第5話 襲来、七鬼衆②

 倒れた日和に、五体の幽鬼が一斉に炎弾を撃ち込む。日和は咄嗟に脱ぎ捨てたローブを掴んで毛布のようにくるまり、少しでも傷を浅くするよう炎の中を這い回った。

「あはははは! いいザマ!この女はいらないから、みんなで殺しちゃおうよ!」

 シェリルに組み敷かれたまま、岬は心底愉快そうに笑う。本体が拘束されていようと、幾体もの傀儡を従える彼女にとっては大差ないのだろう。


「カリバー……あなただけでも、逃げて……!」

 日和が炎の中から叫ぶ。それを聞いた岬は、嬉々としてシェリルを見上げた。

「そうだ。シェリルさんも一緒にやろ」

「ふざけないで……くだサイ! ワタシは剣士デス! 悪魔の誘惑には、決して屈しまセン!」

「ふーん?」


 シェリルは突然左右から両肩を掴まれ、力づくで岬から引き剥がされる。熱で意識が朦朧としていたせいで気付くのが遅れたが、いつの間にか二体の鬼が傍らに来ていた。二体の鬼はシェリルに膝を突かせ、腕を肩を抑え込む。動けなくなったシェリルに、岬はゆっくりと近付き、その頬を愛撫した。

「そんなこと言ったって、すーぐどろどろになるだけなのに」

 焦らすようにねぶる岬。日和は燃え上がる怒りと使命感のまま、ローブの蓑から飛び出した。

「やめろ、七鬼衆ッ!」

 岬は冷めた目で日和を一瞥する。次の瞬間、日和のみぞおちに郁美の拳が叩き込まれた。


「かは……っ」


 声にならない喘ぎを上げ、体をくの字に折る日和。郁実は無表情のまま、続けて同じ場所に膝を蹴り入れ、首を絞めて河原に叩き伏せる。

 反撃を試みる日和だったが、別の鬼に右手首を締め上げられ、刀を封じられる。更に三体目の鬼が左腕をねじり、頭を鷲掴みにして首ごと上体を反らさせた。

 上半身の自由が利かない日和は、咄嗟に両脚を蹴り上げ、正面の郁美を迎撃した。次いで左右の鬼を振り解こうと藻掻くが、人間が膂力で妖に敵うはずもなく、瞬く間に叩き伏せられる。彼女らがネオニホンソードとの打ち合いで消耗していなかったら、腕力で手足をねじ切られるか、爪と牙で八つ裂きにされてもおかしくなかった。


「ヒヨリサン!──んむッ」


 シェリルの叫びを、今度は岬が黙らせる。重ねられた唇から熱いものがねじ込まれる感覚がした。これが日和の言う“氣”なるものだろうか。それは体の内側で熱く滾り、シェリルの精神の輪郭を溶かし崩して、自他の境界を曖昧にしていく。器から溢れた自我を絡め取り、別の器へと誘う何かを感じた。漆原岬だ。心が、存在が、彼女と同化されていく。

 岬との同化が進むほど、自我が薄れ、意識も感覚も遠のいていく。唇に触れる柔らかい感触も、鼻腔に吹き込む仄かに甘酸っぱい匂いも、段々分からなくなっていく。人は自分の匂いは知覚できない。

 それを悟ったとき、シェリルは本能的に、彼女とひとつになることを拒んだ。


「どっせイッ!」

「きゃっ」


 唇を重ねさせられた至近距離からの頭突き。危うく互いの舌を噛みそうになるも、シェリルは不意を突いて彼女を突き放すことに成功した。今更抵抗されると思っていなかったのか、岬は打たれた額に手を当て、目を丸くする。

「ふんぬらバーッ!」

 シェリルは力の限りに両腕を振るい上げ、左右から掴み掛かる二体の鬼を突き飛ばした。


 体の自由を得たシェリルは、その場で盛大にジャンプし、高架下に置き去りにされた荷物の下へと飛び降りた。

 鞘から折れた“グリムリーパーⅡ”を抜き放ち、郁実の背中へと全力で投げ付ける。同時に強く地を蹴って飛び出す。折れた剣が郁実の背に突き刺さった次の瞬間、シェリルはその柄を握って引き抜き、返す刃で別の鬼に斬り掛かった。腕でガードされるや否や、リーチの短さを逆手に取ってすぐさま左拳で顔面を打ちのめす。続けて残る一体の鬼に回し蹴りを喰らわせると、鬼たちが再起する前に日和を抱えて大きく飛び退いた。


「カリバー、あなた……!」

 シェリルの腕の中で瞠目する日和。彼女が見上げるシェリルの碧眼は血のような深紅に染まり、その体には赤く光る炎のような文様が這っていた。

 まだ完全ではないが、鬼化の兆候だ。先の力と速さは妖と化しつつある証、即ち完全な岬の傀儡となりつつある証に他ならない。今はまだ辛うじて踏み止まっているが、それも時間の問題だ。


「ワタシはワタシ。アナタはアナタ……ひとつにはなりまセンよ、ミサキサン」

 主たる鬼は目をすがめ、その瞳を赤く光らせる。再びシェリルの中で何かが熱く滾った。シェリルは歯を食いしばり、岬からの同化に耐える。

「……だって、別々の人間じゃナイと、キスもできないじゃないデスカ」

「じれったいなぁ。どうせもうあたしのものなのに。本気で抵抗出来ると思ってるの?」

 岬が指先で小さく手招きすると、シェリルの体の奥を焦がす熱が増した。自我を失わないようただ耐えるだけで精一杯で、最早指一本動かすこともできそうにない。


「ぐぎギ……」

「カリバー!」

 日和が懐から小型の高圧注射器を取り出し、シェリルの腕に何らかの薬剤を注射した。シェリルの体を這う赤の文様が青く澄み、薄れて消える。

「これハ……」

「鬼化抑制剤です。気休めに過ぎませんが」


 そう言って日和はシェリルの腕から降り、ネオニホンソードを構えた。シェリルも折れた“グリムリーパーⅡ”を構える。

 互いに次の一手を窺う、二人の剣士と六体の鬼。闇夜の河川敷に訪れる、束の間の静寂。

 その張り詰めた空気を、一陣の風が薙いだ。


「ヒヨリサン、あぶナイ!」

「カリバー、伏せて!」


 二人が叫んだのは同時だった。その叫びを切り裂き、土手の上から自動小銃アサルトライフルの轟音が迸る。弾丸の狙いは六体の鬼。岬とその眷属たちは紫炎の壁をつくり出し、降り注ぐ銃弾の雨を防いだ。

 流れ弾を避けて河原に伏せたまま、シェリルは銃撃の風上を振り返る。


 シェリルや日和と同じくらいの年齢の、怜悧な風貌の女性だった。夜の色を溶かしたウルフカットの黒髪と、切れ長の瞳を飾る長い睫毛、すらりと伸びた長い脚。瞳の色は日和と同じ日本人らしい黒だが、同じ黒でも、黒曜石を思わせる日和の瞳とは違って、ガンオイルのような冷たい艶を湛えている。

 シェリルとしてはもう少し小柄で童顔な女性の方が好みだが、美しい女性だと思った。が、特筆すべきは、彼女の装いである。


「アイヱヱ……メイド……? メイドナンデ?」

 彼女の装いは、シックな黒のタイトドレスに、可愛らしい白のフリルエプロンと、誰がどう見ても所謂メイドのそれだった。

 そのいかにもなメイド服の女は、冷徹な鉄面皮でドイツ・ヘッケラー&コッホ社製自動小銃HK416Cを掃射する。清楚で可憐なフリルドレスも、彼女が着こなせば、その黒と白はオフィススーツを思わせる凛々しいユニフォームだ。

 真っ先に鬼を狙ったということは、ひとまずは味方、少なくとも敵の敵ではあるようだ。だがその正体が分からない。困惑するシェリルに、日和が横から捕捉する。


「彼女は久野くのいち。うちのメイドです」

「いやいや、なんでメイドがライフルヲ」

「武家に仕えるメイドですから。武芸のひとつやふたつ嗜んでいても、おかしくはないでしょう」

「武芸ってレベルじゃないデスよアレハ。人間だったラ秒でミンチですっテ」


 未だ十分状況が飲み込めないシェリルを他所に、久野一椛なるメイドは、右手でライフルを掃射しながら、同時に手榴弾のピンを歯で引き抜き、左手で放り投げた。手榴弾は筒状に展開した炎の壁を乗り越え、防壁の空いた真上から標的の懐へと落ちていく。

 轟く爆音。紫炎の防壁の内側から、異なる色の火柱が吹き上がる。立ち込める黒煙を突風で薙ぎ払い、漆原岬は不機嫌そうに顔を歪めた。


「何、あんた?」

 岬が棘の籠った声で訊く。一椛は無言で銃撃を再開した。岬はそれを炎の盾で防ぎながら、傀儡を操ってメイドへと炎弾を放つ。妖の炎が迫っても一椛は動じなかった。そんな彼女の前に日和が踊り出で、ネオニホンソードで炎弾を叩き切る。反撃を防がれた岬は、炎の壁の裏で舌打ちする。

「ちぇっ、なんかワケわかんないのが来たし、そろそろ潮時かな。時間掛け過ぎたか」

 岬は腕を振り払う動作で爆炎を巻き起こし、日和と一椛へ向けて爆風を叩き付けた。風圧で銃弾を跳ね返され、一椛はようやくフルオートに設定したHK416Cの引き金から指を離す。


「今日のところは見逃してあげるけど、次に会ったときは殺すから。覚えておいて、サムライのおねえさん。それと、誰だか知らないけど、メイドのおねえさんもね」

 七鬼衆の頭目は、憎しみを籠めた目で二人の女を交互に睨み付け、それからふっと甘ったるい笑顔を見せてシェリルに視線を移した。

「じゃ、また会お、ナイトのおねえさん。言っとくけど、逃げられるなんて思わないでね。あなたはもうあたしのものなんだから」


 岬は再び炎弾を連射し、日和たちの動きを牽制した。炎と黒煙を薙ぎ払い、日和が刀を構えたときには、既に七鬼衆の姿は消えていた。

 否。七体目がここに残っている。一椛は無言のままシェリルに銃口を向け、躊躇うことなく引き金を引いた。

「あばばばばバ!」

 シェリルは悲鳴を上げながらも、不格好なステップで飛び跳ね、折れた剣で銃弾を捌く。


 未だ鬼化の過程にあるシェリルは、妖の力も不完全な為、その肉体は刃や弾丸を跳ね返す強靭さを備えてはいない。ゆえに今のシェリルにとって、毎秒十発を超す連射速度で吐き出される5.56×45mmNATO弾の嵐は、ともすればネオニホンソードの一太刀よりも恐ろしい脅威だ。

 ライフルの銃口は一椛の手元でコンマ秒ごとに百分の一ミリ単位で角度修正され、逃げるシェリルを追い縋る。


 しかし彼女のライフルは、先程七鬼衆へ向けてその弾丸のほとんどを撃ち尽くしていた。二秒と経たず弾倉が尽き、銃撃が途切れる。が、そこで攻撃に隙をつくる彼女ではなかった。最後の一発が射出されなり即座に銃を捨て、もう片方の手でスカートの内に隠したホルスターからベレッタPx4を抜き放っている。

 迫る9.0ミリパラベラム弾。その殺意が、シェリルの心臓目掛けて真っ直ぐに滑空する。


 そのときシェリルは、ふと奇妙な感覚に見舞われた。未だ吹いていない風の流れを感じた、とでも言うべきか。直線に飛ぶ銃弾の弾道が、まるでレールに沿って走る列車のように、その舵を斜め下に切るのが視えたのだ。はたして銃弾はシェリルの予感の通り、標的を逸れて河原へと吸い込まれていった。

 二発の銃弾が砂利を穿つ。三発目はなかった。銃口はシェリルへと据えたまま、一椛は眉ひとつ動かさず、後ろの日和を肩越しに振り返る。


「よせ、一椛。彼女の鬼化は私が責任を持って止める。だから待ってくれ」

「……お嬢様がそう仰るのであれば」

 メイドは主人の言葉に諾々と従い、スカートの裾を上げて太もものホルスターに拳銃を仕舞った。が、彼女のシェリルに対する視線は、未だぞっとするほど冷たい。およそ人が人に向ける視線の温度ではない。

 ひとまず新たな危機から解放されたシェリルは、ここで重要なことを思い出した。


「あの、先の“鬼化”というのハ……まだ終わってない、のデスヨネ……?」

 シェリルの問いに、日和は油断なく傍らの一椛に注意を向けながら、神妙な面持ちで頷く。

「ミス・カリバー。あなたは七鬼衆にその“氣”を注ぎ込まれ、鬼に……妖になりかけました。それは今も続いており、極めて危険な状態にあります。このままあなたが完全に鬼となれば、私はあなたを討たねばならない」

 それはシェリルも予感していた。投薬のお陰でひとまず落ち着きはしたが、まだ体が熱っぽく、離れていても漆原岬の存在を感じる。根本的な解決を図らなければならないのは明白だった。その最も早く確実な手段が、シェリルを鬼として討つことであることも。


「鬼化に打ち勝つには、サムライになる他ありません。ミス・カリバー。その覚悟はおありですか?」

 あえて問う日和。無論、シェリルは迷うことなく頷き、答える。

「もちろんデス。その為にこの国に来たのデスカラ。よろしくお頼み申しマス、師匠」

「弟子と認めるかどうかは、まず最初の修行をクリアできるかどうか、それ次第です──すまない、一椛。コートと道具一式、手配してくれないか」

「……承知しました」

 主の命に、メイドはまるで胸中の読めない鉄面皮で頷き、自動小銃を手に颯爽と夜闇の中へと消えた。


「では、ミス・カリバー。テニスの経験はありますか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る