第6話
「――火之上先輩は、邪魔な物を敢えて教室に置いてきたってことですか?」
「さすがだねっ! 理解が早くて助かるよ!」
あのスクールバッグは、大量の書類を教室から部室へ運ぶための容れ物として使われた。だから収納スペースを確保するために、邪魔な教科書等は敢えて教室に置いてこられている。そう考えられる。
そして、その考えが正しいのならば、傘だって教室に置いてくるはずだ。正確に表現すると、邪魔になりそうな傘は教室の傘立てに置いておくはずだ。どうせ下校時には他の物品を回収するために教室へ戻る必要があるのだから、前日に持ち帰り忘れていた傘だとしても部室まで持ってくる必要はない。傘が部室にある時点で、僕の推理は根本から否定されている。
そこまで理解したからこそ、僕は少し考えてから言った。
「……確かに、火之上先輩が邪魔な物を教室に置いてきたのなら、誰かに貸していた傘を返却されたと考えるのが自然ですけど」
傘が部室まで持ち込まれているからには、その傘が火之上先輩の手元に渡ったのは放課後。それも教室から部室までの移動中、もしくは部室に着いた後だったことになる。
そして、傘が火之上先輩の私物であることを踏まえると、誰かに貸していた物を返してもらったと推理するのが一番妥当だと思う。第三者から手渡されない限り、傘立てに置いてあるはずの傘が彼の手に渡ることはない。傘がひとりでに動く訳もない。
素晴らしく鮮やかな推理だ。ただ――。
「それでも、傘を持ってきた人物が生徒会長とは限らないですよね?」
彼女は自慢げにかぶりを振っていた。
「少しずつ考えてみようか。もしも教室の中や教室の近くで傘を渡されたとしたら、それを部室まで持ってきたのは不自然だよねっ! 普通なら受け取らずに、自分のクラスの傘立てに置いておいてって頼むんじゃないかな」
その通りだと思う。
火之上先輩は、教室から部室まで重たいスクールバッグを運んでいた。加えて、スクールバッグは両手で抱えなければならないほどの重量だった。その状態では、傘を持ち運ぶなんて困難だっただろう。
だから、教室の近くで傘を渡されたのなら、傘立てか机の上にでも置いておいてくれと頼む方が合理的だ。
「つまり、そう頼むことが忍びないくらいに教室から離れた場所で傘を返された。あるいは部室に到着した後、傘を返すために誰かが部室を訪ねてきた。そのどちらかって考えられるよねっ」
いずれにしても、傘を返されたのは部室の近くということになる。具体的な場所までは分からないけれど、それがどこであったとしても不自然な話だ。
美月先輩は続けてくれた。
「次は、傘を借りていた人物の立場で考えてみるよっ。傘を返したいのなら、相手の教室まで行って本人に手渡すのが一番手っ取り早い。だから、放課後になってから傘を返したのは不自然だよねっ」
そう。放課後になって火之上先輩が教室から離れてしまうと、その人は彼を探し回る羽目になる。傘を返しそびれる可能性すらある。それらを考慮すると、放課後に部室の周辺で傘を返されたというのは不自然なのだ。
普通なら、朝一番か授業合間の休憩時間にでも教室を訪ねて返すところだろう。
しかしながら、チッチッチッと人差し指を左右に振る美月先輩。
「でも、そこに合理的な考えがあったとしたら、それは不自然じゃなくなるよ。――その人は、わざわざ二年生の教室まで行かなくても良かった。二年生の教室まで行かなくても、部活の時間帯になれば火之上くんに会えると確信していた。傘を返すのはその時でいいやって考えていた。それなら筋が通るよねっ」
「――だから生徒会長ってことですか……」
「そういうことっ! 火之上くんから傘を借りていた人物は、放課後になれば部室棟へ行く用事があった。そのついでに新聞部の部室に寄って、傘を返すつもりだった」
「傘を返された場所が部室の近くだったという推理も、結局はそこに繋がってくる訳ですね」
「そうだねっ! 基本的に、部室棟に来るのは文化系の部活に所属している生徒だけ。でも、その部員たちはビラ配り中だから候補から外れる。文化部以外で部室棟に用事がある人と言えば、――生徒会長くらいだよねっ」
放課後。火之上先輩がスクールバッグを抱え、教室から部室へと移動していた時間帯。新聞部以外の文化系部活動は、ビラ配りのために校門や昇降口へ向かっていたはずだ。下校する一年生の先回りをする必要があるのだから、一旦部室に寄るようなこともなかっただろう。文化部以外で部室棟に用事がありそうなのは、稀に物置き部屋へ古い資料を取りに来るという生徒会長だけ。そういう筋書きらしい。
それでも――。
「理解はできますけど、美月先輩の言葉を借りるなら限定が取れていないような気がします。生徒会長ではなく、文化部の見学に来た一年生が傘を持ってきたという可能性もあるはずです」
「えーっ。部活見学が始まるのは、上級生のビラ配りが終わった後だよ」
「それを知らず、放課後すぐに部室棟へ来た一年生がいたのかもしれません」
彼女は、火之上先輩の方を見てから口を開く。
「普通ならそうかもね。でも、ざんねん。これは推理クイズだよっ。そういうイレギュラーな真実が答えなら、それに辿り着くためのヒントが提示されているはずだよね。それっぽいヒントなんてあったかな?」
「……それは――、ありませんでした」
『急な雨に備えて傘を持っている』という推理を僕が排除したのと同じ理屈だ。あらゆるイレギュラーについても、その理屈で方がつく。
これは推理クイズ。傘を返した人物が生徒会長でなければ、そのあたりを確定させ得る手掛かりが火之上先輩から提示されていたはずなのだ。
その後、「あくまでも私の推理だから、決定的な証拠はないんだけどねっ」と謙遜が付け加えられていたのだけれど、彼女の推理力は本物だと思った。僕の完敗だと思った。
その答え自体には、僕でも時間を掛ければ辿り着けたのかも知れない。でも、あの短時間でそこまで深く思考を巡らせるなんて僕には不可能な芸当だ。彼女が名探偵と呼ばれる理由が少しは掴めたような気がする。
「どうだ。美月の凄さが分かったか?」
火之上先輩が満足そうな表情で傘の石突きあたりを持ち、手元の部分で僕の肩をポンポンと叩いてきた。さほど痛くはないのだけれど、煽られているようで少し鬱陶しい。
だから僕は、その傘を乱暴に払いのけてから答える。
「正直、驚きました」
「それじゃあ、美月の致命的な欠陥にも気付いたよな」
「……それって、最初のアレのことですか?」
彼女が見事な推論を披露したことは間違いない。でも、その前に肩を落としたくなるような暴論を放っていたことも事実だ。
火之上先輩もゆっくりと頷いている。
「美月は圧倒的と言える程の推理力と洞察力を持っている。ただし、観察力がバカみたいに低い」
「致命的じゃないですか」
観察力とは、目の前の物体や現象から情報を読み取る能力。広義では、見聞きした物事から詳細な情報を得る力のこと。
要するに、些細な物事に違和感を覚える人間や、物事の細かな変化に素早く気付ける人間は観察力が高い。自慢にはならないのだけれど、僕がまさにそのタイプだ。幼少期から目敏い奴だと言われ続けてきたから、観察力には僅かばかりの自負がある。
ミステリを題材とした小説やドラマでは、探偵役が『何かがおかしい』、『何かが引っ掛かる』と言いながら考えを巡らせるシーンが定番だ。しかし、それは探偵役に観察力があるからこそ発生しているイベントなのだ。
ミステリ作品の探偵役足りうるキャラクターは、その卓絶した観察力で不自然な物事を無意識のうちに見つけ出している。だからこそ、名探偵として手掛かりを見つけ、推理に繋げることができる。
つまるところ、観察力とは推理に必要な手掛かりを感知するセンサーのようなもので、探偵役――それも名探偵役には必須とも呼べるスキル。だから、どれだけ推理が達者でも、
「宝の持ち腐れですね」
「本当に困ったもんだ。今のクイズでも俺の話を注意深く聞いてなかったから、それが推理クイズだという事を指摘されるまで理解していなかった。月島がいなければ、鞄の中の違和感にも美月は気付けなかっただろうな」
「観察力と言うより、読解力の問題のような気もしますけど……」
彼から飛び出すのは苦笑いだ。
「読解力も観察力の一種みたいなもんだ。今の美月の観察力は幼稚園生以下。世界一の馬鹿と言っても過言じゃない」
「でも、音楽室ではそんなふうに見えませんでした。入部テストの解説をしたとき、美月先輩は僕の話をしっかりと理解してくれましたよ」
音楽室での美月先輩は、入部テストの要点を正確に把握していたような気がする。観察力、延いては読解力が皆無というようには見えなかった。
「これがまた困ったことに、普段はしっかりしてるんだ。自分が謎を解く時だけ、観察力がバカになるらしい」
「何ですか、その特異体質」
「緊張でもしてるのかもな」
「いや、緊張とかのレベルじゃ――」
なにか言えないことでもあるのか、火之上先輩は僕の言葉に被せて次の声を発そうとしている。僕は謎解きが【嫌い】だ。隠そうというなら気にはしないけれど、その不自然さが目に余る。
「とにかく、美月が難事件をビシッと解決してくれないと、俺はコンクールに出す記事が書けない。そこで、月島の出番ってわけだ」
唐突に出てきた僕の出番。
「お前の観察力を見込んで頼みたい。美月の助手として働いてほしい。事件現場に同行して、そこで見た事や聞いた事、感じた事、それら全てを美月に伝えてやってほしい。十分な情報を与えてやれば、美月は必ず謎を解決できる。それだけの才能がある」
お前にセンサーとしての役割を任せると、彼はそう仰っているのだ。僕は美月先輩の才能に敬意を抱いてしまったからこそ、それを活かしきれない彼女を不便だと思う。
ただ、それでも即座に断った。
「すみません。僕は、年上との接点をなくして平穏に過ごしたいんです」
「なんだそれ。お前、やばいタイプのロリコンか?」
「ロリコンじゃないです。年上が嫌いなだけです」
「放課後の楽しい部活という時間を、
照れてないし、遠慮もしていない。
新聞部ということは、取材等で部員以外の先輩方とも何かしらの接点を持つことになるかもしれない。そうなると、僕にはそれが耐えられない。美月先輩がどうこうというよりは、僕が年長者の助手を務めるという構図に耐えられない。
更なる文句を言いかけていると、火之上先輩の制服からポップな電子音が鳴っていた。それは聞き慣れたSNSアプリの通知音で間違いないと思うけれど、この高校では校内へのスマートフォンの持ち込みは禁止されているはずだ。
「……スマホなんて持ってきて大丈夫なんですか?」
「おう。教師に見つからなければ大丈夫だ。もし見つかれば大目玉。没収と反省文のダブルパンチで内申点にも響く。でも、暴かれない罪は罪にはならない」
「犯罪者みたいな言い訳ですね」
新聞部部長の発言とは思えなかった。否、新聞部部長だからこその発言だろうか。
その後、火之上先輩は制服の内ポケットから堂々とスマホを取り出していた。そうしてスクリーンを確認すると、何故か大声で笑い始めた。
「月島! 面白い事になってきたぞ! でも、ロリコンにしては趣味が違うな!」
「はい?」
「盗撮の容疑がかけられているそうだ」
「は? えっと、何の話ですか?」
突然すぎて、話についていけない。訳が分からない。
「特別棟一階にある女子バレー部の更衣室で、盗撮犯が目撃されたらしい。そして、その容疑者は一年一組の月島陽太。つまり、お前らしいんだ。そろそろ呼び出しがかかるぞ」
深く話を聞いてみると、彼は信頼できる情報筋からの報告を受けたと話してくれた。新聞のネタになりそうな出来事があれば報告するよう、ある生徒を情報源として従えているらしい。そして、その報告の内容というのが、僕に盗撮の疑いがかけられているというものらしいのだ。当然ながら、そんな与太話を信じられるはずがない。
――ただ、天井に設置されたスピーカーからは、小さな雑音が聞こえ始めていた。
馴染みのあるアナウンス音が流れた後、教師らしき女性の声。
『一年一組、月島陽太。至急、生徒指導室に来なさい。繰り返す。一年一組、月島陽太。至急、生徒指導室に来なさい』
「ほらな」
ほらな、じゃない。
「何で僕が呼び出されるんですか!」
「さぁな。詳しい事情は生徒指導室に行ってみないと分からない。盗撮は別にいいと思うが、バレないようにやるべきだったな」
「バレるもなにも、僕は盗撮なんてやってません!」
盗撮なんて馬鹿げてる。ただの卑劣な犯罪だ。何かの間違いに決まっている。
「まあまあ。ここで話していても時間の無駄だ。早く生徒指導室に行った方がいい。美月、俺たちも月島と一緒に行くぞ」
火之上先輩が美月先輩を唆したせいで、僕の腕は再び彼女に掴まれてしまった。僕を生徒指導室まで誘導して下さるという意味らしい。
でも、正直に言って迷惑だ。この二人と連れ立って生徒指導室なんて物騒な名前の部屋に行こうものなら、何かと面倒な事案に巻き込まれそうだ。
「どうして先輩たちまで来るんですか! 冷やかしならやめてくださいよ!」
「冷やかしなんて、そんな冷たいこと言うなよ。校内で起きた盗撮事件なら、この上なく良いネタになる」
「記事にするつもりじゃないですか!」
彼らは面白がっているとしか思えない。この状況を楽しんでいるとしか思えない。
僕は抵抗さえ許されないほど強引に、その部室から引っ張り出されてしまったのだ。
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