第18話 不吉を占う釜の音③

 褪せた青緑のチャイナドレスに身を包む釜頭の妖が、さながらカンフーの如き動きで拳を叩き込む。ともすれば鉄をも穿ちかねる打撃だ。まともに喰らえば一撃で骨が粉々になる。

 シェリルはそれを、騎士として鍛え抜かれた動体視力と、にわか仕込みの合氣道『風見』で見切り、避ける。敵の拳は恐ろしく速いが、視えていれば躱せないことはない。バーティツの体捌きで妖の拳を紙一重で避け、あるいは受け流し、時に至近距離からの銃撃で牽制する。


「なん、ノ……ヘアッ! あうチッ!」


 妖の拳を受け流し損ね、衝撃でガードした腕を弾き飛ばさ、その手から拳銃が舞う。未熟ゆえに暴発を警戒して『纏血』は使用していない為、氣を用いた身体の強化・防護はほとんど為されていない。妖の攻撃が掠っただけで、痺れるような痛みが襲い掛かる。

 これでは丸腰も同然だ。妖の一体を引き受けたはいいが、これでは身が持たない。


 刹那、頭の奥に甘い囁きを幻聴する。この身に巣食う漆原岬の氣が、シェリルを妖の道へと誘っていた。

 あの力があれば、この程度の妖を打ちのめすなど造作もないだろう。剣さえ必要ない。ただこの身ひとつで事足りる。その力は既にこの身の内にあるのだ。後はそれを解き放つだけでいい。己への戒めを捨て、力への執着に焦がれさえすれば。


 迫る拳。風を突き破って襲い来るそれを、シェリルは両の掌を回転させて受け流した。身体の動きを氣の流れを合わせ、正拳の衝撃を拡散。続けて滑るようにその腕を絡め取り、チャイナドレスの襟元を掴んで背負い投げる。地面に叩き付けるや、即座にその腕から手を離し、残心して距離を取る。

 剛に剛をぶつけるのではない。柔を以て剛を制す。それが合氣道だ。慣れ親しんだ故郷での戦い方にこだわり、剛の力に固執すれば、それはたちまち妖の道への誘いとなる。シェリルは明鏡止水の呼吸で己が氣を調律した。


「ワタシはワタシ。アナタはアナタ……そしてワタシは剣士デス。鬼にはなりませんヨ、ミサキサン」


 シェリルはここにはいない主人に宣言する。日本で戦う道標を指し示してくれた師は他にいる。国は違えど、剣士は剣士。悪魔は悪魔だ。

 目を閉じて、落としたグロック17へそっと手をかざす。拳銃との氣のリンクを構築し、手繰り寄せた氣の道に乗せ、手を触れずに拾い上げる。シェリルは取り戻した銃把の感触をしっかりと握り締め、起き上がったカンフーの鳴釜と対峙する。


 鳴釜は首をぐるぐると回した後、両手を広げて飛び掛かる。グロック17で迎撃するシェリルだが、鳴釜はチャイナドレスの袖で銃弾を弾く。

 やはり合氣道に依らない物理攻撃では妖に届かない。シェリルは左手を腰の横に引き、手首と手首を重ねて両手を十字に組んだ。目を瞑り、明鏡止水の呼吸で氣との調和を図る。マナの如くに氣を練り上げると、体に青く光る氣の回路が這った。魔術の手応えを感じ、詠唱を開始。青の回路が赤く色付く。


Prayers reach,祈りは届き、| the hope comes down from the sky. 《希望は天より舞い降りる。》|But it's not god bless. 《されどそれは神の祝福に非ず。》|In any era, the Hero stands up for the friend.《いつの世も英雄は友の為に立ち上がる。》──Blast Magic, Azure Spark!」


 特異な進化を遂げた魔力を編み込み、西洋対魔武術における最も基礎的な攻撃魔術のひとつを撃ち放つ。突き出された左の掌から蒼の閃光が迸り、迫り来る日本の妖を中空で撃墜した。

 光が爆ぜ、蒼の火花が散る。黒煙の中から鳴釜が転がり落ち、背中から路面に叩き付けられる。


 が、妖はすぐに立ち上がった。焼け焦げた体からぷすぷすと煙を上げているが、大したダメージは入っていないようだ。

 シェリルとしても、術を撃った手応えは微妙なものだった。もとより魔術は得意な方ではない。合氣道の要領で氣を扱ってみたはいいが、現状は精々が目眩まし程度の効果しか期待できないだろう。

 それどころか、氣を圧縮させた副作用で鬼化が進んだ。シェリルは再度呼吸を整え、氣を調律して進行した鬼化から逃れる。

 ひとまずそれらを確かめられただけでも今回は十分だ。気持ちを切り替え、シェリルはグロック17を構える。粘ついた金切り声を上げる鳴釜。そこへ更なる轟音が降り注いだ。一椛の駆るHK416Cだ。


「のわわわワ!」


 慌てて伏せるシェリル。流れ弾に気を付けて射角が取られているようだが、避ける妖を銃口が追った瞬間、銃弾はこちらまで来かねない。実際に彼女から銃口と殺意を向けられたこともあり、増援を頼もしく思う気持ちと同じくらい恐怖があった。

 続く爆音。今度のそれは手榴弾の炸裂だ。その冷徹な風貌に似合わず、つくづくこのメイドは乱暴だ。

 今度は音も気配もなく、気が付けば彼女が隣にいた。シェリルは思わず腰を抜かす。


「ひィ……ッ」

「逃げますよ。立てますか」

「ハイ……」


 子犬のような声で鳴き、シェリルは一椛の後に続いた。

 カンフーの鳴釜が追う。妖の脚力で一息に頭上を飛び越え、眼前に着地。無駄を承知で二人は牽制の銃弾を放つ。鳴釜の体が深紅の氣に燃え、弾丸を打ち砕いていく。間もなくシェリルの拳銃は弾薬が尽き、一椛のライフルも弾倉が空になった。一椛は眉ひとつ動かさずリロードする。


「すいまセン、イチカサン。弾ハ……」

「もうありません。代わりにこれを」

 そう言って一椛はスカートの下からベレッタPx4を抜き、シェリルに手渡した。今返しても荷物になるだけだと思い、グロック17は尻ポケットに突っ込む。

「ありがとうございマス。ワタシが前に出ますかラ、イチカサンは援護をお願いしマス」


 改めて銃を構える二人。睨み合うカンフーの鳴釜が、淀んだ雄叫びを上げて疾駆する。


 唸る自動小銃。しかし妖はそれをものともせず突き進む。一椛は射角を落とし、敵の足元を狙った。が、それで転倒を狙えるのは、深紅に燃える妖の防護がない場合に限ってのこと。今度ばかりは、多少躓きこそすれ、ほとんど勢いを落とさなかった。

 しかしその間に、二人は撃ちながら後方に退いていた。ただ距離を取るだけが目的ではない。二人が下がった先にあるのは、ここまで乗って来た自動車だ。


 シェリルは運転席に乗り込み、キーを回した。エンジンが吹くと同時に、一椛は銃撃を中断して後部座席に滑り込む。

 鳴釜が追い縋る。狙いは完全に日和からシェリルたちに移っていた。敵の気が変わらぬよう、後部座席の窓から身を乗り出した一椛が、牽制の素振りで挑発の銃弾を放つ。鳴釜は妖の脚力で駆け、跳ぶものの、自動車の走力がそれを振り払った。

 運転の最中、シェリルは視界の端に青い光を見咎める。通り過ぎたそれをサイドミラーで確認すると、それは日和のネオニホンソードだった。あれを回収して日和に届けられれば戦況が動く。ミッションが増えたが、勝機が見えた。


 シェリルはハンドルを切り、迂回して戻るルートを脳内の地図に引いた。一度車を止めて剣を拾う都合、敵との距離を十分に確保しなければならない。最後は直線で突き放す必要がある。

 彼女の方が射撃が得意だから、と一椛に後部座席を譲ったことが裏目に出たかもしれない。持ち場が逆であれば、走行中の車から飛び降りて剣を拾い、また車に飛び乗るという手段もあった。それに運転の腕も一椛に軍配が上がる。一椛も同じことを思っているのか、後部座席の空気が些か重かった。


 とはいえ過ぎたことを悔いても仕方がない。シェリルは妖から逃げながら決めたルートを進み、最後の直線に入った。フロントガラス越しに広がる景色の先に、横たわったネオニホンソードが見える。

 アクセルを踏みながら、最後にもう一度、バックミラーで後方の鳴釜を確認する。獲物に逃げられ続けているカンフーの鳴釜は、苛立ちに爪先を打つかのように釜の音を鳴らしていた。


「……|I have a bad feeling about this《嫌な予感がする》.」


 思わず母国語で呟くシェリル。『風見』による先読みか、あるいは騎士の勘か、シェリルは釜の音に凶兆を感じた。その予感を裏付けるように、固くくぐもった金属音が木霊し、周囲の氣が油を浴びたかの如く淀んでいく。

 シェリルは車酔いに似た眩暈を覚え、思わずブレーキを緩く踏んだ。車体が減速し、鳴釜との距離が縮まる。


「カーッ……」


 カンフーの鳴釜が鳴く。ゆらゆらと不気味なダンスを踊り、頭の釜を鳴らして。その頭の釜に、高密度の氣が集中する。


 ドン、と爆撃の如き轟音。凄まじい風圧が高密度の氣と共に押し寄せ、シェリルたちを乗せた自動車が浮き上がる。『流帆』で空中の車体を立て直すことなど望むべくもなく、車体は真っ逆さまになって信号機に追突した。

 エアバッグが作動し、火薬の匂いが車内を満たす。シェリルは半壊したドアを蹴破り、体を引きずるようにして外に出た。


「イチカサン……イチカサン! しっかリ!」


 後部座席のドアを引き剥がし、ぐったりと倒れる一椛を車から引きずり出す。彼女を抱きかかえると、べっとりとした感触が掌に触れた。

 一椛の容態は深刻だった。後部座席ゆえにエアバッグもなく、射撃の為にシートベルトもしていなかった為、車が横転した衝撃をまともに喰らったのだ。武術の心得があり、寸前で銃を捨てて受け身の構えを取ったのだろう。辛うじて即死は免れた。が、意識はなく、強く打ち付けた頭からはどくどくと血を流している。

 シェリルは緊急医療キットを積んだトランクを見上げた。が、車体の上下が逆になり、更に座席部分が三割ほど潰れたせいで、トランクを開けるのは困難を極めた。シェリルはジャケットを脱ぎ、Tシャツの長袖を破って一椛の頭に巻き付けた。今できるのはこれが限界だ。


 不意に、背筋に悪寒を感じる。カンフーの鳴釜が背後に迫っていた。

 振り返った刹那、蹴り上げられた爪先がみぞおちに食い込む。シェリルは体をくの字に折られて吹き飛んだ。

「ガ……ッ」

 受け身も叶わず、背中から路面に叩き付けられるシェリル。痛みを押して上体を起こすと、鳴釜は先に弱った獲物に止めを刺すべく、仰向けに寝る一椛の頭を掴んだ。

「ダメデスッ!」

 思わず叫ぶシェリルだが、体がついて来ない。爆音で遠くなった耳の奥で、少女の甘い囁きが幻聴した。


 ゆらり、と一椛の腕がおもむろに持ち上がり、カンフーの鳴釜の喉元に銃口を突き付ける。刹那、迸る轟音。大技を放った直後で氣の防護が緩んでいたというのもあるだろう。ゼロ距離からライフル弾の洗礼を受け、鳴釜は無様なダンスを踊って頭から吹き飛んだ。

 ぱたり、と落ちる腕。入れ替わるように、ぼろぼろの一椛が幽鬼の如く起き上がる。再びかざされる銃口。轟音と共に、仰向けで悶える鳴釜に破壊の豪雨が降り注いだ。殺戮をプログラムされた機械人形を思わせる、一切の淀みのない動きだった。


「イ、イチカサン──ひィッ!?」


 一椛の瞳を覗き込んだシェリルは、ぞっとするほど冷たい彼女の瞳に、思わず悲鳴を上げた。

 およそ人間の眼光ではない。悪魔たちが互いの魂を喰らい合った蠱毒の壺がキラーマシンに宿りでもしたら、およそこのような眼になるだろうか。いずれにせよ、武家に仕える身だからといって、一介のメイドの眼でないことだけは確かだった。


 弾倉が空になり、銃声が途切れる。同時に糸が切れたかのように、一椛の体からも力が抜けた。シェリルは凍り付いていた自分を叱咤し、倒れる彼女を抱き留める。錆び付いた血の匂いの中に、爽やかなサボンの香りを感じた。

「イチカ、サン……?」

 呼び掛けるも応えはない。頭に巻かれた白いシャツの袖を真っ赤に濡らし、青ざめた顔で気絶していた。顔に頬を寄せてみると、浅いが息はあった。一抹の安堵を胸に、シェリルは彼女をそっと横たわらせる。

 敵はまだ健在だ。彼女の安全を思えばこそ、脅威を取り除く必要がある。


 起き上がり小法師Tumbler dollのようにゆらりと再起するカンフーの鳴釜。シェリルは痛みを押し、バーティツの構えで迎え撃つ。

 無論、このまま戦っても勝てないことは百も承知だ。しかしシェリルには切り札がある。

 拳を強く握り締め、深く息を吐く。呼吸と共に氣を取り込み、血管を通して全身に巡らせた酸素を燃やす様をイメージする。魔術を操るように、己の内で氣を圧縮。慎重に枷を掛けながら、その力を解き放つ。


「──ヘアッ」


 深紅の瞳を見開き、風を巻いて突撃するシェリル。炎の文様を纏った拳が、釜の頭を打ち抜いた。

 初撃の勢いに乗り、力の限りに妖を殴打。動く度に全身に燃えるような痛みが走った。

 気力で耐えるだけでは意味がなく、むしろ逆効果でさえあることもわかっている。同化と鬼化は表裏一体。氣に飲み込まれそうになったとき、それに打ち勝つほど強く現の己に執着することで、人は妖と化す。

 これはほとんど自殺行為だ。だが、打てる手がそれしかないなら迷うことなく打つ。

 何より、シェリルは決して自分を諦めた訳ではなかった。もう少しで希望に手が届く。


 ジャブの連打で隙を作り、足払いを掛けて体勢を崩す。敵の体が中に浮いた瞬間、シェリルは払った足を持ち上げ、返す踵脚たんきゃくでストレートキックを放った。胸板を打ちのめされ、鳴釜の体が大きく後ろに吹き飛ぶ。それを見送ることなく、シェリルはすぐに駆け出した。

 昂揚が全身を満たしていた。体術で妖を圧倒しながら、この力に喜びを禁じ得なかった。まさに魔術的な誘惑だ。また耳の奥で幻聴が聞こえる。少女の甘い囁きが、こちらへ来てと誘っている。

 走りながら、シェリルはかぶりを振った。自分は剣士だ。やむなく悪魔の力を借りはしたが、魂まで売り渡すつもりはない。


 然るべき力へと手を伸ばす。その力はシェリルの想いに応えるかのように、シェリルの手の中へと飛び込んで来た。青く光る刃──ネオニホンソードの煌めきをその手に握り締める。

 嘘のように軽い。まるでオモチャのようだ。だが、手には感じない重みを、シェリルはその剣から感じた気がした。


 ライトブルーのネオニホンソードを構え、反転して敵と向き合う。シェリルは手にした新時代のサムライの刀を、手首と指先で乱回転させた。この軽さでは、ロングソードを用いた剣術の要領では、かえって動き辛そうだ。ここはバーティツのステッキ術をベースとした動きで戦うのがいいだろう。

 シェリルは懐から鬼化抑制剤を取り出し、自分の首に打った。また鬼化の症状が現れたときの為にと、日和から渡されたものだ。その効能が現れ、深紅に燃える文様は青く澄んで消える。


 ネオニホンソードを手に駆ける。迎え撃つカンフーの鳴釜。その拳と蹴りの乱舞を、それを遥かに上回る速度の剣で捌き、斬り返す。その軽さゆえ、オリジナルのステッキ術と遜色ない、縦横無尽な機動が可能だった。そしてその鋭さゆえ、僅かに掠っただけで、銃弾すら寄せ付けない妖の体を容易く切り裂く。

 初めて実際に振るってみたその軽さと切れ味に、シェリルは内心舌を巻いた。なるほど晩代の剣などと呼ばれただけはある。これはおよそ人類が手にできる最高峰の剣だと感じた。


 青の光が弧を描く。その軌跡を彩るように、千切れた妖の羽織と血肉が黒の火花となって散り咲いた。刃と拳の応酬は、僅か数秒。その数秒のうちに勝敗は決した。


 両手で柄を握り横薙ぎの一閃。青の刃は妖の胴を切り裂き、支えを失った上半身が傷を滑って落ちる。

 振り向きざまに返す刀を一太刀。真っ向唐竹割の一撃が頭の釜を断ち割り、コアとなっていた鉄塊を打ち砕いた。核を失くした妖は氣の収束が乱れ、黒い炎と化して爆散する。

 シェリルは剣を振り戻して残心し、その炎を見送った。

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