第16話

「大鞍先輩。あの鈴、どういうことですか?」

「鈴? どの鈴のこと?」


 周囲の視線を掻き集めるかのように、またもや大袈裟に思えるほどの大声をあげた大鞍先輩。

 あの状況で鈴と言われたら、普通は鍵のことしか思い浮かばなかっただろう。わざわざ聞き返すというのは、わざとらしいオーバーリアクションだったように思う。

 でも、だからこそ僕はそれに応えようとして、部室に足を踏み入れた。それから目当ての鈴を拾い上げ、全員に見えるよう掲げたのだ。

 

「この黒い鈴。鍵に付いていたはずの鈴ですよね」

「なんだ。てっきり失くしたと思ったけど、部室の中にあったのか。びっくりー」


 びっくりだけで終わらせるつもりは無い。ここからが勝負。そう思っているからこそ、自分の声が震えていることが不安だった。

 

「この鈴は、グローブの残骸の上にありました」 

「それが?」

「グローブが引き裂かれた後、誰かが鈴を落としたということになりますよね」


 グローブの残骸が放置されるよりも前に鈴が落ちていた場合、鈴はグローブの下に位置するはずだ。グローブが鈴に覆い被さるような形になるはずだ。

 それが上にあったとなれば、鈴が落ちたのはグローブの残骸が床に放置された後だと考えられる。


「部室には誰も入っていないそうなので、この鈴は犯人が去り際に落とした物と考えて間違いありません」

「なるほど。それは何かの手掛かりになりそうね」


 大鞍先輩はそう言ったのだけれど、それは手掛かりではなかった。証拠なのだ。強引にでも、証拠まで昇格させるしかなかった。


「鈴を落としたのは犯人。そして、鈴を落とすことができたのは、鍵を管理していた人物だけです」

「おっとっと。雲行きが怪しくなってきた」

「怪しいどころか真っ黒ですよ。部室荒らしの犯人は、……大鞍先輩ですよね」


 正直、その推論は少し甘かった。聞く人が聞けば、いくらでも穴がある。致命的な欠陥がある。情報不足は否めない。でも――。

 

「これは参っちゃったな……」


 自分の詰めの方が甘かったとでも言いたけな表情の大鞍先輩は、悔しがるでも否定するでもなく笑っていた。続けて何かを話そうとしていたのだけれど、それは別の声に殺されてしまった。


「月島ぁ――」


 横暴な口調。山田先輩だった。


「的外れなことばっか言ってんじゃねぇよ」

「的外れかどうかは、犯人しか分からないはずですけど」


 悪気は無かった。挑発しようだとか、無理に否定しようだとか、そんな余計な感情を持ち出したつもりも無かった。一般的な見解を述べたつもりだった。

 でも、そんな僕の態度が気に障ったらしく、彼は呼吸を荒げながら続けたのだ。


「本当はてめぇだろ。犯人」

「どうしてそうなるんですか?」

「全部分かってるみてぇに喋れるのは犯人だけだろ。てめぇは妙に鋭い」


 彼の毒牙は、僕に向けられたのだ。


「それに、散らかった部室の中から黒い鈴を見つけるなんて不可能だ。鈴が落ちていることを最初から知っている奴以外はな」

「僕は人より目敏いので見つけられただけです」

「てめぇ以外は誰一人として気付かなかった。それを目敏いだけで片付けるのはナンセンスだろ」

「ナンセンスだろうと、それが事実ですよ」


 事実であろうと関係なかったのだ。山田先輩の脳を支配していたのは、『どうすれば月島陽太を犯人らしく見せられるか』という思考だけだった。


「大鞍先輩に罪をなすりつけるために、その鈴がグローブの上にあったなんて嘘を吐いたんだろ?」

「違います」

「そもそも、その鈴は本当にグローブの上にあったのか? グローブの下にでも埋まってたんじゃねぇか?」


 山田先輩の発言が二転三転するのは、その論理が破綻している証拠だ。否定さえ億劫な出任せだ。


「この鈴は、確かにグローブの上にありました」

「誰も信じねぇさ。鈴がどこに落ちていたかなんて、お前以外は誰も見てねぇ」

「それは……」


 それは僕のミスだった。僕が室内に足を踏み入れて鈴を拾ってしまったせいで、他の部員からは鈴が見えていなかったらしい。僕の背中に遮られ、手元が誰にも見えていなかったのだ。

 本来ならば、他の誰かに確認させてから、また別の誰かに拾わせるべきだった。証拠を見つけた嬉しさで、僕は舞い上がってしまっていた。

 だから、僕は挽回のために穴の無い理屈を並べて、それらしい方向に持っていくしかなかった。


「もしグローブの下に埋もれていたのなら、僕にも見つけられなかったはずです」

「――なるほどな。つまりは鈴を手元にでも忍ばせておいて、あたかも拾ったかのように見せかけたって訳か。芸が達者な奴だなぁ」

「いい加減にしてください。それも違います」


 いくら否定しても、山田先輩の口は止まらなかった。


「黙れよ。てめぇが犯人なのは分かってんだ。大鞍先輩に迷惑かけんなよ。さっさと白状しちまえ」


 違う。僕は違う。犯人は大鞍先輩だ。


「みんなも月島が犯人だと思うよな?」


 勝ち誇った様子の山田先輩が、他の部員たちに問いかける。聞こえてくるのは同意の声ばかりだった。二年生、三年生を中心として、罵りにも似た声が飛んできていた。

 その場の空気は、山田先輩の暴力的な屁理屈に支配されていた。真実も嘘も関係なかった。人望の厚い大鞍先輩を敵に回したということもあって、僕よりも山田先輩の方が正しいということになっていた。思うように操られていた。

 誰も庇ってくれなかった。仕方がないのは分かっていた。

 ――でも、一人だけ。


「待ってください。ヨタは鍵を持ってません。部室を荒らすなんて無理です」


 瑛人だけが救おうとしてくれた。勇気を振り絞って、噛み付くような意見をぶつけてくれたのだ。

 ただ、それだけでは武器にならなかった。僕が恐れていた致命的な欠陥の一部だったから。


「馬鹿は出しゃばんな。自分が当番の日に合鍵くらい作れんだろ。……それとも何だ? てめぇもグルなのか?」

「瑛人は関係ありません!」


 瑛人まで巻き込まれたからには、僕は頭を空っぽにしてでも否定するしかなかった。そうしないと、意味がなかった。瑛人を犯人にされるわけにはいかなかった。


「それは自白だよなぁ。木村が関係ねぇって知ってるのは、てめぇが部室荒らしの犯人だからだろ?」


 それから、僕は否定も肯定もしなかった。できなかった。なにを言っても、誰も信じてくれないのが分かりきっていた。だから、反論も対抗も諦めた。


「月島。犯人はてめぇで決まりだな」


 山田先輩のことが嫌いだ。僕に罪を着せた大鞍先輩のことは大嫌いだ。そうでないといけないんだ。

 その後、部室に到着して事件の詳細を把握した野球部の監督は、山田先輩の意見を鵜呑みにした。有力な証拠も無いくせに、僕を犯人扱いした。そして、監督は僕を野球部から追放した。罰として退部しろと命じられたのだ。

 僕が全てを話しても、あらゆる推理を吐き出しても、二人だけで相談しても、監督は取り合ってくれなかった。妄言だろうと一蹴した。後から聞いた話だと、瑛人へのイジメが部外へ露呈するのを嫌っての措置だったらしい。反吐が出る。

 大人なんて嫌いだ。悪事を隠そうとするだけで、弱い者を守ろうとはしないから。

 上級生なんて大嫌いだ。身勝手で陳腐なプライドを振りかざし、理由も無く威張っているだけだから。

 謎解きなんて【嫌い】だ。隠された真実を解き明かしたところで、碌なことにならないと分かってしまったから。

 得意な程度の推論では、権力者の暴論にすら敵わなかった。どれだけ観察力が高くても、気付くだけでは意味が無かった。それなら、その全部が不要だ。そう思った。

 ――だから、僕は謎を解かない。そう決めたんだ。

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