エピローグ

第22話

 綾乃さんについて推理した後、その帰路には雨が降っていた。

 電車通学の美月先輩と校門で別れてから、僕と火之上先輩は二人だけで並んで歩いた。そして、綾乃さんの話をいくつか聞いた。その大半は惚気に近い思い出話だったのだけれど、彼が自らの身の上について語ってくれるだけで嬉しかった。綾乃さんへ向けられた愛の強さを知った。だからこそ――。


「さっき、どうして僕を止めなかったんですか?」


 僕は立ち寄ったコンビニの前で棒アイスの包装を破きながら、何でもないふうを取り繕って尋ねてみたのだ。

 火之上先輩は僕の隣で熱々の肉まんを頬張り、口元の油分を親指でさっと拭ってから言う。


「唐突だな。何の話だよ」

「綾乃さんの遺書にあった暗号の話です。僕が暗号の答えを美月先輩に教えようとした時点で、火之上先輩から止められるものだと思っていました」

「なぜ俺がそんなことを――」

「火之上先輩は遺書の真意を知っていたはずなので」


 彼は瞬間的に驚いた表情を見せた後、いつものように気怠げな顔を作って問い掛けてきた。周囲の雨音が妙にうるさかった。


「どうして気付いた?」

「火之上先輩が作った入部テストを解いたからですかね。横読みだったり同音異義語だったり、綾乃さんの遺書との共通点が多すぎます」


 頭文字を使った横読み。そして『女子』と『助詞』、『質』と『室』、『君』と『気味』といった具合の読み替え。その辺りは暗号として似たような部類に属している。だから、あの入部テストは新入生を選別するためだけのものではなく、美月先輩へのヒントも兼ねて作られたのかもしれない。そう思ったのだ。


「単なる偶然だろ」

「そうですね。出来過ぎだとは思いますけど、偶然とも考えられる。ただ――」


 先の方から溶け始めたアイスが滴らないように、僕はその頂点を一口だけ齧った。爽やかな冷たさが心地良い。

 そして、ソーダの味が消えるまでそれを口の中で転がしてから、名言でも放つふうに言ったのだ。


「これは僕の持論なんですけど、暗号であるからには必ず手掛かりが示されているはずなんです。万人に解かれる暗号は暗号として成立しませんが、誰にも解かれない暗号も暗号としては成立しません」

「何だそれ。当たり前のことをそれっぽく言ってるだけじゃねえか」

「そうですね。ついでに言っておくと、答えは確定されなければ答えとして成立しません」

「それも当たり前だろ」


 そう。そんなものは当たり前だ。綾乃さんの遺書を美月先輩が解いたとして、その答え合わせができなければ意味がない。答えが確定できなければ意味がない。

 つまり、答えを知っている人物が居るはずだ。


「綾乃さんは信頼できる人物に答えを託していたはずです。綾乃さんの中学校で起きていたイジメとは無縁で、誰よりも頼れる人物に」

「厳しい条件だな」

「そうですね。でも、例えば恋人なんかはピッタリです。別の中学に通っていたのなら尚更都合がいい」


 火之上先輩は肉まんを握ったままの両手を挙げて、わざとらしく溜め息を吐いている。


「降参だ。お前の言う通り、俺は遺書の真意を知っていた。自殺を図る直前、綾乃がメールを送ってきたんだ。そのメールに美月へ宛てた遺書のことが書かれていた」

「それなのに黙っていたということは、遺書の暗号を美月先輩に自力で解いてもらいたかったはず。だったら、僕のことは止めるだろうと思っていたんです」


 直後、彼の首は左右に振られていた。


「お前は美月の助手。つまりは美月の一部みたいなもんだろ。だから止めなかった。それに、美月の力だけじゃ永遠に解けそうになかったからな。都合が良いと思った。それだけだ」

「僕を美月先輩の一部だなんて、随分と詩的なこと言いますね」

「ほっとけ」


 そう吐き捨てて肉まんを乱暴に食べ切った火之上先輩は、何も言わずに制服のポケットからスマートフォンを取り出していた。そして、ポリカーボネート製のハードケースをスマートフォンから取り外した。スマートフォンとケースの隙間にはパウチ加工された小さな紙が挟まれていたらしく、彼はそれを大事そうに摘み、僕の目線上に差し出してきたのだ。


「これって……」

「綾乃の記事の切り抜きだ。地方紙の隅っこに載ったんだ」


 女子中学生自殺。そんな見出しがあるだけで、その切り抜きには最も重要な記述がない。遺体発見の日時だとか綾乃さんの学校での様子だとか、それっぽいものが羅列されているだけで――。イジメやその加害者について、全く触れられていないのだ。何もかもが希薄なのだ。

 

「――ちょっと叫ぶぞ」

「どうぞ」


 場所としてはコンビニの前ではあるのだけれど、雨のせいか人足も疎らだ。大声だって雨音が隠してくれる。

 彼は自らの足が濡れるのなんてお構い無しに水溜りを踏みつけて、激しく水飛沫しぶきを飛ばし、泣くように叫んだ。


「クソッ! 綾乃の死は、こんなにもちっぽけなのかッ!? たった数十文字で表現できる程度なのか!? 綾乃の苦しみはこれだけで片付けられるってのか!? ――おかしいだろ!! ふざけんな!! 一人の女の子が死んだんだ! イジメっていう卑劣な行為に殺されたんだ! あんなものは殺人だ……――!!」


 こんなにも感情的な彼の姿を見たのは初めてだった。僕の知る彼は気怠げで、たまにニヤリと笑っているだけの人だった。感情を表に出すのが苦手な人なのだろうと思っていた。でも、それはきっと誤りだ。彼はずっと、その全てを押し殺していたんだと思う。

 叫び切った後、息を整えた火之上先輩は僕の目を見て言ってくれたのだ。

 

「綾乃をイジメていた奴らは罰すら受けていない。証拠が不十分だからって何の処分も受けなかった。だから、俺は奴らに罪を償わせる。俺なりの手段で社会的な制裁をくわえる。そう決めた」

「だから、新聞に拘っているんですね」

「そうだ。こんなクソみたいな記事で綾乃を語られて堪るかよ。……――ただ、俺なんかが足掻いたところで何にもならなかった。何も変わらなかった。ネットならバズるんじゃないかとSNSを使って試行錯誤してみたが、イジメ被害者の自殺なんてありふれた不幸話だ。誰も興味を示してくれなかった」


 もう一度、彼は水溜りを蹴り散らす。

 その飛沫が僕の足元を濡らすのも、今だけは悪くなかった。僕も仲間なのだと言いたかったから。巻き込んでほしかったから。


「綾乃の無念を晴らすには、それとは別のスクープが必要なんだと思った。日本中から注目されるくらいの馬鹿デカいネタが必要だと思った。だからこそ、俺は美月に目を付けた。綾乃が死んだことに責任を感じているのなら、黙って俺を手伝えと言ってやった。ついでに、『綾乃を想って泣くのは俺の特権だから、お前は馬鹿みたいに笑ってろ』とも言ってやった」

「……優しいですね。ちょっとだけ不器用だとも思いますけど」


 彼は、左の拳で僕の胸を軽く叩いてから続ける。


「いいか。俺にとって、お前や美月は踏み台だ。俺はとにかく有名になりたい。どんな方法でも良い。俺の書いた記事が有名になりさえすればそれでいい。不謹慎かもしれないが、俺は猟奇的な殺人事件が起きることを望んでいる。殺人まではいかなくとも、大事件が起きることを望んでいる。そして、それを美月に解かせたいと思っている。素人の女子高生が凶悪犯罪者を逮捕。それくらいインパクトのあるネタが欲しい」


 その拳は震えていた。それは武者震いだろうか。それとも、それが望み薄だと理解しているからだろうか。

 現実的に考えると、身近な場所で火之上先輩が望むレベルの大規模な事件が起きる可能性は低い。日本の警察は優秀だから、一般人には凶悪事件に首を突っ込む余地すら無い。それこそ、フィクションに登場する名探偵でもなければ――。


「有名になって、影響力を持った上で綾乃の死やイジメに関する記事を書く。そして、綾乃をイジメていた加害者たちを晒し上げる。それだけが俺の目標だ」


 晒し上げるとは不適切な表現だと思う。それでは正当な制裁とは呼べないと思う。

 でも――。


「僕は応援しますよ」


 火之上先輩は驚いている様子だった。


「……反対しないのか?」

「そうですね。もし火之上先輩がやり過ぎるようなら全力で阻止します。私刑なんてイジメと同類ですから」

「だったら――」

「でも、それが火之上先輩の生きる活力になるのなら、僕は応援したいです」

「……お前、変わってんな」

「それはお互い様ですよ」


 彼は呆れたように鼻を鳴らしてから、曇天を見上げて唇を噛み締めた。そして、許しを乞うように言ったのだ。


「俺は綾乃が好きなんだ。大好きなんだ。それだけしかなかったんだ」


 自分は部外者だと分かっていても、彼があまりにも哀しげな眼差しで言ったものだから、僕は少しだけ泣いてしまった。彼の目には綾乃さんしか映っていないことが明らかで、その純愛が眩しくて、何とも言い表せない気持ちになったのだ。

 

「――。今度の十三日、時間あるか?」


 ありがたい誘いを受けた。

 十三日。つまり、綾乃さんの月命日。僕の答えは決まってる。


「もちろんです。時間なんて無くても作りますよ」

「……悪いな。助かる。俺の仲間を綾乃に自慢してやりたいんだ。俺は楽しくやってるって伝えてやりたいんだ」

「それなら、美月先輩と大鞍先輩も誘いましょう。それと、土生先輩も」


 彼は諦めたように笑う。


「――土生先輩のこともお見通しって訳か」

「いえ。確証はなかったので鎌をかけてみました」


 盗撮騒動の一幕で、火之上先輩には情報源として繋がりを持っている生徒がいた。その生徒から盗撮事件に関する報告があったことで、僕たちは盗撮事件が起きていることを知った。

 大鞍先輩が新聞部に所属していると聞いたときには、その情報源の正体は大鞍先輩だったのだろうと思った。

 ――ただ、綾乃さんの名字を見てから考えが変わった。彼女の名字は『土生』。この辺りでは珍しい名字。なおかつ生徒会長である土生先輩と同じ名字だった。

 それを踏まえて振り返ってみると、美月先輩が校内で名探偵と謳われていること自体が不自然に思えてきた。彼女はトラウマのせいで的外れな推理を連発するような状態なのだから、名探偵とは言い難い存在だったはずだ。そこで、学食の件に繋がった。

 土生先輩は美月先輩に推理勝負とやらを仕掛けたのにも関わらず、特に大きな活躍をすることもなく簡単に敗れていた。そして、あの推理勝負とやらは過去にも何度か行われているらしかった。

 つまり、推理勝負は美月先輩を勝たせるための八百長だったのではなかろうか。先生方からの信頼も厚く、頭脳明晰な土生先輩に推理勝負で勝った。だから、美月先輩は途轍もなく優秀で賢い。そういう印象を周囲の生徒たちへ植え付け、名探偵というブランドを使って新聞のネタになりそうな謎を集める魂胆だったのではなかろうか。土生先輩と火之上先輩は仲が悪そうに見えたけれど、それすらも演技だったのではなかろうか。土生先輩の立場を考えると、火之上先輩とは対立していた方が都合が良い。だから、周囲を欺くために仲が悪い振りをしていたのだろうと、そう思った。

 部室で火之上先輩の傘について推理した一件にしても、もし本当に二人の仲が悪いのなら、傘なんて貸してはいないはずだ。そもそも、あの傘を火之上先輩が土生先輩に貸したのは、四月十三日の夜だったのではないかと思う。二人は綾乃さんのお墓参りに行っていて、その帰りに天気が崩れそうになって傘を貸したのではないだろうか。

 要するに、土生先輩は新聞部の味方だと、我が部の貴重な情報源だと、僕はそう推理したのだ。

 火之上先輩が口を尖らせて呟く。

 

「いつか驚かせてやろうと思ってたってのに、お前は生意気な後輩だな」

「そう言わないで下さい。せっかく自慢しに行くのなら、全員揃っていた方がいいじゃないですか」

「それもそうだな。……その方がきっと、綾乃も喜んでくれるよな――」 


 日常は謎で溢れている。青春は謎によって彩られている。胸躍る希望も、手の付けられないような悪意も、どうしようもない後悔も、その真相が明かされるまでは全て等しく謎でしかない。どんなに楽しい思い出も、どれだけ辛い過去だとしても、それが謎のままでは意味が無い。事情を知らない部外者には、喜びや悲しみの権利すら与えられていないのだ。

 解き明かしてこそ、素直に喜ぶことができる。真っ当に悲しむことができる。

 だからこそ、僕は――。

 

 謎解きが好きなんだ。

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【僕は謎を解かない】 鳳山葵 @A_Toriyama

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