第15話 合氣道修行第二幕

 東本家は、百二十坪ほどの敷地に三棟の建物が並んでいる。住居である本棟。武器庫となっている土蔵。そして日頃の鍛錬を行う道場だ。

 道場は、二十畳ほどの稽古部屋の他は、トレーニング用具等を仕舞う小部屋が二部屋あるだけの簡単な造りになっている。敷地内に本棟がある為、更衣室やシャワー室なども用意されてはいない。

 シェリルたちも、朝食後それぞれ自室でジャージに着替えてから道場に来た。もっとも、一椛だけは昨夜のテニス同様メイド服姿のままだが。


 シェリルは日和と並んで稽古部屋の中央に立ち、屋内をぐるりと見渡した。四方の壁面のうち、短辺のひとつに出入口が設けられ、その反対側には掛け軸がある。その左右長辺の壁面には、上部それぞれ大きな窓が設置されているが、天井の電灯が屋内を照らしている為、閉められたカーテンが朝の陽光を遮っている。

 それだけを見れば、ごくふつうの和風の道場といった趣だ。シェリルもセンゴク・フィルムやセイシュンジュードーブアニメで観た覚えがある。

 が、東本邸の道場の特筆すべきは、四方の壁にずらりと掛けられた幾本もの簡素な模造刀だ。出入口と掛け軸を除く四方の壁一面に傘掛けのようなフックが幾つも設けられ、そこに剥き身の模造刀が提げられている。


「師匠。コレは一体?」

「ああ。サムライが合氣道の修練によく用いるプラスチック製の模造刀だ。正式名称は忘れた、というか多分覚えているのは業者くらいだろう。“プラとう”で大体通じる」

 そう言って、日和は壁に向けて掌をかざす。正確には、壁に掛けられた無数のプラ刀のうちの一本に。そのプラ刀は突然ふわりと浮き上がってフックから外れ、そのまま宙を飛んで日和の手元に収まった。

 この一連の流れを、シェリルはすかさず『風見』で読み取った。日和が合氣道で氣の流れを手繰り、手を触れることなく離れたプラ刀を取ったのだ。岩を投げたり銃弾やテニスボールの弾道を変えたりした、合氣道『流帆』によるテレキネシスの技だ。


「なんだカ、テニスプレイヤーがラケットでボールを弾いて取ルみたいデスネ」

「そんなところかもな。実際便利だし、サムライにとっては基本的な動作だ。合氣道の基本が身に付けば、自ずとできるようになる。裏を返せば、それだけこの動きに合氣道の基礎が詰まっているということだ」


 シェリルは頷き、日和を真似てプラ刀へと手をかざし、精神を集中させた。

 己と対象の間にある氣の流れは読めた。試しにそれを手繰り寄せてみるが、掛けられたプラ刀が揺れ、鍔とフックに当たってかたかたと音を立てるばかりだ。

 たっぷり五秒ほど続けていたが、一向にプラ刀を浮き上がらせられない。意識を“氣”に集中させるあまり、いつの間にか息を止めていたらしく、シェリルははっと息を吐いて集中を解いた。シェリルの意識が離れると同時にプラ刀の揺れも止まる。

 弟子の奮闘を見守っていた師は微笑し、手にしたプラ刀を教鞭のように振るってみせる。


「これは合氣道『流帆』の代表的な技のひとつで、『つりなげ』と言う。投げた後はただの軌道誘導だからそう難しくないが、最初の掬い上げるところが関門だな。初心者がよくつまづくところだ」

「ムゥ……位置の特定まではいけたのですガ、上手く掴めませんでシタ」

「その“掴む”というイメージこそ初心者の陥りがちな罠だ。シェリル、君は合氣道を何だと思う?」

 改めて根本的な問いを投げられ、シェリルは首を傾げながら答える。

「目や耳を使わずに敵の動きを感知しタリ、手を触れずに遠くの物を動かしタリ、自然のエネルギーを取り込んでパワーアップしタリ……“氣”という日本式の魔力を操る技デス」

「素晴らしい。どれも不正解だ」


 師は手にしたプラ刀を片手でくるくると回しながら、もう片方の手の人差し指を立てた。

「合氣道とはその名の通り“道”、即ち生き方であり世界の捉え方だ。それを忘れ、ただの武術、戦闘の手段とだけ捉えると、本質を見逃す。西洋の魔術はどうなのか私はわからないが、少なくとも日本の合氣道はそうだ」

 日和はプラ刀の回転をやめ、再びそれを教鞭の如く振るう。


「『風見』『流帆』『纏血』エトセトラ、そんな小手先の技術は、合氣道の精神を学んだ際に、結果的について来るだけ。合氣道において重要なことは何か、昨夜のテニスで私が言ったことを覚えているか?」

 再び問いを投げられ、シェリルは口元に手を当てて記憶を思い起こす。

「“氣”と調和しひとつにナリ、同時に拮抗して己を保ツ。それガ合氣道の基本にして真髄、ト」

 今度の弟子の回答には、師は満足げに頷いた。


「そうだ。掴むとは、己の手中に収めること。そのイメージは氣の調和の妨げになる」

「イメージ……」

「合氣道は目には見えない力だ。だからこそイメージが重要になる。合氣道の技を扱う際に手を動かしたり言霊を唱えたりするのも、己の身体や言葉の力を借りて、イメージをより具体的にする為だ。そのイメージが、目には見えない力を手繰り寄せる助けとなる」

 日和は再び壁に手をかざした。掌を向けられたプラ刀がポルターガイストの如くに動き出し、フックから外れて浮き上がる。

「今、私の氣とこのプラ刀の氣が繋がっている。感じるか?」


 シェリルは全力の『風見』で氣を感じ取る。五秒ほど詮索を続け、ようやく日和とプラ刀とを繋ぐ氣の巡りを確認した。そこで感じたものを、感じたまま口にする。

「触れてもいないのニ、まるデ腕の延長のようデス」

「そうだ。静止している物体を動かすには、まず対象の氣と己の合氣道とをリンクさせなければ始まらない。その技術や感覚を磨くのにも、プラ刀を使った『纏血』の基礎練習は最適だ」

 日和はかざした手の指先をくいと曲げ、浮かせたプラ刀を手元に招き寄せた。その途中で手を振ってシェリルを指差す。すると飛んでいたプラ刀は軌道を変え、シェリルの手元までやって来た。


日和は手首でプラ刀をくるくると回すと、両手でしっかりと柄を握って、胸の前で垂直に構えた。従来の日本刀剣術を基に編み出された、ネオニホンソード斬術の基本となる最も初期の型、一の型『切澄』の構えだ。

 日和は目を閉じ、深く息を吸った。日和の体の内を氣が駆け巡る。その氣の流れは手を通してプラ刀にも伝わった。体の中を通る血管が血流を運ぶように、日和の体と手にした刀の内と外とを“氣”の流れが循環する。それは加速器のように巡る氣を加速させ、その圧を飛躍的に高めていく。

「“氣”とのシンクロで自身や物体を強化する技、それが合氣道『纏血』だ」

 息を吐き、日和が目を開ける。その黒い瞳に意志を感じ、シェリルはプラ刀を構えた。あるいはその意志の伝達も、『風見』を通した合氣道によるテレパシーか。


 日和がプラ刀を振り抜く。シェリルはそれを自身のプラ刀で難なく受け止めた。が、シェリルのプラ刀は、同じ得物同士を打ち合わせたとは思えないほどあっさり真っ二つになった。翻って日和のプラ刀には、傷や反りのひとつもない、まったくの無傷だ。

「プラ刀は折れることを前提に作られていて、とにかく安くて脆い。そのチャチさが売りの品だ」

「つまり、打ち合ってモこの脆いプラ刀が折れないようニ、『纏血』でしっかり強化しろってコトですネ」

「半分正解だ。じゃあ早速試しにやってみてくれ」

「わかりまシタ」

「シェリルは既に一度、いや二度か。鬼化しかけた際、無意識に『纏血』に近いことをやっている。スマッシュで私のラケットを破壊したときの感覚を思い出すといい」


 シェリルは頷き、日和の言った通りに合氣道『纏血』を試みる。握るプラ刀の表面と内部へ、それぞれ血管を通すように氣の流れる道を敷き、その回路上に氣を高速で循環させ、加速器の要領で氣を圧縮していく──

 瞬間、シェリルの握るプラ刀は、内側から潰れてへし折れた。高圧の氣の回路に耐えられなくなったのだ。

 一方で、日和は同じ脆いプラ刀に『纏血』を通わせながら、得物を折らずにいる。シェリルは再び、日和の握るプラ刀と、それに通わされた氣の回路を注意深く観察した。


「闇雲に這わせるだけでは駄目だ。合氣道の基本にして真髄は、調和と拮抗だ。氣と共に在れ。それは氣と調和するのが自分自身でも、手にした武器でも変わらない」

 日和は次のプラ刀を『流帆・釣投』で引き抜き、またしても自分の手では一切触れぬままシェリルへと投げて寄越す。シェリルが次のプラ刀を受け取ると同時に、折れたプラ刀は見えない手に摘ままれ、傍らに控える一椛の下へと飛んで行った。受け取った一椛が、折れたプラ刀をゴミ箱に放り込む。

「『流帆』も同じだ。“氣”の流れに調和することなく押し流されるのは、荒波に揉まれるも同然だ。合氣道による強度や移動の補助は、術者だけでなく術の対象をも傷付け得る。同化や鬼化にまで至る以前から、合氣道は常に危険と隣り合わせだ」


 日和の説明を聞きながら、シェリルは深く息を吐き、二、三素振りをしてプラ刀の感触を握り締めた。自分の体ではない別の物体を扱う以上、まずはそれを理解する必要がある。得物の長さも重さもわからなければ、一体どうして振るうことができようか。

「『風見』で見通しを立て、『流帆』で氣の流れの道を敷き、『纏血』で氣を圧縮する。その一連のサイクルを繰り返すんだ。技の名に囚われるな。名はあくまで技術を細分化して理解を助ける為のものに過ぎない。『纏血』だから『纏血』だけで完結するなどということは決してない」

 日和の言葉を道標に、シェリルは目を瞑って精神を集中させた。神経を延長させるように手からプラ刀へと氣を這わせる。


 同調開始。手にした得物の構造と性質を解析する。刃渡り約八十センチ、形状は簡素ながらも日本刀やネオニホンソードと酷似。材質は日和から聞かされた通りプラスチックの類。中は空洞。厚みは一ミリ弱と薄く、耐久性は恐ろしく低いことが改めて読み取れる。

 解析を終えたシェリルは、『風見』で伸ばした氣の経路を繋ぎ合わせた。読み取っ

たプラ刀の構造を投影、回路と被写体をぴたりとシンクロさせる。


 続けて回路内の氣の流れを加速。流速が増すにつれ、回路を循環する氣が圧縮されていく。圧縮された氣は、目には見えない力の塊となり、脆い模造刀を内外から補強する。それはまさしく体を巡る血であり、支える骨であり、守護する肉であり皮であった。

 シェリルは碧眼を見開き、素振りをしてプラ刀の感覚を確かめる。氣の経路はプラ刀とシンクロし、先程のように得物を自壊させることはなかった。

 が、それは外部からの力が加えられていないときの話。日和がプラ刀を一振りして打ち付けると、打撃に耐えこそしたものの、氣のバランスを崩して自壊した。


「いきなリですカ」

「二度目で完璧にできるとは思っていない。どういう失敗の仕方をするのかを見ておきたかったんだ」

 いずれにせよいきなりである。とはいえ無論、警戒していなかったとはいえ、この程度の不意打ちに対処できないシェリルではない。だからこそ、みすみす刀を無防備に晒すことも、『纏血』を緩めることはなかった。つまりは完全に技量不足だ。


 日和は折れたプラ刀の刃先を拾い上げ、その断面をまじまじと見つめて考え込む。断面は強い力で引き千切ったかのようで、刀身は握り潰されたかのように捻じ曲がっていた。

「……ふむ。鬼化しかけた後遺症か、あるいは元々の才覚もあるかもしれん。パワーはかなりのものだな。私の打撃では傷ひとつ付いていない。破損の原因は完全に『纏血』の暴発だ」

「ト、言いますト?」

「氣を安定させることさえできれば、シェリルの『纏血』はかなりの強度になるだろう、ということだ。もっとも、そのパワーのお陰で制御がより難しくなっているようだが」


 日和は三本目のプラ刀を投げ寄越す。シェリルは先と同じように刀の構造をトレースし、刀の内外に回路を通すように氣を練り上げた。

「ふンッ!」

 昨夜の蔵での日和を真似て、手首を使ってプラ刀を風車のように回す。ふと、回転の動きが加速器のイメージと重なった。シェリルは刀を回しながら氣を練る。シェリルの意図に気付いたのか、日和が手本を見せるように刀を回して体の左右と背後に刀身を滑らせる。まだ慣れないながらも、シェリルも見様見真似で刀を回転させる。


「──ヒヨリサン」

「ああ」


 視線を交わした一瞬の後、竹を割ったような打撃音が二人の間に迸る。今度は折れも砕けもしなかった。素のプラ刀ならあり得ない強度を以て、日和の一振りを同等の力で相殺する。

「まだいけるな」

「お願いしマス」

 シェリルは上段、日和は右から、二振りの打撃が十字に交差し、目には見えない火花を散らす。

 続けてもう一打。三度交差する、斬撃を模した打撃。三合の衝突を経て、終ぞ合氣道によって強化されたプラスチックの模造刀は真っ二つにへし折れた。


 日和は高く舞い上がった刀身の先を掌で迎え受け、その壊れ方を確認する。折れたプラ刀は、先程と同じく握り潰されたような壊れ方だった。

「また暴発だな。打ち合いでプラ刀との氣の調和が綻んだか」

「やはリ、まだまだデスカ」

 シェリルも手に残ったもう片方を確認する。先程と同じく、どう見ても模造刀同士で打ち合った壊れ方ではない。

「こいつは元がひどく脆いからな。三度の打ち合いを耐えさせられれば上等だが、それはあくまで外部の力で折られる壊れ方をした場合の話だ。自壊するようでは合格とは言えない」


 日和は折れたプラ刀の柄側をシェリルの手から引き抜き、切っ先側とまとめて『流帆』で一椛へと投げ渡す。入れ違いに次のプラ刀を引き抜き、また同じようにシェリルへと投げて寄越す。

「どんなに強い力でも、御しきれなければその強さの分だけ危険なだけだ。自壊するくらいなら私に折られて構わない。最初は弱くていいから、氣の調和を安定させるんだ」

 日和からのアドバイスに、シェリルは頷き、深く息を吸った。己の内側にある力ではなく、己を取り巻く外の世界の力と息を合わせるように。


「わかりまシタ──明鏡止水の呼吸Breath of Clear Mind


 己の内と外とを巡る“氣”に意識を集中させて調和を図る。呼吸のリズムに合わせ、静かに脈動する青白い光の回路が薄っすらと腕に浮かび上がった。

 それは、漆原岬によって強制的に過大な氣を吸収させられたときに浮かんだ、赤い文様とよく似ていた。目に見える違いは光の色だが、それ以上に、回路を流れる氣の感覚が大きく異なる。融かした金属のような濃く重い流れではなく、川のような清く澄んだ流れだ。

 青く光る氣の回路をプラスチック製の模造刀に這わせ、己と得物をシンクロさせる。調律を確認した日和は頷き、打ち合いに臨むべく自身もまた『纏血』をプラ刀に通わせる。


 すると、そのとき傍らに控える一椛がそっと手を挙げて二人を制した。彼女はもう片方の手に持った携帯端末に目を落とし、ディスプレイに表示された内容を読み上げる。

「お嬢様。妖災警報レベル3が発令されました。出動に備えてください。私はしばし失礼し、武器の準備をして参ります」

 返事を待たず、一椛は道場を後にする。日和は稽古を一時中断し、道場脇に退けていた自身の端末を開き、警報の詳細を確認した。


「聞いた通りだ、シェリル。警報レベル3──高齢者や障碍者は既に避難を始めている。いきなりこのレベルからの発令……氣の収束が異常に速い。まず間違いなく妖が出現する。杞憂に終わってはくれないだろうな」

 日和が端末を見せながら説明する。シェリルは情報を整理し、現状の自身の戦力を鑑みて具申した。

「でハ、ワタシも同行しマス。合氣道はまだ実戦レベルではありませんガ、もとより悪魔退治が生業デス。避難誘導ナド、何かしらのサポートはできるハズデス」

「ああ。頼りにしている」

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