7話 星巡りの都市


 私は今、心の底から震えていた。

 なぜか。

 それは約1時間後に、勇者時代に一番恐れた相手と顔を合せて朝食をとらなければならないからだ。


 相手は姫派閥の中でも、特に武闘派として頭一つ抜けた騎士団を所有する伯爵家の当主。

 全王国貴族の中で剣技において最強と謳われ、恐れられる男。

 憎き姫様の味方であり、つまりは今の私にとって最大の敵でもある。



「……まさか、師匠・・とこんな形であいまみえることになるなんて……」


 私は今、フローズメイデン伯爵領の別荘のテラスで静かに覚悟を決めていた。

 朝霧が徐々に晴れ、街の全容が少しずつ露わになってゆくのを眺める。陽光を浴びた幻想的な街並みが視界いっぱいに広がり、私は自然と独りごちてしまう。


「【星巡りの天球都市アストラ・メイデン】……星を記録する都市ね……」 


 フローズメイデン伯爵領の主都市は天に浮いている。

 そして都市全体は巨大な天球儀のような作りになっており、土星の輪っかのような大地が幾重にも重なり、中心部にある伯爵の城へと繋がっている。


「久しぶりに見るけど、改めて凄い眺め……」


 輪っかの大地には建物が密集し、人々が生活を営んでいる。しかし、輪っかは斜めに走っていたり、垂直になっていたり、へたをすると逆さまの大地にすらなっている。

 それでも人々が重力に引っ張られて落ちていかないのは【落ちない星々グラビティ・ボール】によって重力を制御しているからだと、師匠が以前語っていた。


 そんなバラバラになった大地が、一つの地平へとまとまるようにゆっくりと動きだす。

 ゴゴゴゴッと、地の底より巨大生物が呻くような音が響けば、私がいる別荘から伯爵城の本邸まで綺麗な地平線みちができあがる。

 まるで地獄行きの片道切符を迫られたような感覚に陥るのは私だけだろうか。


「くるるるー?」


「大丈夫よ、シロちゃん」


 私の不安を感じ取ってくれたのか、シロちゃんはくるるーっと喉を鳴らしながら肩に乗ってくる。それから頬をすりすりしてきた。

 シロちゃんを育てる上で欠かせないのがお金だ。

 そしてお金を稼ぐには後ろ盾があるとなお稼ぎやすい。

 だから、今日の朝食会は絶対に失敗するわけにはいかない。



「マリアお嬢様。そろそろ旦那様との朝食へ向かうご準備をなさらないと」


 テラスで覚悟を決めていると、メイドのアンが話しかけてくる。

 私の世話をしてくれる2歳上のお姉さんには、今までひどい八つ当たりをした時もあったけど、今日まで誠心誠意尽くしてくれている。

 悪名高きマリア令嬢わたしの数少ない味方へ、無言で頷く。


「旦那様がお嬢様のために【星巡りの天球都市アストラ・メイデン】を変形いたしましたので、そろそろお時間かと」


「……そう、ね」


 アンの言う通り、私が師匠の元へと行くためだけに【星巡りの天球都市アストラ・メイデン】の構造が変わった。

 ん、これって【星巡りの天球都市アストラ・メイデン】に住まう多くの人々にとって、迷惑極まりない話じゃないだろうか?

 お嬢様のお通りってだけで地震が発生するのだから。


「わかったわ。ドレスの準備をお願い」


「承知いたしました。今日は何色が良いでしょうか? やはりマリアお嬢様の月光にも勝る銀髪にお似合いの白でしょうか? それとも空より澄んだ瞳のお色に合わせて、青宝石アクアマリン色にいたしますか?」


「ま、まかせるわ」


 若干アンの私を見つめる目が、恍惚としてるのは見なかったことにしよう。

 それよりも師匠との対面に集中しなければ。

 相手は強敵中の強敵。


 勇者である私が唯一、剣技で敗北したのは後にも先にも師匠ただ一人だった。

 武人として常に隙がなく、【絶氷の君】と社交界で恐れられる冷徹な美丈夫だけど、一部の貴婦人方には絶大な人気を誇っているとかいないとか。

 

 そんな人物が今の私にとっては————

 まさかの————

 




 パパ。



 師匠ってば、マリアわたしのパパだったんだよなあ……。

 


 昨日、姫様の屋外パーティーから帰ってきて、師匠とは顔を合せずメイドを通してすぐに別荘で休養を取りたいと申し出た。

 幸い多忙だった師匠の許可がすぐに下りたので安堵していたけど、その平和は昨夜で脆くも崩れ去った。

 師匠の筆頭執事セバスが、『明日の朝食は共にしよう』との言伝を預かってきた時は絶望した。


 だってあの鋭すぎる師匠のことだ。

 娘マリアの中身がアルスに入れ替わった……混じった? とバレる恐れがあるし、バレたらどんな仕打ちを受けるかわかったものじゃない。


 だからこそ毒薬の影響で具合が優れず、別荘で療養したいと申し出たのに……そうすればしばらく顔を合わせずに済むと踏んだ私の予想は甘かったと言わざるを得ない。

 もちろん朝食の誘いなど、具合が悪いの一点張りで逃げ切ることもできる。


 だけどそうなると、あの冷徹な師匠でもさすがに自分の娘の体調を心配して様子を見にくるかもしれない。

 そんな不意打ちをくらって私の正体がバレたら元も子もない。

 だからこそ、自ら先陣を切るしかないのだ。



「あ、アン。コルセットはなしにしてもらえると……」


「いけませんよ、お嬢様」


 ですよねー。

 強敵を前に、身も心も引き締まる思いだった。


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