第五章:だから、十三日は会いに行く

第19話

 ゴールデンウィークが終わりを迎え、桜並木の花屑すら新緑に代わった五月上旬。

 新聞部の部室は、僕にとって居心地の良い場所となっていた。誰に指示されたわけでもないけれど、放課後になれば足を運ぶ。そして何をするでもなく、悠々とした時間を過ごす。

 新聞部は総勢四名という小さな部活動であり、主な活動内容は校内新聞の作成及び配布。これは不定期で行われており、教師や学校をいじり倒す内容が面白いという理由でファンが多い。誇らしいことだ。

 ただ、肝心の新聞を作成しているのは火之上先輩だけで、僕を含めた他三名は爪の先ほども関与していない。むしろ、関与させてもらえない。火之上先輩は記事への情熱と拘りが妙に強く、素人の僕らでは足を引っ張ることしかできなかったのだ。彼がジャーナリスト志望と聞いたときには、そのチャラついた見た目からして嘘だろうと疑ってしまったのだけれど、夢に向かって努力する姿は立派だと思う。僕も見習いたいものだ。

 結局のところ、新聞部における僕の仕事と言えば、ネタになりそうな謎を美月先輩と共に解き明かすくらいのもの。未だに有用な謎には出会えていないのだけれど、それでも仕事が用意されているだけマシだと思う。三年生の大鞍真琴先輩に至っては、明確な仕事すら割り振られてはいないらしい。ただ、諸々の理由で敵を作りがちな火之上先輩を裏からフォローしてくれているそうだから、彼女が新聞部にとって必要不可欠な人材であることに間違いはない。最近では体育祭の団長に選ばれたせいで忙しいらしく、大鞍先輩が部室に顔を出してくれる機会もめっきり減っているのだけれど――。


「もうすぐ体育祭ですね」


 僕がそう言ってみたのは、そんな大鞍先輩を思ってのことだった。極めて個人的ながら三年近くにも及んだ柵から解放されたのだから、僕は彼女と仲良くしていたかった。もっと楽しくお喋りしていたかった。それがこの仕打ちとは味気ないと思った。


「うんっ。楽しみだねっ!」


 いつもの様に僕の隣に座ってチョコレートを頬張っていた美月先輩が、そんな具合の相槌と一緒に笑顔をくれた。彼女はあまり運動が得意な方ではなさそうだけれど、やはりお祭りとなれば話は別なのだろうか。

 そして、いつもの席でパソコンを弄っていた火之上先輩までもが手を止めて、壁際のカレンダーに目を向けてから呟いた。


「そろそろ十三日か」


 体育祭は今月末だから、体育祭と十三日とは全く関係が無いはずだ。きっと彼はカレンダーを見て日付を確認したところで、今月の十三日に予定が入っていたことでも思い出したのだろう。

 つまり、体育祭云々は完全に無視されている。相も変わらずマイペースな人だ。

 それから彼はパソコン作業を再開して、視線すら動かさずに美月先輩へ問い掛けていた。


「また綾乃のところに行ってくる。美月はどうする?」

「……遠慮するよ」

「そうか。分かった」


 話の流れから察するに、火之上先輩は十三日に『綾乃』という人物と会うつもりなのだろう。美月先輩を誘ったことから、綾乃さんは二人の共通の知人だと推察できる。前までの僕なら、謎解きが嫌いだと偽っていた頃の僕なら、こういう類いは聞き流していたはずだ。

 ただ、今は違う。綾乃さんという人物の正体、二人との関係性、会いに行く理由、美月先輩を誘った理由。次から次へと疑問が湧き出てくる。これまで我慢してきた分、押さえ付けていた好奇心が噴き出してくるような感覚だ。

 だから僕は、大袈裟に言ってしまえば知的探究心を満たす解べく、まずは火之上先輩に一つ尋ねてみることにしたのだ。


「綾乃さんって、誰なんですか?」


 いつだったか、美月先輩の口からも綾乃さんの名前を聞いたことがある。二人にとっては身近な存在なのかもしれないけれど、僕は面識がない。


「俺の彼女」

「彼女!?」


 火之上先輩から即座に返答が来て、僕はその内容に驚いて、無駄に大きなリアクションをとってしまった。我ながらお手本のようなオウム返しだったと思う。

 火之上先輩に彼女さんが居るなんて話は聞いたことがなかったのだけれど、美月先輩が頷いているところを見るに冗談ではないのだろう。


「意外ですね」

「意外って何だよ。俺は割とモテるぞ」


 確かに、火之上先輩は外見だけならイケメンの部類だ。

 

「どんな人なのか会ってみたいです」


 それは純粋な興味だった。考えるよりも先に言ってしまうくらいには、心の底から火之上先輩の彼女さんに会ってみたいと思った。

 ただ――。


「話を始めた俺も悪いが、美月の前で無闇に綾乃の話をするな。これ以上ポンコツになられたら困る。詳しい理由はいつか教えてやるから、今は適当に納得してろ」


 返ってきたのは予想外の対応。火之上先輩はわざわざ立ち上がって僕の側まで来て、僕の肩に腕を回してから、僕だけに聞こえる程度の声量で、そんなふうに忠告してきたのだ。

 ――これ以上ポンコツになられたら困る。それはつまり、美月先輩がポンコツであることには、綾乃さんが深く関わっているということだろうか。僕の朧げな記憶では、美月先輩は推理によって綾乃さんを深く傷付けたことがあると言っていた。あれは確か、学食で抹茶オレに関する謎解きをした日の放課後だ。そこまで覚えているのだから、綾乃さんを傷付けたという話についても僕の覚え違えという訳ではないだろう。

 普通に考えれば、美月先輩が綾乃さんの秘密を暴き、その結果として綾乃さんを傷付けるような事態に発展したと判断するのが妥当だ。美月先輩はその件がトラウマになっていて、推理の度に綾乃さんへの罪悪感が蘇ることで観察に集中できないでいる。だから、推理中だけは観察力がポンコツになってしまう。そう考えれば辻褄は合う。

 彼女のトラウマが悪化しないように、彼女の前で綾乃さんの名前を出すのはタブー。否、火之上先輩も綾乃さんの名前を出してはいたから、タブーというより厳重注意とでも表現するべきだろうか。

 何れにせよ、美月先輩がポンコツになった原因については、綾乃さんとの間に発生したトラブルにあると考えて間違いないはずだ。逆に言うと、そのトラウマさえ克服できれば美月先輩はポンコツを卒業できる。正真正銘の名探偵が爆誕する。

 問題は、どういった理由があって綾乃さんを傷付ける結果となったのか。美月先輩が暴いた綾乃さんの秘密とは何なのか。その辺りが正確に分からない限り、トラウマの解消は叶わない。でも、火之上先輩の様子からして、素直に聞いたところで簡単には答えてはくれないだろう。

 ――だから、今ある情報から推論を立てるしかない。

 美月先輩が僕の過去を推理してくれたことで僕の気が晴れたように、僕の推理で美月先輩を救えることがあるかもしれない。彼女が押しも押されもせぬ名探偵として君臨するために、彼女にはポンコツを脱してもらう必要がある。

 そのための第一歩として、僕は彼女の過去が知りたい。僕は謎を解きたい。

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