第21話
それから僕は推論を披露した。辿り着いた答えの全てを吐き出した。美月先輩と火之上先輩を交互に見つめて、目を逸らしてしまわないように語った。そうするべきだと思った。そうあるべきだと思った。
美月先輩にとっては辛い推論だったのだろう。思い出したくない過去だったのだろう。聞き終えた後、彼女は泣き顔を隠すように口をへの字に曲げてから、ひどく細い声で言ったのだ。
「陽太くんの推理通りだよ。さすがだね」
本当は頷いてほしくなかった。その推理は間違いだって、笑い飛ばせるくらいに拍子抜けする真実を語ってほしかった。
でも、彼女は僕の推論をそのまま飲み込んで、胸の内を晒してくれた。
「……私ね、自分の通っている中学校は真面目で素敵な学校だと思ってた。毎日が楽しくて仕方なかった。みんながそうだと思い込んでた」
美月先輩が腿の上で拳を握ったことで、彼女のスカートには深いシワができている。でも、彼女にはそれを気にする素振りなんてなかった。そんなことを気にする余裕なんてなさそうだった。
「同じクラスに引っ込み思案な女の子がいたんだけど、その子がイジメを受けていたらしいの」
「綾乃さんは、それに気付いたんですね?」
「……うん。綾乃だけが気付いて、加害者たちに反抗した。陽太くんの言葉を借りるなら、被害者に代わって報復したんだよ」
そこで彼女の声が止まったのは、先を話すことが怖かったからだと思う。彼女が話したくないのなら、無理して話さなくてもいい。僕はそう思った。
でも、助け舟を出したのは火之上先輩だ。アイコンタクトを取るでもなく、パソコン作業を続けたまま、彼は美月先輩を守るように口を開いたのだ。
「報復って表現は的を射てるな。綾乃は体操着を隠すとか上履きに画鋲を入れるとか、イジメの被害者が受けていた陰湿な嫌がらせを加害者たちにやり返していたらしい。それは褒められるような行為じゃない。だが、綾乃はイジメられることの辛さを、加害者たちにも思い知らせたかったんだ。担任教師もクズで、相談したところで当てにはならなかったみたいだしな」
僕にも経験がある。保身に走る教育者ほど悪質なものはない。きっと、信じられる第三者が身近にいなかっただけなのだ。綾乃さんは手段を間違ってしまっただけなのだ。彼女は根本的には正しいことをしていたはずだ。イジメを受けていた生徒にとって、綾乃さんだけが希望だったはずだ。
「その先は月島の推理通りだな。報復に怒ったイジメの加害者たちは、美月の推理力を利用して報復の実行犯を特定しようとした。嫌がらせの犯人を見つけてほしいと美月に頼んできたそうだ。そして、美月が犯人の特徴を細かく言い並べたことで容疑者が絞られていって、怪しいのが綾乃だけになった――」
「だから、今度は綾乃さんがイジメられるようになったんですね」
「そうだ。美月が気付いて庇おうとした頃には、もう完全に手遅れだったらしい」
やはり、美月先輩は利用されただけだ。彼女だって被害者なのだ。
「……美月が助けようとしても、綾乃は大丈夫だって笑っていたんだとよ。自分に構っていたら美月までイジメられるから、美月は加害者たちに従って自分をイジメている振りをしろって。そんなふうに強がっていたらしい。でも心の方は……、とっくに限界だったんだろうな」
自分が一番辛いはずなのに、彼は語り続けてくれた。
「俺は綾乃や美月とは中学が別なんだ。綾乃とは塾で知り合った。だからって……、それが言い訳にはならないだろうが、綾乃が学校でイジメを受けているなんて――、俺は最期の最期まで知らなかったんだ」
口を動かしながらも、彼の手は目頭に当てられている。
「綾乃の遺書を読むまで、俺は綾乃が苦しんでいたことにすら気付かなかった。俺は何も知らなかった。俺が支えになれていれば、綾乃は自殺なんてしなかったはずなんだ。何もかも俺が悪いんだ」
「火之上先輩には何の責任も――……」
涙を堪える彼の姿を見ていたら、慰めの言葉なんて引っ込めるべきだと思った。外野でしかない僕には、軽々しく慰めの言葉をかける権利すらないのだと悟った。
美月先輩が火之上先輩を庇うように言う。
「……違うよ。綾乃が自殺を選んだのは私のせい。綾乃は私を恨んでる」
故人がどう思っているのかなんて分かりようがない。生前に何か言われていたとしても、それが本心なのかは本人にしか分からないはずだ。
「どういうことですか?」
「……綾乃は、私宛てにも遺書を残してくれたの」
美月先輩は僕の手元からコピー用紙を一枚抜き出して、それに文章を書いてくれた。丁寧な文字で綾乃さんが残した遺書の内容を示してくれたのだ。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
美月へ
誰にも頼れなくて、本当に辛かった。
いつも苦しかった。
全て君が悪い。気色悪い。不快。
気持ち悪い。吐き気がする。反吐が出る。
だから、私は死ぬことにした。
ようやく死ぬ決心がついた。さようなら。
土生 綾乃
― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
これは美月先輩へ宛てた遺書。そして、君が悪い。つまりは美月先輩が悪いと――。
「綾乃は私を恨んでる。加害者たちに媚びて、綾乃をいじめる振りをしていた私を恨んでる。綾乃の優しい言葉に甘えてないで助けるべきだったのに、そうしなかった私を恨んでる。イジメの原因を作った私を恨んでる。それが分かってしまったら、観察なんてできなくなった。推理のために観察を始めると、目の前が真っ暗になっちゃうの。靄みたいなものが絡み付いてきて、周りの状況が分からなくなる」
それは、彼女が推理を行う際の奇行によく当てはまる。彼女はきっと、その靄から逃げるためにもがいていたのだ。涙が出るほど苦しんでいたのだ。
「その靄が薄くなったら、次は綾乃の声が聞こえてくるの。全て君が悪い、私が自殺したのは君のせいだ。苦しそうな声で、そう訴えかけてくるの」
大切な友人を亡くし、その人から恨まれる。それがどれほど辛く苦しいことなのか、僕には想像もつかない。
「……それが幻覚だってことも、幻聴だってことも頭では分かってるんだよ。でも、自分ではどうにもできなかった。丁寧に情報をもらえれば、何とか気を紛らわせて話を理解することくらいはできるようになった。でも、一人じゃどうにもならなかった」
「それは……、苦しいですね」
彼女はかぶりを振る。強い否定だ。
「……私は綾乃の半分も苦しめてない。私はもっと苦しまないといけない。そうしないと、綾乃に顔向けできない」
彼女が綾乃さんのお墓参りを拒んだのは、彼女の中に後悔と自責の念が渦巻いているからだろう。綾乃さんから恨まれているのだと、自分には綾乃さんに合わせる顔がないのだと思い込んでいるからだろう。それがトラウマを引き起こすくらい、彼女は罪の意識に蝕まれているのだろう。
――でも、それは綾乃さんの本意ではない。
「美月先輩。綾乃さんが残したという文章に間違いはありませんか?」
僕は例のコピー用紙を示して、できるだけ真っ直ぐに尋ねた。すぐに返答がくる。
「……綾乃の遺書は何度も読み返したよ。私は恨まれてるんだってことを忘れないために、心に刻み付けたの。だから、絶対に間違えてないっ」
「単語の順番や段落すら間違いはないってことですか?」
彼女は深々と頷いている。
思った通りだ。それなら間違いなく――。
「綾乃さんは美月先輩を恨んでなんかいませんよ。美月先輩が悪いだなんて思っていません」
「ありがとう。でも、ごめんね。気休めならやめてほしいの」
「気休めなんかじゃありません。これは僕の推理です」
「……へ?」
これは簡単な暗号だ。美月先輩が冷静だったなら、綾乃さんの死という絶望に支配されていなければ、いとも簡単に解けていたはずだ。
でも、今の彼女の手には負えないなら、僕がその代わりを果たすべきだと思った。そうでもしないと、綾乃さんが報われないから。
「遺書に使われた言葉――、気色悪い。不快。気持ち悪い。吐き気がする。反吐が出る。これらは全て似たような意味を持っています。類義語ってやつですね」
類義語が五つも並んでいる。文章として不自然だ。ただ、規則性を示すことが狙いなのだとしたら、それらは特別な意味を持つ。類義語を並べること自体が目的なのだと考えれば、そこには綾乃さんの意図が見えてくる。
「遺書に書かれた五つ言葉の他にも、それらしい類義語はいくつかあります。何か思い付きますか?」
「……ごめんね。ちょっと思いつかない」
「例えば、『気味が悪い』という言葉は類義語ですよ」
その意図を理解したらしく、美月先輩は首を横に振っている。それでも僕はやめなかった。やめられなかった。
「わざわざ類義語を書き並べているのだとしたら、遺書には『君が悪い』ではなく『気味が悪い』と書くべきだと思いませんか? 裏を返せば、『気味』という字を敢えて『君』と書き間違えているのだと思えてきませんか? 要するに、『君が悪い』と書いてあるのは意図的な間違い。『君が悪い』は間違い。君は悪くない。悪いのは君じゃない。それが綾乃さんの残したメッセージだと思いますよ」
美月先輩の目は曇ったままだ。理解はしてくれているようだけれど、納得はしてくれていない。
当然だ。こんなにも苦しめられているのだから、それを簡単に払拭できるはずがない。
「そんなのは暴論だよ。ただの偶然。綾乃の誤字を都合よく受け取ってるだけ――」
「だったら、大好きっていうのも偶然でしょうか」
「大好きなんてどこにも――。……っ!」
そこで彼女は気付いたのだろう。
両手で口元を覆って大粒の涙を流した後、そのコピー用紙を抱きしめた。まるで親友との再開を尊ぶように、強く優しく抱きしめていた。
僕の解説なんて彼女には必要ないだろうけれど、途中で放棄するのも気味が悪い。
「横読みですね。文章の頭文字を横読みすると、『だいすきだよ』という言葉が浮かんできます。改行のタイミングが不自然なことまで考慮すると、それを偶然だと言い張る方が暴論だと思います」
「うん……。うんっ。そうだね。ありがとう――」
美月先輩の放った『ありがとう』は、きっと僕に向けられたものではない。それは僕なんかではなく、綾乃さんへ向けられたのものだ。
綾乃さんは美月先輩の才能を信じたからこそ、回りくどい方法でメッセージを残したんだと思う。何しろ、美月先輩が綾乃さんの味方なのだとイジメの加害者たちに知れ渡れば、次は美月先輩がイジメのターゲットにされる可能性があった。だからこそ、綾乃さんは美月先輩を守ろうとしたのだと思う。ほんの少しでもリスクがあるのなら、徹底的に潰しておきたかったのだと思う。
その点、美月先輩を非難する内容の遺書というのは優秀だ。それ自体がブラフになっていて、その本心を隠してくれている。一見すると、綾乃さんは美月先輩を恨んだまま自殺を図ったようにしか思えない。あの内容の遺書を見せ付けておけば、イジメの加害者たちにも美月先輩と綾乃さんは不仲だったと思い込ませることができる。美月先輩は加害者たちの味方なのだと印象付けることができる。
綾乃さんは美月先輩を守ったのだ。自らの命を投げ出すほど苦しんでいたはずなのに、最期の最期まで美月先輩を守ろうとしたのだ。自殺を擁護するつもりはないけれど、綾乃さんの心は美しいと思う。
「素敵な人だったんですね」
綾乃さんが戻ってくることはない。綾乃さんの死について、僕には何もできない。
でも、綾乃さんが大切にしていた人たちと寄り添うことくらいはできる。どう取り繕っても、僕はこの人たちのことが大好きになってしまっているらしい。上級生が嫌いな僕でも、新聞部だけは大好きらしい。
「……私、陽太くんに助けてもらわないとダメみたい。だって、親友が残してくれた暗号すら一人じゃ解けなかったんだもん」
それは違う。助けてもらわないとダメなのは僕の方だ。美月先輩がいてくれなければ、僕は今でも親友に嘘を吐き続けていたはずだ。
「助けられたのは僕の方です。――でも、名探偵を助けるのが助手の仕事らしいですよ」
「……ふふっ。やっぱり、君は最高に最高で最高だねっ!」
彼女はそう言ってから艶やかな髪を揺らし、涙目のまま笑ってくれた。それは何よりも儚くて、何よりも眩しかった。
僕は名探偵である彼女の手助けがしたい。ちっぽけな僕にできることなんて、それくらいしかないのだから。恩返しとして彼女の役に立てることなんて、それくらいしか思い当たらないのだから。
だから、これから先もずっと、僕は彼女と一緒に謎を解きたい。そう思ったんだ。
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