第34話
何が起こったか理解するまでに少しの時間を要した。
横腹を見るとそこにナイフがあった。僕は横腹に突き刺さった銀のナイフを見つめた。血が流れるのを見て一層痛みが強くなる。腹部が熱を帯びる。
「邪魔をするからです。私は言いました。邪魔をするから……」
神父の声は震えていた。
僕は脚の力が徐々に抜けていくのを感じた。そして、そのまま床に崩れ落ちた。
「ハル! 血が」
泉は泣きそうな声で言う。
「神父様、ハルが!」
「由紀さん、放っておきましょう。私たちと一緒に彼もいかせるしかありません」
神父はそういうとライターを握りしめる。
「でも……止血しないと」
泉は講壇の方に歩き始めた。おぼつかない足取りで講壇にかけられていた布を引っ張る。
僕はだんだん意識がぼんやりとし始める。
僕はいつもそうだ。肝心なところで役に立たない。力も気力もない。ここに近江がいればよかったと思う。近江なら泉を説得できて、神父から泉を救うことができたかもしれない。僕はいつも情けない。
一瞬、ステンドグラスの前で何かが煌めいたように見えた。
そして、その時、僕は何かが壊れる音を聞いた。全てが崩れ落ちるような、どこか綺麗な音だった。わずかな意識の中で僕は礼拝堂のあの巨大なステンドグラスが壊れるのを見た。破片は赤や青、黄色、さまざまな色に煌めきながら赤い床に散らばっていった。夕陽の影で顔は見えづらかったけど、割れたステンドグラスの向こう側から二つの影が礼拝堂に飛び込んできた。
「まっちゃん! 血が」
「ハルくん!」
聞き慣れた近江の声、高く通る小金井の声、僕は不意に涙が溢れた。近江は金属バットを手にこちらに駆け寄ってくる。
「泉を……」
僕が言うと近江は小金井に何かを伝える。
小金井が泉の肩を摑んだのが見えた。
「何があったんだ?」
僕は声を振り絞る。
「灯油が……ライターを」
僕はそれ以上の言葉を発することができなかった。
近江は頷く。そして、金属バットを振りかざし言う。
「おい! テメェがやったのか!」
近江は神父に啖呵を切る。
「くくっ」
神父は喉鳴らし、その後大きく笑い声を上げた。
「私が全てやりました。ですが、これ以上何もするつもりはありません。だって神はやはり居られたのですから」
神父は後ろへ下がる。ちょうど礼拝堂の扉の前でぴたりと足を止めた。そして、ライターを持つ左手を高く上げる。
「これでやっと終えることができます」
神父はライターに火をつける。
「神父様!」
祭壇にいる泉が叫ぶ。
神父は笑みを浮かべていた。
「由紀さん、あなたは生きられます。そう、神は居られたのですから、人の生は短く苦しみは絶えない。花のように咲き出ては、しおれ影のように移ろい、永らえることはない。けれど、信じれば救われる。それは確かなことでした」
そう言って神父は足元にライターを落とした。火は足元から神父の体に燃え広がった。
「いや!」
泉が叫ぶ。
「は、やく、外に」
僕が言うと近江は僕の体を担いですぐに割られたステンドグラスの窓から外に飛び出した。泉も小金井に連れられて、外に脱出できたが、火は徐々に燃え広がり、灯油のかけられていた場所に差し掛かると大きく燃え上がった。
サイレンの音がいくつも聞こえてきた。
「まっちゃん!」
近江は教会から少し離れたところで僕を地面に降ろした。
やっぱり近江はすごい。いつもヒーローみたいに僕や泉を救ってくれる。そんな近江に僕は憧れていた。
「やっぱり、近江は凄いね」
「何言ってんだ。それより、まっちゃん、がねっさん救急車! 血が、血が出てる!」
「もう呼んでる!」
小金井の声が聞こえる。
「警察もそろそろくるはずだから、もう少し辛抱してくれ」
「近江くん、ワイシャツ! 患部に」
「お、おう」
小金井と近江のやりとりがどこか別の場所から聞こえてくるような変な感覚だった。
「止まんねぇよ」
「とりあえず、シャツで押さえてて」
小金井が叫ぶ。
僕の周囲で慌ただしく人が動いている。僕はそれをどこか遠くから眺めているような感覚になった。
「それ以上動かさないで!」
「おう!」
近江が必死に僕の腹を押さえている。
「ハル、ハル」
今にも泣きそうな声で泉は僕の顔を覗き込んでいた。
全てが遠くなっていく。でも悪い気はしなかった。みんなの声をいつまでも聞いていたい。そう思った。
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