」

 思わず舌打ちする日和。昨夜バッテリーパックを入れ替えて充電を満タンにしておいた。こんなに早く電池が底を尽くはずがない。

 そこで日和は思い至る。薄紫色の襤褸を纏う鳴釜の、へらに似た形の鈍器。あれを断ち割るのに失敗し、しばらく刃が鈍器に刺さったままになっていた。鳴釜は刀を折ろうとして失敗したものの、その際に刀身にかなりの負荷が掛かったことは疑いようがない。それに耐えるだけの強度を維持する為、ネオニホンソードは多量の電力を消費したのだろう。


 遂に、ビーッ、という警報を最後に、青に輝く刀身から色と光が失せ、元の鈍色に戻る。

 代わりに日和の顔が青くなった。すかさず懐を漁り、予備のバッテリーパックを探す。が、ない。どこにも。まさか忘れたということはないだろうが、どこかに落としたのだろうか。


 再び茶羽織の鳴釜が果敢に木刀を振るう。日和は後退してこれを躱すも、当然敵は追い縋る。躱し切れず、やむなく刀で受け流す。が、非通電ディアクティブ状態モードでの強度など高が知れている。あまり打ち合っていると、今度はこちらの刀が折られかねない。

 一椛なら予備のバッテリーパックを持っているかもしれない。日和は臆面もなく踵を返し、再び横転した車の下へと走った。後ろから茶羽織の鳴釜と、更に紫襤褸の鳴釜も追い掛けて来る。


 鈍色の刀を携えて逃走する日和の姿に、シェリルは思わず首を傾げた。その傍らに寝そべる一椛が、億劫そうに体を起こす。

「イチカサン!? 起きちゃダメデス! 安静にしてないト!」

 シェリルが心配すると、一椛は面倒そうに眉をしかめる。が、すぐに観念したように再び寝そべった。彼女は仰向けの姿勢のまま、懐からUSBメモリディスクのような形状のスティックを取り出すと、そっとシェリルへと差し出した。ネオニホンソードのバッテリーパックだ。

「これを……お嬢様に」

 すぐに状況を理解したシェリルは、受け取ったバッテリーパックを持って走り、日和へと投げ渡した。日和はそれを掴み、先程と同じように礼を言って反転する。


 柄の端を開き、バッテリーパックを射出。すかさず予備パックを再装填。トリガーを押すと、鈍色に沈むネオニホンソードの刀身が青の輝きを取り戻した。

 弓を引き絞るような独特の姿勢で剣を構え、襲い来る二体の妖を迎え撃つ。ネオニホンソード斬術、三の型『剃簾』。後ろに退いた剣で迫り来る攻撃を切り払い、返す刀で敵の足を払う。脛を裂かれ、体勢を崩しながらも木刀の刺突を見舞う、茶羽織の鳴釜。その闇雲な一撃を容易く躱し、青く弧を描く斬撃の暖簾でその右腕を斬り飛ばす。


 ここから一歩踏み込んでの袈裟懸けの一太刀。それで茶羽織の鳴釜を屠れる。が、日和はあえてそれをせず、代わりに反転して背後の敵に斬り掛かった。

 こん、と釜の音が鳴り、氣が淀む。しかしその時には既に、日和の振るう青の刃が、獣のような毛むくじゃらの両腕を斬り落としていた。続く斬撃の乱舞。襤褸の切れ端が舞い、黒い炎となって霧散する。鳴釜は胴を斬られ、首を斬られ、頭の釜を真っ二つに断ち割られた。釜を為していた核となる鉄塊が砕け、氣の収束が解かれる。存在の源を断たれ、鳴釜は漆黒の爆炎となって消えた。


 まずは一体。残心して敵の消滅を見届け、日和は置き去りにしたもう一体の鳴釜へと振り返る。

 調律の狂った木管楽器のような不快なリズムが鳴り響き、粘ついた金切り声が地を震わせる。茶色い着物に身を包む鳴釜は、頭の釜を鳴らし、その身に氣を溜め込んでいた。


「テェーン……テェーン……」


 ドン、という爆撃を思わせる轟音。凄まじい音圧が地を揺らし、空を軋ませる。

 タイミングを合わせ、日和は氣とひとつになって刀を振るった。音速の衝撃を、それに勝る速度の斬撃が駆け抜け、刹那、真空の柱を作り出す。

 びりびりと掌を震わせる音圧の反動。それ以上に、またしても合氣道のリバウンドによる同化の緑光が日和を襲った。このままでは長くは持たない。が、もとより長く持たせるつもりもない。日和は刀を胸の前で垂直に構え、氣と共に呼気する。


「ネオニホンソード斬術、一の型『切澄』!」


 再び力を溜め込み出す鳴釜。しかし二度目はなかった。釜の頭が宙を舞う。日和は水平に薙いだ刀を切り返して上段に構える。渾身の斬撃が釜の頭へと振り下ろされ、その存在の源を断ち割った。

 首のない体ががっくりと膝を突き、二つに分かれた釜の頭と共に、黒い炎となって消滅する。その最期を見届け、日和は深く息を吐いた。


「やりましたネ、ヒヨリサン」

 シェリルが声を弾ませる。日和は心を落ち着かせ、自身の氣を調律しながら訊いた。

「鳴釜は全部で三体いたはずだが……倒したのか?」

「ハイ。勝手ですみませんガ、ヒヨリサンのネオニホンソードをお借りしまシタ」

「そうか。ありがとう」


 トリガーを押し、ネオニホンソードの電源を切る。刀身から色と光が失せると共に、日和の体からも力が抜け落ちるようだった。日和はその場に両膝を突き、息を荒げて再びシェリルに訊ねた。

「一椛は……?」

「ひとまず命に別状はないみたいデス。さっきも一回目を覚ましテ、ヒヨリサンにってバッテリーを渡してくれましたシ。デモ、頭を強く打ったみたいなのデ、早く病院で診てもらわないト……」

「……そうか。ありがとう」

 日和はもう一度礼を言った。一椛が目を覚ましたら、彼女にもちゃんと礼を言おうと思った。そして、謝罪も。


 間もなく救急車のサイレンが聞こえた。妖災警報の発令と共に出動した救急隊の、最後のチームだろう。戦闘区域外で待機し、妖氣が収まったところで戦域跡地に急行するのが、彼らの手筈だ。

 そして妖氣の収まりを感知できたということは、妖災区域の調律を担当する神職も既に現着し、救急隊と同行していると見てよさそうだ。一体一体は然程強力な妖ではなかったとはいえ、三体だ。今回の氣の調律は楽ではないだろう。街の被害も大きく、そちらの処理も大変そうだ。


 安心して力が抜けた。日和は深く息を吐き、額の汗を拭った。少し落ち着くと、汗に張り付いた髪の毛が気持ち悪くなった。

 すると、ネオニホンソードが抜き身のままだったことに、遅ればせながら気が付いた。鞘は真っ二つに折られてしまった。続けて刀を通せば、一応はそれらしく仕舞えるだろうか。はたしてどうしたものか、と日和はシェリルと顔を見合わせ、少しだけ笑った。


 そのとき、ふいに鈍色の刀身がぽきりと折れた。


「あ」「ア」

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