第4話
「大正解っ! 君は最高に最高で最高だねっ!」
「……なんか日本語がバグってますよ」
僕が話を終えた後、美月先輩はこちら側へと足を大きく踏み出してきた。僕の目と鼻の先で、絵に描いたような美少女が上目遣いで声を弾ませている。何とも不思議な状況だ。好感度の押し売りがすごい。
「陽太くん。私は感動しました。――君を、私の助手に任命しますっ! 名探偵を助けるのが助手の仕事だからねっ! 頑張ってね!」
「……はい?」
これは、話が変な方向へ進み始めている気がする。
口で説明するより早いとでも言うかのように、その悪い予感からコンマ数秒後には僕の手が力強く引かれていた。
音楽室から連れ出されて廊下を駆け抜け、バタバタと階段を下っていく。再びお説教をいただく羽目になるのではと身構えていたのだけれど、例のオールバックは既に階段からいなくなっていた。運の良いことだ。
「美月先輩!? どこに行くんですか!?」
「もちろん部室だよっ! 新聞部の部室!」
そのままの勢いで渡り廊下へ到着し、渡り廊下を渡って特別棟から一般棟へ移動。その一般棟を突っ切って、もう一つの渡り廊下を使って部室棟へ――。
「新聞部の部室は三階だからねっ! 迷わないように覚えておいてね!」
僕はそこからも彼女に手を引かれるまま階段を上り、部室棟三階へと足を踏み入れていた。
視界の先では廊下に沿う形でずらりと部室が並んでいて、それぞれの活動内容を冠した室名札が取り付けてある。将棋部、オセロ部、ボードゲーム部、数学研究部、歴史研究部、占い研究部、天文部、生徒会備品室……。
三階という奥まった場所だから、この階には比較的マイナーな部活が集められているのだろうか。
それにしても――。
「随分と静かですね」
その建物は、不審なくらいに静まり返っていた。これだけの数の部室が立ち並んでいるのだから、騒ぎ声の一つくらいは聞こえてきても良さそうなものだ。
あまりの静けさという違和感から出た僕の小声に、美月先輩は小走りのままで返事をくれた。
「どの部も新入生の勧誘に行ってるからねっ!」
同時に、彼女は近くにあった天文部の部室を左手で示してくれている。正確には、部室の扉を示してくれている。
『新入部員勧誘活動のため、午後四時二十分頃まで不在です。体験入部及び部活動見学をご希望の方は、それ以降に再度お越し下さい』と記された紙が扉に貼ってあったのだ。遠目で確認してみたところ、他の部室にも同様の物が張り出されているらしい。
「陽太くんも、ビラとか粗品とかいっぱいもらってるでしょ?」
「そう言えば、もらってます。しばらくは消しゴムに困らないと思います」
「ふふっ。どこの部も必死なんだよっ!」
詳しく聞いてみたところ、文化系部活動に所属する二年生及び三年生は、放課と同時に校門や昇降口に向かって全力ダッシュを決め込んでいるらしい。漏れなく全員で雪崩れるように走って行くらしい。そして、下校する新一年生を先回りして待ち構え、大量のビラを配ることが四月の恒例行事とも呼べる光景になっているらしい。
ここ数日、僕も大量のビラを押し付けられながら必死の思いで登下校している。先輩という生き物が嫌いな僕にとっては地獄絵図なのだ。妙に大人数でビラ配りをしているものだと思ってはいたのだけれど、まさか文化系部活動に所属する上級生たちが総出で行っていたとは驚きだ。この高校は部活数が多いから、それに比例して新入部員の争奪も激しいのだろうか。
「でもね、
「まあ、新入部員を絞るために入部テストをやってるくらいですもんね」
「うんっ! お陰でビラ配りをしなくて済んだから、私はとっても助かっちゃった!」
突き抜けるような笑顔を見るに、その人気の理由が自分にあるとは微塵も考えていないらしい。
その後、『生徒会備品室』と書かれた部屋の前に差し掛かった頃、彼女は「部室棟って基本的には部室しかなくて、先生たちも滅多に来ないんだけど」と前置きしてから再び口を開いた。
「ここだけは例外で、生徒会の物置きになってるから気を付けてね」
「気を付ける? 何をですか?」
「この備品室は生徒会長が一人で管理してるんだけど、たまに古い資料なんかを探しに来るんだよっ。その時に部室で騒いでいると、うるさいって注意されて先生にも報告されちゃうの! 生徒会長が備品室に来てるときだけは、部室で騒ぎ過ぎないように気を付けて!」
「あの……、僕が新聞部に入る前提で話してません?」
「え? そうだけど?」
「待って下さい。僕は別に――」
「はい、到着っ!」
そういう具合で気付いた時には、『新聞部』と書かれた部屋の前に到着していた。そして心の準備をする暇もなく、僕はその部室の中へと押し込まれてしまった。
A二サイズの紙が所狭しと貼られた壁。BGMのように流れる印刷機の稼働音。机に放置されたノートパソコンの上で書類の束が織り成す大小の山々。
僕が目にしたのは、そんな異質な空間だ。
「ねえ、見てっ! 入部テストの合格者を連れてきたよ! 入部してもらってもいいよね?」
美月先輩のそれは、僕に向けられた言葉ではない。その部屋では、一人の気怠げな男子生徒が鎮座していたのだ。
椅子に座った状態でも分かる程に着崩された制服。マットな質感にセットされた黒髪。何処と無く派手やかではあるけれど、知的な雰囲気を纏っているようにも感じられる。緩められた胸元のネクタイは美月先輩と同じ青色。つまり、彼も二年生だ。
書類が作り出した山脈の隙間で頬杖をつき、数枚のプリントに目を通していたその人は、僕たちの方を撫で回すように見てから言った。
「おっ。一年一組の月島陽太か」
「陽太くんには、私の助手になってもらおうと思うっ! いいよね?」
「いいんじゃないか。美月が気に入ったなら俺は反対しない」
その人は僕を見るなり、僕のクラスと名前を完璧に言い当てたのだ。面識はない。初対面のはずだからこそ、途轍もなく気持ちが悪い。
その気持ち悪さを消し去るべく、僕は彼の前まで行って質問を投げつけてやった。
「火之上佐介先輩ですよね? どうして僕のことを知っているんですか?」
「ちょっと待て。なんで俺の名前が分かった? 美月から聞いたのか?」
質問に対して同じ種類の質問を返してくるとは、なんともマイペースな人だ。僕は仕方なしに言った。
「美月先輩は貴方から許可を取るような話し方をされていたので、新聞部での貴方の立場は美月先輩よりも上なんだろうと思いました。美月先輩は副部長だと仰っていたので、必然的に貴方が部長だということになります。入部テストに書かれていた部長のお名前は火之上佐介さんでした
「おー、なるほど」
「僕の質問にも答えて下さい。どうして僕のクラスや名前を知っているんですか?」
「それ聞くのか? 聞いちゃうのか?」
僕が真顔で頷いてみせると、面白くなさそうな表情で言葉が続けられた。
「クラスや名前は個人的に調べていた。俺は新聞部として良い記事を書くために、この学校の全てを把握しておきたい。だから、調べた。調べて覚えた。全校生徒の顔や名前、住所や家族構成、その他諸々の個人情報。その全てを覚えている」
聞き間違いではないだろうけれど、聞き間違いだと信じたい。発言だけならオープンな変態だ。犯罪の匂いがプンプンする。
そもそも、全校生徒の個人情報を全て暗記するなんて不可能に近い。
「流石に冗談ですよね?」
「もちろん冗談だ。全部覚えるなんて無理に決まってんだろ。ふざけんな」
ふざけんなはこっちの台詞だ。この人はマイペースなだけでなく、真面目な話ができないタイプの人らしい。
それから、ふと思い出したかのように手を打つジェスチャーを見せた火之上先輩は、何やら机の下をゴソゴソと漁り始めた。そして、独り言にも近い声量で言った。
「
これは困ったことになった。知らないうちに、困ったことになっていた。
彼が僕に何を伝えようとしているのかは分からない。何を見せようとしているのかも分からない。そんなことはどうだっていい。でも、僕が新聞部に入部する前提で話が進んでいる。僕が美月先輩の助手を務める前提で話が進んでしまっている。それは大きな問題だ。
「待って下さい。僕は新聞部に入るつもりはありません」
「はあ? 入部テストをクリアしたんだろ?」
火之上先輩にしてみれば、至極真っ当な疑問だっただろう。入部テストを解いたくせに入部はしたくないと騒ぎ立てるなんて、我ながら支離滅裂だとは思う。
それでも――。
「すみません。入部テストは友人に頼まれて解いただけです。失礼だとは思いますけど、僕は名探偵とか謎解きとか【嫌い】なんです。だから、入部は遠慮させていただきます」
「なんだ。そんなことなら気にするな。あくまでも探偵役は美月で、お前はその助手だ。お前の好き嫌いは特に関係ない」
平然と言いのけられてしまった。どこまでもマイペースな人だ。僕も人のことは言えない立場なのだけれど、自分勝手と呼んだ方が正しいかもしれない。
「関係ならあります。助手なんてしていたら、僕まで謎解きが好きなように見えてしまいます」
「何だそれ。妙な言い方だな」
指摘されて気付いた。失言だった。ただ、火之上先輩にそれを気にしているような素振りはない。
「とにかく、人助けだと思って
「代わりならいます。大勢の入部希望者が校庭に集まっていました。今なら選び放題だと思います」
『選び放題』なんて不適切な表現かもしれないとは思ったけれど、その他に適当な言い回しが思い付かなかった。瑛人を始めとして新聞部への入部を希望する一年生が多いのは事実なのだから、それを無下にしてまで僕を指名していただく必要は無いと伝えたかった。
ただ、火之上先輩はかぶりを振っていた。
「俺が考え付く程度の簡単なミスリードに引っ掛かるような奴らじゃ、全く話にならないんだよ」
不可思議な言葉だ。
謎解きを好きか嫌いは関係無いという旨の発言があったことから考えると、彼らの求める助手という役割に推理力は必要ない。だったら、入部テストのミスリードに引っ掛かったか否かは無関係に思える。
「話にならないって、どうしてですか?」
「うちの名探偵様に面倒な欠陥があるから――」
瞬時に答えが返ってきたのだけれど、その説明だけでは理解できない。
火之上先輩自身も要領を得ないと思ったらしく、彼は壁際の大きなポスターを顎で示しながら続ける。
「新聞の甲子園とも呼ばれるコンクールがあるんだが、俺はそのコンクールで大賞を獲りたい」
そのポスターには、全日本夏季高校生新聞コンクールと書かれていた。僕はそのコンクールを知らなかったのだけれど、審査員として名門大学の教授や有名新聞社の記者といった肩書きが並んでいるところを見るに、その筋では有名なコンクールなのだろう。
「俺は自分の文章力にも写真の腕にも自信がある。足りないのはネタだけ。要するに、『可愛すぎる女子高生が凶悪事件を解決!』って感じのネタさえあれば優秀賞は間違いない。審査員を務めるエロ親父共の興味を引けるし、事件の内容によっては社会性もバツグンだからな」
「すごい自信ですね」
「俺が書くからには当然だ。ただ、それにはデカい問題がある」
やれやれとでも言うかのように肩をすくめると、彼は机の下から学校指定のスクールバッグを引っ張り出してきた。それはネイビー色のポリエステル製で、スクールバッグと聞けば一番に思い浮かぶくらいには一般的なタイプのはずだ。
火之上先輩は両手を使ってやっとのことで持ち上げていたから、そのスクールバッグには中々の重量があるらしい。机の天板に置かれる際、中からバサっという音がした。大量の紙でも詰め込まれているのだろうか。
「美月の才能を見てほしい。そうすれば、月島にも俺の苦悩が分かるはずだ」
続けて、彼はスクールバッグの隣に黒い雨傘を置いた。
その傘には特に濡れているような様子もなく、曲がったりしている箇所も見られない。手元の部分は木製で艶があり、しっかりとした作りに見える。目立つ汚れや傷等もなく、所謂ふつうの黒い雨傘だ。
「これから推理クイズを出す。美月と月島で、それぞれ答えを考えてみろ」
「はーいっ」
待ってましたと言わんばかりに手を挙げたのは美月先輩。
それから話し始めた火之上先輩の声は妙に仰々しかった。
「この鞄と雨傘は俺の私物だ。念の為に言っておくが、俺はこの他には鞄も傘も持っていない。要するに、普段使いしている傘が他に無い訳だから、これは置き傘じゃない。今日の天気は清々しいくらいの快晴。普通なら傘なんて持ち歩かない。当然、日傘として使う訳でもない。――さあ。俺が晴れの日に傘を持っている理由を推理してみろ」
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