2話 暗殺貴公子との再会


 まずは一旦、状況を整理しよう。

 俺、私はマリア。

 フローズメイデン伯爵家の一人娘で……13歳の小娘。

 愛称はマリアローズか、シルヴィー。


 そして今朝、愛犬のマリーが死んでしまったらしい。だからその悲しみと憤りをパーティー会場にいる人に当たり散らかしていると……。

 犬に自分の名と同じ『マリー』と名付けるほど大好きだったけど……これではいけない。


「ミモザ、ルピナス。今まで貴女あなたたちにしてきた酷い所業をしゃざ————」


 謝罪いたしますわ。その一言がなぜか出て来ない。

 お、おかしい。

 なぜだ?



「————貴女たちしてきた酷い所業を謝罪なさい・・・


 は?

 この口は何を言っている?


「えっ……私たちが謝罪……?」

「私たちがいつマリアローズ様にひどい事をしたのですか?」


 二人の令嬢の実家はマリアローズの家と親しい。うちの庇護下にあると言っても過言ではないから、幼少期からの付き合いだ。

 昔は対等かつ親しみある友人として付き合っていたが、次第に高慢になるマリアローズの行いに、二人は反抗するようになってしまった。

 そして今では反発し合っている。


 だからこのままではダメなはずなのに……どうしてもこの口が、いうことを聞いてくれない……。


「愚鈍で冷徹な貴女がたには到底理解できませんわよね。私が愛犬マリーを失って、どれだけ傷ついているのか。傷心の私に寄ってたかって罵詈雑言を浴びせるなんて、鬼畜の所業以外の何ものではないわ」


 そこは『理解してはもらえないかもしれませんが……愛犬のマリーを失ってから……色々と感情が抑えきれなくて、友人である貴女たちにぶつけてしまっていたわ……心から先ほどまでの無礼をお詫びいたします』でしょ!

 ぎゃああああああ、どうしてくれる!

 俺は————私は慌てて、次の言葉を全力で紡ごうとする。

 

「とはいえっ……グググッギッ!? 私も少々行き過ぎた態度ウォッ、とってしまい、ましたので……!」


 ああああああああ!

 マリアローズとしてのプライド? みたいなものが物凄い勢いで邪魔をしてくる!?


「その、お詫びとしてッ……お二人には、変わらずッ、私の友人である栄誉ウォッ、さしあげますわ……!」


 なんだこの傲慢すぎる発言は!?

 謝罪と見せかけて、両方とも悪いよね。でも寛大な私は、私様の友達でいることを許すよって。


 とにかく悪かったという気持ちを込めて、どうにか頭を下げにかかる。

 だけど俺のっ、私の意思に反して、身体に激しく抵抗されてしまう。

 

 な、なんのこれしき!

 なめるな、元勇者の意志力!


 徐々に徐々に、腰は折られ、顔は地面を向き始めた。


 貴族というのはとにかく見栄とプライドで武装した特権階級だ。家格が自分より低い相手に対し、こうして頭を下げるのは余程のことがない限りしない。

 自身の家の評判を左右する事態に発展する可能性だってある。特にこのような公の場で頭を下げるのは、あまりよろしくない。

 しかし、それほどまでに本気であるという私の気持ちが2人には伝わるはず。

 言葉はアレだけど……どうか伝われ!


「あのマリアローズ様が……?」

「うそ……」


 驚愕と動揺。

 そして疑惑の眼差しを向けた2人の令嬢は、家格が自分たちより上位の者に頭を下げられるのを居心地悪く思ったのか、私の謝罪をそそくさと受け入れた。


「わ、私の方こそ先ほどまでのご無礼を謝罪いたします。マリアローズ様の寛大なる御心によってお許しをいただけたこと、光栄に存じます。ですから、ささっ、頭をお上げになさって」

「そんな、マリーが亡くなっていたなんて……そうとは知らず、心無い言葉をマリアローズ様に向けてしまい申し訳ございません」


「許しますわ」


 わあ。

 この子たち、なんていい子なんだ。


 元々心優しい令嬢二人はマリーに対するお悔やみの言葉を口にし、少しだけ気まずそうにその場を去ってゆく。

 この場で1回謝った? ところで二人にしてきた数々の所業は消えない。だから全てを急に信用してもらうのは無理だろう。


 これからコツコツと……味方を増やしていけばいい。

 姫様と民に処刑された私だからこそ、味方の多さの重要性は痛いほど理解している。


 でもさ……ちょっと友達に謝るだけなのに、こんなに苦労するマリアローズの特性って……非常にメンドクサ!



「なんて、ぼやいている場合ではありませんわね」


 さて。

 屋外パーティー会場をぐるりと見まわしてみれば、どうやら勇者としての力は未だに健在らしいとわかった。

 その証拠にパーティー会場の至る所に精霊たちの姿が目視できる。通常の人々に精霊たちは見えないが、勇者である私にだけは精霊たちが見える。

 整えられた緑が生い茂り、花々が咲き誇る庭園には植物や花、そして風の精霊たちが楽しそうにはしゃいでいる。

 そんな陽気に当てられて、陽光の精霊や希望の精霊などが集まり舞い始める。


あの御方あいつは……」


 そんな精霊たちや貴族のお偉方が談笑している中、一際浮いた存在を目にする。

 ああ、そうか。

 憎き姫様が若かりし頃ならば当然、あいつもまだ生きているんだ。


 懐かしい、本当に懐かしい姿に涙が溢れそうになるのを懸命に堪える。


 彼の名はユーシス。

 多分、15年前だから今は13歳になったばかりだろうか。

 見た者全員に柔和な印象を与え、絶えず口元に微笑をたたえる彼は見目麗しい貴族の令息そのものだ。

 夜よりも闇深い柔らかな黒髪が、風精霊によって流される。スッと通った鼻筋の上には、多くの女性たちを魅了した紅玉色の瞳が薄く開かれ、自身の右手が持つ飲み物に注がれている。

 今もご令嬢たちが遠巻きで彼の美貌に当てられている。


 少年の域を出ていないのに……あい、かわらずだな。

 ただグラスを持っているだけで絵になってしまうのだから。

 まったく今すぐにでも頭を叩いて、いつもみたいに『何気取ってんだ、キモいぞ』と言って抱きしめてやりたい。


 死んだはずの幼馴染を見た私は、静かに喜びをかみしめる。

 この訳の分からない死に戻りも、また再びあいつと馬鹿ができると思えば感謝でしかない。そんな風に感動しながら幼馴染の下へとゆっくり歩む。


「…………」


 ユーシスの周りに人だかりはできていない。

 彼が周囲から孤立しているのは、何もその圧倒的な美だけが原因ではない。

彼の出自が起因している。


「もし、貴方あなたが噂のレヴァナント侯爵の落とし子・・・・かしら?」


「……!」


 私の侮蔑のこもった問いかけに、ユーシスはニコリと穏やかな笑みを浮かべる。


「おや? この僕に話しかけるなんて豪胆なご令嬢ですね?」


 ユーシス・キシリア・レヴァナント。

死神の大鎌レヴァナント』の家紋を背負う血族にして、レヴァナント侯爵の落とし子。つまりレヴァナント侯爵が正妻に隠れて、娼婦との間に作った子がユーシスだ。


 勇者時代の私とユーシスは、11歳まで孤児院で寝食を共にした。ユーシスの出自が露呈したのは、レヴァナント侯爵家の嫡男が不慮の事故で死んだことに起因する。

 世継ぎを失った侯爵は自身の血を引く者を囲いだしたのだ。その数、なんと5人。

ユーシス以外に5人もの子供を正妻に隠していたのだから笑いものだ。


 正妻との子は娘が2人いて、当然落とし子たちへの態度はひどいものになった。社交界でも侯爵夫人の影響力は強く、その厳しい風当たりがユーシスに牙を向く。

 とはいえ、あの美形さだ。

 令嬢たちの憧れの的にはなっていた。

 その理由の一つはやはり、表面上は・・・・笑顔で取り繕っている雰囲気の柔らかさだろう。


「どうか愛らしいくも可憐なレディ、無知な僕に君の名前を聞かせてもらえないでしょうか?」


 おーでたでた。

 私が『落とし子』と言い放っても完璧な笑顔での神対応。

 こいつと孤児院で仲良くなるきっかけも私の罵倒から始まったが、やっぱりいつもニコニコしてるヤバイ奴ってところは変わってないなあ。

 この美しい笑顔に何人のご令嬢が騙されたことか……ユーシスの優しい態度は完全にフェイク、人の意表を突くのが大好きな悪癖野郎だ。

 平たく言えば嘘をつきまくって、相手をからかうのが大好きなんだよなあ。


 ま、久しぶりの再会を祝してここはのってやろう。


「マリア・シルヴィアイス・フローズメイデンですわ」

「フローズメイデン伯爵令嬢でしたか。聡明な貴女なら知ってるとは思うけど、僕はユーシス。娼婦の息子です」


 貴族同士の名乗りに自らの家名を伝えず、皮肉で返すのはひどく無礼な行いだ。

 それを承知でやってるのは、きっと軽いジャブでこちらの出方を窺い楽しんでいるのだろう。如何にもユーシスらしい対応に思わず笑いが漏れそうになった。

 

「ではユーシス、私の名を呼ぶことを許しますわ。平民風情には有り余る栄誉でしょう?」


 私は以前のようにユーシスと呼ぶから、私の名も気軽に呼んでくれ! とフランクな感じにしたつもりなのにいいいい……。

 仮にも爵位が上の令息に、このようなマリアわたしの物言いはさすがにマズい。

 でも無礼を地でいくのがマリアという少女らしい。


「では僕はマリア様、もしくはマリア嬢と呼ばせていただきます」

貴方あなた、つまらないわね。この屋外パーティーと同じぐらいつまらないわ」


 つい悪態をついてしまったのは、かつての親しみのこもった呼び方じゃなかったからだろうか。それとも幼馴染が自分に、貴族の仮面をつけて話しているからだろうか。


「おや、フローズメイデン伯爵家と言えばステラ姫殿下の派閥でしたよね? この屋外パーティーは姫殿下主宰ですよ? そのパーティーを揶揄するような発言は、不敬に値するのでは?」


 少しだけユーシスに距離を感じたが……。

 爽やかな笑みを張り付けたまま、言葉の棘をぶすぶすと刺してくるところは相変わらずだな。


「つまらないものはつまらない。嫌いなものを嫌いと言って何が悪いのかしら?」

「なるほど。退屈をもて余したご令嬢のお戯れが、この落とし子への慈悲ですか」


 何やら納得したフリをしながら、笑顔のままグラスを勧めてくるユーシス。


「では、心優しきレディに乾杯を。どうぞ、こちらは果実水です」


 平然と大嘘を吐いてくるあたりが最高だ。

 生粋の伯爵令嬢に、しかもあの・・フローズメイデンの娘に果実水と偽って度数がバカ高い酒を寄越してくるのは爆笑ものだ。

 勇者の私が聞いたら『世間知らずのお嬢様への教育ごくろう! よくやった!』と褒めちぎっているところだ。


「あら、ちょうど喉が渇いていたの。平民の分際で気が利くのね」

「お褒めに預かり光栄です」


 かぁーやっぱ【火酒】はさいっこうにうまいな!

 アルコール度数が80%を軽く超えてるわりに飲みやすく、喉に激熱がスッと流れてゆく感覚がたまらない!

 お貴族様はこんなのを日常的に呑んでるとかけしからん!

 

「え……あ、え……?」


 ユーシスにしては珍しく、目を点にして驚いてるじゃないか!

 すぐに微笑をたずさえ、元の表情を取り繕ってはいるが私は見逃してないぞ。

 はっはっはー! すんっごく笑える!

 お前は私がアルコールの苦味で顔をしかめるのを期待したのだろうが、その予想を見事に裏切ってやった!


「このお酒、すごく美味しい! ですわ!」


 飛び切りの笑顔もかましておく。

 続けて私は同じ酒の入っている別のグラスもくいっと飲む。


 やっぱり幼馴染との再会を祝福するなら高級酒に限るな!

 味はよくわからないけど、安酒よりも飲みやすい!

 さて、こんなに美味しい酒をふるまわれてしまったのだからお返しをしないのは貴族の名折れかな?


 私はユーシスが戦場でよく好んで飲んでいたお酒のレシピを脳裏に浮かべる。

確か、林檎の果実水が3割とエール6割、それに生姜を少々加えるんだったな。私もよく飲んでいたからブレンドするのは慣れている。

 だから目の前のテーブルを眺め、それぞれの素材があるのを確認すれば即興で手早く作ってやった。蜂蜜があれば最高だったのだけど、手の届く範囲には置いてないので今回は割愛。


「えっと、マリア様は一体なにを……?」


 貴族の令嬢が飲み物を混ぜるなどと、はしたない姿かもしれないが、我ながら手際がよいので一瞬の出来事だ。きっと目立ってはいないはず。

 

 さあ、私たちのアップルシードエールを堪能しろ!


「下等な庶民が好みそうなお酒よ。飲んでみなさい」

「初対面の君が作ったお酒を、僕が……?」


 訝しみつつも、ユーシスはゆっくりと私のカクテルを口に含む。


「ん……ん! 美味しい……! これは、美味しすぎるよ!?」


 ずっと余裕の笑みを張り付けていたユーシスの顔が一瞬にして崩れる。その吐き出された言葉に、嘘偽りはないようだ。


「これは神々が作ったお酒に違いない……」


 おい、そんな大げさに驚くなんてバカみたいだよ?

 いつも一緒に飲んでたから飲み慣れてるだろー。


 ……ああ、そうか。今のユーシスはまだ13歳。このカクテルレシピを一緒に発見したのは18歳の時だったから、初めて味わうお酒か。

 

 ふっ。

 ユーシスの舌は完全に把握している俺だ。

 お前を感動させるなんて朝飯前だよ。


「もう一杯、もう一杯、作って頂けないでしょうか? マイレディ」

「全く……これだから庶民は……節操というものを知りませんのね……」


 あんまりガブガブ飲み過ぎるなよ~って思いを込めるも、憎まれ口に変わってしまう。

 とはいえ、ユーシスに求められるままにお酒はせっせこ作ってあげる。


 ユーシスの野郎、今朝死んだ愛犬マリーみたいな顔しやがって。

 笑える。


 勇者時代には『暗殺貴公子』と恐れられたユーシスも、私の手にかかれば簡単に手懐けられちゃう?


 んん?

 待てよ? 今後もこういった知識、というか未来視チートは使える?

 私は今後15年で起きることを概ね把握している。


 であるならば、死する運命にある戦友たちも救える……?

 逆に……俺を、私たちを使い捨てにした連中に報復することもできる?


 ならば私は決めたぞ。

 かつての戦友全員を救いきってみせると。


 私はアップルシードエールを飲むユーシスの隣で、憎き姫さまを見つめる。

 これからどうとでも料理できると思えば、自然と傲慢な笑みが浮かんでしまった。


 そんな折、パーティー主催者の責務である挨拶回りの順番が私たちに来たらしい。姫様が取り巻き連中を引き連れて、私とユーシスの方へ足を向けていた。


 へえ、噂をすればなんとやらか。

 獲物本人がのこのことやって来てくれたじゃないか。

 さあ、どうしてくれようか。



 この時の私は、迫り来る敵に全神経を集中していたので気付けていなかった。

 あのユーシスが……私に対して、並々ならぬ熱い視線を送っていたなどと……。


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