9話 絶氷の君
私はダンテ・キルヒアイス・フローズメイデン。
【
剣術、鍵魔法学、軍略学、地政学、為政学、歴史学、経済学。
領民と家紋を守り抜くためなら何でもしろと父上に教えられ、それを実現してきた自負がある。私の歩む道を邪魔する者がいたならば、容赦なく白氷へと変え、息の根を止めてきた。
だから人は私を恐れて【絶氷の君】などと、まるで暴君のように恐れる。
そんな絶対零度の私にも、二つの温かな星が舞い降りた。
一つは亡き妻のシルヴィア。
そしてもう一つは我が愛娘マリアだ。
マリアが生まれてきた日は今でも鮮明に覚えている。
人生最大の歓喜と、そして最大の絶望だ。
最愛を手にして最愛を失った。
だからこそ、次は二度と最愛を失わぬよう、マリアを大切に大切に育ててきた。
必ずあの
だから私はマリアの名にシルヴィアを刻んだ。
将来は【
そのため領地経営に邁進し、騎士団の練度を確固たるものにし、最高の状態を整えて異論を唱える者がいたなら、ねじ伏せるだけの力と名声をつける必要があった。
激務の連続だったが、順調に我が領地は栄えつつある。
しかし、気付けばシルヴィーと過ごす時間があまりにも少なくなってしまい、我が娘にどう接してよいのかわからなくなってしまった。
我ながら剣術だろうが鍵魔法だろうが、政略だろうが完璧にこなせると自負している。だが、愛娘への対応だけはどうにもうまくいかない。
先程もそうだ。
以前からシルヴィーがステラ姫殿下のお茶会に招待されたいと強く願っていたのは、メイドのアンを通して把握済みだ。さらにその際は【
ふふ、自領を愛する娘の思考が誇らしいやら微笑ましいやら。シルヴィーは全く
いや、そうではない。
先程は肝心な娘の意向を読み違えてしまったのだ。
ドレスを所望しているかと思いきや剣術を学びたいなどと……年頃の娘が何を考えているのか全くわからない。
もはや私にとって最大の悩みのタネになっている。
「失礼します、旦那様。おや、またお険しいお
「セバスか」
どうも私は
長年仕えてくれる筆頭執事のセバスには『そのようなお顔ではマリアお嬢様に怖がられてしまいますよ?』と小言をよく漏らされる。
「どうした」
「昨日、手配させたドレスの件で少々ご相談させていただきたく存じます。メイドのアンがマリアお嬢様は成長期ですので、詳しい採寸をしてから発注をかけた方が良いと申しまして。いかがなさいますか?」
「採寸はするべきだな。フローズメインデンの粋を結集し、この世で二つとない最高のドレスに仕立てあげよ」
日に日に妻に似てくる愛娘を見て、いつからかシルヴィーと呼ぶようになってしまったが……そうか、もう13歳になったのだな。
シルヴィーの成長は喜ばしいが、その反面……いつかは誰かと添い遂げる適齢期が近づくと同義。ゆえに一抹の寂しさを覚える。
これまで顔がやけにいい男や、自分が認めてしまいそうな努力家を娘に会わせないよう排除……配慮していたが……娘の幸せのためにも受け入れねばならない、な。
……娘の隣にどこぞの馬とも知れる輩が立つと想像するだけで、その者を氷漬けにして粉々に砕きたい衝動に駆られるが。
ふう、冷静にならねば。
憎き衝動を抑えなければいけない対象は、何も将来の婚約者だけではない。
「セバスよ、今回の茶会は
「承知いたしました」
我がフローズメイデン家はステラ姫殿下の派閥に属している。
王子殿下ではなく姫殿下こそ王位継承者にふさわしいと後押ししている立場にある。
その理由は……ステラ姫殿下があの歳で異様なまでに権謀、智謀に長けているからだ。個人的には実直な王子殿下を推したいところだが、おそらくステラ姫殿下の方が貴族の扱い方も含め、あらゆる面で勝っている。
どちらが玉座に就くのかと問われれば、おそらくはステラ姫殿下だろう。
貴族にとってどの王族を推すかは重要だ。
なにせ自分の推した者が王位につけば立場は盤石となり、逆に違う者が王となれば冷遇されるのは目に見えている。
だからこそ早いうちに彼女を支持しておけば、姫殿下が女王の座に就いた際はフローズメイデン家は悪い様には扱われない。シルヴィーの女性爵位継承も、女王という立場から支援してくれる可能性すらある。
すべてはシルヴィーのために、ステラ姫殿下に形式上の忠義を誓っている……。
「だが油断できぬ
心から信用はできない。
他の貴族共は察知していないだろうが、私はごまかされない。人望を集める美しい笑顔の裏に、真っ黒な何かが潜んでいると。
他人を蹴落とし、利用し、自身の食い物にしようとする動きが、ステラ姫殿下には垣間見える。
つまり、永遠の青き薔薇を頂く我が家の家訓からすれば……下衆の極みである。
そんな獣の庭に……我が愛娘を単身で送り込むのはひどく不安だ。
だが、将来のためにも姫殿下と顔を繋いでおくのは大切なこと。覚えめでたければ、シルヴィーの将来に光が差す。
そのお膳立てなら、いくらでもしよう。
しかし、だ……急に剣術とは……まったく理解し難い。
我が愛娘ながら、ろくに剣も振れず、早々に他の道を模索する未来しか想像できない。
ならば違うことに邁進させた方が有意義なのでは……? いや、娘の決断に水を差す思考はダメなのだろうか?
……教えてくれ、シルヴィア。
君だったら今の私になんて助言をしてくれるだろうか。
いや、亡き妻に縋っている場合ではない。
政務にもとりかからねば。
なにせ手元には愛娘がプレゼントしてくれたペンがあるのだ。私が28歳の誕生日にくれた逸品で、それ以来毎日愛用している。丸みの帯びた小動物が彫られているのが特徴的で、ペンの天冠にも秀逸な小動物の飾りが接着されている。
愛娘らしいセンスに、私の心に温かみと情熱が灯る。
さあ、今日も父はシルヴィーに誇れる仕事を完璧にこなそう。
◇
「お、お父様。執務中に失礼いたしますわ」
「シルヴィーか」
約束の剣術を教わる時間になっても、修練場に顔を出さないダメパパのせいで執務室を訪ねる私。
まったく私とアンだけで修練場に行ったら、稽古中の騎士団から奇異の視線が集中しちゃったじゃないですか。
「もう少しで終わる。しばらくそこで待っていろ」
師匠は自分が遅刻しているのに悪びれもせず、視線すら合わせずに突っ立っていろと物申す。
うわ……相変わらずの冷徹顔。これ絶対に不機嫌だよ。
「…………」
「……」
カリカリと何かの書面にペンを走らせる師匠。
っち。
銀髪を気だるげにかきあげるな。
ほんのりと疲労感のたまった物憂げな金眼を紙に落とすだけで、異様に
うっわー……無駄にまつ毛長いし、娘を待たせてる分際で無駄にできる男感がバリバリあるわ。
一枚の絵画かよってツッコミたくなる美しさに辟易する。
師匠は重苦しくも威厳を纏ったまま、素早くペンを扱い————
ん?
なんだアレ?
絶対零度の伯爵様が握るペンには、丸っこいウサギをモチーフにした飾りがちょこんとついておられる。
…………なにあれ、似合わなすぎでしょ!
いや、ペンはかわいいよ? かわいいけど、32歳の美壮年がね?
いや、イケメンだよ? イケメンだけどさ……!
めちゃくちゃ冷徹な【絶氷の君】がうさぎのペンを使ってるって、何なの!?
少女趣味なの!?
ぷーくくくくくっ師匠っ……さすがにっ、それはっ、笑えますって……!
ぷーくっくっく…………ってあれ、
んんーやっば!
師匠が時折、ペンを見つめて何かを思考する素振りを見せるけど……誰かを射殺すんじゃないかってぐらい眼力が鋭くなってる……。
うわあ、気に入らないんだろうなあ。あのペンが。
仕方なく使ってやってるって思いがひしひしと伝わってくる。
そうか、なるほど。
どうりで仕事中も不機嫌なわけだ。
うわー。
本当に悲しいなあ、
娘の愛、親知らずってか。
よし任せなさい。この件の復讐は剣術の修練でおみまいしてやろう。
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