第16話 不吉を占う釜の音①

 妖災警報レベル3の発令からおよそ三十分後、過密した氣から新たな妖が発現し、該当区域の全住民を対象とした避難勧告を意味する、レベル5の警報が発令された。

 シェリルたち一行は、レベル3の警報発令の時点で出動し、既に妖災発生区域に到着していた。助手席に座る日和は、合氣道『風見』によって妖の詳細な位置を探り、ハンドルを握る一椛に方向の指示を出す。


「氣の収束から妖の発現までが異様に早いな。それに昨日カッパが出たばかりだ」

「カッパは本来水辺に出現する妖のはず。街中に現れたのも不自然です」

 日和と一椛が訝しむ。彼女たちの抱いている疑問には、イギリスで騎士として悪魔退治をしていたシェリルも身に覚えがあった。こうした違和感を覚えるときは大抵、悪魔の出現に人の手が関わっているときだ。

「何者かガ裏で糸ヲ引いている、ト。もしヤ、ミサキサンガ」

 シェリルは思ったことを口にする。日和も同じ考えらしく、神妙な顔で頷き返す。

「あるいは副次的なもので、意図的なものではないのかもしれん。しかしいずれにせよ、ただの自然現象とは考えにくいな──見えたぞ」


 日和の指差す先に、新たな妖の影が揺らめいていた。シェリルは『風見』と両の眼とで、その姿を捉える。


 鐘に似た暗く冷たい音色が、静かに凶兆を告げる。


 それは、言うなれば胴の生えた釜だった。

 内径が五十センチを超す黒い大釜に、人魂の如き一対の青白い炎が双眸を灯す。首から下は褪せた薄紫の襤褸を纏い、羽織から覗く四肢は毛むくじゃらで獣のようだ。

 釜の悪鬼が小首を傾げる。また不吉な音色が響いた。その音に予兆されたが如く、妖の周囲を取り巻く氣が乱れ、ぎちぎちと耳には聞こえない不協和音を奏でる。いつしかそれは、音のない唄のように不吉な空気を醸し出していた。


 フロントガラス越しに妖の姿を見止め、一椛はブレーキを踏む。停車と同時に、日和は助手席のドアを開け放って敵のふと事へと切り込んだ。

 抜刀と共にトリガーを押し、ネオニホンソードを起動。鈍色に沈む刀身が鮮やかなライトブルーに色付く。飛び掛かり様に真っ向唐竹割りの一撃を見舞うも、釜の妖は予備動作のない不気味な機敏さでこれを躱した。

「カマァ……!」

 続けて二振り、青の斬撃が空を薙ぐ。妖はそれらをかいくぐり、襤褸の下からへらのような形の鈍器を取り出した。日和は巧みに剣を構え、妖の反撃を弾いていく。


 先陣を切った日和に続き、一椛とシェリルもまた車から降りる。

 一椛の手には馴染みのHK416C。剣を失ったシェリルもまた、彼女から借り受けたハンドガン、グロック17を構えた。シェリルの本業は剣士だが、現代の西洋騎士の主要武器である銃も、祖国で幾らか手ほどきを受けたことがある。妖相手には火力が心許ないが、徒手空拳のみを頼るよりは保険があった方がいいとの判断だ。


「わざわざ貴女に言うまでもないでしょうが、妖との戦闘はお嬢様にお任せください。我々は逃げ遅れた方々と、その誘導に当たる警察の方々の警護を」

「ヤー!」

 シェリルは一椛と並び、妖と戦う日和と、避難誘導に当たる警官たちとの間に立つ。

「イチカサン。あの妖についテ、気を付けるコトはありますカ」

 シェリルは目と『風見』で周囲を探りながら訊いた。一椛もまたシェリルの方は見ずに答える。


「あれは鳴釜なりがま。頭の釜を鐘のように鳴らし、周囲の氣の流れを乱す特性があります。その為、鳴釜の近くでは合氣道の行使が困難になります。が、戦闘力は然程高くはありません。むしろ問題は、同時にその音で仲間を呼ぶということです」

「近くの妖がこちらに寄って来るというコトですカ」

「はい。集まるのは主に同種ですが、亜種が多いのも鳴釜の特徴です」


 一椛の説明の通り、鳴釜なる妖は、日和の剣との白兵戦に臨みながら、銃をリロードするようなタイミングで頭の釜を鳴らしていた。その度に不吉な音色が鳴り、周囲の氣の流れをかき乱していく。

 それは、相対する日和の氣も同様だった。ネオニホンソード斬術の為に調律した彼女の氣は、釜の音が鳴る度に乱され、剣の冴えを僅かだが確実に鈍らせている。調律を持ち直した剣で追い込もうとする頃には、再び釜の音が鳴り、日和の氣を鈍らせる。後手に回ってこそいないが、いまひとつ攻めあぐねている状況だ。


 とはいえ、その程度の小細工で攻め手を断たれる日和ではない。鳴釜の相手をするのもこれが初めてではなかった。


 数度の打ち合いを通して相手の動きを見切った日和は、あえて剣の勢いを落とした。氣との調和に意識を回し、振り抜いた剣が鳴釜の頭上を空振りするや否や、左の手で掌底を繰り出す。

 互いに得物を振るい合う、徒手空拳には遠過ぎる間合い。が、もとより打撃を意図してのものではない。掌底の動作に合わせ、左の掌に集中させた氣を一気に解き放つ。合氣道『流帆・くうしょう』。瞬間的に作られた氣の河川が鳴釜を捕らえ、風の張り手の如くに敵を吹き飛ばす。


 背後の壁に叩き付けられる鳴釜。『空衝』のせいで間合いが開き過ぎないよう、日和は白兵戦を演じながら互いの立ち位置を調整していた。起き上がろうとする釜の妖へ、青く光るネオニホンソードの一閃が襲い掛かる。


 そのとき、こん、と硬くくぐもった音が鳴り響いた。それは釜の鳴る音によく似た、不吉な未来を予感させる音色だった。

 刹那、氣の流れが油を浴びたかのように重く淀む。


 鳴釜はへらのような形の鈍器を構え、日和の剣を間一髪防ぐ。が、刃は鈍器に裂き入り、剣士もまた切り伏せられる体勢には入っている。氣の流れを淀まされたとはいえ、このまま押し込めば斬れないことはない。

 だが、背後から迫る第二の敵が、日和に引きの一手を選ばせた。


「カァーッ!」


 重く粘ついたがらがら声が、胃の奥にずんと沈み込む。その音色は淀んだ氣と合わさり、聞いた者に胸焼けのような不快感を引き起こさせた。

 日和は追い込んだ鳴釜から離れ、反転して背後へと刀を振るう。黒い影が飛び跳ね、カウンターの一振りを躱しながら反撃の一打を繰り出す。日和は手首のスナップでネオニホンソードを振るい、その一打を防ぐ。同時に爪先を蹴って強襲者と逆の方向に飛び退いた。


 着地と同時に体勢を立て直し、調息しながら新たに参入した敵の姿を見据える。

 チャイナドレスにも似た褪せた青緑の着物の上に、釜の頭を乗せた人型の妖。武器を持たずに拳で攻撃したことなど幾つかの差異はあるが、その特徴的な頭部と氣の流れを乱す音を発する特性から、鳴釜の亜種と見て間違いない。


 前線から距離を取りつつ戦況を観察していたシェリルは、二体目の鳴釜の姿に目をすがめた。

 羽織は襤褸ではなく色も一体目と異なるが、気になったのはその意匠だ。一体目の鳴釜には古典的な和風の趣があった。が、こちらは着物がチャイナドレスに似た造形で、その意匠にはどこか西洋めいた嫌いがある。頭こそ和式の釜だが、首から下は日本らしい風貌ではない。

 カッパとはまた違う意味でキメラじみた外見だ。食事や衣服が海外の文化を取り入れて進化したように、悪魔もまた外国由来のものを取り入れて時代と共に変化した、ということだろうか。


「アレも鳴釜デス? なんか中国のキョンシーみたいな見た目デスガ……本当に日本産の悪魔なんですカネ」


 首を傾げるシェリルに、一椛は素っ気ない声でやや早口に答える。

「妖は過密した“氣”の集合体ですが、実体を持って顕現する為に、多くの場合ひとつないし複数の物質を核にします。人間が妖になったものである鬼も、逆に言えば、生きた人間を核にした妖であるに過ぎません」

 つまりは、鬼を特別な種類の妖と考えるのも、人間を中心にした考え方に過ぎないということだ。妖という大きなカテゴリーの中では、鬼もカッパも同列、素材の違いでしかない。


「なんだかツクモガミみたいですネ」

「付喪神をご存知でしたか。付喪神は一般に妖と呼ばれないほど微小な妖のことです。それがより多くの氣を集めて圧縮され、高密度の氣の塊になったものが、所謂妖となります。例えるなら付喪神と妖の違いは、そよ風と嵐といったところでしょうか」

「ン? その理屈で行くト、もしかして合氣道の使い手の人間も、一種のツクモガミってことになりまセン?」

「その通りです。合氣道を修めるということは、自らを核に生きながら付喪神になるということ。氣を取り込み過ぎれば鬼になるというのも、通常の妖が発現する原理となんら変わりはありません」


 シェリルは肩を竦める素振りでおどけてみせる。恐ろしいことを聞いた気分だった。日和が合氣道の伝授を渋ったことも頷ける。己の内にある魔力を引き出すか、外の世界に流れる魔力を手繰るかというだけで、これほどの違いが出るとは思っていなかった。

 シェリルは頷き、意外にも丁寧な一椛の説明に引き続き耳を傾けた。


「即ち、どんな妖が発現するかは、氣の総量や密度の他、核に用いた物質にも大きく左右されます。カッパが水辺に出現するのも、あれが川の水を核に発現する妖だからです」

 ここまでわかれば、亜種の妖が生まれる所以も自ずと想像がつく。

「水を核にすれば水の属性、火を核にすれば火の属性の妖が生まれル。そしテ同じ水デモ、水質の違いナドによって発現するカッパに違いが生まれル、というコトですカ」

「はい。鳴釜は鉄を核に発現する妖ですが、あのキョンシーめいた鳴釜は、何かしらそういう品の破片でも核にしているのでしょう」

「メイドインジャパンでも素材はチャイナってコトですカ。ナルホドデス」


 さもありなん、とシェリルはすぐに納得した。

 そもそも祖国イギリスやその周辺でも、同じような悪魔の進化の歴史はあった。島国である日本は魔術的な観点からも閉鎖的な環境である為、こうした輸入めいた進化がとりわけ目立って見えるというだけだろう。


 疑問の晴れたシェリルは、改めて『風見』を研ぎ澄ませ、二体の鳴釜の挙動に注目する。

 複数の敵を前にした日和は、七鬼衆と戦ったときと同じ三の型『剃簾』の構えを取った。弓を引くような構えで体を九十度横に傾け、視界を確保して前後の敵を補足する。七鬼衆から受けた傷がやや痛むも、刀を振るえないほどではない。


 二体の鳴釜が前後から同時に仕掛ける。紫襤褸の鳴釜は鈍器を振るい、キョンシー風の鳴釜はカンフーじみた動きで正拳を繰り出す。日和は本調子でこそなかったが、これといって大きな苦もなくそれらを捌いた。五体の鬼の包囲を凌いだ剣だ。多少の傷が尾を引いていたところで、たかが二体の鳴釜など物の数には入らない。

 挟撃に失敗した二体の鳴釜が退く。間合いが開き、戦いは膠着状態へと移行する。日和は一瞬敵の臆病さに拍子抜けしかけるも、すぐに己の失策を悟った。


 鳴釜の攻撃手段は所謂近接格闘だが、ここで重要なのはむしろ、釜を打ち鳴らした音色の方だ。片方を斬ろうと距離を詰めれば、もう片方の鳴らす釜の音によって刃を鈍らされる。

 加えて日和の選択した『剃簾』は、防御に比重を置いた“受け”の型。自分から攻撃に出るには適さない斬術だ。しかし今から他の型に切り替えようにも、二体の鳴釜の奏でる不協和音に氣を乱され、氣の調律は難航した。半ば自ら墓穴を掘ったとはいえ、合氣道を前提としたネオニホンソード斬術の弱点を突かれた形だ。


 このまま待ち構えていても、少しずつ力を削がれて追い込まれていくだけだ。そう判断した日和は『剃簾』のまま自ら攻撃に出た。

 薄紫の襤褸を纏う鳴釜へと真っ向から間合いを詰め、上段と中段から青の刃の連撃を繰り出す。鳴釜はへらに似た形の鈍器で受けるが、日和は既にその動きを見切っており、詰将棋のように着実に追い込んでいく。少し離れたところからカンフーの鳴釜が釜を鳴らすも、その音に剣を鈍らされても尚日和が優勢だった。


 釜の音が鳴る。ぎちぎちと不快な歪みを立て、暗く冷たい釜の音と、重く粘ついた釜の音が重なる。二つの釜が互いを鳴らし、耳をつんざく不協和音が響き渡る。その音色が、日和の記憶の隅から、以前に一度読んだアヤカシ・アーカイブの記述を引き出した。

 釜の共鳴。

 異なる種類の鳴釜同士が近距離で釜を鳴らし合うことで、釜と釜が共鳴し、その効果が数倍に膨れ上がるという


 鳴釜の二重奏デュエットが戦場の氣の流れを歪ませ、日和の合氣道の冴えを錆び付かせていく。このまま釜の音を浴び続ければ、毒で痺れたも同然の体たらくとなってしまう。

 日和は深く息を吸い、己が身とその周囲の氣の流れを手繰った。『纏血』で脚力を強化して跳び、『流帆』で敷いた風の道に乗って滑空する。一跳びで五メートルほど後退し、宙返りをして歩道橋に飛び乗る。

 日和は歩道橋の上から車道に立つ二体の妖を見下ろした。危機を感じた鳴釜たちが頭の釜を鳴らす。日和は柵の上に乗り、眼下の妖へと飛び掛かった。


 そのとき、弟子の声がサムライの耳を打った。

「──ヒヨリサン、後ろデス!」

 シェリルの声に、日和は空中で身を捻る。背後から三体目の鳴釜が迫っていた。

 調律の狂った木管楽器のような不快なリズムが鳴り響き、粘ついた金切り声が天に轟く。


「テェーン!」


 茶色の着物を羽織った鳴釜が、左右の手に二本の木刀を携えて襲い掛かる。メの字を描いて振り降ろされる斬撃。日和は空中で反転した勢いのままネオニホンソードを振り、二振りの斬撃を打ち払った。

 続けて六度に亘り、サムライのネオニホンソードと妖の木刀が打ち合わされる。正面から切り結んでいたら遅れを取ることもなかっただろう。しかし、背後からの奇襲、更に空中で無理に反転しての応戦という二十苦では、敵の太刀を浴びないようにするだけで手一杯だった。


 辛うじて二刀を受け切り、ほとんど背中から墜落するように着地する日和。そこへカンフーの鳴釜が迫る。受け身を取った左手に氣を込め、風を巻いて立ち上がる。

 続けて六度に亘り、サムライのネオニホンソードと妖の木刀が打ち合わされる。打ち合いに末に隙を見せた日和へ、二刀の突きが迫る。大振りの一撃を誘い出した日和は、すかさず『纏血』で刀身を防護。突きを刀身で受け止めると同時に地を蹴り、『流帆』で敷いた風の道に乗って大きく後退する。


「カマァ……!」

「カーッ!」

「テェーン!」


 へら状の鈍器を振りかざす、薄紫の襤褸の鳴釜。カンフーを繰り出す、青緑のチャイナドレスの鳴釜。そして、二本の木刀を振るう、茶色の着物の鳴釜。同種でありながら三者三様の妖は、それぞれの音色を頭の釜から鳴らし、不吉な三重奏トリオを奏でる。

 初めは一体だった敵が、今や三体。その脅威のほどは三倍では済まない。不吉を占う釜の音に、ネオニホンソードを握る掌が汗に濡れた。

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