第9話 合氣道テニス大修行!②

 合氣道の最も基礎たる『風見』の一端を会得したシェリルに、日和は満足顔で頷く。その表情から、彼女のシェリルに対する期待と信頼の程が窺えた。

 もとより無茶な修行だ。即座に銃殺を試みた一椛の方が理にかなった行動とさえ言える。期待していなければ、最初からこんな修行を付けはしない。


「鬼化を逆手に取って氣を感じ取る足掛かりにしたか。流石だ、カリバー」

「師匠……!」

「まだ弟子と認めた訳ではありませんよ、ミス・カリバー。それに、まだ氣のセンスを掴んだだけのこと。合氣道の深奥はまだまだここからです」

 日和は不敵に笑うと、背筋を伸ばしラケットを両手で正面に構えた。剣道にも似たその姿勢で、日和はおもむろに目を瞑ると、深く息を吸い、吐く。


「明鏡止水の呼吸」


 瞬間、風が止んだ気がした。ふと覚えた違和感に、シェリルは青い目を見開く。

「なん……だト……」

「氣の流れを読むのが合氣道ならば、読ませないのもまた合氣道」

 日和の動きが読めない。彼女の存在は氣を通して確かに感じられる。が、ただそこにいることが分かるだけだ。それ以上は何も読めない。日和の氣は、まるで石ころか何かのように、周囲の氣に溶け込んでいる。


「嵐の中にあって常に凪の心を保つ──合氣道の精神を表した有名な言葉だ。たとえ嵐の如き脅威を前にしても泰然と構え、氣と同調しながら拮抗して己を保つ、明鏡止水の境地。まずはそれを意識して呼吸するんだ。その呼吸を身に付ければ、まさに自然と、氣との調和を為すことができるようになる」


 凪のように静かな氣で、日和はサーブを打ち込む。辛うじて片鱗を掴んだ程度のシェリルの『風見』ではまったく予見できなかった。通常のテニスのように、相手やボールの動きを目で追うしかない。

「なんノ!」

 シェリルはボールを追い、打ち返す。その間も『風見』による把捉を試みるが、日和の動きはまったく読めなくなっていた。翻って、こちらの動きは依然として『風見』によってすべて読まれている。


 彼女はそこにいる。その存在は感じている。ならば読めないということはないはずだ。シェリルはラリーを続けながら日和の氣に意識を向ける。それに気付いた日和が、打球を打ち返しながら叫ぶ。

「カリバー、“氣”と共に在れ! 私の氣を感じるだけではない。このコートに流れる氣を、そしてあなたの内に在る氣を、そのすべての繋がりを感じるのだ!」

 シェリルを鼓舞するその言葉とは裏腹に、日和の打球は蛇のようにS字を描いてカーブし、シェリルを惑わせる。シェリルは視覚と『風見』の併用で辛うじて変化球を捉え、紙一重で打ち返した。が、日和はそれを難なく打ち返し、更に複雑な軌道を描く変化球を打ち込んで来る。それに立ち向かうべく、シェリルは全神経を研ぎ澄ませた。


 そのとき、シェリルは再び胸の奥が熱く滾るのを感じた。内側から身を焼かれるような感覚に堪らず膝をつく。

「──ぐウっ!?」

「カリバー!」

 日和の打球がコートを跳ね返り、場外まで跳ねていく。心配そうな日和の視線を受け、シェリルは顔を上げた。その額には発熱による汗が滲み、その碧眼は深紅に輝いている。炎のような紋様こそ浮かんでいないが、それも時間の問題だろう。

 鬼化に対抗するには合氣道を習得する必要がある。しかしその為に氣と触れ続けたことで、かえって鬼化を進行させることとなった。


「一椛!」

 日和がネットを飛び越えながら叫ぶ。せがまれた一椛は、荷物に忍ばせていた自動小銃から手を離し、懐から高圧注射器を取り出して日和へと投げ渡した。受け取った注射器を、日和はシェリルの腕に突き立てる。

 針のないカプセルから高圧で打ち込まれた薬剤が、瞬く間に皮下に浸透していく。すると、腕に這う紋様が青く澄み、消えた。瞳の色も赤から本来の青に戻る。体を焦がす熱が退き、シェリルはおもむろに顔を上げた。


「もうあまり時間がない。恐らく次の一セットが運命の分かれ目です」

「わかりましタ。いざというときハ、潔くハラキリしマス。ですガそれまでハ続けさせてくださイ、ヒヨリサン」

「最初からそのつもりです。テニスを続けますよ、カリバー」

「……ハイ!」

 シェリルは力強く頷き、ラケットを手に立ち上がる。日和もまた自身のコートに戻った。


 第一セット第二ゲーム、15-15フィフティーン・オールからの再開。

 第二ゲームにしてようやく日和の『風見』を乗り越え、辛うじて一点を奪い返しはした。しかしここから先は日和も本気を出すだろう。不意を突いて点を奪うことはまず不可能だ。点を奪うには、技術と体力、反応速度でラリーを制する他ない。


 このテニスの勝敗自体は本来問題ではない。しかしこのテニスで勝つ為に必要不可欠な合氣道のスキルは、鬼化を防ぐ為、そしてサムライになる為に必要不可欠なものだ。ゆえに全力で勝ちを狙う。その道程にしか、シェリルが生き延びる道はない。

 そして何より、騎士の誇りが、このまま負けてなるものかと叫んでいる。


「手加減はしませんよ、カリバー。“氣”と共に在れ……いくぞ!」

「アナタこそ、ヒヨリサン。お願いしマス!」


 裂帛の気合いを込めて叫び、シェリルはサーブを打ち込む。騎士の膂力に鬼の妖力を上乗せした剛速球。それを日和はサムライの動体視力と『風見』による先読みで捉え、打ち返す。

 合氣道を用いた剛速球、変化球、そして先読みによる立ち回り。日和は攻防の両面において常にシェリルの先を行く。しかし純粋な身体能力とテニスの技量なら、シェリルの方が上だ。シェリルはそれらに加えてなけなしの『風見』を総動員し、日和の打球に喰らい付く。


 しかしこの時点でもまだ、シェリルは合氣道の深奥を見誤っていた。


 日和がスマッシュを打ち込む。風を裂く神速の打球。しかし狙いは遠く、アウトは必至だ。

 その弾道を目で読み切ったシェリルは、アウトを確信して足を止めかけ、『風見』で読み取った氣の流れに違和感を覚える。エンドラインを飛び越えた日和の打球は、着地の寸前に中空で弾道をねじり、鋭いVの字を描いてバウンド。背後からシェリルへと襲い掛かった。

「あべしッ!」

 振り向いた顔面に跳ね返ったスマッシュが直撃。シェリルは潰れたカエルのような悲鳴を上げて宙を舞うと、頭からコートに叩き付けられ、仰向けに倒れた。その足下に、一拍遅れてテニスボールが落ちる。


「面アリ! カウント開始。十、九、八、七……」


 レフェリーを務める一椛の声が、無情に時を刻む。嫌な予感がしたシェリルは、霧散しかけた意識を気力で繋ぎ直し、自らを鼓舞するように勢いよく立ち上がった。

「──ふんぬらバァーッ!」

「……カリバーの再起を確認。面アリにてゲームセット。東本リーズワンラブ

「ちょおーっと待っタァーッ!」

 予想出来てしまった通りの展開に、シェリルは思わず審判に待ったを掛けた。一椛はその鉄面皮にさも面倒そうな雰囲気を差す。


「なんデスカ、“面アリ”っテ! それに今のテンカウントハ! まさカあのまま気絶してたラ……」

「もちろんKO、このマッチは私の勝ちだ。それと、面は一セット取得ですから。小手と胴も同様に」

 さも当然のように答えたのは日和だった。概ね予想した通りの回答ではあったが、だからこそ疑問を口にせずにはいられなかった。


「テニスですヨネ……?」

「合氣道テニスです」

「あ、ハイ」

 愚問だったようだ。危うくマッチごと落としかけたようだが、直感を信じて奮起した自分をまずは褒めようとシェリルは思った。


「いった通り、ここから先は手加減なしです、カリバー。あなたの体に直接合氣道をぶつけます。死ぬ気で来てください」

 そう言って日和はラケットを下げ、入れ替わりに左手を上げる。すると、ネットの下に落ちたボールが宙に浮き上がり、滑らかに飛んで日和の掌に収まった。

 これと同じものを、シェリルは既に三度見ている。手で触れずに物体を操作するテレキネシスの如き東洋魔術。漆原岬が日和を突き飛ばした技、日和が岬の背後から投石した技、そして日和が一椛の銃撃の軌道を逸らした技だ。


「合氣道『りゅう』。氣と調和し、物体の動きをその流れに乗せる、合氣道の基本技能のひとつ。手を使わずに離れたボールを拾ったり、その軌道を操ったりすることは、最も初歩的な合氣道の実戦技術のひとつと言えるでしょう」


「これがニホンのアイキドー……そしてこれガ、その基本に忠実な、パーフェクトなテニス」

 シェリルは畏敬の念に唾を飲む。この領域に辿り着けなければ、待っているのは人としての死である。

 あまりに遠い境地だ。だが、決して不可能ではない。サムライにできて騎士ナイトにできないなどということがあろうか。


 シェリルは意識して深く呼吸をすると、再びラケットの剣を構え、相手コートに立つ日本の剣士とネット越しに対峙した。

 目を閉じてコートに満ちる氣に意識を集中。氣の流れを感じる。そしてその流れを手繰るすべも、シェリルは恐らく既に知っている。七鬼衆の氣によって妖へと近付いた際に、何度か無意識的に行っていたはずだ。あえてその感覚を思い出すことこそ、鬼化の危機にある今のシェリルにとって、合氣道の感覚を掴む最善の手だ。

 呼吸による己の調律を終え、シェリルは再び瞼を開けた。


「行きマス、ヒヨリサン。“氣”と共ニ」

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