第44話

 あの日、僕らは海に飲まれてしまった。


 そして、それは僕らだけの話ではなかった。


 僕が目を覚ましたのは知らない病院のベッドだった。


 病室内のカレンダーを見ると夏休み初日から十日ほどが経っていた。


 そこには僕の知る人は誰もいなかった。父も近江も泉もそして小金井も誰もいない。

そこは蓮見町から随分離れた市立病院だった。


 僕のケータイや荷物は海に流されてしまって、誰とも連絡は取れなかった。ただ、手首に着けていた小金井のヘアゴムだけは手元に残った。


 病院のロビーのテレビでは連日同じニュースが流れていた。


『津波被害』


 そんなテロップを見て僕はテレビに釘付けになる。


 テレビの中のニュースキャスターは蓮見町及び近隣の町について現場の状態を伝えていた。


「こんなことになるなんてなぁ」


 同じ病室の老夫が隣に立っていた。


「何があったんですか?」


 老父は目を丸くしてこちらを見ていた。


「津波だよ。町がいくつも飲まれたんだ。知らんのか?」


 老父はそう言って、その場から離れていった。


 僕はそのままテレビを見続けた。そして、徐々に僕らの町がどのような状態になっているのか理解した。


 蓮見岬からずっと離れた沖合には海底火山が存在する。あの日、僕らが船で沖に出た日、その海底火山が噴火したと言うことらしかった。そして、その影響で津波が発生し、近隣の町に押し寄せた。


 テレビの中の蓮見町は何もなかった。全てが津波で押し流され、消えてしまっていたのだ。


 そこが本当に蓮見町だとは思えなかった。


 みんながどうなっているのか。父は生きているのか。街の人たちはどうなったのか。不安ばかりが募った。


 僕は病院で一人、不安と焦りを感じていた。だから、病院を抜け出し僕は蓮見町へ向かった。


 電車代も何もなかったため、線路沿いをただひたすら歩き続けた。ケータイもないから、それしか蓮見町に行く術はなかった。


 徐々に見知った光景がいくつか現れた。そして、丸一日歩き続けてようやく自宅近くのキャンプ場まで来ることができた。


 でも、そこは僕の知っているところではなかった。キャンプ場はただの荒野になっていた。地形とか後は山の位置なんかでそこがキャンプ場だったことはわかるのだがそれ以上のことはわからない。


 それから僕は自宅へと走った。まだ何か残っているところがあるのではないかと淡い期待を抱いていたのだ。しかし、そこには何もなかった。


 自宅だった場所には何も立っていなかったのだ。ただ、建物があったであろう土台や柱の一部が残っているだけで、入り口の扉も店の陳列棚も何もなかった。


 僕は込み上げてくるものを必死で堰き止めていた。


 僕は再び走り出した。何か残っていないのか。そんなことを思いながら、ひたすら蓮見岬へ走っていった。途中、駅があった場所や住宅があったはずの場所も通ったが、僕の知っている景色はそこにはない。全てが消えていた。


 そして、蓮見岬まで来てようやく建物を見つけた。ボロボロになった教会、至る所が崩れ、屋根はすでになかった。黒焦げた壁や柱が残っている。ステンドグラスがはめられていた壁も半分以上は崩れていた。その壁のところに一冊の本が落ちていた。それは水に濡れた形跡はあったが、すでに乾いていた。分厚いその本の表紙には『聖書』と書かれていた。この教会にあったものかもしれない。僕はそれを拾い上げて脇に抱えた。


 それから僕は蓮見岬から海を見つめた。海は灰色に染まっている。


 海の上を大量の軽石が埋め尽くし、灰色に染まっているように見えた。海底火山の噴火によって大量の軽石が海の上に浮上してきているということを聞いていたけど、その光景を見てもう僕の知るこの町も海もないのだと知った。


 その場に膝をついた。ここにはもう誰もいない。そのことだけはよくわかった。

故郷の海でさえ僕は見ることができなかった。どうしようもなく涙が溢れた。

僕はもう一人なんだということを強く実感した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る