第20話

 まずは情報を整理して、手掛かりを明らかにするところから始めよう。

 火之上先輩と綾乃さんは交際している。また、綾乃さんと美月先輩は友人関係であった。『友人関係であった』という過去形を用いたのは、彼女たちの友情には亀裂が生じているからだ。『中学三年生の途中までは自分の観察力に自信があった』という意味の言葉を美月先輩の口から聞いた覚えがあるから、その亀裂が生じたのも彼女が中学三年生の頃だと考えて間違いはないだろう。

 要するに、二年近く前の美月先輩が何らかの謎を解き明かしたことによって、何故か綾乃さんを深く傷付ける結果となってしまった。それが二人の友情に亀裂を生んだ。だからこそ、自らの謎解きが綾乃さんを気付けたという記憶がトラウマとなって美月先輩の心を蝕んでいる。推理の度にトラウマがフラッシュバックすることで注意力が散漫になり、彼女の観察力は著しく低下する。そう考えれば綺麗に纏まる。

 ――しかし、この時点で既に矛盾が生じているから厄介なのだ。

 美月先輩が綾乃さんの件をトラウマと認識しているのなら、未だに二人は和解していない可能性が高い。綾乃さんが許していれば、美月先輩が重度のトラウマを抱えるほどに深刻な状況には陥っていないはずだからだ。美月先輩が綾乃さんとの再会を拒んだことから判断しても、彼女たちの不仲は現在進行形で継続している。不仲という表現は語弊があるのかもしれないけれど、仲が良いとは言いがたく、その関係にはシコリが残っている。そんなふうに考えられる。

 つまりところ、『美月先輩が火之上先輩と同じ部活に所属し、心安く行動を共にしている』ことこそが最大の矛盾。美月先輩が綾乃さんに対してトラウマになるほどの負い目を感じているのなら、彼女は綾乃さん本人と同様に、その彼氏である火之上先輩とも距離を置こうとするのではなかろうか。火之上先輩にしても、自分の彼女さんとシコリがあるよう相手とは距離を置こうとするのではなかろうか。少なくとも、仲良し小好しで部活に励むことはないと思う。

 僕は『廃棄予定[印刷ミス]』とラベリングされた段ボール箱から使用済みのコピー用紙を何枚か持ち出して、その辺に転がっていたボールペンとセットにして机上に置いた。その余白をメモ代わりに使用して、ここまで整理したことを書き出してみる。

 

「陽太くん? なにしてるのー?」


 普段ならこんなことはしないから、不自然に思われたのだろう。美月先輩が僕の行動に興味を示し、手元を覗き込んできたのだ。

 僕は表情を隠して言った。


「秘密です」

「えーっ、秘密かあ。それはざんねん」


 彼女は少し寂しそうに口を尖らせてから、僕の真後ろに立ち尽くした。口を挟むでも嫌がるでもなく、本当に立ち尽くしていた。

 彼女が掘り下げてこなかったのは、コピー用紙に書かれた『アヤノさん』という文字が見えていたからだと思う。友人関係の悩み事なんて年月が解決してくれそうなものだけれど、この件はそんなに単純なものではないらしい。

 ――年月と言えば、火之上先輩はカレンダーを見て十三日が近いことも確認してから、綾乃さんと会う旨の発言していた。その後に美月先輩を誘った。つまり、日付が関係あるのではないだろうか。

 綾乃さんと会うのには、なぜか日付が関係している。十二日でも十四日でもなく、十三日でなければならない。

 当然ながら、『十三日に会おう』という条件で約束を交わしていた可能性もある。ただ、それならば直前になって美月先輩を誘ったのは不自然だ。もっと前から誘っておいた方が予定も立てやすい。不仲な二人を引き合わせるなら尚更だ。

 火之上先輩曰く、美月先輩の前で綾乃さんの話は原則禁止。つまり、彼女たちは気安く会うような間柄ではない。思い立ったからといって、安易に美月先輩を誘うようなことはしないはず。

 結局は約束云々ではなく、そろそろ十三日だから綾乃さんに会いに行く。そろそろ十三日だから、何かしらの目的を果たすために美月先輩を誘った。そう考えた方がスッキリする。ただ、その十三日というのが毎月決まって十三日なのか、複数あるうちの一日が偶然十三日だったのかは分からない。

 先月、四月十三日は確か……、僕が入部テストを解いた日の前日だ。残念ながら、僕は火之上先輩と出会ってすらいない。


「……――」


 僕はこの辺りで深呼吸をして、一旦思考をリセットした。自分の推理が乱雑になっていて、大事なパーツを見落としてしまいそうだと思ったからだ。正直ごちゃついていて、分かりにくくなってきた。答えに迫っている気はするのだれど、決定的な一歩は出ていない。

 そろそろ十三日か。綾乃に会いに行く。火之上先輩はそう言っていた。仮に決まった日だけに会いに行くとしたら、それはどういう状況なのだろう。どういう理由があれば、十三日だから会いに行くという思考になるのだろうか。

 ――いや、違う。火之上先輩は「綾乃に会いに行く」とは言っていない。「綾乃のところに行ってくる」と言ったんだ。

 火之上先輩は会いに行くのではない。綾乃さんがいる場所へ行く――。しかも、それは決まった日付だけ――。


 だから、僕の頭には重い答えが浮かび上がった。

 それは推論に過ぎない。でも、それならば全ての辻褄が合う。あらゆる不自然を補完できる。不足も穴も無い。

 だから、きっと――。



 綾乃さんは、既に亡くなっている。

 十三日が綾乃さんの月命日だと考えれば、『綾乃のところに行ってくる』という表現も不自然ではなくなる。それが正当な意味を持つ。『墓参りに行く』という意味だ。

 でも、これではあまりにも……、救いが無い。


「……っ」


 僕は咄嗟に、ボールペンでコピー用紙を塗り潰していた。そこに書いた結論を隠そうと丸めていた。クシャクシャに握り潰していた。『死』という答えから目を背けたかった。


「もしかして、わかっちゃった?」


 背後で口を開くは美月先輩。それはいつもより多めの息を含んだ声だった。恐る恐る話している、という表現がよく当て嵌まるだろう。

 当たり障りのない言い方が思い付かなくて、オブラートの包み方が分からなくて、僕は無言で頷いた。


「どこまでわかったの?」

「火之上先輩はお墓参りに行く。そんな気がします」

「……さすがだね」


 振り返ると、美月先輩は微笑んでいた。

 でも、それは心からの笑みではない。大きな目は真っ赤に泣き腫れていて、表情筋は誤作動でも起こしたかのようにピクついている。痛々しい笑顔だ。無理に作られた笑顔だ。今にも膝から崩れ落ちてしまいそうなくらいに悲しい表情だ。


「……私の観察力が低い理由もわかっちゃった?」

「綾乃さんが関係してますよね。でも、詳しい理由までは分かりません……」

「そっか。だったら、少しだけ考えてみてくれないかな?」


 意外な提案だった。美月先輩は隠したいのだと思っていたから。

 綾乃さんは亡くなっている。つまり、美月先輩が謎を解き明かしたことが原因で、綾乃さんは命を落とした。そんなことがあり得るのだろうか。

 簡単に思い付くのは、綾乃さんの正体が死刑に相当する犯罪者であり、美月先輩の推理によって逮捕された。その結果として、綾乃さんは死刑に処された。

 でも、これは流石にあり得ない。そんな凶悪事件が起きていれば、町中が大騒ぎになっていたはずだ。それを解決したのが中学三年生の女の子であれば、ニュースとして取り上げられているはずだ。それに、裁判期間を考慮するなら死刑執行までが早すぎる。

 現実的なところで考えると、美月先輩が綾乃さんのプライバシーに関わる秘密を暴いた。その結果、その羞恥心に耐えられなくなった綾乃さんは自ら命を経った。要するに、綾乃さんは人に言えないような恥ずかしい秘密を抱えていて、それを美月先輩が公衆の面前で解き明かしてしまった。

 ありそうな話ではあるけれど、これも違う。もしそうであれば、恋人である火之上先輩が美月先輩を許すはずがない。美月先輩に非があるような理由で綾乃さんが亡くなったのなら、火之上先輩は殺してやりたいほど美月先輩のことを恨んでいるだろう。でも火之上先輩には、美月先輩を恨んでいるような様子は見られない。

 ただ、気に掛かるのは学食での一件。火之上先輩は美月先輩の失言に厳しかった。金城さんのプライバシーに関わる内容を言いかけた美月先輩を、彼は暴力を振るってまで止めていた。

 きっと、大筋は間違っていないはずだ。それにも関わらず、美月先輩が行った謎解きが直接的に綾乃さんを死に追いやった訳ではないのだ。

 美月先輩が何かしらの謎を解いた。その結果、綾乃さんに何らかの不利益が発生した。そして、火之上先輩が美月先輩を恨んでいるような様子も無いから、綾乃さんの死に関して美月先輩には何の責任も無い。しかし、美月先輩の方は何故か自分のせいだと思い込んトラウマを抱えている。

 ――駄目だ。分からない。何も出てこない。

 僕は美月先輩を知らなすぎる。彼女に対して覚えた違和感を無下にしすぎている。ずっとモヤモヤしているものはあるのだ。僕の無意識的な観察力が、何か些細な不自然さを発見している。正確に言うと、発見していた。

 何かの時に、美月先輩の言動に対して強烈な違和感を覚えた記憶があるんだ。何かが引っ掛かったはずなんだ。今は情報が足りない。だから、その違和感すら推論の一部として参考にしたい。

 僕と美月先輩の繋がり――。

 入部テストの解説をした。今考えても、あの問題は卑怯だった。傘について推理した。無理強いされた僕が大雑把な推理を披露したせいでもあるのだけれど、僕は美月先輩に完敗した。

 盗撮犯を推理した。彼女は僕の無実を証明してくれた。僕を助けてくれた。

 抹茶オレのストローについて推理した。僕には辿り着けない発想だった。他には……。

 僕の過去を推理してくれた――。


 ――そうだ。あの時、美月先輩が部室荒らしに話していたとき、瑛人が過去にイジメに近い扱いを受けていたと話していたとき、『イジメ』という単語を発する際に妙な間があったのだ。僕はそれが引っ掛かったのだ。自分のことで精一杯だったから触れられなかったけれど、間違いなくそれに違和感を覚えたのだ。

 盗撮騒動の真相を八重樫先輩の口から聞いたときも、バレー部にイジメがあるという話が出た途端、美月先輩は床に崩れ落ちていた。火之上先輩も不快そうに舌打ちをしていた。僕にはそれらが異様なリアクションに見えた。

 もし僕の違和感が正確なら、美月先輩と火之上先輩には、イジメに対して並々ならぬ思いがあるのでないだろうか。

 これは飛躍した考えだけれど、綾乃さんの死にイジメが関係しているのでないだろうか。そう考えてみる価値くらいあるのではないだろうか。

 結局は一つずつ可能性を潰していくしかないのだ。試しに深く考えてみよう――。

 綾乃さんはイジメに苦しみ、耐えきれずに自殺した。そう仮定する。その仮定に美月先輩の推理や観察が関わっているというのなら、素直に考えて原因の部分だろう。美月先輩が何らかの謎を解き明かしたことで、綾乃さんはイジメの被害を受けるようになった。

 問題はここからだ。

 イジメの原因が美月先輩の推理なら、美月先輩が何らかの謎を解き明かす前まで、綾乃さんはイジメの被害を受けていなかったことになる。つまり、美月先輩のせいで綾乃さんへのイジメが始まった。もしくは、イジメのターゲットが他の誰かから綾乃さんに移った。

 イジメのターゲットが変わるような事情と言えば、イジメの被害にあっていた生徒が学校から居なくなった。もしくは、イジメの被害者を庇ったせいで加害者から反感を買った。イジメの加害者に対抗した――。


 例えば、こういうのはどうだろう。

 綾乃さんはイジメられていた他の誰かを守るため等の理由から、イジメの加害者に対する報復を行った。もしくは教師や身近な大人に告発した。その報復または告発への仕打ちとして、今度は綾乃さんがイジメられることになった。これなら有りそうな話だ。

 それに美月先輩が関わったとするなら、綾乃さんが行った報復には誰がやったのかが分からないような手法が用いられたと考えるべきだろう。報復の犯人を特定するには謎解きが必要だった。

 手法や謎なんて言ってしまうと物々しいのだけれど、綾乃さんは加害者たちにバレないようこっそりと行動してしていと考えれば現実的だ。加害者たちは報復の実行犯を自分たちで見つけようとしたはず。でも簡単には見つけられなかったから、探偵役を務められる人物に報復の実行者探しを依頼した。その探偵役が美月先輩。

  この時点では、美月先輩はイジメの件を知らなかっただろう。もし知っていたのなら、彼女は報復の実行者探しなんて引き受けなかったはずだ。

 その後の美月先輩の推理によって、犯人は綾乃さんだと判明した。否、観察力にだけトラウマが作用していることを考えると、推理と言うより観察だけで犯人の特徴を突き止めたのかもしれない。想像に過ぎないのだけれど、美月先輩は名指しで綾乃さんを実行犯だと断言したわけではない。美月先輩が挙げた様々な特徴や状況証拠に合致する人物が綾乃さんだけだったのだ。

 結果、報復が明るみになった綾乃さんはイジメ加害者から反感を買ったはずだから、イジメのターゲットにされる可能性はある。

 綾乃さんに繋がるような手掛かりさえ言ってしまわなければ、綾乃さんがイジメられることはなかった。犯人の特徴が分かったところで、口に出さなければ良かった。それは美月先輩の失言だった。美月先輩の責任だった。

 綾乃さんはイジメに耐えきれず、命を絶った――。

 絶対的に悪いのはイジメだ。火之上先輩にはそれが分かっているから、彼は美月先輩を恨んでなんかいない。でも、美月先輩の失言だけは許せない。どんなに些細なものでも、それが正しいものでも、誰かがイジメられたり揶揄われたりする可能性がある発言だけは許せない。そういうことなのかもしれない。

 美月先輩は綾乃さんの死を自分のせいだと感じている。だから、推理のための観察がトラウマになっている。自分には綾乃さんに会う資格がない、そう思っている。そして、恋人を亡くした火之上先輩に対する罪滅ぼしとして、新聞部の活動に協力している。それが自分の意思なのか、火之上先輩に強要されてのことなのかは分からないけれど、そう考えればさっきの矛盾も潰すことができる。

 そうなると、僕にトラウマの原因まで考えさせた理由は――、あるとすれば確認だ。

 僕が推理や想像を用いて逆算的に真実に辿り着けたのなら、美月先輩の行動は不自然なものでは無かったという証明になる。中学時代の彼女がおかしなアクションを起こしていれば、僕もそれに引っ張られて的外れな結論を出すはずだ。

 知らなかったとは言っても、彼女はイジメの加害者たちに加担してしまったことを悔いている。だから、自分の行動が正しかったのかを確かめておきたい。他の誰でも、自分と同じような行動をしたはずだと。それを確認しておきたい。そんなところだろうか。

 ここまでの全てが正しいという保証はない。でも、否定する隙も見当たらない。だから、きっと……。


 胸糞悪い話だ。美月先輩は悪くない。

 何もかも、悪いのはイジメの加害者ではないか。

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