第18話
「何回でも言うけど、大鞍先輩が犯人っていう推理は間違いだよ。致命的な欠陥があるもん」
曇りの無い瞳。凛とした表情。迷いの片鱗すら見せないで、彼女は断言したのだ。僕には呆れることしかできなかった。彼女の推理力に平伏すしかなかった。
その焦りを隠すため、なんとなく首を横に振った。
「欠陥なんてありません。少なくとも、僕には分かりませんでした」
「嘘だよね。鈴を落としたら音が鳴る。つまり、音で鈴を落としたことに気付くはず。そのことが推理の欠陥だよ」
「音に気付かない可能性もあります。それだけでは――」
美月先輩は仕方ないという風に息を吐いてから、自らの唇をペロリと舐めた。
「それじゃあ、もっと理論的に詰めるね。部室荒らしが発覚した日、部室には鍵が掛かっていたんだよね」
「……そうでした」
「他には考えられないから、その鍵を掛けたのは部室を荒らした犯人とみて間違いない。部室を荒らした後、丁寧にも鍵をかけてから逃走した。その時点で大鞍先輩が犯人っていう可能性は低い」
僕の無意味な抵抗が、美月先輩に火をつけてしまったらしい。これまでにないくらいの速度で推論が吐き出されていく。
「鍵を掛けなければ、鍵を持っていない人が犯人っていう可能性も残せる。偶然にも鍵を閉め忘れていて、それに気付いた外部の人間による犯行かもって言い張れるからね。つまり、大鞍先輩には鍵を掛けるメリットなんてないんだよ」
「それは……」
「それと大鞍先輩が犯人だとしたら、施錠の為に鍵を使ったとき、鍵に鈴が付いていないことに気付いたはずだよね。そして気付いたなら、その鈴を部室の中から探し出して回収しておいたはずだよね。もし見つけられなくて回収できなかったとしても、何かしらの対策をしておいたはずだよね」
返事や相槌すら掻き消されてしまう。僕の情報処理能力では聞いているのがやっとなくらい、押し流されてしまう。
「それに、大鞍先輩は鍵を鍵穴に挿しっぱなしにしていたって聞いたよ。普通なら鍵に鈴がついてないことを隠そうとするはず。でも、その鍵は誰からも見られる場所に放置されていた。鈴がないことに気付いてほしいみたいにねっ」
ひと息で出し切った後、彼女は咳払いをしていた。廊下の方に目を向けて、瑛人が聞いていないことをもう一度だけ確認してから言う。
「大鞍先輩が犯人っていう推理に無理が生じたのなら、その先が自然と見えてくるよね。陽太くんが鈴の不自然さを見逃したとは思えない。君は優秀だから、見逃すはずがない」
「買い被りすぎです」
「正当な評価だよっ。陽太くんは真犯人の正体も、その狙いも、大鞍先輩の思惑も、その全てを理解したうえで、木村くんを守るために罪をかぶった。そうだよね?」
僕の全て見透かされているみたいだ。心すら覗かれている気分だ。
――何も間違ってないのだ。彼女の推理には、何一つとして間違いは存在しないのだ。
美月先輩の推論通り、僕は全てを理解したうえで無実の罪を受け入れた。だって――。
「……他に方法が思い付かなかったんです」
「陽太くんが大鞍先輩を避けるのも、謎解きが嫌いなんていう嘘を吐くのも、木村くんのため?」
この人はどこまで見透かしているのだろう――。
大鞍先輩を犯人だと推理した結果、訳の分からないまま罪を着せられた。真犯人の狙いや大鞍先輩の思惑まで把握したうえで、瑛人を庇うために罪をかぶった。その二つには大きな違いがある。
全てを理解したうえで庇ったことを瑛人が知ってしまったら、彼は責任を感じてしまう。僕が野球部を辞めたのも、全部自分のせいだと思い込んでしまう。
それでは違う。本末転倒だ。僕は彼に、辛い思いをしてほしくなかっただけなんだ。
「僕は……、僕は何もできませんでした。瑛人がイジメられていたのに、ずっと辛い思いをしてたのに、親友だったはずなのに、僕には何もできなかった。僕は弱かった。だから――」
瑛人を救いたいとか、助けたいとか、そんな格好の良いものじゃない。僕は瑛人のために頑張ったんだって、自分を犠牲にしてでも守ろうとしたんだって、ほんの少しでも力になったんだって、そう自分に言い聞かせたかった。それだけだった。
分かっている。こんなものは自己満足だ。僕のエゴでしかない。結局は無力な言い訳にしかならない。
でも、部室荒らしの犯人について考え直すような状況だけは避けなければならなかった。そうなったら、僕の推理の欠陥に瑛人が気付く可能性があると思った。だから、謎解きが嫌いだなんて嘘を吐いてきた。そうすれば、部室荒らしの謎解きからは逃げられると思った。それが最も確実な方法だと思った。本当は大好きなくせに、自分を抑え込んできた。溢れないように必死だった。
上級生が嫌いなのは本当だ。瑛人を苦しめていた奴らのことを好きになんてなるものか。でも、大鞍先輩だけは大好きだ。尊敬してる。それが瑛人にバレないように、大鞍先輩のことも避けてきた。僕と大鞍先輩が仲良くしていたら、瑛人は部室荒らしの件に疑問を持ってしまう。それを避けたかった。
ずっと隠してきた。全部隠してきた。誰にもバレない自信があった。
それなのに、美月先輩は簡単に――。
「陽太くんは立派だと思う。でも、間違ってるよ」
自分の頬に涙が伝っていると気付いたのは、彼女に間違ってると言われたからだ。そう言ってもらえたからだ。それは現実に引き戻されるような感覚だった。たぶん僕は、誰かに否定してほしかったんだ。嘘を吐いているのが辛かったんだ。
「友達なんて、いつ居なくなっても不思議じゃないんだよ。今日隣で笑ってる大切な人が、明日には死んじゃうかもしれない」
僕の腕を掴んだ美月先輩が、自らを戒めるような口調で言う。それはあまりにも真に迫っていた。
「お別れなんて一瞬だよ。でも、後悔は一生続くんだよ。大切に思われてるからこそ、隠し事なんて悲しいよ」
風が吹いた気がした。それが現実のものなのかは分からない。ただ、彼女の方から流れてきた爽やかな空気が、僕の心を容赦なく揺らした。そんな感覚。
自己満足だとかエゴだとか、そういう余計な思考を吹き飛ばしてくれた。削ぎ落としてくれた。分かってたんだ。
僕だって、本当は――。
だから、ありったけの元気を込めて、できるだけの笑顔を作って、僕なりの精一杯で問いかけた。
「この話、……僕が庇ったって話、瑛人には話したんですか?」
笑顔が返ってくる。
「まだ話してないよ。彼は大鞍先輩を信じてるだけ。話すかどうかは陽太くんに任せる」
「……そうですか」
僕は立ち上がった。両足が鉛みたいに重かった。それは三年に近い年月の重さだ。一歩ずつ踏みしめて、引きずるように歩いていって、ゆっくりと扉を開けた。
そして、廊下の瑛人と目が合った。
「瑛人。待たせてごめん。あのさ、話しておきたいことがあるんだ」
「おう。遅えよ。ずっと待ってた」
瑛人は微笑んでいた。それを見て、僕は話したんだ。あの時の真犯人、思惑、理由。その全てを話した。晒け出した。
聞き終わったとき、瑛人は辛そうに微笑んで、驚きを噛み潰して、噛み締めるような涙目で。
「俺……、馬鹿だからさ。ヨタが俺のために我慢してたなんて知らなくて。でも、何か変なのは分かってて……。その理由が知りたくて……。ずっと苦しかったよな。ごめんな」
「――やめてよ。僕が勝手にやったことなんだから、瑛人には謝ってほしくない」
「……そっか。そうだよな。ヨタはそう奴だよな。でも、……だから、ありがとう。ヨタが親友で本当に良かった」
それだけ言って、痛いくらいに抱きしめてくれたんだ。
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