第5話

「僕は謎解きなんてしませんよ」

「いちいち面倒な奴だな。勘違いすんな。お前はただの当て馬だ。こっちもお前には期待してない」


 彼が僕のことを『当て馬』と呼ぶからには、その言葉通りに正しい答えを導くことなんて期待されていないらしい。僕が的外れな答えを出した後で、美月先輩が華麗な推理を披露して格の違いを見せつける。そういう筋書きなのだろう。

 つまるところ、僕が『それっぽい答え』を言いさえすれば、火之上先輩は満足してくれるはずだ。無益な言い争いで時間を浪費するより、適当な答えを出してしまった方が楽な気がする。正解を求められない謎解きほど簡単なものは無いし、そんなものは謎解きと呼べる代物ですらない。


「ちなみに、濡れた傘は昇降口にある自動傘袋装着機ってやつでビニール製の傘袋に包んで、自分の教室まで持って上がることになっている」

「――それはヒントですか?」


 不自然なタイミングで声を付け加えた火之先輩に対して、僕は反射的に質問を返していた。我ながらそれがあまりにも不本意で顔をしかめていると、彼はとぼけたような表情で言った。


「さぁ、どうだろうな。ただ、傘を使って登校した時は、必ずその傘を傘袋で包んでから教室の傘立てに置かなればならない。それが枢木高校の校則だ。ほら、さっさと答えを考えろ」

「……分かりましたよ。あくまでも、仕方なく適当に考えるだけですからね」


 これは推理クイズ。濡れていない傘。今日は晴天。つまり、あの傘が使われた、若しくは使う予定なのは今日ではない。そして、今日は晴れているけれど、昨日の朝から昼過ぎまでは大雨が降っていたはずだ。夜になってからも再び降り出した覚えがあるけれど、夜のことまでは考えなくていいだろう。

 使った雨傘は教室内に設置された傘立てに置く。それが枢木高校の校則。

 ――一つ、気になることがある。ただ、それは傘ではなく、火之上先輩が引っ張り出してきたスクールバッグの方だ。傘に関する謎解きであるのならば、わざわざスクールバッグまで持ち出してくる必要はない。つまり、スクールバッグは何かしらのヒントだと思う。

 だから、許可を貰ってからスクールバッグのファスナーを開いてみたのだけれど、中には予想通りに大量の書類が入っていた。底の方まで確認しても、書類やら写真やらがパンパンに詰められているだけだった。その他には何も入っていない。

 書類を一枚抜き取って目を通せば、『枢木高校に存在する恋愛のジンクス(食堂、体育祭)について取材予定』と書いてあった。この書類と写真は、新聞部で使う資料ということなのだろう。


「火之上先輩は家で勉強をしないタイプですか?」

「普通にする。自慢じゃないが、これでも成績は良い方だ」

「それなら、今日も家に帰ってから宿題をしますか?」

「もちろんだ」


 おかしなことを聞く奴だと思われたかもしれない。でも、僕の違和感を解消するのには必要なことだ。


「――では、忘れ物が多い方ですか?」


 彼は口元を緩めていた。


「どちらかと言うと多いかもな。見ての通り、新聞部なんてやってると資料やら何やらで鞄がごちゃごちゃになる。そのせいで、鞄の中に何が入ってるのか分からなくなる。家や学校に教科書を置き忘れることもしょっちゅうだ」

「なるほど。だったら、晴れの日に傘を持ってる理由は簡単ですね」


 僕には一つの結論が導き出せた。

 火之上先輩が家や学校に物を置き忘れやすいたちだと聞けた時点で、これは何てことのない問題だ。火之上先輩自身も、それを見越した上で教科書に言及したのではなかろうか。


「昨日の下校時、火之上先輩はその傘を傘立てに置き忘れてしまった。だから、今日になって持って帰る羽目になった。傘を持っているのは、それが昨日の放課後に持ち帰り忘れていた傘だからではないでしょうか」

「その答えでいいのか?」

「はい。割りと自信があります」


 帰り際に雨が降っていないせいで傘を置き忘れる。それは、誰しもが一同は経験したことのある些細な失敗だと思う。ありふれているからこそ、火之上先輩が同様の失敗を犯していても不思議ではない。少し短絡的な気もするけれど、この短時間では他の回答は思い付かない。わざわざ熟考し直す意味はないし、僕にはそんな義理もない。

 それっぽい答えを出してやるつもりが、正解を出してしまったと焦ってしまう。それくらいには筋の通った答えのはずだ。

 ただ、試すような問いが飛んで来た。


「俺が用心深い性格で、急な雨に備えて傘を持ち歩いている、とは考えなかったのか?」

「それは考えませんでした。この問題は推理クイズなので、『急な雨に備えて』という答えは論外です」

「どうしてそうなる?」

「答えがそこまで主観的なものであれば、火之上先輩が推理のクイズとして出題するはずがありません。それらは火之上先輩の匙加減によるもので、僕たちには推理のしようがありませんから。それに、雨に備えて持ち歩くなら折り畳み傘でも十分なはずです」


 火之上先輩は校庭に集まっている入部希望者たちのことを、『俺が考え付く程度の簡単なミスリードに引っ掛かるような奴ら』と呼んでいた。つまり、あの入部テストを考えたのは火之上先輩とみて間違いない。そして、あの入部テストを作れたのなら、彼はある程度の論理的な謎を考えられる人物だということになる。

 そんな人が『急な雨に備えて傘を持ち歩いている』なんて、身も蓋も無い愚問を推理クイズと銘打って出題してくるとは思えない。彼がこれを推理クイズと明言したからには、推理の結果として見えてくるよう理由が答えになるはずなのだ。

 そのあたりまで聞いてくれた火之上先輩は満足したふうに何度も頷いてから、美月先輩の方に重々しく声を向けた。


「美月。お前はどうだ? 解けたか?」

「……うーん」


 なにか見えない物に絡み付かれ、それらを振り払うように頭を振り回す美月先輩。様子がおかしい。苦しんでいるように見える。悲しんでいるようにも見える。奇行と呼んでも差し支え無いほどに不自然な動きだ。

 そして、目尻に滲んだ大粒の涙を拭いとってから、彼女は怯えたように言葉を発したのだ。


「雨が降っても大丈夫なように持ち歩いてるだけ、とか?」



 その愚かすぎる発言に、僕は大袈裟に驚いてしまった。それは、数秒前に僕が否定したばかりの答えだった。

 彼女の推理は、推理と呼ぶに値しない。彼女の言葉には、名探偵の片鱗すら存在しない。曲がりなりにも名探偵と謳われる人間の解答だとは思えなかった。拍子抜けする答えだった。ありえない結論だった。

 そんな彼女を見た火之上先輩には焦ったような様子は無く、いくつかの言葉が付け加えられたのだ。


「念を押しておくが、これは推理クイズだぞ」

「あっ! なーんだ。それなら、雨が降っても大丈夫なようにっていう単純な答えは違うかもしれないね!」


 突然、彼女は水を得た魚のように活力を取り戻していた。


「俺と月島の会話を落ち着いて聞け。それからまた答えを考えてみろ」

「うんっ。頑張るね」


 眉間に皺を寄せた美月先輩の真剣な視線と共に、火之上先輩の声がこちらに向かってくる。


「どうして月島は、俺に忘れ物が多いかを確認したんだ?」

「それは……。火之上先輩の無駄に重たいスクールバッグには書類が詰まっているだけで、教科書やノートの類いが一切入ってなかったからです」


 スクールバッグは書類や写真で溢れていた。そして、それ以外には特に何も入っていなかった。あれは不自然なのだ。

 

「普通、鞄には教科書やノートなんかが入っているはずです。自宅で宿題をする予定なら尚更、それらを持ち帰る必要があります」


 今は放課後。火之上先輩がスクールバッグを部室まで持ってきていることから、彼は部活の終了後にはそのまま帰宅するつもりだと推測できる。それなのに教科書類がスクールバッグに入っていないとなると、彼はそれらを教室に置き忘れてきた可能性がある。だからこそ、僕は火之上先輩のことを忘れ物の多い人なのではないかと考えた。そして、彼が忘れ物の多い人ならば、傘も昨日の下校時に持ち帰り忘れていた物なのではないかと考えた。


「書類や写真でいっぱい……。教科書やノートは入っていない……。重たい鞄……。そこに傘……」


 僕の発言を反復するようにブツブツと呟く美月先輩。

 直後、彼女はこれまで以上に明るい声を発した。


「わかっちゃった!」


 何か重大な事実に気付いたような、何らかの壮大な真実に辿り着いたような、そんな雰囲気の声だった。

 弾けるような笑顔で彼女は言う。


「晴れの日に傘を持っている理由は、それが返却された傘だからっ! 放課後すぐ、教室からこの部室に向かっている途中に誰かと会って、もしくは誰かが部室を訪ねてきて、その人から傘を返してもらったから!」

「その誰かってのは?」

「――えーと、生徒会長っ」

「正解」

「やったぁ!」


 あまりにも突然で、紛いなりにも驚いて、僕は声をあげていた。


「ちょっと待って下さい。今のが答えなんですか?」

「おう。月島は間違いで、美月の推理が正しい。生徒会長に貸していた傘を、数分前に返してもらった。だから、俺は晴れの日なのに傘を持っていた」


 ――火之上先輩は生徒会長に傘を貸していた。そして生徒会長と会い、その傘を返してもらった。

 それが正しい理由だとしても、与えられた少ない情報からでは、『昨日使った後に持ち帰り忘れていた傘』という可能性も十分に考えられるはずだ。生徒会長なんて無関係な人物も出てこないはずだ。これが推理だとしたら、流石に飛躍し過ぎている。彼女は初めから答えを知っていたのではなかろうか。

 そんな具合に首を捻っていると、美月先輩は全てを見透かしたような顔で推論を披露してくれたのだ。


「その傘が持ち帰り忘れていた物だとしたら、部室に持ってきてるのは変だよね」

「変? どこも変ではないと思いますけど……」

「変だよ! だって、邪魔になるもんっ」


 邪魔になるとは突飛な言葉だ。


「邪魔って、どういう意味ですか?」

「そのままの意味っ! 陽太くんが気付いてくれた通り、スクールバッグには書類と写真しか入ってない。でも、普通なら他にも色々な物が入ってるはずだね?」

「それは個人差があると思います」


 彼女は笑っていた。


「ふふ。そうだね。鞄の中に何が入っているかは、その人の趣向にもよると思う。でも、似たような生活リズムで学校に通ってる高校生なら、ある程度は似たようなラインナップになるとも思う。例えば、陽太くんも言ってた教科書とノート。あとは日によって体操服に水筒。食べ終わったお弁当箱とか!」


 そこまで聞いて、僕は瑛人との会話を思い出した。昼休みに瑛人が二年生の教室を訪ねたとき、新聞部の部長が忙しそうに弁当を食べていたという話だ。

 その新聞部の部長というのは、間違いなく火之上先輩のこと。つまり、火之上先輩は空になった弁当箱を持っていないとおかしい。こうして思い出せるのに、僕はどうしてそれを無視していたのだろう。

 体操服や水筒については知らない。でも、その点はあまり重要ではない。鞄に入っていないからには、教科書やノートだけでなく、弁当箱を含めた全ての物品を教室に置き忘れてきたことになってしまう。忘れ物が多いとしても、流石にそれは度を超えている。あまりにも無理がある。彼女はそう言っているのだ。

 そして、その主張が正しいと仮定するなら――。

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