第10話 合氣道テニス大修行!③
第二セット第一ゲーム開始。日和がサーブを打つ。
その動きを見切り打ち返すシェリル。それを日和が打ち返す。シェリルはそれを見切り、追い、打ち返す。日和が打ち返す。シェリルは今度の打球も見切り、追い、打ち返す。日和が打ち返す。シェリルは見切り、追い、打ち返す。
その間、日和はただの一歩も動いてはいなかった。シェリルの返す打球はすべて、さながら敷かれたレールの通りに走る列車の如く、日和にとって最も打ち返し易い場所へと吸い込まれていく。
合氣道『流帆』を以てすれば、音速で飛ぶ銃弾の軌道を逸らすことさえ可能なのだ。打ち込まれたテニスボールの弾道を巧みに操るなど、造作もないだろう。
これに対抗し得る手段はふたつ。ひとつは、相手の合氣道が捉え切れないほどの速さと重さで打球を打ち込むこと。もうひとつは、こちらも『流帆』を用いることで、氣の流れを相殺すること。
無論、ひとつ目は論外だ。鬼化しつつあるシェリルにとっては、あるいは最も現実的な回答かもしれない。が、それでは意味がない。となれば、こちらも合氣道で真っ向から対抗するのが然るべき道だ。
「──そうカ。これが“氣”の導キ……ヘアッ!」
天啓を得たシェリルは、あえて日和の『流帆』に乗り、愚直に打ち返した。彼女の狙いに気付いたのか、日和もまた全力で打ち返す。
蛇のようにうねり、自在に曲がる日和の変化球。その動きを肌で感じ取り、シェリルは全力で打ち返す。
返す打球は日和の手繰る氣の流れに乗り、彼女の手元へと真っ直ぐ飛んで行く。『流帆』を駆使する日和は、最早自ら動く必要さえなかった。シェリルがどこを狙って打とうと、打球を氣の流れに乗せることで、その軌道を誘導できるのだから。
無論、打球は難なく打ち返される。だがそれでいい。『流帆』に集中している分、日和の手繰る氣の流れは読みやすくなった。これを感じ続けた先に、きっと活路がある。
胸の奥が熱く滾る。七鬼衆こと漆原岬に流し込まれた氣が、シェリルを侵し同化しようとして来る。氣との同化は、合氣道を行使する上で本質的に避けられないリスクだ。しかしこれを恐れていては、岬の氣に飲まれ鬼になる未来しかない。
「ぬぐグ……ッ」
碧眼が深紅に染まり、シェリルは膝を屈する。発熱による眩暈と鬼化への抵抗に集中する間に、日和の打球はコートを跳ねて場外へと飛び去った。
「
一椛が無情にシェリルの失点を告げ、HK416Cの銃把に手を掛ける。すかさず日和が合氣道で思念を送り、それを制した。一椛は銃を下ろしこそしなかったが、ひとまず発砲は控え、二人の審判に徹した。
「ありがとうございマス……ヒヨリサン、イチカサン……絶対に、お二人の信頼に応えてみせマス……!」
シェリルは剣を持つように背筋を伸ばしてラケットを正面に構え、静かに目を瞑った。
感じる。このテニスコートに満ちる氣を。自分を見極めようとする一椛を。期待を胸に、静かに見守る日和を。今ここにいる自分自身を。そのすべての氣の繋がりを。
シェリルは深く息を吸い、吐いた。
「
目を見開くシェリル。その瞳が深紅から青へと返り咲く。それを見届けた一椛は、静かに銃口を下ろした。日和は一椛と視線を交わし、無言の首肯でメイドへの謝意を示した。
「……仕上げだ。試合を続けるぞ、カリバー」
「ハイ!」
シェリルは一椛の投げたボールを受け取ると、日和のコートへとサーブを打ち込んだ。
またしても打球は打者の狙いを裏切り、日和の手元へと吸い込まれていく。日和はただの一歩も動くことなく打ち返す。シェリルはその一連の氣の流れをなけなしの合氣道で読み、打ち返す。
鬼化の進行は深刻だが、お陰でより氣を感じられるようになった。感じたのならば、次は触れること。『風見』で見切った氣の流れを『流帆』で手繰り、そこに打球を乗せて日和の絶対防御を突破する。
この自然に満ちる力を、奪い、従わせるのではない。ひとつとなって調和するのだ、と日和は言った。この大地と風と水とすべての生命と、繋がり、調和すること。それこそが合わす“氣”の道、合氣道なのだと。
風を感じる。シェリルと日和、二人の剣士が織り成す氣の流れが、互いに交わり渦を巻いている。互いにこのテニスコートに満ちる氣と調和しようとしているが、互いの氣の流れは調和するどころか相反している。
三段論法の崩れた不均衡。恐らくはこれが合氣道同士の戦いだ。ふたつの氣の流れは、混ざり合いながらもぶつかり合い、その接点に、亀裂にも似た氣の歪みを生じさせている。
シェリルはその歪みに意識を集中させた。風が軋んでいる。その軋みの源こそ、日和の手繰る氣の調和を為す結び目に他ならない。
「──視えタ。ここガ……これガ……風の、傷ッ!」
感じるまま氣の導きに身を任せ、シェリルはラケットを振るった。渾身のスマッシュが渦巻く氣の奔流を突き抜け、一直線にコートを駆け抜ける。狙いはコート右奥。はたしてシェリルの打球は彼女の狙い通りに飛んだ。日和の絶対防御を打ち破ったのだ。
気付いた日和が打球を追う。自らの防御が破られることを『風見』で予見していた彼女は、驚きこそすれ出遅れることはなかった。自らの疾駆を『流帆』に乗せて加速。神速のスマッシュに追い縋り、エンドラインの手前でスマッシュを迎撃する。
突風が荒び、ラケットのスイングと風を巻くボールの力が拮抗する。が、打球に込められた氣の圧は凄まじく、日和の氣を打ち払い、ラケットのガットを突き破って遥か後方の壁へと激突した。壁面を穿ったボールは、煙を上げて回転を止めるも、自らの運動エネルギーに耐え切れずに焼け千切れた。
「ラケットクラッシュ。ゲームカリバー。カリバーリーズ
一椛がゲームの終了を告げる。どうやら合氣道テニスでは、相手のラケットを破壊すれば四ポイントを待たず一ゲーム取得できるようだ。先の面によるゲーム数を無視したセット取得といい、恐ろしい早さで試合が進んでいく。プレイヤーの力量差次第では、KOによって文字通り一瞬で決着がつくことさえありそうだ。
「ヨシ……なんか知りまセンガ、一ゲーム取りまシタ……勝負は、ここからデス……」
仄かな達成感を胸に闘志を燃やすシェリル。まだ第二セットは始まったばかり。残り三ゲームを取り、あるいは相手プレイヤーへの
そのつもりだったが、不意に全身から力が抜け、思わずコートに膝を突いた。そのままシェリルはうつ伏せに倒れる。
一椛の無情なテンカウントが聞こえる。シェリルは立ち上がることも叶わず、下されるKOの審判をただ聞くことしかできなかった。
「カリバー!」
ネットを飛び越え、日和が駆け寄る。起き上がれないシェリルは、仰向けの姿勢になって彼女を見上げた。
「流石だ、カリバー。よくぞ、この短時間で合氣道を習得した」
「イエ……まだ、はじめの一歩デス……」
「ああ。だが、本当によくやった」
日和は屈み、シェリルの胸元にすっと手を置く。彼女の指先から伝わる念によって、氣の流れが調律される感覚があった。呼吸が整い、体が軽くなる。
だが、今も尚、体の奥底には仄暗い熱が燻っている。漆原岬の存在は、未だ消えてはいない。鬼化に対抗するすべを身に付けたからといって、鬼化の芽が潰えた訳では決してないのだ。
「ヒヨリサンも、他のサムライの方々も、ズット……自分の中の鬼と戦っているのデスカ」
深く息を吐き、シェリルは言った。日和は真剣な顔で頷く。
「合氣道は本質的に極めて危険なものだ。日本人でない者が扱うとなれば尚の事。だから私は、あなたに合氣道を……サムライの剣を教えたくなかった」
日和は恥じ入るように告白する。シェリルは体を起こして座り直り、日和と視線を合わせる。
「七鬼衆に襲われたあなたを鬼化から救う為に、やむなく合氣道を教えたが……あなたはもう祖国へ帰った方がいい。七鬼衆は未だあなたを狙っている。何より、日本を離れれば、自ずとその身に巣食った氣も薄れよう。体に合う故郷のマナで、日本の氣を
日和の声はどこまでも優しく、そして己を罰するかのように厳しかった。シェリルの身を案じると共に、同じ剣士として、戦場から追い出すことを詫びていた。それも、シェリルの身命だけでなく、心まで気遣ってくれているからこそだ。
優しい人だ、とシェリルは彼女に親しみを抱く。その心は湖水のように清らかで、およそ人を斬るには澄み過ぎている。しかし、だからこそ、悪魔から人々を守る為の剣を執るに相応しい。
やはり自分の見立ては間違っていなかった、とシェリルは改めて確信する。彼女の下でサムライの剣を学びたいと。
「お気持ちはありがたいデスガ……ワタシはまだ、帰るワケにはいきまセン。ワタシはサムライの剣を学ぶ為に日本へ来たのデスカラ」
真っ直ぐに日和を見つめて言うシェリルだが、日和はまたしても申し訳なさそうに首を横に振る。
「その事だが……サムライの斬術然り、合氣道は云わば、日本での戦いの土俵に立つ為の武術だ。あなたがサムライの剣を学んだところで、祖国に持ち帰って益となるものは何もない」
「そんなことはないはずデス……そうダ。ヒヨリサン。アンパンはご存知ですヨネ」
シェリルの問いかけに、日和は虚を突かれたように首を傾げた。
「餡パン? ああ、それが?」
「ワタシ、アンパンが大好きデス。アレは、欧米からパンが伝わって間もナイ頃に開発されたと聞きましタ。日本の伝統的なアンコと合わせたことデ、それまで馴染みのなかったパンが、とってもポピュラーになったト。
本来出会うはずのなかったモノ同士が合わさることデ、きっとミラクルは生まれるんデス。ワタシはそう信じてマス。だからきっとムダなんかじゃありまセン。今のネオニホンソードだっテ、もしかしたラ大昔の刀だっテ、きっと最初はそうだったはずデスカラ」
シェリルの訴えを聞きながら、日和はどこか昔を懐かしむような顔で目を伏せる。もしかすると、以前にも、同じようなことを言った者がいたのかもしれない。
やがて日和は、分かった、と短く答え、立ち上がった。
「善処しよう、シェリル・X・カリバー。しばらくは非公認となるが、あなたを私の弟子として迎えたい」
「本当デスカ!?」
「ああ。それに、私も本音を言えば、あなたから西洋の剣や魔術について学びたい。いいだろうか」
日和が手を差し伸べる。シェリルはその手を取って立ち上がり、深く頭を下げて彼女の手の甲に額を押し付けた。
「モチロンデス! ありがとうございマス、師匠……!」
「日和でいい。私もまたあなたの弟子になるのだからな、シェリル」
そう言って、日和はどこか吹っ切れたように不敵な笑みを浮かべた。シェリルは顔を上げて破顔する。
「ハイ! よろしくお願いしマス、ヒヨリサン!」
──かくして。
洋の東西を越え、二人の剣士は互いをその師弟と認め合った。
英国騎士シェリルのサムライ道が、ここから始まるのである。
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