第14話

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「頭、大丈夫ですか?」

「へ? 私にお馬鹿って言ってる? とってもショック!」

「違います。そういう意味じゃありません」


 生徒会との迷惑な争いを微妙な空気感で切り抜けて、午後の授業まで耐え抜いた放課後。僕は部室の扉を開けるや否や、美月先輩に問い掛けた。

 部活に参加したくて、自ら進んで新聞部の部室にやって来たのではない。ただ、一応は知っておきたかっただけだ。

 昼休み、無益な対決が終わった直後、彼女は逃げるようして教室へ戻ってしまった。つまり、あの暴力の経緯も、その後の経過も、僕は何も知らないのだ。


「うーん。頭を心配されることか……。何かあったっけ?」

「昼休みですよ」


 無秩序に並べられた椅子に腰を掛けて市販の小粒チョコレートをつついていた彼女は、その手を止めつつキョトンとした表情で此方を見据えている。


「ほら。火之上先輩から頭を叩かれてたじゃないですか」

「あ、なんだあ! あれくらいなら全然平気! 心配してくれてありがとねっ」


 彼女は自らの後頭部を触りながら、幸せそうなくらいに明るく笑う。でも、簡単に大丈夫だと言われても、「はい。そうですか」と返すことはできない。


「あれくらいって言いますけど、あれは普通に暴力でした。火之上先輩に文句の一つでも言ってやりましたか?」

「大袈裟だなあ。いつものことだから、別にいいの。陽太くんは気にしないで」


 ――いつものこと。それは、いつも火之上先輩から叩かれている。そして、叩かれ慣れているのだと理解していいのだろうか。

 窓際の机では、火之上先輩がワイヤレスのイヤホンで音楽か何かを聴きながら、ノートパソコンをいじっている。昨日もあの場所に座っていた覚えがあるから、あそこが彼の定位置なのだろう。

 僕が彼を睨んだことに気付いたらしく、美月先輩は慌てた様子で言った。


「普段から暴力を振るわれてるっていう意味じゃないからねっ! ただ、私が言わなくても良いことを言いそうになったときは、いつも止めてもらってるの」

「話が掴めません」

「……そうだよね」


 彼女は火之上先輩の方を一瞥して、こちらに関心が無いことを確認するような動作をとった後、恐るおそる続けてくれた。


「今考えると、あれは私のミス。だから、火之上くんは私を止めてくれたんだと思う。あの場で『金城ちゃんには同席者への好意があった』なんて断言したら、私は金城ちゃんを傷つけていたよね」

「それはまあ……否定できません」


 金城さんが昼食を共にしていた人物は、二年四組で体育祭実行委員を務める男子生徒。それが分かった状態で、『金城さんはその男子生徒に好意を抱いている』という論理的な推理を披露してしまえば、少なからず彼女を傷付ける結果になっていただろう。二人が既に交際関係にあり、その恋心を周囲に知られたところで気にも留めないという可能性も当然ながら存在する。ただ、その可否を瞬時に確認できない状況では、最低限の配慮が必要だった。

 恋愛に耐性のある強者か無頓着なお馬鹿でもない限り、意中の相手を大勢に知られるなんて耐えられないだろう。少なくとも、僕なら耐えられないと思う。


「ちょっとだけ、自分語りをしてもいい?」

「どうぞ」


 僕が頷くと、彼女は机上の個包装されたチョコレートをつまみ上げた。包装紙の端を持って無意味にクルクルと回す。


「私さ、昔からこうなんだ。推理で答えに辿り着いた途端、周りの迷惑なんて考えずに突っ走ってしまう。悦に浸って、推論を披露することだけに集中してしまう。誰かを傷付けしまうかもっていう配慮ができなくなってしまう。綾乃あやの――」


 彼女はその発言を取り消すように首を振って、言いにくいことを噛みちぎるように、無理に吐き出すように別の言葉を発する。


「推理に夢中になりすぎたせいで、大切な友達を傷つけてしまったことがあるんだ。取り返しがつかないくらいに傷つけた。だから、暴力的にでも止めてもらえることは嬉しいし、火之上くんに叩かれるのは仕方がないと思ってる。彼にはその権利がある」


 言い終えた美月先輩の瞳には光が無い。それが比喩とも言い難いほど、彼女の目には力が宿っていなかった。


「観察力がポンコツなのに、昔から推理はできてたんですね」

「あははっ。突っ込むところそこ?」


 僕の精一杯のボケに、彼女は笑っくれている。でも、それらしく無理に笑ってくれているだけだ。それが痛々しくて見ていられない。


「中学三年生の途中までは、私も自分の観察力に自信があったんだよ」

「冗談ですよね?」

「おおまじめ」

「だったら、どうして今は――」

「ごめんね」


 彼女が悲しそうで、辛そうで、僕は声が出なかった。出せなかった。

 彼女は僕に目を向けずに言う。彼女が僕と話す時に目を見てくれなかったのは、これが初めてだった。


「陽太くんは、謎解きなんて嫌いなんだよね?」

「もちろんです」

「だったら、今の話は忘れてほしいな。謎解きが嫌いなら、分からないままにしておいてほしい」

「……そうですね。美月先輩が隠したいと思うなら、それを解き明かしたりはしません」

「ふふ。ありがと。優しいね」


 彼女は気持ちをリセットするかのように、ふーっと深い息を吐く。

 そして、チョコレートを口に運んで味を確かめるかの如くギュッと目を瞑ってから、弾け飛びそうな笑顔を作る。


「私は陽太くんのことが知りたいなっ!」

「僕ですか? 僕は別に隠し事なんて――」

「陽太くんが『謎解きなんて嫌い』って思うようになった理由が知りたいの! 教えてっ!」


 予想外のカウンターだった。


「それは僕も嫌です」

「私は謎解きが好きだから、陽太くんの過去を推理するよぉ」

「僕の優しさを返してください」

「ざんねん! 返品不可っ!」


 それから彼女は、僕の過去について考えているかのような素振りを見せつけてきた。でも、いつものように苦しそうな奇行を披露しているわけではないから、おそらく推理モードには入っていない。

 そして何でもない風に、何にもないように、惚けた声を発したのだ。


「なーんてね。実は私、もう知ってるんだ」


 時間が止まったのと思った。それほどまでに驚いた。


「――し、知ってるって、何をですか?」

「陽太くんが謎解きを嫌いになった理由。ついでに、先輩を嫌いになった理由だよ」


 僕は彼女の両肩を左右の手で掴んでいた。無意識だった。


「そんなのどうして――!」

大鞍おおくら先輩に聞いたから」

「なんで……、あの人に?」


 ――意味が分からない。


「なんでって、大鞍先輩も新聞部の部員だからだよ。色々聞いちゃった!」


 嘘だとしても、こんな嘘をつく理由がない。だからきっと、これは事実だ。でも、受け入れられない。だからこそ、受け入れ難い。


「ほら。先週の金曜日、陽太くんをこの部室に連れてきたとき、なにか不自然に感じなかった?」

「……そういえば、火之上先輩が僕のことを知っていました」

「大正解っ! 大鞍先輩から陽太くんのことを聞かされてたから、私たちは陽太くんのことを知ってたの。入部テストを解いても解かなくても、私たちの方から君を勧誘するつもりだった」


 そうだ。最悪だ。初めて会ったとき、火之上先輩は僕のことを知っていた。僕の顔と名前を知っていた。

 彼のふざけたペースに飲まれて、その不信感を放棄していた。考えても無意味だと思い込んでいた。部長を務めているのが二年生の火之上先輩だったから、三年生の大鞍先輩が新聞部にいるはずないと……。そんなふうに高を括ってしまっていた。

 疑うべきだった。もっと考えるべきだった。


「昨日は用事で居なかったけど、今日は来るんじゃないかな?」

「来るって、大鞍先輩が? ここにですか?」

「うんっ! ここに!」


 振り返ると、タイミングを合わせていたかのように、僕の背後から声がした。

 それは、僕が最も聞きたくなかった声だった。もっと避けていたい人だった。


「陽太じゃん! よっすー! めっちゃ久しぶり! 元気してた!?」


 底抜けに優しそうな瞳。男勝りで豪快な笑顔。ボーイッシュな黒髪と褐色の肌。向日葵のような人。僕の中学時代からの先輩――。

 そこに立っていたのは、大鞍真琴おおくら まこと先輩だ。


「みーちゃんの助手になったって聞いたよ。やっぱり、陽太って天才かよ!」


 大鞍先輩は僕の頭をポンポンと撫でる。でも、考えるよりも先に、僕はその場から逃げていた。呼び止めてくれる美月先輩の声を振り切って走っていた。

 彼女が関わっているのなら――、他でも無い大鞍先輩が関わっているのなら、あの新聞部に僕の居場所なんてない。あってはいけないのだから。

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