第三章:その抹茶オレは甘酸っぱい

第11話

「あれ? カツカレーだけ? 抹茶オレは?」


 盗撮騒動が片付いた後、僕は入部届なる物に名前を書かされた。つまり、晴れて新聞部の仲間入りを果たしてしまった。火之上先輩との約束だから、仕方のないことだとは理解している。それでも、勘弁してほしい。その元凶とも呼べる瑛人には責任を取ってほしい。

 だから、土日を挟んで月曜日。その昼休み。騒がしい学生食堂で、僕は瑛人に言ってやったのだ。

 あの入部テストに関わったせいで、僕は盗撮騒動の容疑をかけられた。部活動にまで参加する羽目になった。おかしな先輩たちと知り合ってしまった。こうなってしまっては、抹茶オレを出されたところで割には合わない。それなのに、その抹茶オレが無いとは何事か! 

 豪勢なカツカレーを前にして、これ以上を求めるのは欲張りなのかもしれない。でも、声を大にして言わせてもらう。さっさと抹茶オレを寄越せ。一つと言わず、買い占めるくらいの気概を見せろ。昼食と抹茶オレだけでは足りないくらいの不利益が生じているのだから。

 しかし、当の瑛人は口を尖らせて、不満そうに言葉を吐いたのだ。


「抜け駆けして音楽室に行っただろ。だから抹茶オレはなし」

「それはひどい。僕がヒントを出したら、昼食と抹茶オレを奢ってくれるっていう約束だった」

「飯は奢ったんだから文句言うなよ」


 僕が校庭ではなく音楽室に行ったこと。延いては新聞部に入部させられたことを伝えてから、瑛人はずっとこの調子だ。

 ただ、付き合いの長い僕からすれば、彼が本心としてに腹を立てているようには思えない。そういうノリとしか思えない。だから、僕は雑に尋ねた。


「それで? 抹茶オレがない本当の理由は?」

「二年四組なんだけど、四限目の授業が少し早めに終わっていたらしい」

「え?」

「そのクラスの先輩たちが、抹茶オレを全部買い占めていったそうだ」

「つまり?」

「抹茶オレは売り切れで買えなかった。本当にすみませんでした」


 あまりにも素直な謝罪に耐えられなくて、僕は即座に吹き出してしまった。数分前に抹茶オレを買うべく奔走する彼の必死な形相を見ていたからこそ、一層笑えて仕方がなかった。


「とりあえず、抹茶オレはまた今度ってことで勘弁してくれ。それより、どうなんだ? 新聞部の先輩方とは仲良くやっていけそうか?」

「どうだろうね。すぐにでも辞めるつもりだから」

「おいおい。それはさすがに勿体ないと思うぞ」

「……瑛人って、本当に新聞部に入りたかった?」

「おう。当たり前だろ」


 彼は誤魔化すようにスプーンを動かして、熱々のカレーを口一杯に詰め込んでいる。

 昨日、入部テストについて話している最中に、瑛人は僕からのヒントを遮った。強引に無視しようとしていた。本当に答えを知りたかったのなら、僕のヒントを最後まで詳しく聞いていたはずだ。自力で解きたかったのなら、僕にヒントをくれなんて言わないはずだ。途中で遮る理由なんて無い。

 あの時は深く考えなかったけれど、思い返してみれば瑛人の言動は不自然だった。


「ヨタは謎解きなんて嫌いなんだろ?」

「嫌いだよ」

「だったら、そんなに深く考えんな」 

「それもそうだね」


 僕は謎解きが【嫌い】だ。多少気になりはするけれど、わざわざ考えを巡らせるのは僕のモットーに反する。何か理由があるにしても、彼がそれを隠そうとするのなら、それは隠されたままでいい。隠されたままがいい。きっと、それでいい。僕が困るようなことにはなり得ない。


「そんなことより、この高校には恋愛に関するジンクスがいくつかあるらしいぞ。知ってるか?」


 彼は話題の変え方が下手くそだ。でも、それを指摘するのも無粋だろうと思ったから、僕は真顔を取り繕って答えた。


「知らない。恋愛のジンクスってことは、『何かをすれば恋が叶う』みたいな話だよね?」

「そんな感じ。女子の間では割と流行ってるみたいで、男子が知ってるのは相当珍しいってさ」

「それなら、その珍しいジンクスをどうして瑛人が知ってんの?」

「野球部の女子マネージャーからこっそり教えてもらったんだ。その中に学食でのジンクスもあってだな――」


 ちょいちょいと小さく手招きをされたから、僕は椅子から腰を浮かせて対面の瑛人へと耳を近付けた。


「学食で意中の相手から飲食物を奢ってもらう。そして、それを学食内で食べ切ることができれば、その相手との恋が実るらしい」

「……おっと。マーケティング戦略の匂いがするね」


 土用の丑の日に食べる鰻、ホワイトデーに贈るマシュマロ、日本でのジューンブライド。そのあたりに近しいものを感じる。恋に関するジンクスというより、学生食堂購買部による販売促進の一環なのではなかろうか。

 でも、そのジンクスに『奢ってもらった飲食物』という条件があったから、女子生徒の間だけで流行っているという点には頷けた。男子生徒にまでそのジンクスが共有されてしまったなら、女子生徒が意中の相手から奢ってもらい難くなるからだ。恋愛云々の噂話は男子より女子の中で盛り上がりやすい傾向にあるとも思うから、その性質も手伝った結果として女子の間だけで広まっているのかもしれない。

 いずれにしても、食事を奢られるだけで恋が叶うなんて突飛な因果関係だと思ってしまう。所詮、ジンクスはジンクスでしかないのだろう。

 解散という具合にヒラヒラと手を振ってやると、僕の前に置かれたカツカレーを見据える瑛人。


「ところで、ヨタが食ってるのは俺が奢ったカツカレーだよな?」

「そうだね」

「なんか照れるな」

「……ちょっと待って。変な感じにしないで」


 彼は、してやったりという顔で笑っている。同性愛自体を否定する意図は無いけれど、僕と瑛人は断じてそういった関係ではない。

 それから、そんな具合に大した意義も無い馬鹿話を続けること五分。僕のカツカレーが残り一口になったタイミングで、その場に長ったらしい校内放送が聞こえてきた。おおまかには、『体育祭実行委員会に所属する生徒は、特別棟一階の会議室に集まれ』というような内容だ。

 瑛人は皿に残った白米を口に押し込んで、緑茶をがぶがぶと飲みながら立ち上がる。


「呼ばれたから、ちょっと行ってくる」

「体育祭の実行委員なんてやってたっけ?」

「一応な。内申点が良くなるって勧められたんだ」

「僕以外にも色々な子に手を出してるんだね」

「気持ち悪い言い方すんなよ」


 そのまま彼は「俺の分の食器も片付けといてくれ」とだけ言い残して、僕の返事も聞かずに行ってしまった。返却カウンターに皿やグラスを持って行くだけだから、片付けをするのは別にいい。

 ただ、相変わらず忙しない奴だと思って彼が走って行った方向に視線をやると、見知った美少女と目が合ってしまった。

 僕は反射的に顔を伏せる。先週の金曜日に続いてこの昼休みまでも、彼女たちに荒らされては堪らない。

 ――しかし。


「陽太くんだ! やっほー!」


 咄嗟の回避も虚しく、僕の耳には麗しい声が入り込んできた。そこに居たのは新聞部の先輩二人。美月先輩と火之上先輩だったのだ。

 僕は観念して顔を上げ、最低限の挨拶を返した。


「美月先輩、こんにちは」

「すごい偶然だねっ! こんな所で会うなんて、とっても運命的!」

「偶然なのか運命なのか、どっちかにして下さい」


 彼女は冗談といった具合に笑ってみせている。それは相変わらずに可愛らしい。でも、彼女のポンコツ具合を知っている僕からすれば、今のが本当に冗談だったのかは少し疑しいところだ。


「いつも学食でお昼食べてるのっ?」

「いえ、今日が初めてです」

「そうなんだっ! うちの学食ってとっても美味しいでしょ! 特にご飯物は最高だよ! 私のオススメは苺大福!」

「苺大福をご飯物としてカウントしてるんですか?」

「もちろん! 原料はお米だからねっ!」

「思考回路バグってますね」

「えーっ! ひどいっ!」

「おい。無駄話は後でいい。月島も同席しろ」


 火之上先輩の声によって、僕と美月先輩の楽しい楽しい会話が遮られる。会話の隙を見て逃げようと企んでいたのだけれど、そう上手くはいかなかった。

 今日の火之上先輩はどこか苛ついているようにも見えるから、あまり関わり合いになりたくない。それに、同席しろと言われても困ってしまう。


「すみません。僕はもう食べ終わりました」

「飯じゃない。面倒くさい奴らから、うちの部について話があると呼び出されたんだ。お前も一緒に来い」


 それから彼は顎をクイッと動かして、二十メートルほど離れた場所にある二人掛けテーブルを雑に示していた。

 そこに確認できたのは、眩しいくらいに煌びやかな男女二人組。彼らは既に昼食を終えているらしく、食器を返却するべく椅子から立ち上がっているところ。

 僕のことなんて知られてはいないだろうけど、僕は一方的かつ部分的に彼らを知っている。その記憶が確かなら――。


「あの二人って、生徒会長と副会長ですよね?」

「おう。なんで知ってる?」

「入学式のとき、壇上で挨拶してました」

「よく覚えてんな」

「うろ覚えですけど」


 僕は在校生代表として挨拶をする彼らを遠目に眺めていた訳で、流石に名前までは覚えてきれていない。でも、妙に絵になる人たちだったから、その外見だけは何となく記憶に残っていた。二人とも見るからに優等生という佇まいで、人混みの中でも良い意味でよく目立つ。


「あっ! こっちに気付いたみたいだねっ!」


 美月先輩の実況通り、先の二人は食器を片付けた後、ゆっくりとした足取りでこちらへ向かって来ていた。

 そして、そのうちの片方。

 髪型や表情を含め、外見の全てがふんわりとした雰囲気を纏う長身の男子生徒。笑顔の似合う爽やかな生徒会長がわざわざ火之上先輩の顔を覗き込んで、煽るように言ったのだ


「やあ、火之上くん。ご機嫌斜めみたいだね」

「折角の休み時間を潰されたんですから、そりゃ腹も立ちますよ」

「あははっ。それはごめんよ。ボクらも色々と忙しくて、お昼休みくらいしか時間が取れなかったんだ」


 途中、火之上先輩は周囲を見回して、一段と荒っぽく言った。


「なんで学食なんですか? 話をするくらい生徒会室でも良かったでしょうに」

「他の生徒にも、キミたちがお説教を受けている姿を見せてあげようと思ってね。学食なら人も多いし、うってつけの場所だと思わないかい?」

「相変わらず、良い性格してますね」 

「それはお互い様だよ」


 生徒会長はニコッと微笑んでから僕の前まで来ると、「月島くんか」とだけ囁いた。

 その後、ゴホンと咳払いをしつつ笑みを深め、頼んでもいない自己紹介を始めてしまう。僕の方も自己紹介を返さなければいけなくなるから、こういう流れは少し苦手だ。


「初めまして。ボクは三年の土生奏多はぶ かなた。この高校の生徒会長だよ。よろしくね」


 この辺りでは割りと珍しい名字だから、盗撮騒動で耳にした土生という三年生は彼のことなのではなかろうか。教員から絶大な信頼を得ていた点も、その肩書きが生徒会長であるなら納得できる。


「――えっと、月島陽太です。よろしくお願いします」

「うん。こちらは二年生の水原玲香みずはら れいかちゃん。生徒会の副会長だよ。仲良くしてあげてね」


 土生先輩は隣の女子生徒を手で示している。

 黒髪長髪で切長の目。上品な立ち姿。火之上先輩や美月先輩と同い年だとは思えないくらいに大人っぽい女子生徒。でも、そんな水原先輩は特にリアクションを示さず、僕からプイッと視線を逸らして火之上先輩に詰め寄ってしまった。典型的に僕の嫌いなタイプかもしれない。

 彼女は、今にも火之上先輩にぶつかりそうな距離で声を荒げる。


「火之上君! また問題を起こしたそうじゃない!」

「何の話だよ」

「先週の話よ! 体育科の末広先生から、新聞部が学校のトラブルに介入してきたと聞いた」

「ただの取材だ。新聞部の活動にケチをつけるのはやめてくれ」

「ケチ? 私は説教をしているんだけど?」

「もっと勘弁だっての。そもそも、俺たちはトラブルってやつを解決してやっただけだ。むしろ感謝される立場だろ」

「そんなわけないでしょ!」

「そんなわけあるね。もし俺たちに非があるのなら、教師から呼び出されて説教を受けてるはずだ。そうなっていないのは、末広先生も内心じゃ俺たちに感謝してるってこと。部外者の生徒会ごときが難癖つけんなよ」


 外見的にも役職的も目立つ人たちが集まってしまっているせいか、周囲のテーブルで食事中の生徒たち数十名から熱い視線を感じる。

 そこに大きめの声で言葉を加えたのは土生先輩だ。おそらくは周囲の視線を把握した上での声量だったと思う。


「学校に関するトラブルを解決するのは、あくまでも先生方のお仕事だよ。キミらの出る幕じゃない。キミたちが問題を起こす度、新聞部をどうにかしろって僕たちがお叱りを受けるんだ。少しは自重してもらえないかな?」

「無理ですね。それに、教師より俺たちの方が役に立ってると思いますけど」

「言葉には気をつけようか。いつも言ってある通り、生徒会には部活動の予算を管理する権限がある。この意味、分かるよね?」

「下手な脅しなら他所でやって下さい。こっちこそ何度も言ってますけど、美月の能力は役に立つ。うちの部をどうこうしようなんて、それこそ学校にとって不利益でしかないでしょう」


 堂々と言い放たれた言葉に、土生先輩は吹き出していた。


「あははっ。そこまで言うなら、お得意の推理でボクと勝負しないかい?」


 推理で勝負とは脈絡の無い話だ。


「キミらの推理ってやつが本当に優秀なら、学校にとって有意義な部活と言えるかもしれない。でも、僕に負ける程度じゃ話にならない」

「まったく。例の推理勝負ですか」


 諦めを含めてか、火之上先輩がお手本のような溜息を吐く。

 彼の口ぶりから察するに、土生先輩が推理勝負とやらを仕掛けてくるのは珍しいことでも無いらしい。

 水原先輩の方は呆れ顔だったから、土生先輩の個人的な挑戦なのだろうか。もしそうなら、土生先輩は推理で美月先輩を圧倒するつもりなのだろう。そして、新聞部の無能さを周囲の生徒に見せ付けるつもりなのだろう。つまりは悪趣味な見せしめだ。


「どうする? やるかい?」

「こっちが勝ったら、もう俺たちに絡むのはやめて下さい。それならやってもいい」

「それは保留かな。ボクが唸るくらいの良問を出してくれたら、考えてあげなくもないよ」


 そして、火之上先輩はなぜか僕の頭を軽く叩いてきた。


「月島、お前が問題を出せ」


 予想外の命令だ。


「え? 普通に無理です」

「黙って従えロリコン盗撮犯」

「僕はロリコンでも盗撮犯でもありません。それに、推理の問題なんて簡単には思い付きませんよ」


 敢えて謎を作ろうだなんて、僕は生まれてこの方一度も思ったことがない。

 昨日の入部テストから考えても、それには僕よりも火之上先輩の方が適任のはずだ。


「なんでもいいんだよ。目敏いお前が不自然だと思ったことを挙げれば、それだけで立派な謎になる」

「なりません」

「なるさ。いいから謎を出せ」

「……」

「おい。早くしろ」

「……。――それならテキトーに」


 火之上先輩の言いなりになっているみたいで気にくわないけれど、どう足掻いても彼からは逃れられない気がした。僕は渋々、と言うより投げやりに、三つ隣の二人掛けテーブル席を指し示した。

 すると、その席に一人で座っていた女子生徒は「ふぇっ」と驚いた声を漏らして、分かりやすいほどに目を丸くしていた。そのまま手に持つドリンクカップをテーブルに置いて、痛めそうなくらいの角度に首を傾げている。異様に目立つ謎の集団から指名され、その会話の中心に引っ張り込まれたのだ。彼女が困惑するのも無理は無い。そして、途轍もなく申し訳ない。でも、僕の方にも逃げ道なんて見当たらないから、そのまま話し続ける他なかった。


「彼女は、カップに口を付けてドリンクを飲んでいました。個包装のストローが開封されているのにも関わらず、そのストローをずっと使っていない。使おうとしていない。僕にはそれが不自然に思えます」


 土生先輩が火之上先輩に話し掛けたあたりから、僕はその女子生徒の行動が何となく気になっていたのだ。

 面識の無い同期生。喧騒のせいで会話すら聞き取り難い距離。面白半分に盛り上がるギャラリー。そんな状況にも関わらず、ストローというどうでも良い代物に目が行ってしまうのは、僕の無駄に鋭敏な観察力のせいだろうか。我ながら細かいことに気が付き過ぎて、少し気持ち悪いとは思う。他の面々も、そんな反応だった。

 ただ、僕の隣に佇む美月先輩だけは、大きな瞳をキラキラと輝かせていた。

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