31話 天使の金貨


「き、金貨20枚で買わせていただきますわ!」


「金貨20枚、金貨20枚以上お出しになる方はおられますか?」


【奴隷オークション】の司会の問いに、私と競っていた男は口を閉じた。

 彼はなかなかに身なりが良い。そして何より注視すべきは、胸元に小さく縫われた大鹿の刺繍。

 やはり家格は【凍てつく青薔薇フローズメイデン】伯爵家と同等の【深緑を守る大鹿バラシオン】伯爵家の手の者か。


 私の予想は確信へと変わる。

 ここで【岩飾りの娘ドワーフィン】を買い付けようとする【深緑を守る大鹿バラシオン】家の者がいるなら、確実にロッキナ・アースはこの奴隷オークションにいる。

 絶対にこの勝負、勝たなくていけない。


 そして肝心の競り相手だが、部下の装いでアレだけ上品な服を着ているのだとすれば……バラシオン伯爵から大金を任されている、それなりの地位にいる人物なのだろう。

 例えば筆頭執事の一人だったり。


「金貨20枚でレディが【岩飾りの娘ドワーフィン】を落札!」


 司会の嬉しい宣告を聞いて、私は全く胸が躍らなかった。

 なぜなら一人目の【岩飾りの娘ドワーフィン】で軍資金の五分の一を使い果たしてしまったからだ。

 残り金貨80枚……もし仮にあの男が順当に金貨20枚まで吊り上げてきたら、あと4人しか【岩飾りの娘ドワーフィン】が買えない。

 残り半分の【岩飾りの娘ドワーフィン】にロッキナ・アースがいたら大出費だけの結末になってしまう。


 さらにバラシオン伯爵の部下が、私より場慣れしているであろうことも気付かされた。

 先ほどの競りは、私が初手で金貨3枚から5枚と一気に倍近くの金額を提示。これで【岩飾りの娘ドワーフィン】は必ず私が買うから、値段を吊り上げても無意味! と周囲に主張したつもりだったけど、平然とその倍額の金貨10枚を宣言された。

 それからに少しずつ金額が上がってゆく、いわゆる一騎打ちの競りになった。


 互いが互いの軍資金を探る駆け引き。

 相手がどこまで出せて、どこまで次の【岩飾りの娘ドワーフィン】に出せるのだろうか?

 そんな腹の探り合いだ。


 まだ【岩飾りの娘ドワーフィン】は9人もいる。仮に相手が【岩飾りの娘ドワーフィン】を3人だけ買い付ければよい、と命じられていれば、ここで私と競り続けて無駄な出費は控えたいところ。

 だからこそ私の軍資金を序盤で削りきってしまい、後半で大した競り相手がいなくなったところを安値で買いたたくことも可能だ。

 もちろん残りの【岩飾りの娘ドワーフィン】が少なくなればなるほど、もう後がないからと他の客たちも必死になって、値段が爆発的に吊り上がる可能性もある。

 とはいえ、先程の様子だとそこまで【岩飾りの娘ドワーフィン】に執着している者はいなそうだった。


 私が彼との競りにおいてわかったことは、金貨20枚前後までなら【岩飾りの娘ドワーフィン】に出せる。もしくは私の軍資金を削るだけの目的で、20枚までなら余裕で出せるといった懐事情だ。

 これは非常にまずい。


 彼には他にもお目当ての物があるのならいいのだけれど……彼を見る限り、今の今まで競ってまで落札しようとした奴隷はいない。

 となると……いや、わからない。

 主から予め『あの奴隷種にはここまでの金額を提示して、無理だったら即刻諦めろ』と言われているのか……必ず【岩飾りの娘ドワーフィン】を数人は購入しろと命じられているのか……。


 私はここまで【岩飾りの娘ドワーフィン】以外に入札してこなかった。

 明らかに私の目当ては【岩飾りの娘ドワーフィン】だと相手は見抜いたはず。


 でも相手の場合は違う。フェイクかもしれないけれど入札を分散させている。

だからこそ、こうして私を思考の渦に落とし、混乱させ、手の内を見せないように振舞っていられる。

 つまり、現時点で私は一枚取られた状況になっている。

 あちらの方が間違いなく、【奴隷オークション】のやり方を熟知している。


 どうすればいい……。

 ここはさらに強気で一気に最初から金貨30枚を宣言して……。

 必ず誰にも買わせないと、はったりをかます?

 いや……絶対に相手は様子を見て来るはず……。

 後半でシレッと金貨10枚ずつ出されてしまえば、【岩飾りの娘ドワーフィン】を全員買うなんて絶対に無理。


 どうすべきなんだ……。


「では、二人目の【岩飾りの娘ドワーフィン】でございます」


 思考がまとまり切らないうちに二人目の【岩飾りの娘ドワーフィン】がオークションにかけられてしまう。


「こちらは少々身体が悪いので銀貨70枚から!」


 ここで私は完全に失念していた点に気付く。

 全部の【岩飾りの娘ドワーフィン】が同じ価値であるはずがないのだ。奴隷は若さや美しさ、そして技能などによって価値は千差万別。

 そんなことに今頃気付くなんて……ええと、今回はさっきの【岩飾りの娘ドワーフィン】より価値が低い? だから相手が出してきそうな限度額は……金貨17枚ぐらいが妥当? それ以上は私の資金削りが目的?

 ダメだ……わからない。


「金貨1枚と銀貨10枚!」

「金貨1枚と銀貨50枚!」

「金貨3枚で買う!」


「金貨3枚! 金貨3枚以上お出しになる方はいらっしゃいますか?」


 思えば私は奴隷なんて買ったことがない。

 だからこそ、完全に相手と駆け引きできるほどの経験や知識などを持ち合わせていない。

 でも、それでも私はこの不毛な沼に金貨を投げ出すしかない。


「金貨6枚で買いますわ!」

「ではこちらは金貨8枚で」


 くっ。

 倍額を提示した私の値に、すぐかぶせてきたのはやはり【深緑を守る大鹿バラシオン】伯爵の部下だ

 しかも金貨1枚乗せじゃなく2枚乗せ……資金力の余裕さが伺い知れる。

 おそらくここでまた一騎打ちをしてもズルズルと吊り上げられてしまう。それでも私に残された選択肢は乗るしかなかった。


「金貨9枚で買いますわ」

「金貨11枚」

「……金貨13枚でどうかしら」

「金貨15枚」

「金貨16枚で買いますわ」

「金貨19枚」


 ぐっ……。

 さっきと同じ値段まで吊り上げてられてしまった。

 ここでもし私が躊躇したら、私の資金力の底が相手に気取られてしまう。

 私はこれ以上の不毛な争いを避けるためにさらに強い金額を宣言する。

 苦渋の決断だ。


「金貨っ、25枚で買いますわ!」


 20枚で買った【岩飾りの娘ドワーフィン】より市場価値の低い者に、25枚の金貨をつける。その意味は、何が何でも【岩飾りの娘ドワーフィン】は買い付けるといった意思表示を叩きつけると同義。


 果たして相手の反応は————

 口元に涼やかな笑みを浮かべている。


 だけれど今回の【岩飾りの娘ドワーフィン】にはそれ以上の値段がつかなかった。


「…………」


 手持ちの金貨は残り55枚。

 もう三人買えるかどうかもわからない枚数だ。

 それでも私は一歩も引かずに【岩飾りの娘ドワーフィン】に入札する他なかった。それはまるで地獄のような時間だった。



「レディはよほど【岩飾りの娘ドワーフィン】を気に入っておられるようだ! 金貨19枚で落札!」

「【岩飾りの娘ドワーフィン】の女王と呼ぶべきか! 金貨28枚でレディが落札!」


 3人目、4人目を落としたところで……私の軍資金は残り8枚。

 もはや一人を買うのだって難しい枚数になってしまった。

 そして終わりはやってきた。


「金貨6枚で買いますわ!」

「では金貨7枚で」

「き、金貨8枚で買いますわ!」

「では金貨13枚で」


「……………」


 ここまでか。

 やっぱり最初から勝ち目のない戦いだった。

 多分相手は主人から【岩飾りの娘ドワーフィン】を2、3人買えればよいと命令されているのだろう。対してこちらは全員の確保。

 条件からして無謀な戦いだった。

 10人中4人を確保できても、ロッキナ・アースがいる確率は40%。

 低すぎる。低すぎるけど、今の私の限界はここまで。


 それを察したのか、相手の顔には薄い笑みからより深い笑みが刻まれた。


「どうやらお嬢さんもここまでのようですねえ。まったく、たかが奴隷に金貨13枚などと……バカバカしい値上げ競争もここで終わりですかね?」


 自身こそが勝者と言わんばかりに相手は私に話しかけてきた。

 そんな挑発に私はただただ黙っていることしかできなかった。なにせ事実だからだ。


「奴隷のおつむが弱いのはもちろんのことですが、これから主人となるレディのおつむが緩いのも問題ですねえ」


 相手はここぞとばかりに、金貨13枚の損失に対する苛立ちを私にぶつけてきているようだ。

 多分……本来であれば【岩飾りの娘ドワーフィン】の奴隷は金貨4枚から7枚が適正価格なのだろう。それを知らないバカな私に付き合って、相手は金貨を5枚から9枚も無駄に使ってしまった。

 それでも私の資金が底を尽きた以上、ここからは彼の独壇場。だからこそ強気で私を揶揄してきたのだろう。


 だが、そこまで言われて黙っていられるマリアさんではなかった。



「たかが奴隷ですって? 私を侮辱するのは構いませんが、私の大切な従業員・・・・・・を奴隷呼ばわりするなんて許せませんわ……覚悟ができていますのね?」


「はんっ、何度でも吠えるがいいでしょう。世間知らずのレディ」


 あぁ、相手の言う通りだ。

 いくらここで私が吠えたって結果は変わらない。

 私は【岩飾りの娘ドワーフィン】を4人しか手に入れられなかった。


「あ、あのー……今回は金貨13枚で、そちらの紳士が落札ということでよろしいでしょうか?」


 私たちの言い合いをやんわりと制止してくれたのは、司会の人だった。

 流れは完全に相手にあると見て、ついに私の敗北が決まったのだと、そう誰もが思った。

 私自身ですら、諦めの境地で唇を噛むしかなかった。


 だけどそんな時————

 見事なまでに流れをかき乱す新しい荒波が現われた。



「僕がそちらのレディの名代みょうだいとして、金貨100枚を出そう」


 会場は騒然となった。

 もちろん【深緑を守る大鹿バラシオン】伯爵の部下も唖然としている。


「無論、ここから全ての【岩飾りの娘ドワーフィン】をレディに捧げるつもりだ」


 そんな破天荒で意味不明な宣言をするのは、認識阻害の仮面をつけた————

 関わらない方がいいと思ったばかりの大物っぽい少年だった。


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