第3話 違法ロリの誘惑

 気分転換も兼ね、シェリルは少しばかり日本の街を観光してみることにした。

 なんとなしにふらふらしている内に、また何かの出会いがあるかもしれない。そうでなくとも、せっかく日本に来たのだから、まったく観光しないのも嘘だろう。

 実のところ、サムライの剣を学ぶという目的の他にも、せっかく来た日本を堪能したいという気持ちは最初からあった。というより、行きたい場所や食べたいものは、それこそローティーンの頃からずっと心の中にしたためていた。


 シェリルがまず最初に行こうとしたのはメイド喫茶だ。

 とはいえ、おやつにはやや遅い。おまけに小腹を空かせるあまり、途中で見つけた小さな和菓子屋に足が吸い寄せられてしまった。そこで出会ったタイヤキなる魚の形をしたアンコ入りドーナツをひとつ注文。近くの自販機でペットボトルの紅茶も購入する。

 タイヤキにかぶりついてみると、驚くほど皮が薄く、アンコ入りドーナツというより、アンコのドーナツ風皮包み、とでもいった印象だった。昼に食べたギョーザも恐ろしく皮が薄かった。日本の料理やお菓子は、とにかく皮を薄くするものなのだろうか。だとすると、日本に伝わる以前のもっと皮の厚いタイヤキやギョーザなどが、どこか他の国にあるのかもしれない。


 タイヤキを頬張っていると、ふと誰かの視線を感じた気がした。振り返ってみるも、怪しい人影はない。シェリルは首を傾げた。

「……気のせいですカネ」

 念の為、シェリルはサムライと妖から感じた魔力を思い出しながら、魔力探知を試みた。が、日本の特殊な風土にまだ慣れず、またしても探知に難航した。これ以上は無為と見切りを付け、シェリルはタイヤキの最後の一口を口に放り込む。


 タイヤキを食べ終えたシェリルは、タイヤキの包み紙と飲み掛けのペットボトルをバッグにしまい、目に入ったカードショップに入った。『さつおう』の本場である日本のカードショップには、是非とも一度行ってみたかったのだ。

 TCGは日本の発明品ではなく我が国のオリジナルだ、とアメリカ人は言うが、今やTCG大手メーカーの大半は日本の会社だ。とりわけ『棋札王Ki-Satsu-Oh!』は、囲碁と将棋から日本の伝統遊戯の座を奪い取っただけに留まらず、海外へと羽ばたき世界一のシェアを誇るに至った。かく言うシェリルもプレイヤーの一人だ。


「ふおォ……『黒眼の黄龍ブラックアイズ・イエロードラゴン』の初版……初めて生で見まシタ。えっぐいプレミアデス」


 ヨーロッパではありえない光景を目の当たりにし、シェリルはすっかり興奮してショーケースを眺めて回った。

 店に陳列されているカードたちは、新品のパックから中古のシングルまで、当然ながらすべて日本語版だった。ヨーロッパでは通販でないと買えないことが多いが、日本では店頭で買えてしまうのだ。時折漢字につっかえながらも、その文字を読めることに、シェリルは改めて興奮と寂しさを覚える。


 幼い頃、シェリルは日本語版の棋札王カードに憧れを抱いていた。カードに記された異国の文字は、その音も意味も読み取れず、ただの記号としか映らなかったからだ。

 しかし日本語を覚えた今は、読めるようになった半面、文字にかつてのような神聖さを感じられなくなってしまった。覚え立ての頃こそ、自分だけが解読できる暗号のようで嬉しかったが、今となっては最早ただの文字だ。仕方ないので、現在その古代神官ヒエラティック・文字テキストの玉座には、代わりにアラビア語に座って頂いている。


 店内を一通り見て回り、ついでに美人な女性店員や女性常連客はいないかを確認する。

 買う物を決めてからもしばらく物色を続けてしまい、店を出た頃にはすっかり空も夕陽に焼けていた。ビルの隙間から覗く地平線には紫が差している。もうすぐ時計は六時。もうそこに一番星が見える頃だ。

 そろそろ夕飯をどうするか決める頃合いだろう。できれば続けてアニメショップにも行きたかったが、明日以降に回した方がよさそうだ。早々に未練を断ち切り、シェリルはメイド喫茶に向かうべく地図アプリを起動した。


 最寄りのメイド喫茶を目指して歩くこと数分。若い男女のいさかいが耳に入る。

 声の方を振り向いてみると、一人の少女が若い男性の二人組に声を掛けられているのが見えた。二人の男はしつこく少女を口説こうとしており、少女の返答する声には怯えの色が滲んでいた。シェリルは真っ直ぐ三人の元へ歩いて行った。


「ヘイ、お兄さんタチ」

 開口一番、シェリルは男の一人の肩を後ろから掴み、少しばかり乱暴に振り向かせた。

「うおっ……な、なんだよ、ねえちゃん」

 男が険悪な態度で応じたのは一瞬だけだった。長身の碧眼に至近距離から凄まれ、二人の男はたじろいだ。

「嫌がる女の子にいつまでも付きまとうナンテ、ジェントルマンのすることじゃありまセンネ」


 そう言って、シェリルはダンスに誘うような手付きで男の腕を取り、そのまま捻って片手で組み伏せた。そのまま空いた手でもう一人の胸倉を掴み、互いの額がぶつかりそうになるほど手荒く引き寄せる。

「逢引きはお互いが許し合ってこそデス。女の子を口説く前に、キチンとジェントルマンとしての心構えを勉強することデスネ」

 シェリルは何か言い返そうと口をもごもごさせる男たちを突き放し、鋭い碧眼で睨み付けた。男たちは一瞬屈辱に顔を歪めるも、シェリルの気迫に気圧され、捨て台詞のひとつも残すことなく走り去って行った。


 ナンパ男たちの背中を見送ると、シェリルは少女へ振り返り、中腰に屈んではにかんだ。


 おかっぱ頭の、可愛らしい小柄な少女だった。学校の制服と思しきブレザーの上から、カジュアルな紺色のパーカーを羽織っている。

 か細く震える濡れた瞳に、シェリルは胸の奥が締め付けられる想いがした。慰めながら不謹慎だとは思うも、泣いている顔も綺麗で焦ってしまう。流石に表面では礼節を整えるが、心に嘘は吐けない。

「あ……ありがとうございます。助けてくれて」

 少女は胸元で両手をぎゅっと握りしめた。シェリルは彼女の震える肩にそっと手を置く。

「礼には及びまセン……それヨリ、こういうヒトケの少ない場所で若い女のコが一人というのは危ないデスヨ」


 シェリルは少女の隣に回ると、さりげなく彼女の腰に手を回し、腕で包むようにして連れ歩いた。他意はない。不安そうな彼女を少しでも安心させる為、また不埒な輩が寄って来ないよう彼女を守る為だ。決して他意はない。

 少女の方もそっとシェリルに寄り掛かる。小さな黒髪の重みを胸元に感じ、シェリルは反射的に彼女を抱き寄せる腕に少しだけ力を込めた。


「外国の方、ですか」

 腕の中で少女が訊く。シェリルは歩きながら、さりげなく少女の髪の匂いを嗅いだ。バニラのような甘くとろける香り。あまり長く吸っていると、それだけで頭がどうにかなってしまいそうだ。

「ハイ。イングランドから来ました。シェリル・X・カリバーと申しマス」

「シェリルさん……あたし、漆原しちはらみさきって言います。さっき、凄かったです。男の人を簡単に組み伏せて。格闘技とかされてたんですか」

「エエ、バーティツを少々。本業は剣デスガ。ワタシ、こう見えて騎士デスので」


「騎士さん……イギリスにも妖みたいなのがいるんですね」

「コッチではデビルとかデーモンとかって呼んでマス。色んなタイプがいますケド、ワタシの地元では特にドラゴンタイプが多かったデスネ」

「それであんな風に。その……すごく、かっこよかったです。たのもしかった、っていうか」

「それはよかったデス。余計なお節介でなけれバとだけ思っていたノデ」


 話しているうちに、岬の不安も解けて来たようだ。シェリルの腕を抱く彼女の腕にも、最初のような固さはない。まだ出会ったばかりだか、既に大分心を許してくれているようだ。

 と、そこでふとシェリルは違和感に気付いた。大通りに戻るはずが、むしろ街の明かりから離れ、小さな河川敷まで来ていた。岬はシェリルを誘いながら、慣れた足取りで土手を降りる。


「あの、ミサキサン……もっと安全な、ヒトケのあるトコロにと思ったのデスガ……」

「シェリルさんの隣ならどこでも安全じゃないですか。それとも、あたしと二人きりは嫌ですか?」

「イエ……ミサキサンさえよければ」

 自分よりずっと小柄な岬を左手で抱きかかえていたシェリルだったが、気付けば彼女の腰に手を回したまま、高架の橋に背中を押し付けられていた。雑踏の声さえ届かない暗闇の中、高架を走る車の排気音が遠く聞こえ、その隙間を縫うように川のせせらぎが微かに耳朶を打つ。


「たまにいるんです。ナンパから助けてくれたと思ったら、その人もあたしを狙ってた、ってこと……ひょっとして、シェリルさんもそう?」

「マ、ままままましゃカ……」

 背中が粟立つのを感じたシェリルは、反射的に岬の腰に回した手を放そうとした。が、まるでそれを見越していたかのようなタイミングで、岬に手首を掴まれ、より強く彼女の細い体を抱き締めさせられる。

「いいんですよ。素直に言ってくれて……こっちは素直みたいですけど」

 そう言って岬はぐいと顔を近づけ、狼狽と興奮の入り混じったシェリルの顔を至近距離から上目遣いで見つめる。その黒く澄んだ瞳に、シェリルの碧眼は重力に捕らわれた小惑星のように呆気なく吸い込まれる。


 橋の上を行き交う自動車の騒音が、遠くで打ち上げられた夜の花火のようだった。外の世界と隔絶された嘘のような静寂の中、ふと聞こえた衣擦れの音が何度も耳の奥に鳴り響く。岬はシェリルを見つめながら、ブレザーのリボンをするりと解いた。はだけた胸元から覗く、なだらかな双丘に挟まれたささやかな窪みに、シェリルは目を奪われる。

「ほら。ね」

 岬はシェリルの胸の内の期待を見透かすように言った。まだ幼さの残る声が、艶やかな音色でシェリルを誘惑する。一語一音が、細く柔らかな毒針のようにシェリルの心に浸透していく。


 シェリルは理性が決壊しそうになりながら、ぎりぎりの一線で踏み止まろうとした。

 確かに、淑女の嗜みとして、いつ何があってもいいよう、デッキとフィンドムは常に鞄に入れて持ち歩いている。出会って間もない少女に路上で誘惑される妄想をしたことや、そうしたシチュエーションのコンテンツを嗜んだことも一度や二度ではない。

 まさに願ってもいない状況だ。しかしシェリルとて最低限の分別は弁えているつもりだ。


「……ダ、ダメです、ミサキサン」

「どうして」

「だって、ミサキサンってば未成年──」

「だから、何」


 岬は有無を言わさずシェリルを黙らせた。唇に何か柔らかいものが触れたと思った次の瞬間、バニラの香りが鼻腔を突き抜け、脊髄から脳の奥までを電撃が駆け抜ける。抵抗する間もない一瞬の出来事だった。十代の少女のものとは思えぬ蠱惑的な舌使いが、シェリルの思考がどろどろに溶かす。シェリルは完全にされるがままだった。

「ん……ふひィ……」

 ようやく解放されたシェリルは、岬を抱き締めさせられたまま、コンクリートの柱にぐったりともたれかかった。岬の体重もそれについて来る。岬は膝を折り、シェリルの耳に唇を寄せた。


「シェリルさんの方が、力もずっと強いのに。抵抗しないんですね」

 岬の冷たい指先が頬を這う。体の奥が焼けるように熱い。シェリルも内心まんざらでもないところはあるが、相手は未成年だ。大人として彼女を拒まなければならないことくらい分かっている。が、頭では分かっていても、今となってはとてもできそうにない。

 まるで毒蜘蛛のようだ。蜘蛛の糸に捕らわれた獲物は、その毒で体を内側からどろどろに溶かされ、身動きも叶わないまま吸い尽くされるという。彼女の口付けはまさに、シェリルを内側から溶かし崩す猛毒だった。

「じゃあ、いいですよね」


 耳元で岬が悪魔のように甘く囁く。シェリルは朦朧としたまま、こくりと頷いた。

 岬は妖しく笑い、シェリルの顔を両手でそっと包み込む。頬に指先が触れるか触れないかの優しい手付きで、獲物をがっちりと捕らえて放さない。岬の黒の瞳がシェリルの碧眼を射貫く。その唇がもう一度近付く。


 刹那、岬の顔が殺気に凍り付く。同時にシェリルも酔いを覚ます。シェリルが熱っぽい両腕をなんとか動かして岬を退かすのと、岬が後ろを振り向いたのは、ほぼ同時だった。


「ごきげんよう、女漁り」


 岬の背後、土手から降りた高架下に、ひりつく殺気の主はいた。茶色のローブを纏った魔女──否、サムライ。三度相まみえたその姿は、東本日和その人である。

「次の狙いは彼女か。つくづく節操のない女だな」

 日和が冷たく言い放つ。あられもない場面を見られたシェリルは、慌てて首を横に振った。


「ヒ、ひひひひヒヨリサン!? どうしてここに!? イヤあの、ワタシはまだナニもシてなくて……イエその、今のも合意の元といいマスか決してワタシの方からは決して……ハイええと違法ロリだというコトは重々承知しておりマスがソノ」


 闇雲に言い逃れの言葉をまくし立てるシェリルを他所に、日和は刀を抜く。さしものシェリルもこれには瞠目した。剣士が冗談で剣を抜くはずがない。未成年淫行の罪は、この国では現行犯死刑に値するということなのか。

 慌てふためくシェリル。その混乱を、腕を絡め取る少女の苛立ちの声が嘲る。


「あーあ。またあんた? これからイイトコロだったのに」

「だからこそだ。これ以上貴様の好きにさせると思うな、“しちしゅう”」


 日和がネオニホンソードを起動させ、鈍色の刀身がライトブルーに色付く。その青く光る切っ先を向けられながら、漆原岬は不敵に笑った。

「……ミサキ、サン?」

「その女から離れてください、ミス・カリバー。その女は人間ではありません。人間を捨て妖となったモノ──“鬼”です」

 シェリルは信じられない想いで傍らの少女を見やる。漆原岬はそのあどけない童顔に妖艶な笑みを浮かべ、ねぶるように指先で優しくシェリルの頬をさすった。

「離れられるワケないでしょ。このひとはもうあたしのものなんだから」

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