第4話 襲来、七鬼衆①

 火照る体を、冷たい夜気を纏った指先が撫で上げる。蛇に肌を這われるような感覚を虚脱した顎で噛み締め、シェリルは得体の知れない少女の横顔を見つめた。

「本当ですカ、ミサキサン……?」

「気付くのが遅いね、ナイトのおねえさん。イギリスでは悪魔退治のお仕事をしてたんでしょ?」

 人を小馬鹿にしたような態度でけたけたと笑う漆原岬に、シェリルは日和の勘違いなどではないと思い知らされる。出会ってからほんの数十分、それも一夜限りの逢瀬となりそうな相手ではあったが、シェリルは動揺を禁じ得なかった。


「その女は危険です。ミス・カリバー。同じ剣士として、無礼を承知で言います。どうか逃げてください」

「ヒヨリサン……無礼だなんテ、トンデモありまセン。デスが、そノ……」

 途中で言い淀むシェリルに、日和は不審げに眉をひそめた。シェリルは唇に手を添え、頬を染めて目を逸らす。

「逃げるにモ……さっきのが凄くっテ、そノ……腰が抜けてしまいまシテ……」

「え? あ、ああ……そうですか。いや……すみません」


 日和も気まずそうに目を逸らした。シェリルはなんとか弁明しようとしたが、急激な眩暈に襲われ、あえなくその場に倒れた。体が熱い。欲情による発熱だけではない。むしろ風邪を引いたときの感覚に近かった。

「ミス・カリバー!? ──七鬼衆! 貴様、彼女に一体何をした!?」

 日和が刀の切っ先を向けて糾弾し、シェリルも高熱で胡乱になった目で岬を見上げる。彼女はまるで二人きりだとでも言わんばかりに、うずくまるシェリルを真っ直ぐ見下ろした。

「ゾクゾクするでしょ。これであなたはもうあたしのもの」

「なん……デスト……?」


 シェリルは熱で朦朧とする意識を気力で繋ぎ止め、岬に問い返した。揺らぐ視界の奥に、日和が岬の背後から斬り掛かる姿が映る。気付けばシェリルは、自ら岬の盾となって日和の前に立ちはだかっていた。

 眉間の三ミリ先で、青く光る刃が止まる。シェリルの暴挙に日和は目を丸くした。

「カリバー、何を」

「──はッ! わ、ワタシは一体……」

 狼狽するシェリルの腰に、後ろから岬の右手が回される。同時に岬は左手を前にかざし、触れることもなく日和を吹き飛ばした。日和は背中から土手に叩きつけられ、土手にもたれかかる形で仰向けに倒れる。


 屈辱の表情で見上げる日和。そんな彼女に見せ付けるように、岬はシェリルの肩にしなだれかかった。

「ふふ。ありがと、あたしのナイト様」

「ミサキサン……ワタシにナニをシたのデスか。さっきからワタシのカラダ、おかしいデス」

「だから言ったでしょ。あなたはもうあたしのものだ、って」

 岬に後ろから抱き付かれ、馴れ馴れしい手付きで体を触られる。シェリルは抵抗できなかった。毒に侵されたかのように体が動かない。まるで彼女の操り人形にされたかのようだ。


「なるほどな。相手の体内に直接“”を送り込んで鬼化させる……そうして彼女を“七人目”にする訳か」

 日和は起き上がり、再び剣を構える。しかしシェリルを盾にされ、迂闊に斬り込めない。それを見越した岬は余裕の笑みを浮かべる。

「正解。強そうな女の人を見かけたから誘ってみたら、イギリスの騎士さんだったんだもん。こんなアタリ、逃がすワケないじゃん」


 妖、鬼、氣──初めて聞く単語。外国語での会話。高熱にぼやける意識。その三重苦ゆえ理解に苦しむシェリルだったが、辛うじて重要な一点は理解した。


「じゃア……最初かラ、ワタシのカラダだけが目的で近付いたってコトデスカ?」

 声を搾り出して問うシェリルに、“七鬼衆”漆原岬は妖艶な微笑みを返す。

「そうだよ、女騎士さん。強くてキレイな女の人を探してたの。あたしを守ってもらう為に。中身はどうでもいいの。心なんてどうせどろどろに溶かしてあげるだけだから、みんな一緒」

「そんナ……ジャパニーズではハジメテだったのニ……」

 シェリルは思わず自分の唇に触れた。まだ触れ合った温もりが残っている。息を吸うと、口の中から仄かに甘い残り香が上った。


「そんな悲しい顔しないでよ。大丈夫。あたしを受け入れて、もっともっとどろどろになれば、いやなことなんて全部なくなるから」

 岬はシェリルの頬に手を添え、その青い瞳を間近に覗き込む。意識を奪われたシェリルは、彼女の黒い瞳から目を逸らせない。

「ずっと一緒にいようよ。ずっと。ずっと……」


 そのとき突然、河原の石がひとつ浮き上がり、見えない手に投げられたかのように岬の後頭部に激突した。不意を突かれ、岬は膝を折ってよろめく。その隙にシェリルは歯を食いしばって岬の抱擁から逃れた。

 何が起きたのか、正確なところは分からないが、恐らくは日和の行使した東洋の魔術だろう。先程岬が日和を背後の土手に叩きつけたものと、同種の技だと推察される。


「はッ!」

 裂帛れっぱくの気合を込めて叫び、日和は上段から岬に斬り掛かった。一歩で五メートルの間合いを滑り抜け、青の刃を振り下ろす。


 が、それを妨げる一対の両腕があった。日和の刀を受け止めた腕は、次第にその全身を実体化させる。それは、瞳に血の色を宿し、体に赤く光る炎のような文様を浮かべた、岬と同じ年頃と制服の少女だった。

「ありがと、いくちゃん。やっぱりあたしの一番のナイトはずっと郁実ちゃんだよ」

 岬はつま先立ちになって郁実なる少女の肩に顎を乗せ、後ろから彼女の腰に手を回した。

「この女、ずっとあたしの邪魔ばっかするんだ。この間志穂しほちゃんをやったのもこいつだよ。許せないよね。ねえ郁実ちゃん。あいつ殺してよ」

 郁実は無言で頷く。日和は怒りと嫌悪に顔を強張らせた。


「人の魂を弄ぶのもいい加減にしろ……!」

「あんたこそ、あたしたちの邪魔しないでよ」

 岬は左手を顔の横に掲げ、ぱちんと指を鳴らした。すると、背後の川から四本の水柱が上がり、その中から幽鬼の如き女たちが現れた。四体はいずれも郁実と同じく、岬と同じ制服を身にまとっており、体には同様の文様が浮かび上がっている。が、その年齢はまちまちで、中学生くらいの少女から二十代前半頃の女性まで様々だ。

「みんな。やっちゃって」


 岬の号令の下、五体の幽鬼が一斉に日和へと飛び掛かる。まさに多勢に無勢。しかし日和は怖じることなく、ローブを脱ぎ捨てて迎え撃つ。

 左手を前に突き出し、右手の刀は後ろに引いて顔の横で水平に掲げる。弓を引き絞るような構えで広い視野を確保し、左右に展開する五体もの敵を俯瞰。

 短い深呼吸で己が心身を調律し、その斬術の名を唱える。


「ネオニホンソード斬術、三の型──『それ』!」


 かざした左手の照星で敵を捉える。先頭の鬼が間合いに踏み込んだ刹那、ライトブルーに煌めく刃が夜闇を切り裂いた。右下から斜めに切り上げの一閃。鬼の女は腕で刀を受け止める。その瞬間、日和は左手で剣の柄を迎え受け、返す刀で左から鬼の胴を薙いだ。斬撃は鬼の肘に打ち落とされるも、日和は即座に剣を構え直す。

 続けて二体の鬼が左右から日和を挟み込む。日和は手首の動きで刀を回し、牽制の斬撃で右方の鬼の接近を阻止、同時に左後方へ半歩退く。ずらした間合いへ左方からの鬼が飛び込んだ瞬間、身を翻しての一太刀。これも腕で防がれるが、剣圧で圧し返すことには成功、次いで右方からの鬼を迎え撃つ。摺り足で間合いをずらしつつ身を屈め、刀を水平に構える。置かれた剣に獲物の方から飛び込む形となり、青の刃は鬼の左大腿を切り裂いた。


 斬撃の手応えを感じると同時に、日和は摺り足で半歩退く。

 多数を相手に、迂闊な深追いはしない。もとより『剃簾』は防御に特化した斬術だ。決して逸らず、敵が隙を見せるまで捌き続けるのみ。


 日和は手首のスナップを利かせて瞬間的に刀を振り、中空に青い円を描く。暖簾の如くに敷かれた斬撃の盾が、心臓を狙った鬼の貫手を阻む。

 直後、背後から別の鬼が迫るも、日和は振り向くことさえなく刀を背後に回して牽制。そこから流れるように体を反転させ、続けて襲来した郁実を迎撃。凄まじい速度で繰り出される手刀の連撃を捌きながら、背後や左右へも斬撃を滑り込ませ、あるいは体ごと反転して斬り結び、前後左右から襲い来る五体の幽鬼の攻撃を巧みにブロックし続ける。


 全方位へと自在に斬撃を走らせる『剃簾』の剣技。手首と指先、そして遠心力を用いて刀身を滑らかに回転させるその動きは、どこかそうじゅつにも似ている。数を頼みとする烏合の衆では、この鉄壁の剣を打ち破ることなど不可能だ。

「調子に……乗るな!」

 岬は怒りを叫び、指先から紫の炎弾を撃ち放つ。郁実ら五体の鬼もそれに続く。が、日和は一瞬の内に調息すると、舞の如く鮮やかに繰り出す斬撃のワイパーで、それらをことごとく打ち払った。


 炎弾の集中砲火では埒が明かないと悟った岬が、再び指を鳴らす。瞬間、シェリルの体の奥底で何かが弾けた。シェリルは熱い衝動に突き動かされるまま日和に飛び掛かった。

「ふんガーッ!」

 カエルのような姿勢で飛び掛かるシェリルの抱擁を、日和は咄嗟に退いて躱す。が、シェリルは着地と同時に地を蹴り、日和に突進した。剣で迎え撃つ訳にもいかず、日和は防御が一瞬遅れる。シェリルは妖の力で強化されたりょりょくを存分に発揮し、日和の峰打ちを掌底で圧し返す。

「くっ……」

 シェリルは瞬く間に日和の両手首を捻り上げると、軸足を払って転倒させ、押し倒した。斬らぬようにと手心を加えていたとはいえ、その力と技に日和は為すすべもなかった。


「がるルルルルル──はッ! ヒヨリサン!? ス、すすすすすスミマセン! これは決してやましい気持ちからでハ──」

「……どいてください」

「あ、ハイ」

 日和は眉間に皺を寄せる。シェリルが申し訳ない気持ちで彼女の上から退こうとしたそのとき、不意に日和が叫んだ。

「──カリバー! 避けて!」

 背後に殺気を感じるて振り返ると、掌に紫の炎を構えた岬がすぐそこに迫っていた。振り向きざま、シェリルは岬の脇腹に左肘を叩き込む。


「ぐうっ!」


 シェリルは不意打ちに怯んだ岬に飛び付き、その右手を捻り上げた。銃口の掌を上げられた炎弾は、本来の標的の真上を通り過ぎて川面を穿つ。蒸発した水飛沫が上がる頃、シェリルは捻り上げた岬の腕を軸に彼女の体を反転させ、同時に左手も締め上げ、背に両手首を押し付ける姿勢でうつ伏せに組み伏せた。

「この……」

 組み敷かれた川岸に頬を押し付けられながらも、岬はシェリルを怒りの眼光で睨み上げる。その瞳が赤く燃え、またしてもシェリルの中で何かが熱く燃え滾た。額に脂汗が滲む。シェリルは気力で堪えて岬を押さえ付けた。


「そのまま堪えてください、カリバー!」

 日和がネオニホンソードを振りかぶる。先程とは真逆の状況。しかし異なる一点は、岬にはシェリルの他にあと五体の傀儡があるということ。

 郁実ら五体の幽鬼が、河川敷を扇状に展開して炎弾を撃ち放つ。日和は再び『剃簾』で防いだ。


 次々と飛来する炎弾を、ことごとく斬撃で撃ち落とす日和。しかし自身だけでなくシェリルも守りながらとなると、ただ防ぐだけで手一杯だった。このままではいずれ、小さな綻びから防御が決壊し、敗北へと繋がる。それを理解しているからこそ、岬もまた自身が巻き添えになるのも厭わず、傀儡たちに炎弾を撃ち込ませていた。

 五体の幽鬼は、炎弾を撃ちながら隊列を変え、五芒星を描く形に日和を囲い込む。半数以上を視界から逃した日和は、常に全方位に意識を向け、時には死角からの射撃に対応しなければならなかった。それでも紙一重で捌き続け、防衛線を維持する。

 が、そこへ更に、第六の銃口が殺意を灯す。


 反射的に刀を構える日和だったが、ほんの一瞬遅かった。シェリルに組み伏せられた岬の指先から放たれた紫色の熱線が、日和の左肩を撃ち抜く。焼ける痛みに動きを鈍らせた刹那、背後から迫った炎弾が炸裂し、日和は爆炎に吹き飛ばされて川岸に突っ伏した。

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