第4話
璃子の図書委員当番の日がまわってきた。
燃えるような火曜日だ。その日もペアの委員は部活がある、出ないと先輩が怖いの!とテニスラケットのケースを担いで去っていった。
図書委員の仕事は苦ではない。ただ、あのノートを見つけてしまった。璃子はあのノートのことは、初めの夜こそドキドキしたが、一週間たってみると落ち着いていた。
女子校みたいなものだもの。女性同士で気持ちが向くこともあるのかもしれない。かくいう璃子も何人かの先輩が大好きだ。しかし、ノートに書かれた彼女達の思いとは違う気がする。
今日は誰も本を借りにこなかった。こんなこともあるのか、と驚いた。ちなみに璃子は文芸部で、毎年好きな文豪の略歴などを書いたものを提出して、それだけでレポート、あるいは原稿と呼ばれている。そして印刷所で小冊子になり、学園祭で配る。部費で十分賄えるのだ。入力時に発注数を間違えないよう、そこだけはみんなで確認する。
きょうも、あのノートを見てみよう。
本棚の近くに寄ったが、あの本全部を取り出す仕事をするのは骨が折れる。すると、
「まあ!きょうは誰もいなくてよ!」
「声が大きいわ、静かに」
「ここの空気、ほんとうにすきだわ」
三人くらいの女生徒がざわざわと図書室へ闖入してくる。明らかに本を探す気配ではない。一番遠くの本棚、部屋の隅に璃子は隠れた。
すると。なんと!詰め所に入り込んで脚立を運んでいるではないか。
脚立を立て、まず二人が本棚のあの秘密空間の近くへ。続いて脚立のロックを外した残っていた一人が、よいじゃなさそうに脚立を本棚の上の二人へ手渡し、二人は手を伸ばしてすんなり受け取る。器用に脚立を机がある側へ移して開かせる。ロックはかかってはいない。
しかしコツがあるらしく、何回かガシャガシャ音を立てるとカシャン!!と何かがはまる音がした。
「この作業、だんだん慣れてきたわ!」
「音が気になるし、できなかったら教室から椅子を代わりに持ってくれば良いものね」
「この高さの本棚で良かったわ。高すぎず低すぎずねっ」
璃子は、耳を疑った。見つかるのがなぜか怖くて現場を見ていないのだ。
まさか!複数犯だったなんて!おまけに!脚立じゃなくて学習椅子でもなんとかおりられるらしい。あの秘密の空間に。
そこへ
ガラララッ
閉じられていた図書室の扉の開く音。彼女達の完全犯罪はどうなるのか。
人を惹きつける声音が響いた。
〈だれかいらっしゃる?〉
返事はない。
声の主は去って行った。
「あぶなかった!」
「黒沼様だわっ」
「あの美声、耳がまだ震えている」
今日はここまでにしましょう。
秘密の空間の中。三人と脚立はまた同じような状況で二人上がり脚立は向こう側へ。空間に残った一人は二人に引っ張り上げられて本棚の上に登り。便利脚立で器用にロックをし、そのまま帰って行った。
やっと璃子は隅から体を出す。
「脚立のロックを、勘でかけるなんてめちゃくちゃだわ。造りのせいかしら」
確認してみるとロックが必要なものと、ただ力を加えて押しひらく重いタイプの二つがあった。
わたし一人では無理だわ。
下校時刻まで。前のやり方で奮闘してみよう!
そして、璃子はまた本を出し本棚をずらし、体をるんっ、と両手をあげて滑り込ませて。新しい記載を見ていると。
「まあ、そんなふうに一人でこの結界に入る人、初めてみたわ。」
咎められてはいないのに、その人に言葉を投げかけられたら、誰だって反省と狂気と乱舞。そして、慎み。
「くっ、」
先輩が人差し指を立てる。
「名前を言ってはいけないの。ここを出るまでは」
黒沼麗子、黒沼高校の創始者の血縁者。なぜか三年に一度、大風が吹くように大輪の美で三年間を揺るがす乙女!その親族のひとり!
「……私は、図書委員です。ここを調べてしまいました」
そう。調べてしまった。
「いいのよ、きっと。わたしも今日初めて知ったから。ねえ、そのノートは何?」
麗子は艶のいい黒髪を揺るがし、魅惑で璃子をふらつかせて、身を乗り出してノートを受け取る。中を見る。
麗しく、学業でもトップで、そんな黒沼麗子が、まず眉根を寄せる、なんてしかめ面。見たくなかった。しかし。まるで、そのノートを読み終わっていく頃には、あの日の璃子のように、どこか笑ってすらいた。
ぱたり、と閉じて。
「それで、貴女の書き込みはどれかしら」
「いいえ、私は書き込んだことがありません」
正直に無表情で答えた。
麗子が璃子に手を伸ばして、優しくセミロングの髪を撫でながら、驚きに満ちた顔で「本当に?!」と聞いてくる。頭を、髪を撫でられ、自白を強要されているようではあるが、これは、誘因だ。
「はい。私はこのノートの存在を先週知ったばかりです」
制服が、なぜだろう、心地の良い汗をかく体にも、自信が持てる。凛と立つ黒沼麗子先輩は目を丸くしてから、魅惑の表情で笑う。
「貴女は、正直者だわ。勝手に触れてごめんなさいね
私に触れられたひとはね、なぜかみんな、嘘がつけなくなるの」
けして凄みがあるわけではない。ただ、この人に迫られたら、どうしたって白状するしかないのだろう。
「ねえ、ここから出ましょう?いえ、その前に、この結界のような、エリアにあった本を見せて。読書を嗜むことにしているの」
ひとしきりその四角の、彼女の言う結界を堪能した後、黒沼麗子さまは、「もういいわ、ありがとう」
と私よりずっと肉感的というか、胸とお尻が削れてしまうというような出方で本棚の隙間から出ようとするので、私は慌てて本棚を押し、先輩が少しでも通りやすいようにした。
先輩はやや驚いていた。
「ありがとう、セーラーが痛むところだったわ。貴女はカーディガンなのね。ボタンが取れないように気をつけて」
どこまでも脳を麻痺させようとする声に、視線に、体躯に私は痺れていた。
いけない。あの子達のようになってしまった。
「ねえ貴女、この高校の歴史書を知っている?親族に読めと言われているの。分厚いはずよ」
「それなら、いままで私が読んでいた本です。待っていてください」
私は詰め所から辞典のような、広辞苑よりしっかりした装丁の分厚い卒業アルバムみたいな本を運んで来た。
「これです」
「……そう、重そうね。ここのテーブルで読むわ」
「どうぞ、お好きなようになさってください」
自分の敬語が正しいのかすらわからない
私はずりうごかした本棚をノートも何もかも元に戻し、本のラベルを確認して順番通り、並び直す。静かに。黒沼先輩の邪魔をしないように。
「あなた、いつも、ひとりでこうして本棚を動かしていたの?」気づけば美しき乙女が傍に立ち、驚愕している。
「二回だけです。それに、ほかに方法が思い浮かばなかったんです」
ふふっ
「あなたのこと、すきだわ、初めに図書室に誰もいなかったのは何?」
「書き込みの女生徒たちがいたんです。秘密の結界に隠れていました。私はあそこに隠れてやり過ごしてました」
「あなた、って、ほんとうにすき、おかしいわ。ごめんなさい、でも、とても、今日はおもしろいわ!」
本をしまうのを手伝うわ、と黒沼麗子先輩は仕舞い方を聞いてきた。そんなことさせられない!と言うと
「本は好きなの」
お家に返してあげなくちゃ。
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