第17話 不吉を占う釜の音②

 三者三様の鳴釜が不吉な音色を奏でる。空間が歪んで見えるほどの氣の淀みを感じ、日和は隙を作らぬよう精神を律した。


 その淀みは、距離を保って避難者たちの警護に当たっていたシェリルたちにも伝わっていた。

 合氣道を学んで浅い身ながらも、剣士の勘が凶兆を報せる。一体だけなら深刻な脅威ではなかった。しかし三体も揃ったとなればそうはいかない。単純に敵の数が三倍になったというだけの話ではないのだ。釜同士が共鳴を起こし、その音色の効力を飛躍的に増幅させている。決して侮っていい相手ではない。


 シェリルとしては、すぐにでも助太刀に参じたい気持ちだった。しかし、剣を持たず合氣道の心得も不十分な今の自分では足手まといだということもわかっていた。悔しさに、シェリルは借り受けたグロック17の銃把を固く握り締める。

 が、このまま何もしない訳にはいかない。幸い、避難は完了し、辺りは無人だ。シェリルは隣に立つ一椛へと振り向いた。


「すみまセン、イチカサン。ワタシ、ヒヨリサンを助けに行きマス!」

「お待ちください、ミス・カリバー。今の貴女では──」

 一椛の返事を待たず、シェリルはハンドガンを手に飛び出した。その姿を横目に見止めた日和が慌てて声を上げる。

「待て、シェリル! こいつらは──」

「わかってマス!」


 シェリルは叫び返しながら、膝立ちになって両手でグロック17を構え、カンフーの鳴釜の膝裏を撃ち抜いた。関節を打たれた妖は膝を屈し、バランスを崩して転倒する。

 起き上がったカンフーの鳴釜は、己の腕よりも長い袖を盾にして銃弾を弾き、重く粘ついた金属音を鳴らして反撃に出る。が、それこそシェリルの目論見通りだ。最大の脅威は釜の共鳴にある。ならば三体の敵を分断することが第一だ。たとえ敵に有効打を与えられるのが日和一人だけだとしても、その日和が敵を一体ずつ確実に仕留められるよう、他の敵の注意を引き付けながら逃げ続けられれば十分だ。


 銃撃で挑発しながら逃げるシェリルと、それを追うカンフーの鳴釜。その様子を見て歯噛みしながらも、日和はすぐに気持ちを切り替えた。

 シェリルの策はすぐにわかった。合氣道が未熟で剣も無いとはいえ、イギリスで悪魔と戦って来たシェリルの強さは本物だ。ここは師として未熟な弟子を心配するよりも、同じ悪魔退治の専門家として信頼するべきだろう。


「すぐに行く。それまでそいつは任せた、シェリル!」

「ヤー!」


 シェリルの姿を見ずに声だけを聞き届け、日和は再度調息して残る二体の鳴釜と対峙した。

 茶羽織の鳴釜が二本の木刀で斬り掛かる。日和は『剃簾』の構えでそれを迎え撃ち、倍の数で襲い来る木刀を倍の速度で相殺していく。

 後ろに控える薄紫の襤褸の鳴釜が、頭の釜を鳴らして周囲の氣の流れを淀ませる。暗く冷たい釜の音が、茶色の羽織に身を包む妖の頭の釜をも鳴らし、歪にねじれた不協和音を掻き立てた。


 釜の音に氣の流れを乱され、神速に閃く日和の剣が鈍らされる。日和は歯噛みしながらも茶羽織の鳴釜の二刀を捌くと、敵の攻勢が崩れた一瞬の隙に、カウンターの斬撃を放った。肘と手首を回転させての、斜め上からの弧を描く斬撃。青の刃が敵の胴を斬り下ろす。

 が、ここで『剃簾』の弱みが出る。退きながら防御に徹していた為、必殺を賭すには些か間合いが遠かった。傷は浅く、茶羽織の鳴釜は即座に二刀を構えて防御体勢に入る。

 追撃の刃は阻まれると判断した日和は、再度切り結ぶことはせず、敵の攻勢が途絶えたこの隙に左の掌を突き出した。合氣道『流帆・空衝』。不可視の張り手が獲物を風の道へと追い込み、氣によって紡がれた風下へと押し流す。


 二刀の鳴釜を間合いの外へと追いやると、日和は『流帆』で道を敷き、後ろに控える紫襤褸の鳴釜の下へと跳躍した。

 敵の背後に着地すると同時に、振り返りざまに横薙ぎの一閃。これはへらのような形の鈍器で防がれる。が、日和は角度を変え、続けざまに鳴釜を斬り付けた。鳴釜は鈍器を盾にこれを防ぐ。が、度重なる打ち合いの末、妖の得物は遂にネオニホンソードに屈した。

 灰色の鋼が裂け、喰い込んだ青の刃がその亀裂を圧し広げる。両断まであと一息。日和は刀を握る両の手に力と氣を込めた。


 鳴釜も負けじと妖の氣を込めて踏み応える。その間にも、サムライの刃は妖の得物を断ち割っていく。秒針の如く刻まれる亀裂。ものの数秒の鍔迫り合いを経れば、ネオニホンソードは妖の得物を両断し、その存在の源を絶つ。

 が、もう一体の敵がいるこの状況で、その数秒はあまりにも長過ぎた。


「テェーン!」


 再起した二刀の鳴釜が駆ける。日和は舌打ちし、斬り掛けの鈍器から刀を引き抜こうとした。

 逃すまいと鳴釜が手元を捻り、鈍器に突き刺さった刀身を搦め取る。ネオニホンソードの強度ならばこれで折られることはない。あるいはその強さが災いした。迫る二刀の鳴釜に気を取られた一瞬の間に、得物を絡め合う妖の怪力で足を崩されてしまう。遅れて対抗するも、七鬼衆に焼かれた左肩に裂かれるような痛が走り、その掌から剣の柄が抜け落ちた。

 振り降ろされる木刀。日和は咄嗟にこれを避けるも、次の瞬間、紫襤褸の鳴釜の鈍器が襲い掛かる。鈍器に刺さったネオニホンソードが懐に切り込み、柄の先がみぞおちを突き打った。


「かは……っ」


 急所を打ち抜く打撃に、日和の目に映る世界が暗転する。幾重にも分かれた視界が再びひとつに収束したときには既に、二体の鳴釜が目の前に迫っていた。

 日和は釜の音に耐えながら、『風見』で敵の動きを先読みし、『流帆』で自身の体術を加速させ、『纏血』の防護を頼みに素手で木刀を弾く。その代償として、またしても合氣道の乱用による同化現象が襲い掛かる。過度の調和により肉体が氣に侵蝕され、皮膚を這う緑光の回路として日和の体に発現する。釜の音に氣の調律を乱され、同化が進みやすくなっているようだ。


 突き刺さった刀でV字型になった鈍器を振り回し、紫襤褸の鳴釜が苛烈に攻め立てる。紙一重でかいくぐるも、即座に後ろから二刀が迫る。『風見』で感知していたものの、ネオニホンソードがなければ防ぎようがない。日和はやむなくリバウンドを覚悟で合氣道を行使、振り降ろされる木刀を裏拳で弾くと同時に地を蹴り、受け流した木刀の勢いさえ利用して弾丸の如くに回転して飛んだ。


 地に突いた掌を支点に跳ね、反転して着地。逃れこそしたものの、代償は小さいものではなかった。氣との同化の進み、体を這う氣の回路が緑の光を放つ。自然との過度の調和により自我の輪郭が薄れ、日和は一瞬、自分が何者なのかわからなくなる。

 日和は虚ろな緑の目をしたまま、訓練された動きで腰からネオニホンソードの鞘を抜き、自らの膝を打った。痛みで自我を取り戻し、体に出た緑光の回路を掻き消す。瞳も緑から元の黒に戻った。が、未だにどこか心と体が一致しないような感覚が尾を引く。二日酔いの朝のように体が重い。


 紫襤褸の鳴釜は勝ち誇るように得物を高く掲げると、刺さった刀の柄を持ち、ハサミを閉じるようにして刀を折りに掛かった。

 みしみしと氣が唸り、氣と電力で強化された青の刃が悲鳴を上げる。が、先に耐えられなくなったのは妖の鈍器の方だった。へら状の鈍器はその傷口を押し広げられ、遂に真っ二つに割れる。鳴釜は不思議そうに左右の手に持った武器を見比べると、折れた己の得物を捨てて新しい得物を振り回した。その様子を、隣の茶羽織の鳴釜もどこか愉快そうに見ている。


 得物を改め、刀を携えた二体の妖が駆ける。日和は歯噛みしながらも鞘を構えた。

 そのとき、暴風雨の如き5.56×45mmNATO弾の掃射が妖を襲う。思わぬ迎撃に二体の鳴釜は足を止めて氣の防護を展開する。

 銃撃手の正体が何者か、振り返るまでもない。自動小銃HK416Cを手に、日和に仕えるメイドがその傍らへと馳せる。


「すまない、一椛。だが無茶はするな」

 手傷と同化の痛みに耐え、日和は気丈な顔を作って礼を言う。その姿を横目に見やり、一椛はその氷の瞳の温度を更に下げた。

「お前が言うな」


 一椛はメイド服のフリルスカートの内から手榴弾を取り出すと、二体の鳴釜へと放り投げた。爪の先で弾道を微調整した直後、息もつかせぬ速さでHK416Cを構え直し、フルオート射撃で敵の動きを封殺。削岩機の如くにけたたましく唸る自動小銃の反動を『纏血』もない素の腕力のみで抑え込み、手中に置いた軍事工学の結晶へ殺戮の許しを与え続ける。

 防弾チョッキを貫通して敵兵を殺傷するべく開発された銃と弾丸だ。生身の人間ならば数秒で挽肉になる。しかし相手は高密度の氣の塊たる妖。合氣道に依らない通常の物理攻撃では必殺は望めない。


 一椛が時間を稼いでくれている間に、日和は目を閉じて三秒ほど瞑想に入った。すぐ隣で吠える自動小銃の轟音も、霞に曇るかのように静寂に阻まれる。嵐の中にあって常に凪の心を保つ。もとよりそれが合氣道の精神たる和の心だ。

「明鏡止水の呼吸」

 己と氣をひとつにし、体内の淀んだ氣の流れを調律する。傷を癒すほどの効果はないが、痛みは幾らか和らいだ。傷付いた体が痛む動き方をしないよう、氣の流れの回路をつくって筋肉の動きに導線を引いたのだ。

 戦える状態まで体を回復させると、日和は同調から拮抗へと合氣道の舵を切った。日和の体を這う、淡い緑に光る同化の回路が、青く澄んで消える。同化の症状もひとまずは凌いだ。


 瞑想を終え、日和は再び目を開いた。爆炎を振り払い、二体の妖が無傷のまま躍り出る。

 再び手榴弾を手にする一椛。彼女を手で制し、日和は単身飛び出した。合氣道で敵の突撃をカウンター、紫襤褸の鳴釜に跳び蹴りを炸裂させる。

 着地と同時に、こちらを振り向いた二刀の鳴釜へと右の掌をかざす。『流帆・空衝』の流れが獲物を捕らえ、氣流の風下へと押し流す。鳴釜は二本の木刀をピッケルのように路面に突き刺して力づくで踏み止まった。


 茶羽織の鳴釜が二刀を振り下ろす。日和は『纏血』の防護を鞘に施し、妖の木刀と打ち合った。ネオニホンソードの攻撃力がない今、人間である日和は妖に対し、膂力においても得物の硬さにおいても遅れを取る。何よりもまず刀を取り返す必要があった。

 その刀を携え、薄紫の襤褸を纏った鳴釜が斬り掛かる。愚直に受ければ、鞘などバターのように両断される。日和は鞘に施した『纏血』の防護の上に『流帆』の道を這わせ、磁場のような斥力の風を纏わせた。多少の同化は覚悟の上だ。日和は『剃簾』の動きで鞘を振るい、ネオニホンソードの一太刀を受け流す。いかに剣が強くとも、持ち手に技がなければ恐れるに足らない。


 鳴釜は奪った刀を遮二無二振るう。日和はそれを紙一重で捌き、カウンターの小手を打ち込んだ。刀を持つ手が怯んだその隙に、手首を返して更なる小手を見舞う。続けて鞘を翻し、下から円を描いてアッパーカットの振り上げ。息もつかせぬ間の三連打によって、ネオニホンソードは妖の手を離れて高く空を舞った。

 思わず刀を見上げそうになる日和。そこへ徒手になった鳴釜が殴り掛かる。繰り出される拳と爪を捌き、僅かに後退。刀を拾う隙を探す。

 が、鳴釜は遂に大技に出た。頭の釜を鳴らし、耳をつんざく金属音が氣を纏った風圧となって押し寄せる。日和はとっさに鞘を盾に防御の姿勢を取った。ドン、という轟音と共に凄まじい衝撃が襲い掛かり、日和は遥か後方に吹き飛ばされる。反射的に合氣道で守るも、あばらにひびが入った。


「日和!」


 一椛が叫ぶ。ライフルの掃射で二刀の鳴釜を抑えていた彼女だったが、その防衛線も打ち破られる。

 豪雨の如く浴びせられる銃弾の中を、釜頭の妖は構わず突き進む。その体は高密度に圧縮された氣を纏い、血のような深紅に燃えていた。合氣道『纏血』を遥かに凌ぐ、ネオニホンソードの斬撃すら防ぎ得る妖の防護だ。ライフル弾如きで貫けるはずもない。


 メの字に薙がれる二刀の顎が迫る刹那、一椛は銃を捨てて後方に飛び退く。続けてスカートを翻し、太腿のホルスターに装着したトンファーを抜き放いた。

 振り降ろされる一太刀目を下がって避け、二振り目を十字に組んだトンファーの先で受け止める。剣圧に削り取られたトンファーの破片が舞う。得物を両断されるより先に、武装メイドは得物の穂先を変えて敵の剣を受け流した。


 飛び退きながら、一椛は折れたトンファーをブーメランのように投げつける。鳴釜が木刀でそれを打ち払う隙に、一椛は地面を転がりながら先程捨てた自動小銃を広い上げた。

 通常火器のみを頼りに戦うには、妖の力はあまりにも強大過ぎる。絶えず浴びせられる銃弾の掃射はまさに豪雨の勢いで鳴釜を打つが、さりとて文字通り豪雨ほどの脅威でしかない。


「一椛、伏せろ!」


 叫んだ日和が飛び出す。『流帆』による氣の乱流を巻いて回転し、竜巻さながらの突進で茶羽織の鳴釜に鞘を叩き込んだ。鞘と木刀が触れ合った瞬間、互いの氣を繋いで乱流に巻き込み、振り降ろされた木刀の軌道を逸らす。日和はフィギュアスケートのようにその身を回転させ、相手を氣の乱流に巻き込んで攻撃を受け流した。

 敵の体勢を崩すと同時に跳び退り、日和は庇うように一椛の前に降り立つ。


「ここはいい。一椛はシェリルを頼む」

「だが」

「行ってくれ。けど絶対に無茶はするな」

「……わかった」


 一椛は不承の顔ながら頷き、ライフルの弾倉を詰め替えて踵を返した。遠ざかる彼女の気配を背に、日和は二体の妖と対峙する。

 同化を解くべく氣の調和を緩めると、『纏血』が解け、鞘がぽっきりと折れた。日和は困った顔で折れた鞘の端を拾い上げ、トンファーを真似て左右の手で短い得物を構えた。不敵な笑みで自らを鼓舞し、明鏡止水の呼吸で再度氣を調律する。


「さて。思ったより厄介だな」


 ネオニホンソードを失った今、頼みの綱はこの身に託した合氣道のみ。しかしそれも釜の音に妨害される。

 日和はジャケットのポケットを手の甲で触れた。ジャケットの上から感じる、ウニボーのストラップの手触り。無論、ただのストラップではない。氣を込めて封印を施した呪具だ。これを解放すれば、一時的に強力な合氣道を行使することができる。

 しかし半面、危険も大きい。釜の音に氣の調律を乱される現状で、迂闊に巨大な氣を解き放つ訳にはいかない。調和を欠いた大きな氣は災厄の源となる。最悪の場合、このストラップを核に新たな妖が発現しないとも限らない。


 徒手となった紫襤褸の鳴釜と、二刀を持つ茶羽織の鳴釜。二体の妖は鬨を吠え、頭の釜を鳴らして周囲の氣を淀ませる。

 手段は限られるが、あまり時間は掛けられない。決してシェリルを信頼していない訳ではないが、彼女は合氣道が未熟な上に、鬼化という爆弾を抱える身だ。あまり負担を掛けさせる訳にはいかない。


 二体の鳴釜が襲い来る。日和は和の心で氣とひとつになり、この状況を打開するすべを探した。

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