第13話
「推理の中心となるのは、金城ちゃんがストローを使っていなかった理由。そして、ストローの袋が二つある理由です」
鈴を転がしたような美月先輩の声。それは土生先輩に向けられている。
これは推理勝負だと言っていたから、美月先輩は自らの推理力を彼に見せつけてやるつもりなのだろう。
「金城ちゃんがストローを使っていなかったのは、なにかストローを使えなくなるようなトラブルが起こったからだと仮定して考えてみましたっ」
これまでの考察から、何かしらのトラブルが起きたことは間違い無い。それは明白なのだから、推理の前提としては妥当だ。
彼女はビシッと僕を指さして、授業中の教師よろしく問題を出す。
「では、陽太くんっ! ストローを使えなくなるようなトラブルってなんだと思う?」
それが分かれば苦労はしない。この謎解きの核心だ。僕に分かるなら美月先輩の推理は要らない。
「僕には分かりません」
「それじゃあ、金城ちゃんが二人掛けのテーブルに座っていた理由はなんだと思う?」
「……それも分かりません」
厳密には、全く分からないというわけでもない。でも、最終的な答えには結び付かないという意味で、僕は首を横に振ってみせた。自信満々の美月先輩に任せるべきだと思ったのだ。
彼女は掛けてもいない眼鏡をクイッと動かすような動作で教師感を演出し、またまた僕を指名する。
「ではでは! 金城ちゃんが抹茶オレを飲めていた理由はなんだと思う?」
「飲めていた理由?」
なんとも不自然な質問だ。
「分からないな。どういう意図の質問なんだい?」
僕と同じく疑問に思ったらしく、土生先輩も首を傾げていた。美月先輩は彼の方を見据え、「この食堂に来る前に」と前置きしてから言う。
「同じクラスの男の子たちが盛り上がってるのを聞いたんですけど、今日の分の抹茶オレはその男の子たちが全部買い占めたそうです」
「……つまり、二年四組の男子生徒でなければ抹茶オレを買うことはできなかったと言いたいんだね?」
確か、瑛人もそんな意味のことを言っていた。授業が早く終わった二年四組の生徒が買い占めたせいで、瑛人も抹茶オレにありつけなかった。
それならば、金城さんが抹茶オレを飲めていた理由なんて一つしかない。
「では、金城さんは抹茶オレを貰ったんでしょう」
「そう! 金城ちゃんは、私のクラスメイトの誰かから抹茶オレをもらったんだと思う」
しかし、抹茶オレが二年生から貰ったものだとしても、それとストローを使えなくなるようなトラブルが直結するとは思えない。少なくとも、僕には分からない。
「金城ちゃんは、二人掛けのテーブルに一人で座っていたわけじゃない。少し前まで、二年四組の誰かと一緒に食事をしていましたっ。その誰かが二人分の抹茶オレを買ってくれてて、その人から抹茶オレをもらった。そんなふうに推理できます」
「それなら、彼女と一緒に食事をしていた二年四組の男子生徒はどこへ?」
再び疑問を挟む土生先輩。対戦相手として謎解きに挑んでいるわけだから、疑問と言うより難癖だろうか。
本人どころか食器も見当たらないのだから、金城さんの相席者はトイレ等で席を外しているわけではないはずだ。昼食を共にしていたはずなのに、その二年生は金城さんだけを置いて食堂を離れたことになる。
その正当な理由とすれば――。
「ぴんぽんぱんぽーん」
壁際のスピーカーを指さして言い放つ美月先輩。瑛人のお陰で鮮明な記憶として残っている僕とは違い、彼女にとっては何気ないものだったはず。推理と無関係なら観察力にも問題は無いとのことだったから、そこは流石と拍手を送りたい。
土生先輩が降参というように息を吐いていた。
「なるほどね。僕としたことが、すっかり忘れていたよ」
示されたのは校内放送。先程のアナウンス。体育祭実行委員の呼び出しだ。
「金城ちゃんの同席者は、二年四組かつ体育祭実行委員会に所属する男子生徒。だから、アナウンスを聞いてこの場を離れたと考えられます。ここまで、なにか反論はありますか?」
「ないよ。素敵な推論だね」
「どうも! ここまできたら、ストローの袋が二本分あった理由は簡単です。一つは同席者が置き忘れていった物っ!」
土生先輩を煽っているようにも見えるのだけれど、彼女に限ってそれは無いだろう。単に無垢なだけだ。
続けて、彼女は簡単そうに言う。
「金城ちゃんの他に二年生の男子が居たとするなら、ストローを使えなくなるようなトラブルも見えてきますよねっ!」
いや、見えてこない。全くついていけない。
美月先輩は、「陽太くんは金城ちゃん、私は同席していた二年生男子の役ね」とだけ囁いて、両手にカップを持っているかのようなジェスチャーをした。楽しい楽しい寸劇の始まりだ。
「ようっ! おれは二年四組の男子生徒っ! 実は授業が早く終わったから抹茶オレを買えたんだっ! 二杯分あるから、片方は金城ちゃんにあげるよっ!」
笑えるくらいに棒読みの演技だった。そのまま彼女は右手を差し出して、想像上の抹茶オレを僕に押し付けてくる。僕はそれを受け取って、ありがとうございますと頭を下げる。おママごとに付き合わされている気分だ。
「ぴんぽんぱんぽーん。……あ、ごめん! アナウンスで呼び出されたから行ってくる!」
慌てる演技で辺りを見回し、僕が持っているふりをしている方の抹茶オレに顔を近づけると、美月先輩はチューっとストローを吸うようなアクションを起こした。
「おっと! 間違えて金城ちゃんの抹茶オレを飲んでしまった! こっちがおれのか。これ持って会議室に行くわ! それじゃ、また!」
一人称まで改めて二年生男子になりきっていた美月先輩は、ここまでの三文芝居で満足したらしい。
真面目な雰囲気で、僕の抹茶オレを見つめて言う。もちろん、現実には存在しないイマジナリー抹茶オレだ。
「残った抹茶オレは金城ちゃんのもの。でも、そのストローには二年生男子が口を付けてしまった。ほら、甘酸っぱいでしょ?」
彼女の言わんとしていることが、何となく分かってきた。
「――間接キスになるから、ストローを使わなかったということですか?」
「そうっ!」
間接キスを躊躇った結果、ストローを使わなかった。なんともピュアな理由に辿り着いたものだ。
「でも、間接キスなんて気にしますかね」
「えーっ! 陽太くんは気にしないの?」
「……それは、まあ、戸惑いますけど」
「ほらねっ!」
話に流されて、美月先輩の艶やかな唇に目を向けてしまったのが悪かった。質問が狡い。会話を続けておかないと、顔が赤くなってしまいそうだ。
「仮に間接キスだとしても、甘酸っぱいかどうかは微妙ですよね?」
「どうして?」
甘酸っぱい。それは恋をさすもので、その相手に好意を寄せていると解釈できる。答えが間接キスとしても、恋心の有無までは分からないはずだ。
「その同席者に恋愛感情を抱いているとは限りません。間接キスを拒みたいくらいに嫌いな人だったのかもしれないですよ」
「それはないと思う。この高校には、学食のジンク――、っい!」
――言葉の途中、バシンという音と共に、美月先輩の声が途切れた。彼女の髪は振り乱れ、勢いのままに前傾姿勢となる。それは、冗談やノリという単語では片付けられないくらいの一撃だ。
数瞬、僕にも何が起きたのか理解できなかった。美月先輩が後頭部を叩かれたのだと分かったのは、平手を振り下ろした火之上先輩の姿が見えたからだ。
彼は彼女の耳元で刺すように低い声を出す。
「こんな人混みの中で、後輩を晒し上げるつもりか? 意中の相手を公にされて、金城はさぞかし喜ぶだろうな」
「……ごめんなさい。私、また……」
それはあまりにも小さかったから、聞こえているのは当人たちと僕だけだろう。
美月先輩の推論に盛り上がりを見せていた観衆は、嘘のように静まり返っている。目の前で暴力が振るわれたのだから、こうなることも当たり前だ。
「なんで叩いたんですか。叩く必要ありましたか?」
「月島には関係ない」
僕に対する返答も、そういう具合に冷たいものだった。そして、僕が「大丈夫ですか」と声をかけても、水原先輩が保健室へ行くよう勧めても、美月先輩は悪いのは自分だからと気丈に振る舞うだけだった。火之上先輩が手を上げた理由は分からない。
それから彼は、少し怯えた様子の金城さんに近寄っていた。
「ストローを使わなかったのは、間接キスを躊躇ったからで間違い無いか?」
「……はい。恥ずかしながら、その通りです」
「別に恥ずかしがることじゃない。面倒に巻き込んで悪かったな。また後で、正式に謝罪させてくれ」
「いえ、そんな……」
会話を聞いているぶんには、いつも通りの火之上先輩だ。土生先輩に呼び出されたせいで機嫌が悪いようではあったけれど、それだけで暴力を振るうような人では無いと思う。
何か理由があるはずだ――。何かがあるはずだ――。
「謎は美月が解きました。こっちの勝ちですよね」
「そうだね。完敗だよ」
しかし、何事もなかったように会話を続ける火之上先輩。また、それに応える土生先輩。見ようによっては異常だ。異様だ。
「俺たちに難癖つけるのも、これで最後にしてもらえると助かるんですけど」
「それは君たちの態度次第かな。ボクはあくまでも、態度の悪い君たちへの制裁として勝負を吹っかけているんだからね」
「制裁? 嫌がらせの間違いでしょう」
「あははっ! おもしろい解釈だね」
それは威厳と言うべきか、偉容と言うべきか。僕は土生先輩に対して、畏怖にも近い感情を覚えた。そして、その感情は火之上先輩に対しても同じだ。謎にまみれた暴行で、後味の悪い謎解きになってしまった。
やっぱり、僕は謎解きなんて【嫌い】だ。
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