8話 悪逆令嬢の心の傷


「シルヴィーか」


 マリアわたしをシルヴィーと愛称で呼ぶのはこの世でただ一人。

凍てつく青薔薇フローズメイデン』の家紋を背負う、嫌味なまでに整い過ぎた顔立ちの美丈夫……剣技と氷の鍵魔法において右に出る者はいない猛者であり、銀髪金眼の超優秀な敏腕領主。

 ダンテ・キルヒアイス・フローズメイデン伯爵その人である。

 

 師匠は……たしか今年で32歳か。

 まさに男盛りだな。


「おはようございます、お父様」


「————席につけ」


 師匠は目の前にある白亜の長大なテーブルに腰を落ち着け、こちらに視線を一切向けない。

 金眼に輝く瞳はテーブルに置かれた料理へと静かに落とされ、上品に整えられた蒼銀そうぎん髪が、師匠の冷徹さを一際強調しているようだ。

 というか貴族って、家族でご飯を食べる時もすごい距離があるなあ……師匠から私までテーブルを挟んで優に5メートル強はある……。


「…………いただこうか」


「はい、お父様。いただきますわ」


 やっぱ尋常じゃない威圧感だなあ。

 身体全身にゆらめく練り込まれた魔力、鋭い目つき、そしてどんな体勢でも一切の隙を見せない洗練された所作。

 そのどれもが武人としての偉大さを証明している。


 さすがにワガママ令嬢のマリアわたしも、父に逆らったらどうなるかわかっているようで、普段と違ってひどく殊勝な口調になってるし。



「…………」

「……」


 空気はもはや針のむしろだ。

 私は師匠の様子を観察しながら、貴族令嬢としてのマナーにも注意しなければいけない。

 マリアの記憶を頼りに、身体にしみ込んだであろう動きを模倣しながら料理に手をつける。


「…………」

「……」


 先日、娘が毒で倒れたばかりだというのにひどく素っ気ない。

 さすが絶対零度で恐れられた【絶氷の君】。師匠のせいで絶品な料理も味がしない。

 いや、そもそも庶民舌の私には高級料理の味などわからない? いやいや、マリアの記憶を辿れば私にだって味の良し悪しぐらいの判別はつく、か……?


「…………」

「……」


 時間が無言とともに過ぎてゆく。

 これはこれで私にとって都合がよいけど、娘としてはこんな威圧感ばっちばちのパパってどうなんだろ。


 嫌だよなあ……愛情に飢えちゃうんじゃないだろうか? 勇者のアルスわたしは両親の顔を知らないけれど、孤児院の修道女シスターが母親代わりのようなものだった。

 修道女シスターからは『誰かを貶める暇があったら、自分が成長するために時間を費やしなさい』と大切なことを教わった。

 あの人こそ、子の成長を見守る聖母だった。


 おかげで鍵魔法や精霊力、そして剣術も人より器用に扱えるようになったわけだけど。

 

 子は親を見て育つ。

 その点、マリアローズの場合は……顔を合せれば絶氷のごとく冷たい父親だ。だからマリアは自然と周囲に高圧的になったとか?

 もしかしてマリアわたしが悪名高いのって師匠パパのせいでは!?


 マリアの母親シルヴィアは、マリアを生んですぐに衰弱死した。出産による負担が大きすぎたようだ。そしてマリアは……師匠パパが自分にそっけないのは、自分が母を殺してしまったから……恨まれていると思ってるふしがある。

 

 なにそれ、つっら……。

 師匠もつらいけど、マリアもつらすぎ。


 そもそも母から受け継いだミドルネームのシルヴィアイスから、シルヴィーって呼ばれるのも複雑だよなあ。呼ばれるたびに母の死を意識させられるわけだし。

 そうして愛情の行き場に彷徨ったマリアは、今は亡き愛犬マリーへとたどり着いたっぽい。


「…………」

「……」


 唯一の肉親である父に会うたびに責められるような感覚になるって、子供にとってはけっこうなダメージだ。


「…………」

「……」


 そういえば勇者アルスの時は、一度も師匠のマリア《娘さん》とは会わせてもらえなかったな。

 7年も剣の師事を受けたのだから1度ぐらいは顔を合せてもいいはずなのに。勇者になってからも、何かと都合が良くないと言われて娘さんマリアと会う機会はなかった。

 もしかしなくても幽閉されてたとか……?


 いや、社交界やお茶会などにはフローズメイン伯爵令嬢が顔を出していたと聞くし、なんなら貴族社会に詳しくない勇者わたしですら、マリアの悪評ややらかし談は耳にしていたから幽閉説はない。


「…………」

「……」


 なんか喋ろうか、ダメパパ!

 あんたのその態度に、マリアはだいぶ気に病んでたんだ!

 私の肩にだって盛大なツッコミどころがあるだろー!? 可愛い可愛いプリティーシロちゃんが乗ってるんだぞー!?

 だんだん正体がバレる恐怖よりも、苛立ちの方が勝り始めてきた。


「くるるる……」

「………………」

「……」


「…………」

「……そういえば、お父様」

「……?」


 よし、この際だ。

 私は前世で唯一、習得できなかった剣術を教えてもらおうと腹の底で笑う。

 そう、フローズメイデン秘伝の奥義剣術は、いくらねだっても教えてくれなかったのだ。

『これはフローズメイデンにしか口伝しない、秘奥中の秘奥』とか何とか言って、誰も継承せずに師匠は死んじゃったのだから……元も子もない。


 しかーし!

 私ってば今はフローズメイデンだから教えてもらえちゃうんだよなあああ!

 一人娘だし? 一応、後継者だし?

 いける!

 よっし、マリアから師匠パパへのささやかな復讐だ!



「折り入ってお願いしたいことがございます」


「……わかっている。ドレスの新調だろう?」


 師匠は即答してくるが大外れである。


「え、いえ……」


「……ステラ姫殿下のお茶会にお呼ばれしたのではないのか? あれほど行きたがっていたから、新作のドレスで参加したいのかと思ってな。すでに【星巡りの天球都市アストラ・メイデン】一番の仕立て屋に手配してある」


「え、はい……」


「…………」


 あれれ。

 姫様のお茶会にお呼ばれしたことなんて一言も伝えてないよね?

 どこで聞いたんだ? 怖い。


 いや、伯爵ともなれば情報収集は欠かさない?

 それにしても昨日の今日で耳が早いような……しかも仕事が早すぎない?

 あなたは昨日まで、騎士団の野営演習と領内視察で忙しかったんじゃ?



「ですが本題は別でして……」


「ではシルヴィー。お前の頼みとはなんだ?」


 眼光が……!

 強すぎて怖い。下手な発言をしたら、今にもお前も氷獄に閉じ込めてやると言わんばかりの視線だ。

 しかし、ここまできて俺は屈したりはしない。

 こんなところで折れては、かつて受けた師匠の地獄の特訓を1日でリタイアしたも同然だ。


「け、剣術を! お父様の、フローズメイデンの剣術を……私にご教授していただきたく存じます!」


「…………!」


 勢いで言ってやった。

 恐る恐る師匠を見れば、なんと師匠は固まっていた。

 いつも険しさばかりが目立つ金眼が、さらにくわっと見開かれている。

 

 えー、えっと……やばい?

 いきなりで不自然すぎた!?



「……本気、なのか? シルヴィー」


「え、はい」


女性レディに剣の道は険しい。それでもお前は、フローズメイデンの剣術と共にりたいと?」


「は、はい」


「剣を一度も握ったことがなく、ドレスとお茶会、可愛い犬や手芸をこよなく愛し、季節の移ろいの詩を作ってはにかみ、鳥や蝶を見ては憩い、花の香りを楽しむ時は千切らずに愛で、実はメイドのアンに感謝していて、秘密で厨房のコックにクッキーを焼かせてプレゼントしていたり、読書や勉強は嫌いだと言っておきながら、夜遅くまで創作小説に夢中になっていた、お前が、か?」


 ん、妙に早口だし、やけに描写が細かい?

 娘に感心がないように見えて、しっかりあったのか? いや、あの冷徹な師匠のことだ。フローズメイデン家にふさわしい娘かどうか、素行を監視していたのかもしれない。

 ああ! だから、勇者わたしには会わせなかったのか! まがりなりにも勇者の時はそれなりに名声があった。万が一、娘が粗相した場合はフローズメイデンの家紋に泥を塗ってしまうわけだから。

 鬼師匠のことだ。やらかしでもしたら最悪、幽閉されるパターンだってありえるわけだから……ここは少しでも優秀さをアピールするべきかもしれない。

 

 よし。剣術を通して、師匠がマリアに抱く低い評価を逆転してやろうじゃないか。



「これでも私はお父様の娘です。【凍てつく青薔薇フローズメイデン】の血を引いております。私は、お父様が振るう剣は見てまいりました」


「シルヴィーが……私の剣を、いつ?」


「ずっとですわ」


 勇者時代、ずっと手本にしてきたからな。

 さあ、宣戦布告だ。

 そう思えば自然と好戦的な笑みが浮かんでしまう。



「私もお父様のように強くなりたいのです」


 物理的にも経済的にも。

 そのためには後継者として認められる必要があるし……何よりシロちゃんに裕福な暮らしをさせて、私とシロちゃんでハッピーライフを送るんだ!


「お前が……強くなる必要はない」


「大いにあります」


「……なぜだ?」


「騎士団を率いれませんもの」


「シルヴィー。お前は正当かつ唯一のフローズメイデン伯爵家の後継者だ。剣を振れなくとも騎士団のみなはお前に忠誠を誓う」


「では、お父様は剣の研鑽を積まなかった者でも信用できると……?」


 師匠に剣を習い始めたばかりの時に、師匠自身が私に放った言葉だ。

 すなわち『努力できない者は信用にあたわず』と。


「研鑽を積むのが剣術ではなくともいい、という話だ」


「では、お父様は精強なるフローズメインデン騎士団を率いるは、挑戦者たる心構えのない者でもよいと?」


 また『不可能を可能にするのは、いかなる時も挑戦心のある者だ。挑戦する前から諦めるのは愚者の極み』と言ってたっけ。


「……剣術に挑戦したい、そう言いたいのだな?」


「はい。お父様」


 ふっ。

 確かに師匠の鬼畜すぎる修行は、令嬢の気まぐれで受けていいものじゃない。小娘に剣術など危なっかしいと懸念するのはもっともだ。


 だけど、私は元勇者だ。

 そして師匠の剣術指南を7年間耐えきり、秘奥以外の全てを習得せしめた。

 それからも師匠の剣筋からは学べるものが多く、常に彼の剣を意識していた。だからこそ、フローズメインデン流の奥義習得は早いものになるはず。


 もちろん最初はこの身体の使い勝手に慣れないだろうし、筋力もあの時より弱い。だけどその辺は鍵魔法のアシストで補えばどうとでもなる。


「よかろう。ステラ姫殿下のお茶会は一週間後だったな。それまでに一度だけ、指南してやろう」


「ありがとうございます。お父様」


 相変わらず険しいお顔のままの師匠は厳かにそう述べた。

 いかにも『お前には無理だ』と顔面に張り付いた冷徹さを見て、私は内心でほくそ笑む。


 ああ、楽しみだ。

 師匠の度肝を抜かれた表情を見るのが楽しみで仕方ないですわああああああ!

 おっーほっほっほっほおおー!


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