第二章:それは最悪のタイミング

第7話

 特別棟一階に扉を構える生徒指導室。個人的には職員室以上に足を踏み入れたくない場所だ。生徒を指導するために作られた部屋なんて悍ましいにも程がある。大袈裟に言えば気味が悪い。


「失礼します」


 僕たちの先頭に立つ火之上先輩がノックを済ませた後、それに対する返事を確認すると共に扉を開けていた。そうして開けた視界の先では、制服姿の女子生徒が椅子に座っていた。そして、その女子生徒と長机を挟んで向かい合う形で、教師らしき細身の女性もパイプ椅子に腰を掛けていた。

 生憎、僕はその女性教諭を知らない。でも、年齢は二十代後半で女子バレー部の顧問。授業としては女子体育が専門の末広瞳すえひろ ひとみという先生らしい。僕の隣に立つ美月先輩が気を利かせて、そんなことをそっと耳打ちしてくれたのだ。

 「怖い先生なんですか」と囁き声を返していると、僕の心構えなんて御構い無しの火之上先輩が会話を始めてしまう。


「末広先生、ご無沙汰してます。ご所望の月島陽太を連れてきました。ついでに、取材をさせて頂けると嬉しいです」

「なぜ火之上君が連れてきたのかは気になるけど、一先ずはご苦労様。それと、月島君には少しデリケートな質問をすることになる」

「――つまり?」

「取材はお断りよ。部外者はすぐに出て行きなさい」


 先生の返答は、そんな具合で嫌に威圧的だった。

 火之上先輩が悪足掻きのように言う。


「デリケートな質問って、『お前は盗撮犯か』とでも聞くおつもりですか? 月島が盗撮犯だとしても、そう簡単には自白しないと思いますけど」

「ちょっと待ちなさい。どうして盗撮のことを知っているのかしら?」

「それは企業秘密です」


 そして、盛大な溜め息と共に項垂うなだれる末広先生。


「バレー部の誰かが漏らしたのね」

「どうでしょう。噂なんてどこからでも広まりますからね」

「……何にせよ、貴方たちには関係ありません。早く退室しなさい」


 僕にとっては有り難いことなのだけれど、末広先生には取り付く島がなさそうだ。それを察して目標を切り替えたらしい火之上先輩は、先生の向かい側に座る女子生徒の方を見据えている。

 その女子生徒は首が落ちそうなくらいの角度で俯いているため、カーテンのように垂れた長い黒髪が顔全体を覆っていた。失礼なのかもしれないけれど、シルエットだけ見ればホラーゲームに出てきそうだ。胸元のリボンは緑色だから、彼女が三年生であることは間違いない。でも、髪のせいで表情どころか顔の輪郭すら分からない。


「どうも。新聞部部長の火之上佐介です。盗撮なんて辛かったでしょう。心中お察しします」


 先輩が呼び掛けても、女子生徒からの反応はなかった。

 先程、末広先生の口から『部外者は出て行きなさい』という言葉が出ていた。つまり、退室を要求されない彼女については、盗撮事件の当事者だと考えられる。そうなると、最も可能性が高いのは盗撮事件の被害者だ。言葉の内容から察するに、火之上先輩もそれに気が付いたからこそ、説得のターゲットを彼女に変更したのだろう。


八重樫杏奈やえがし あんな先輩ですよね。どうですか? 盗撮犯を捕まえてやりたいとは思いませんか? 俺たち新聞部に任せて頂ければ、必ず盗撮犯を捕まえてみせます。貴女の前で土下座でも何でもさせてやりますよ」


 都合の良いことに、火之上先輩はその女子生徒の名前を知っていたらしい。全校生徒の個人情報を全て暗記しているとうそぶくだけのことはある。

 名前を呼ばれた八重樫杏奈先輩は少し驚いた様子であたふたと手を動かした後、のっそりと顔を上げていた。


「……犯人なら、その人だと思います」


 真っ直ぐにさされた細い指。その先端は、僕の心臓を貫ぬくようにこちらへ向けられている。

 寝耳に水とはこのことだ。僕は盗撮なんてやっていない。

 僕が否定を兼ねて悪態でも突いてやろうと息を吸った矢先、先生が注意を添えてくれた。


「八重樫さん。決め付けは良くないわ。火之上君たちが退室したら、月島君からもちゃんと話を聞きましょう」


 直後、不謹慎な笑い顔を晒した火之上先輩が僕の耳元で囁く。


「月島。どうするんだ?」

「はい?」

「断言するが、このままだとお前は盗撮犯として処罰を受ける。良くて停学、悪いと退学ってところだろうな。本当におめでとう」

「何もおめでたくないですよ! 僕は盗撮なんてやってません!」

「そうはしゃぐなって。お前が無実を主張するなら、美月に真犯人を探させてやってもいい」

「本当ですか? それはありがとうございます。助かります!」


 味方がいてくれるだけで、幾らか心が休まるような気がする。ただ――。


「その代わり容疑が晴れたなら、お前には美月の助手として新聞部に入ってもらう」

「……人の弱みに付け込むのがお上手ですね」


 八重樫先輩や末広先生の言動から察すると、僕に盗撮の容疑がかけられているという話は事実らしい。だから、新聞部のお二人が僕の無実を証明してくれるなら有難い。有難いけれども、火之上先輩と美月先輩のお世話にはなりたくない。年上である彼らに頼りたくはない。人気者である美月先輩の助手なんて、色んな意味で気疲れするに決まっている。ぜひとも遠慮させて頂きたい。

 僕は、高校生活始まって以来の分岐点に立たされているのだ。始まって一週間の高校生活にしては、随分と物騒な分岐点が用意されていたものだ。


「盗撮犯として退学になるのがいいか、新聞部員として美月の助手になるのがいいか。デッド・オア・アライブだ。よく考えて選べ」

「デッド・アンド・デットなんですけど」


 どちらも避けて通りたい。でも、入学早々退学なんて冗談ではない。僕に与えられた選択肢なんて、あってないようなものではないか。


「――嫌々ながら、本当に嫌々ながら、新聞部に入ります」

「何だって? 聞こえないぞ。それが人にものを頼むような態度か?」


 僕なりに捻り出した声だった。ただ、それだけでは火之上先輩は許してくれなかった。本当に意地の悪い人だ。不本意でしかないけれど、今は先輩方に頼る他ない。頼る他に道はないけれど、頼みたくはない。

 色々と考えながら頭を下げたため、動きや言葉がカクカクしたものになっていたと思う。


「僕を新聞部に入れて下さい。盗撮犯を突き止めて下さい。お願いします」

「そうか、そうか。そんなにうちに入りたかったか。もし約束を破ったら、校内新聞に有る事無い事書きたくってやるからな。覚悟しとけよ」


 この枢木高校で、彼らの書く新聞がどれ程の影響力を持っているかは分からない。分からないからこそ怖い。脅迫罪か何かで訴えてやれないだろうか。

 火之上先輩は僕の頭をくしゃくしゃと撫で、「意地悪を言って悪いな」とニンマリ顔で形式的な謝罪を口にした後、再び八重樫先輩に声を向けた。


「月島が盗撮なんてやらかすとは思えません。そこで、被害者である八重樫先輩に改めてお願いです。俺たちに、盗撮事件に関する詳しい状況を話して頂けませんか?」

「……そんなの――」

「真犯人を捕まえるべきです。貴方にやましい事が無ければ、その状況を話すなんて大したことではないはずです。貴方にとっては、月島を犯人だと証明する絶好の機会になります。拒否する理由はないと思いますが、いかがでしょうか?」


 軽さが捨て去られた鋭いトーンの声。

 八重樫先輩は少し間を空けて自らの足先でも見るかのように俯き直した後、静かにゆっくりと頷いていた。火之上先輩の圧に負けて、仕方無しに折れてくれたようだ。


「末広先生も宜しいですよね? 反対されたところで、後から個人的に聞き出しますけど」


 分かりやすく頭を抱えている末広先生。

 後から聞き出すことが確定しているのなら、せめて自分が同席している場で話が展開される方がいい。彼に任せていたら、どんな悪い方向に話が進んでいくか分からない。そんなふうにでも思ったのだろうか。


「……月島君から話を聞いて、その内容を十七時までには校長先生へ報告することになっているわ。だから、それまでなら良しとしましょう」


 腕を組んで唸りながら返された末広先生の言葉から、それが気が進まないと感じた上での致し方ない許可だったことが窺える。


「ありがとうございますっ! 盗撮なんて女の子の敵ですっ! 私が絶対に捕まえてみせます!」


 火之上先輩と入れ替わるようにして、美月先輩が声を返していた。そのまま八重樫先輩の隣に駆け寄った彼女は、場違いと思えるほどに明るい口調で言い放った。


「二年四組の日野美月です。みーちゃんって呼んでくださいっ! 呼び方が分からないと不便なので、まずは先輩のお名前もお聞きしてよろしいですかっ?」


 彼女は真面目に尋ねているらしい。最早、素晴らしい。

 僕は呆れ顔を隠さずに言ってやった。


「彼女は八重樫杏奈先輩ですよ」

「へっ? 陽太くん、すごい! どうして知ってるの?」

「火之上先輩がそう呼んでいました」

「よく聞いてたね! ナイス観察力! それでこそ私の助手だよ!」


 褒められる程の手柄ではない。

 一応はポンコツを晒して恥ずかしかったのか、コホンという咳払いがあってから質問が続けられた。


「改めまして、八重樫先輩。盗撮犯を目撃した際の詳しい状況を教えて下さいっ」

「……盗撮に気付いたのは、更衣室で練習着に着替えていた時です。バレー部の更衣室は人通りの少ない校舎裏に面しているので、以前から少し不安に思ってはいたんです。カーテンが縒れて五センチほどの隙間ができていて、そこから覗かれていました」

「カーテンの隙間からってことは、その盗撮犯は窓の向こう側にいたんですかっ?」

「……? ……そうですけど」

「窓の向こう側っていうのは建物の外ですか? それとも廊下ですか? この学校には、廊下側に窓がある部屋もたくさんありますよねっ」


 美月先輩が発したそれらの質問は、少し的外れなものだった。理解力の低い質問だった。カーテンの隙間から覗かれていたと言うからには、一般的に考えると盗撮犯がいたのは窓の向こう側だろう。そして、八重樫先輩は校舎裏について言及していたのだから、盗撮犯が覗いていたのは校舎裏に面した窓からだと考えるのが妥当だ。つまり、盗撮犯は校舎裏から――、特別棟校舎の外部から窓を介して更衣室内を覗いていたと考えるのが普通だ。推理を始めると観察力や読解力が低下するらしい美月先輩には、そのあたりのことが理解できなかったのだろう。

 八重樫先輩も困惑気味に答えている。

 

「……窓の向こうは建物の外です。廊下側の窓ではなく、校舎裏に面した窓から覗かれていました」

「なるほどっ! その盗撮犯について、何か覚えている特徴などはありませんか?」

「……強いて言うなら、制服を着て赤いネクタイを締めていました。ただ、さっきも言いましたけど、私は盗撮犯の顔を見ています」

「それってほんとですか!? どんな人でした!?」

「……更衣室を覗いていたのは彼だと思います。手にはスマートフォンを持っていたので、盗撮をしていたことも間違いありません」

「あ、なるほどっ! それで陽太くんが容疑者なんですねっ!」


 八重樫先輩の指先は、確かに僕を指し示している。ただ、このくだりは二回目だ。美月先輩のせいで聞き込みが二度手間になっている。

 何度指をさされたところで、僕は絶対に盗撮犯ではない。他人の空似だ。八重樫先輩の見間違いに決まっている。声を大にして言ってやりたい。文句を垂れ流したい。

 ――ただ、僕は八重樫先輩の証言にの違和感を覚えてしまった。だから、いち早くその違和感を潰しておくために、一先ずは文句を飲み込んだのだ。


「失礼ですが、僕と八重樫先輩は初対面ですよね?」

「……いえ、二度目です。今お話したい通り、私は更衣室の窓越しに貴方の顔を見ていますから」


 真顔で返されてしまった。そういう意味で聞いたのではない。


「すみません。聞き方を間違えました。八重樫先輩と僕に直接的な面識はありませんよね。仮に、あくまでも仮にですけど、僕が本当に盗撮をしていたとしても、その時点で八重樫先輩は僕の名前を知らなかったはずですよね?」

「……そうですね。知りませんでした」

「では、どうやって僕の名前を調べたんですか? 僕がこの部屋に来たのは、校内放送で名前を呼ばれたからです。僕と面識の無い八重樫先輩は、僕の顔を見たとしても僕を名指しで呼び出すことなんてできないはずです」


 僕が覚えた違和感の一つは、僕の名前が知られていたこと。その他の違和感の正体については自分でもよく分からないのだけれど、僕の名前が知られていた点だけは明確に不自然だと言える。

 僕と八重樫先輩に面識はない。つまり、八重樫先輩が僕の顔から僕の名前に辿り着くことは容易ではないはずなのだ。

 例の校内放送では、名前だけでなくクラスまでもが呼ばれていた覚えがある。どこから僕の名前やクラスが割れたのだろうか。

 八重樫先輩が助けを求めるように末広先生に視線を向けたからか、その違和感には末広先生が答えをくれた。


「佐伯先生の証言で、疑わしい生徒として月島君の名前が挙がったからよ」


 また僕の知らない名前が出てきた。佐伯先生とはどんな先生なのだろう。男性なのか女性なのかさえ分からない。

 小声で美月先輩に尋ねてみたところ、「佐伯先生は美術科のダンディな先生だよ」と返ってきた。でも、そのダンディが僕を怪しんでいる理由は分からない。


「僕は佐伯先生とも面識がないので、何かの間違いだと思いますけど……」

「――順を追って説明しないと、要領を得ないみたいね」


 先生は少し息を吐いてから、丁寧に続けてくれたのだ。

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