第11話 うぇるかむ とぅ はるもとはうす
合氣道テニスの修行をクリアしたシェリルは、新たに師弟となった日和に連れられ、東本邸へと招かれた。
主な理由は監視と保護だ。『明鏡止水の呼吸』による氣の調和を保つすべを身に付け、鬼化への対抗手段を得たシェリルだが、七鬼衆こと漆原岬との霊的な繋がりは依然として残っている。
事実、目を閉じて己の内に精神を集中させれば、シェリルはいつでも彼女の存在を感じることができた。それはつまり、シェリルの内に巣食う妖力を媒介に、いつでも岬の側からコンタクトを取ることができるという意味でもある。
実際に向こうから何らかの接触があった場合、シェリルが単独でその侵食を防ぎ切れるとは限らない。最悪、七鬼衆の七人目となったシェリルが暴走し、周囲の人間を襲う可能性さえある。それらを防ぐ為、有事の際はすぐに駆け付けられるよう、日和の目の届く範囲に置くこととなったのだ。
「着いたぞ。大した家ではないがが、好きにしてくれ」
日和は自身のネオニホンソードを手に車から降りる。同じく後部座席に座っていたシェリルも反対側のドアから降車する。
シェリルは屋敷を見上げ、感嘆の息を漏らした。六十坪ほどの広さの現代的な木造住宅で、確かにこれ自体は豪邸というほどではない。しかし庭や二棟ある別邸を合わせると、敷地全体で百二十坪はあるだろう。
「イエ、そんナ。謙遜ではなく、立派なお屋敷だと思いマス。メイドさんもいらっしゃいますシ」
下流武家である東本家の歴史は二百年ほどで、この土地も代々東本家の土地だという。
この屋敷は祖父母の代に立て直され、築五十年ばかりになるとのことだ。それなりの大きさだが豪邸という印象がないのは、あまり豪奢な装飾などもなく、むしろ質素とさえ感じられるその堅実な造りによるものだろう。華美に走らず無骨に堕ちず、
日本の武家もイギリスの貴族と同じく、時代と共にその多くが衰退していると聞く。東本家も例に漏れず、土地を売ったり、再建の度に屋敷を小さくしたりして来たとのことだ。それを没落と評する者も少なくはないらしい。しかしシェリルにはむしろ、時代の変遷に合わせて贅肉を削ぎ落した、質実さの結晶とさえ感じられた。
「でハ、改めましテ。お邪魔しマス。すみまセン、何から何まデ」
シェリルは改めて頭を下げる。今代の家主は、メイドの運転する車のトランクを開け、アパートから取って来たシェリルの荷物のひとつを手に取った。
「気に病むことはない。幸い、使用人用の部屋が幾つか余っているからな」
「イチカサンの他にもメイドサンがいらっしゃるのデスカ!」
つい弾む心が声にまで出てしまった。
スケジュールの都合で行き損ねてしまったが、メイド喫茶は本場の和食に次ぐ来日における楽しみのひとつだった。大和撫子に心を射貫かれたシェリルは、当然ながら日本のメイドも好きだ。そこへ本物のメイドに会えるかもしれないという朗報が飛び込んで来たのだ。興奮しないはずがない。
胸を高鳴らせながら、シェリルは運転席に座る本物のメイドの一人にちらりと見やった。
一椛は確かに美人だが、身長も百六十後半と日本の成人女性としては比較的背が高く、何より凛々しい顔立ちと切れ長の目から、可愛いというより美しいや格好いいといった言葉の似合う女性だ。シェリルとしては、それこそ日和のような、もっと大和撫子らしい、小柄で清楚で可愛らしい、ともすれば未成年者に見間違えそうな女子が好みだ。
加えて一椛には実際に殺されかけており、暗殺者のような気配のない動きと相まって、既に半ば恐怖の対象にさえなりかけている。是非にでも、一椛とは違う、もっと少女然としたメイドとお会いしたい気持ちがあった。
「昔はいたが、今は一椛だけだ」
が、日和は首を横に振り、その希望を切り捨てた。失礼にならないよう、シェリルは内心の落胆を必死に押し隠す。
「屋敷はまだそれなりに広いが、父母が亡くなって以来、家の人間は私一人になってしまったからな。そう何人も使用人はいらないさ」
「そうでしたカ。すみまセン」
「謝ることでもない。それより早速部屋に案内するよ」
シェリルを連れて玄関へ向かう日和は、財布から鍵を取り出しながら、運転席のメイドに振り向いた。
「ありがとう、一椛。こんな時間まですまなかった。今日はもう自由にしててくれ」
「かしこまりました。では、せめてお風呂だけでも沸かしておきます」
「ああ、ありがとう」
親しみの籠った声で礼を言い、軽く頭を下げる日和。一椛は相変わらずの鉄面皮のまま、実務以上の言葉を交わすことなく車庫へと車を滑らせた。日和はキーホルダーをつまんで自宅の鍵をぶんぶんと回しながら玄関へと歩いていく。シェリルもキャリーバッグを引いてその後を追った。
扉を開けると、やはりというべきか、外観と同じ、質実とした現代的な内装が出迎えてくれた。
近代化を迎えて久しい昨今、センゴク・フィルムで観るような伝統的な和風建築は見られず、衣服と同じく建築も西洋化している。それでも気候の違いによる差異は見受けられるのが面白いところだ。
乾燥した気候のイギリスでは、石やレンガの壁で囲った堅牢な建築が主だ。翻って、日本の住宅は専ら木造で、柱と
思い出してみれば、イギリスで通っていたジャパニーズレストランも、装いや雰囲気こそ東本食堂とよく似ているが、建物の造りはイギリスらしい石造だった。料理だけでなく建築もまた、伝わった先でローカライズされるようだ。
日和に招かれ、シェリルは二階の個室のひとつに到着した。同じドアが四つ並んでおり、一番手前は一椛の自室に、その隣は物置きになっているらしい。残り二部屋のうち、一番奥の部屋がシェリルにあてがわれた。
ドアを開けると、机とベッドがあるだけの、十畳ほどの空間が広がっていた。今朝入居したアパートと同じ、いかにも空室といった姿だ。キッチンやバスルームを除いたリビング部分だけを考えれば、入居したアパートよりも幾らか広い。仮の住まいではあるが、これは中々に贅沢な空間だ。
ひとまず部屋に荷物を下ろしたシェリルは、日和から、キッチンや浴室、トイレといった主要な場所を簡単に案内してもらった。
案内を終えると、日和はシェリルを連れてリビングに向かい、日本の緑茶を淹れてくれた。湯呑なるジャパニーズカップと共に、駄菓子を乗せた小盆がテーブルに運ばれる。夜ではあるが、テニスをして小腹が空いたので、この差し入れはありがたかった。同じく自身も小腹が空いていたのか、日和は早速デリシャスティックをひとつつまんで噛り付く。シェリルもわたバチの袋を開けた。
「夜のお菓子は背徳的なカンジがしてやめられなくなりますヨネ」
「ああ。職業柄、食事は考えないといけないのだが……ちなみにシェリル、冷凍庫にアイスもあるぞ」
「なんト……ヒヨリサンはアイスなら何がお好きですカ? ワタシは日本のモナカが好きデス」
「奇遇だな。私もだ。アイスもなかなら、確か今あったはずだ。言ってくれれば出すよ」
「本当デスカ。ありがとうございマス。いいですよねモナカ。アンコモナカも好きですが、ワタシはやっぱり元のモナカの方が好きです」
「そうか。ちなみにひとつ訂正しておくと、もなかは餡子の方がオリジナルで、アイスの方が後だ」
「ヱ。そうだったんデスカ。不勉強でしタ」
「今はアイスもなかの方がメジャーだからな。日本人でも知らない人はいるだろう」
茶請けをつまみながら、暫し他愛のない会話。
その間、日和はデリシャスティック二本とコインチョコひとつを平らげ、今はヒモ
と、そうして剣士らしからぬ怠惰な夜食に興じていると、キッチンにある給湯器のリモコンが湯はりの完了を知らせてくれた。日和はヒモ泣を飲み込んで顔を上げる。
「風呂が沸いたようだ。シェリル。先に入るといい。着替えとタオルはあるよな。ないなら貸すから、遠慮せず言ってくれ」
シェリルもまた噛み付いていた蒲焼三太郎を小さく噛み千切り、素早く咀嚼してから答える。
「イエ、モチロン持って来てマス。では、お言葉に甘えましテ……」
そこでシェリルはふと妙案を思い付き、それとなく話を振ってみた。
「……ワタシ、日本のお風呂は初めてデス。ドラマやアニメでなら観たコトがありますガ。祖国ではシャワーだったのデ」
日和は自分の湯呑に緑茶を足しながら、にこやかに答える。
「そうか。うちの風呂はそこまで立派なものではないが、きっと気に入ってもらえるだろう」
「楽しみデス。ですガ、何分初めてなものデ、知らずソソウをしてしまわないカ」
「そう気負うことはない。ふつうにシャワーを浴びて体を洗った後、湯舟に浸かって体を温めるだけだ。そう難しいものではないよ」
と、日和は親切に説明してくれた。シェリルとしてはもっと違う回答を期待していたのだが。
「ああ、それと。持参しているのならいいが、シャンプーとかも好きに使ってくれて構わない。ふたつ棚があるうち、上の方のオレンジ色のやつが私のだから」
「ヱ。ああ……ハイ。どうモ。ありがとうございマス」
取り付く島もない。仕方なく、シェリルは日和の言葉に甘えて先に風呂を借りることにした。
人生初の風呂は、浴槽も広く、両脚を伸ばせて快適だった。
が、その有り余る空間のゆとりゆえに、小柄な女性一人くらいなら問題なく一緒に入れるだろうと思えてならなかった。
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