第四章:あれはマコトから出た嘘
第15話
❇︎ ― ❇︎ ― ❇︎ ― ❇︎ ―
あれは三年くらい前。僕が、謎解きも先輩も大好きだった頃――。
五月にしては肌寒い朝だった気がする。
中学生としての生活にも少しずつ慣れてきて、いくらかの充実感を覚えていた。いつものように眠たい目を擦って、いつもより着込んで、いつも通りに太陽が昇る前には家を出た。野球部の朝練だ。
小さい頃から近所の軟式野球クラブに所属していたから、僕が中学で野球部を選んだのは、なんの捻りも無いくらいに自然なことだったと思う。他のスポーツが霞んで見えた。それくらいには野球が好きだった。
旧友の
朝の通学路で彼と出会すことだって、新鮮味なんて感じ得ないくらいには日常の範疇だった。
だから、あの日も――。
「……おはよ」
「おはよう、瑛人。元気ないね」
「別に。いつも通りだろ」
そんな具合に自転車を漕ぎながら挨拶を交わしたのだけれど、瑛人は俯いたままだった。生きることに疲れているみたいだった。
その頃、飛び抜けて野球が上手かった瑛人は、一部の上級生から酷い扱いを受けていた。一応は強豪と呼べる水準のプライドが高いチームだったから、その上級生たちには自分のポジションを奪われることへの恐怖心があったんだと思う。
瑛人が弱音を吐くことはなかったけれど、裏ではイジメにも近いようないびりも日常茶飯事だった。だから、僕は少しでも彼の力になりたかった。彼に僕を頼ってほしかった。彼には助かってほしかった。
「監督に相談しようよ。瑛人が自分で言えないなら、僕が代わりに伝えるから」
「俺は大丈夫だ。そんなことしたら、今度はヨタがターゲットにされるぞ」
「それでもいいよ」
「いいわけないだろ」
「かっこつけてる場合じゃないと思うけどね」
そんな問答は、僕たちが中学校に到着するまで続いた。彼は妙に頑固なところがあるから、僕が折れるまで引き下がることはなかった。
そして前置きもなく、そんな彼が会話を断ち切るように言ったのだ。
「ん? なんか様子が変じゃないか?」
見えるのは、いつも通りに年季の入った中学校の校舎。そして、いつも通りに整備されたグラウンド。そのあたりは何でもない。
けれど、いつも通りではないことが一つだけ――。
野球部の部室として使われていたプレハブ小屋の入り口付近に、なぜか二十人程の野球部員が群がっていたのだ。
これから朝練だというのに、練習着に着替えている部員は一人も見当たらなかった。いつもとは明らかに様子が違っていた。やけに騒がしかった。
「部室で何かあったみたいだね」
「よかったな。名探偵ヨタの出番かもしれないぞ」
瑛人は軽口を叩きながらも自転車を止め、その群衆を後方から監視するように眺めていた三年生女子マネージャー――
瑛人曰く、大鞍先輩は野球部内で唯一尊敬できる先輩だったらしい。後輩思いの素敵な人だから、僕も瑛人と同じ意見だった。
今になって考えてみると、瑛人にとって頼れる先輩というのは、その大鞍先輩だけだったのかもしれない。味方になってくれるような上級生は、彼女の他にはいなかったように思う。
「大鞍先輩。おはようございます」
「おっはー。……ってか瑛人、めっちゃ顔色悪いよ。アンタちゃんと寝てんの?」
「大丈夫です。それより何かあったんですか?」
「部室荒らしだってさ。部室の中、覗いておいで」
僕たちは促され、人混みの隙間から室内の様子を伺ったのだけれど――。
それは余りにもは酷い状況だった。中学生ながら野球に関わる者として、心が痛む光景だった。
無理に凹まされた金属バット。
例に漏れず、僕のグローブも傷だらけだった。横着して部室に置いておかず、ちゃんと持って帰っておくべきだった。
ざっと見ただけでも、被害を受けた野球道具には共通点があった。だから、僕は大鞍先輩に言ってみたのだ。
「被害にあったのは、瑛人を除いた一年生の道具だけみたいですね」
「……あれ? そうだっけ?」
彼女は人混みを掻き分けて、群衆の先頭に立った。そして諸々を確認してから、「陽太の言う通りじゃん!」と大袈裟に叫んだ。それは途轍もなくわざとらしかった。
ただ、そんな彼女の大声のせいで、部員たちの視線は僕に集中した。彼らの興味が僕の方に傾いたのだ。だから、僕は好機だと判断して、大鞍先輩を見習って、全員に聞こえるような声を発してみたのだ。参考程度に、部員たちの反応を見ておきたかった。
「グローブを切り裂くには相当な労力が必要です。つまり、金品を狙った泥棒の犯行とは考えにくい。一年生の道具を壊すことが狙いだったとするなら、内部犯の可能性が高いですね。どれが誰の道具なのかを正確に把握しておく必要がありますから」
「なるほど! アンタ天才!」
天才天才と囃し立てるの大鞍先輩の口癖だから、別に褒められたということでもなかったと思う。でも、瑛人はそれを真に受けたようで、僕の肩に腕を回してから我が物顔で言い放っていた。
「大鞍先輩も知っての通り、ヨタは探偵に憧れている変わり者です。こいつに任せれば、部室荒らしの犯人くらい見つけられるかもしれませんよ」
「変わり者は余計だけどね」
ボソッと呟いた僕の言葉を聞いたからか、大鞍先輩は口元を押さえてクスクスと笑っていた。そして、親指を立てて豪快な口調で言った。
「監督が来るまで、もう少しだけ時間がある。アタシたちで犯人を見つけてやろうぜ」
「いいですね。賛成です」
それから、その二人をはじめとする部員たち全員からの視線に背中を押された気がして、僕は情報収集を始めたのだ。
「一番早く部室に着いたのは誰ですか?」
「それはアタシ!」
手を挙げたのは意外にも大鞍先輩だった。詳しく話を聞いてみたところ、彼女が部室の鍵を開けたときには既にあの有り様だったらしい。その後については彼女が現場保存を呼びかけたこともあって、部室には誰も立ち入っていないとのことだった。
「たしか、今週の鍵当番って……」
「それもアタシ。それと瑛人」
続けて、大鞍先輩が自身と瑛人を指で示した。
部室の鍵は全部で二本。その鍵の管理は週替わりの当番制で、この週の当番は大鞍先輩と瑛人の二人だったのだ。
その鍵当番については、朝は誰よりも早く登校し、帰りは誰よりも遅く残り、部室の鍵を開け閉めすることが義務付けられていた。鍵が二本という都合上、二人いる鍵当番のどちらか一方が朝、他方が帰り際を担当する。
「朝の鍵開け担当は俺だったんだけど、自分の方が家が近いからって、大鞍先輩が代わってくれたんだ」
証言した瑛人は、エナメルバックを漁って鍵を取り出した。黒色の鈴と可愛いらしい犬のキーホルダーが取り付けられているから、それは部室の鍵で間違いなかった。落とした時にでも気付きやすいように、二本の鍵にはどちらにも鈴とキーホルダーが取り付けられていた。
「大鞍先輩が持ってる方の鍵も見せてください」
「それなら、ほら。アタシのは鍵穴に刺さったままになってる」
その発言に違わず、部室の扉には一本の鍵が刺さったままになっていた。でも、その鍵には一つだけ気になる点があった。――鈴がついていなかったのだ。
「鈴が無いようですけど、どうしたんですか?」
「……さあ? 昨日まではあったと思うけど、どこかに落としたっけな」
歯切れの悪い答えだ。ただ、失くしたということなら、これ以上の有益な答えは得られそうにない。
「質問を変えますね。大鞍先輩の次に来たのは誰ですか?」
「それは健介だね。次って言うより、校門で会ったから一緒に部室まで来てた」
健介というのは、二年生の
名前を呼ばれたせいか、山田先輩は欠伸をしながら前に出て、易々と言い切った。
「大鞍先輩が開けるまで部室はロックされていた。俺も大鞍先輩も確認したから、それは間違いねぇ。部室への出入りと施錠ができる奴、つまりは部室の鍵を持ってる奴が犯人だ」
「大鞍先輩と瑛人が怪しいってことですね」
尋ねると、彼は舌打ちを繰り出した。
「それは違ぇな。大鞍先輩には部室を荒らす理由なんてねぇだろうから、犯人は木村で決まりだ。木村の道具だけが無事なのも、そう考えれば辻褄が合うしな」
それは流石に暴論だった。何の証拠も無く、彼の好みで判断しているだけだった。
「瑛人には部室を荒らす理由があると?」
「そいつ、部内で浮いてんだろ。同期が気に食わなかったんじゃねぇの」
「瑛人が犯人なら、恨まれてるのは上級生だ。一年生を狙ったのはおかしい」とでも言い返したかったのだけれど、僕にはそれを声にするだけの勇気がなかった。
山田先輩は、瑛人を嫌っていた上級生の一人。それも主犯格の一人。言い返したところで、瑛人への八つ当たりが悪化するだけだと思った。
そんな僕の不満は、表情や目付きに表れていたらしく、山田先輩が再び舌打ちをした。
「不服なら、さっさと手掛かりでも見つけてみせろ。それが無理なら犯人は木村だ」
「瑛人は犯人じゃありません」
「そんな答えは求めてねぇんだって」
不意に山田先輩から鳩尾を押されたことでバランスを崩した僕は、そのまま地面に倒れ込んだ。
大鞍先輩が山田先輩を厳しく叱ってくれたけど、本人は冗談だと笑うだけだった。特に気にした様子もなく、「監督が来るまで、もう五分もないな」などと言ってのける。
五分以内に手掛かりを見つけられなければ犯人は瑛人だと、そういうことにするつもりだと、そう言っているのだと思った。どうにも好きになれない人だと改めて思った。
――でも、そんな彼のお陰で、僕は重大な手掛かりを見つけることができた。倒れた際、ほとんど中に入っているような距離まで部室の入り口に近付いたから、それを見つけることができたのだ。
それは鈴。部室の鍵についていたであろう黒い鈴だった。部室の中央付近、それもグローブの残骸の上に、その鈴が落ちているのを発見したのだ。
鈴の色が周囲の残骸と被っていたせいで、よく見なければ気付かなかった。これが部室の中に落ちている。それもグローブの上に落ちている。
つまり――。僕は全てを理解した。僕のやるべきことは一つだと悟った。覚悟した。
だから、犯人は大鞍先輩だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます