第17話

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「今日も新聞部には行かないのか?」

「言ったよね。あの部には大鞍先輩がいたんだ」


 大鞍先輩との再会を果たしてから一週間近くが経った。この一週間で高校生活にも随分と慣れてきたせいか、新鮮味という物が少しずつ薄まってきている。それは大人になったようで誇らしいのだけれど、ほんの少しだけ寂しいような気もする。成長を伴わない時間の経過は老いと等しい。でも、僕は成長なんてしていない。ただ停滞し、ただただ老衰しているだけだ。

 それは雨の日の放課後。午後のホームルーム終了と同時に椅子から立ち上がると、瑛人から声を掛けられた。遠回しではあるけれど、部活に行けと言われているように思えた。雨のせいで野球部の練習が休みになったらしいから、彼は僕にお節介を焼くほどに暇なのだろう。僕は大鞍先輩の名前を囮にして逃げたかった。

 でも、瑛人は思い耽るような弱々しい声でぽつりと呟いたのだ。


「大鞍先輩ねえ……」

「用が無いなら僕は帰るよ」

「ちょっと待てって。教室でのんびりとお喋りしようぜ」

「お喋りなら歩きながらにしようよ。どうせ帰る方向は一緒なんだからさ」


 彼は帰るような素振りを見せず、「いいから、いいから」と謎の呪文を連呼して僕を椅子に座らせる。何も良くない。意義が無いなら帰りたい。


「俺には、大鞍先輩が真犯人だったとは思えないんだ」

「――瑛人まで僕を疑ってたんだね。悲しいよ」

「いや、違うって。そういう意味じゃなくてさ」


 『大鞍先輩が犯人だったとは思えない』

 それは間違いなく、中学時代の部室荒らしの件を言いたいのだ。大鞍先輩と犯人という単語が結び付くような出来事なんて、その他には思い当たらない。

 ただ、彼の発言は僕の推理を否定することと同義で、僕にはそれが少し悔しく感じられた。


「僕の推理なんか信用できないってこと?」

「それも違うけど……」


 ぱっとしない返事だ。唸り声で間を潰されたため、僕が言葉を挟む隙すら見当たらない。 


「なんて言うか、大鞍先輩は悪い人じゃないだろ? 人望の塊みたいに優しい人だ」

「それはそうだね。でも、だからこそが犯人扱いされたんだ」

「それに関しても大鞍先輩は悪くない。ヨタと大鞍先輩には仲直りしてほしい。部室荒らしの犯人は大鞍先輩以外の誰かだ」


 またしても僕の推理を否定する言葉だ。僕は僅かにムッとして、瑛人の額を指で弾いてから言った。


「素人は黙ってなよ」

「ヨタだって、別にプロって訳じゃないだろ」

「瑛人よりは慣れてるつもり。犯人は大鞍先輩で間違いない」

「いいや、違うさ。大鞍先輩は犯人じゃない」

「……証拠は?」

「俺の勘」

「話にならないね」


 再び立ち上がろうとして前傾姿勢をとったところで、教室後方の扉が凄まじい勢いで開かれた。衝撃に耐えられず、窓硝子がガタガタと音を立てて揺れている。割れていないか心配だ。

 その後、扉を開け放った人物は垂れた髪を耳にかけ、胸に手を当てて呼吸を落ち着かせてから、不必要なまでの声量で叫んでいた。


「陽太くんっ! 私の推理を聞いてほしいの!」


 美月先輩だった。それなりに聞き慣れた麗しい声でも、耳を覆ぎたくなるようなボリュームでは騒音だ。迷惑でしかないから、他の生徒が教室にいなくて良かったと心から思う。

 彼女は教室に足を踏み入れる前に、瑛人に向けて口を開いた。こちらは普段通りの声量だった。


「木村瑛人くんだよね? ちょっとだけ席を外してもらえるかな?」

「分かりました。教室の外で待ってます」


 不自然なくらい自然に頷いて、戸惑う様子もなく教室から出て行く瑛人。大声を発しながら教室に乗り込んできた怪しい先輩に対して、ここまで冷静な対応ができるだろうか。――否、この場合は瑛人もグルだと考えるべきだろう。

 あの言動からして、瑛人は僕と大鞍先輩の仲直りを望んでいた。大鞍先輩か火之上先輩あたりが手を回していて、美月先輩が来ることを事前に知らされていたのかもしれない。『教室でお喋りしよう』なんて言ってきたのも、おそらくは僕を足止めしておくためだ。

 そもそも大鞍先輩は新聞部に所属していたのだから、あの入部テストすら大鞍先輩に頼まれて僕のところに持ってきたという可能性が高い。

 入部テストの件で彼が僕のヒントを話半分で終わらせたのも、僕に入部テストを解かせること自体が目的だったと考えれば辻褄が合う。僕だけが新聞部に入ったのにも関わらず怒らなかったことから考えても、彼は初めから新聞部に入るつもりなんて無かったのではなかろうか。

 僕の気も知らないで能天気な奴だ。後で叱りつけてやろう。

 

「去年、新聞部設立の人数合わせとして部員を募集していたとき、『ある謎を推理で解決できたなら入部してあげる』って言ってくれたのが大鞍先輩だった」


 何の前置きもなく、美月先輩が話し始めていた。彼女なら「久しぶりだねっ!」くらいの挨拶があっても良さそうものだけれど、そういった無駄の類は全て省かれている。

 彼女は口を動かしながらも近くの席から椅子を持ってきて、机を挟む形で僕の真正面に陣取った。


「その謎っていうのが部室荒らしの件だったの。月島陽太くんっていう中学一年生が、どうして罪をかぶったのかを推理してほしいって言われた。陽太くんの中学校で起きた室荒らしの概要は、そのときに聞いたんだよ」

「大鞍先輩に聞いたなら、推理なんて必要ないでしょう」

「そんなことない。まずは説明も兼ねて、大鞍先輩の立場から話をするね。一応は私の推理だけど、大鞍先輩に確認を取ってあるから全て事実だよ」


 いつもなら、「それは推理とは呼べません。ただの確認作業です」とでも言ってやる場面なのだけれど、そんな気力は残っていなかった。今だけは持ち合わせが無かった。


「部室荒らしが発覚した日。部室の鍵を開けた大鞍先輩は、その状況を見て犯人が誰なのかを理解した。そして、犯人の狙いを理解した」

「随分と飛躍した考えですね」

「ちゃんと段階を踏んでるよ。被害に遭ったのは一年生の野球道具だけ。唯一、木村瑛人くんの物だけが無事だった。そして、その木村くんは最も疑わしい鍵当番の一人で、上級生から……イジメ……に近い扱いを受けていた」


 何か引っ掛かる。でも、その違和感の正体が何かは分からない。

 ここまで状況が揃っていれば当然という風に、大鞍先輩も同じように考えたのだと言いたげに、次の言葉が作られた。


「犯人の狙いは、部室荒らしの罪を木村瑛人くんに着せることだったと思う」


 それから美月先輩は中腰になって自らが座っている椅子を掴み、それを引きずりながら僕の方へ近寄ってきて、残念そうに言った。


「でも、証拠が無かった。だから大鞍先輩は、木村くんを守るために嘘の証拠を作り上げることにした。大鞍先輩は優しいから、自分を犠牲にしてでも木村くんを守りたかったんだと思う」

「守るって、どうやってですか?」

「自分が部室荒らしの犯人だと名乗り出る。正確に言うと、嘘の証拠を作り上げて犯人のふりをする。その後で真犯人の名前を挙げて、その人もグルだと嘘を吐く。そうすれば、本物の証拠なんて無くても真犯人を犯人にすることができる。強引な自己犠牲だけどね」

「……でも、嘘の証拠なんて無かったですよ」

「それは陽太くんが見つけた黒い鈴だよ。大鞍先輩は鈴を部室内へ投げ込んで、虎視眈々と待っていた。


 聞かれてもいないのに、まるで僕が聞き返したかのように、彼女はその理由まで言い並べる。


「とっても優しい大鞍先輩が嘘の自白をしても、誰かを庇おうとしてるはバレバレだよね。自分で犯人だと自白するより、論理的な推理で他の誰から犯人だと指名される方がよね。大鞍先輩は陽太くんの才能を信じていたんだね」


 才能という喜ばしいはずの単語にすら、僕は何の感想も抱けなかった。それはきっと、僕が僕自身の無能さを知ってるからだ。


「大鞍先輩の狙い通り、陽太くんは『大鞍先輩が犯人だ』と推理した。後は簡単に認めて、共犯者として真犯人の名前をあげれば良かった。そうすれば、自分を犠牲にする結果にはなるけど、真犯人を正しく犯人にすることができた」

「……でも、大鞍先輩はそうしませんでした」

「問題が起きたからね。真犯人の発言で、陽太くんが疑われてしまった。真犯人は木村くんに罪を着せることは不可能だと諦めて、木村くんと仲の良かった陽太くんにターゲットを変えたんだと思う」


 陽太くんに疑いの目が向いてるときに自白したところで、陽太くんを庇おうとしていると思われるだけ、という補足を放ってから、彼女は区切りを表すために手を叩く。


「はい。ここまでが大鞍先輩の立場で考えた推理。大鞍先輩は部室荒らしの犯人じゃない。むしろ木村くんを守ろうとしたヒロインだよ」

「それなら、真犯人は誰なんですか」


 捻り出した僕の声はきっと弱々しい。それに比べ、美月先輩の声は獰猛だった。


「真犯人は山田健介くんだと思う。大鞍先輩も同じ意見だったよ」

「なにか証拠でも?」

「決定的な証拠はないね。でも、彼は校門付近で大鞍先輩と会ったとき、『鍵開け担当は木村だろ』、『面白くなるはずだったのに、どうして交代したんだよ』って独り言を呟いてたらしいよ」


 内容から察するに、それは大鞍先輩から聞いた話なのだろう。僕の知らない情報だ。それでも、そんなものは僕の推理には関係ない。僕にとって、部室荒らしの犯人は大鞍先輩なのだ。

 として片付けることができる。


「そもそも、山田健介くんには不審な行動があった。普段の山田くんは遅刻ぎりぎりで登校していたはずなのに、その日だけは朝早い時間から部室に来ていたんだよね。それを偶然として片付けるのは簡単だけど、理由としては少し弱いと思う」

「つまり、それには正当な理由があると」

「うんっ! 『俺が部室に着いたとき、木村が部室を荒らしていた』とでも証言するつもりだったんじゃないかな。木村くんが部室に入ってグローブの残骸でも触っていようものなら、スマホで写真を撮って犯人に仕立て上げるつもりだったのかもしれない。だからこその独り言だと思う」


 実際には、部室の鍵開けを担当したのは大鞍先輩だった。その時点で山田先輩の計画は破綻している。

 僕が部室に着く前、僕の知らないところで山田先輩の不審な行動を読み取っていた大鞍先輩は、山田先輩が真犯人であるということに確証を持った。それだけのピースは存在する。そう言いたいのだろう。


「それに、山田健介くんは合鍵くらい野球部員なら誰でも作れるって意味のことを言っていたのに、鍵当番だからっていう理由で木村くんを疑っていた。そこは明らかに不自然だよね。陽太くんを犯人に仕立て上げたことまでを踏まえると、彼が真犯人と考えて間違いないと思うな」


 言い終えた美月先輩は僕を見つめてくれている。それは何か尊い物にでも向けるような目だった。

 そして、吐息混じりの声。


「でも、陽太くんは全部分かってたんだよね」


 これは――。

 どういう意味だろうか――。


「大鞍先輩が犯人じゃないことも、大鞍先輩の狙いも、本当の犯人も。陽太くんは全部わかってた」

「何を言って――」


 そんなはずはない。


「全部わかっていたからこそ、陽太くんは大鞍先輩の思惑に乗った。大鞍先輩が犯人だなんて無理な推理を披露した。そうでしょ?」


 ありえない。

 この人はどうして――。

 どうして、――。

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