第2話

 騙された気分だ。

 眼前の紙切れを一旦裏返してみる。そして、一呼吸おいてから再び表向きにしてみる。ごしごしと瞼を擦ってから、三度読み返してみる。当然ながら、そこに書かれた文言は何一つとして変わらない。

 新聞部の入部テストというからには、新聞に関するテストが用意されているものだと思い込んでいた。否、本来はそうあるべきで、そう思ってしまうのが普通なのではなかろうか。

 しかし、僕が入部テストを読んだ限り、文章中に示された集合場所とやらに辿り着くことが合格条件とされている。そして、肝心の集合場所はどこにも明記されていないため、その集合場所を読み解くことが実質的な入部テストとなる。つまり、これは入部テストなんて可愛らしいものではなく、単なる【不快】な謎解きとして完結しているのだ。

 それを理解した上で、瑛人の要求も理解した上で、僕は聞かずにはいられなかった。


「この入部テストを僕にどう手伝えと?」

「集合場所を一緒に考えてほしい!」


 以前から『謎解きなんて嫌いだ』と何度か伝えてあるはずなのに、彼はどうして僕に謎を解かせたがるのだろう。これでは意味がない。

 僕が目を背けたところで、瑛人がそうですかと諦めるはずもなく――。

 それどころか両手をスリスリとこすり合わせながら、猫撫で声でゆっくりとこちらへり寄って来る始末だ。


「頼むってぇ! せめてヒントだけでもぉ!」

「嫌だ。気持ち悪い。それと顔が近くて暑苦しい」


 僕は手の平を瑛人に向け、彼の左頬を強めに押し返してやった。

 しかし、彼は更なる手段として交渉材料を用意していたらしく、頬肉の潰れたアホ面のままで何故か自慢げに言うのだ。


「さっき言ってたヨタの理論でいくと、デメリット以上のメリットがあるなら推理をしてもいいってことだよな?」


 痛い所を突かれた。返す言葉が見つからない。だから、素直に応える他なかった。


「そうかもね」

「ヨタがヒントをくれるなら、明日の昼飯は俺が奢る! どうだ! 十分なメリットだろ!」

「明日は土曜日だから学校は休みだよ」

「そうだった。なら、来週の月曜の昼飯を奢る!」

「遠慮しとく」

「なんだよ! 飯だけじゃ足りないってか? 仕方ねえな! 特別に学食の抹茶オレも付けてやる!」


 枢木高校で学食の抹茶オレといえば、その存在が地域中にまで知れ渡っている程に有名なドリンクだ。一日二十杯限定ということもあって、そう簡単にはお目に掛かれない代物。即完売の人気商品だからこそ、彼の本気度が伝わってくる。

 ただ、それでも僕は拒否を示してやった。無言で首を横に振ってみせると、瑛人は不満そうに口を曲げていた。


「いつもながら、何でそこまで頑なに嫌がるんだよ? メリット云々なら奢るって言ってるだろ? それとも、何か他の理由があるのか?」

「別に、他の理由なんてないけど……」

 

 これはまずい。不穏な問いだ。この辺りで折れておかないと、後々面倒になりかねない。背に腹はかえられない。


「頼むって! 今回だけ!」

「――分かったよ。今回だけは折れてあげる。でも学食の抹茶オレって、人気がありすぎて運が良くないと買えないって噂だよ。本当に買える?」


 パァッと明るくなっていく瑛人の表情が面白かった。彼は分厚い胸板を拳で叩き、大袈裟なほどに大きく頷いてみせる。


「任せろ! 約束は絶対に守る。授業をサボってでも買ってくる」

「そこまでされると逆に迷惑だけどね」


 僕は譲歩しただけなのだから、それを認めさせるために念を押しておいた。


「一応言っておくけど、僕は答えまでは教えないよ。僕はヒントを出すだけで、あくまでも答えを考えるのは瑛人。もし間違った答えに辿り着いたとしても、それで僕を恨むのはナシ。それでいい?」

「充分だ!」

「よろしい。月曜日の昼食と抹茶オレは任せたからね。それと、こういうのは本当にこれっきりだからね」

「おう! やっぱり、持つべきものは親友だな!」


 不本意ながら、約束を取り付けてしまったものは仕方がない。僕は改めて入部テストに目を通し、瑛人に語り掛けながら確認していく。


「この入部テストの内容をまとめると、入部希望者は指定の場所に集合しろってことになるよね」

「そうだな」

「でも、集合場所は明記されていない。つまり、文章から集合場所を読み取って、その場所に行けるかっていうのが入部テスト」

「おう!」

「そして、今日が四月十四日だから、集合するのは今日の午後四時五分。帰りのホームルームが午後三時五十五分に終わるってことを踏まえると、教室から集合場所への移動に使える時間は十分じゅっぷんしかない」


 ここまで話したところで、瑛人が真っ当な不満を漏らした。


「当たり前のことしか言ってないよな?」

「そうだね」

「真剣に考えてくれてるんだよな?」

「もちろん。適当にヒントを出して、昼食と抹茶オレを騙し取ろうと思ってるよ」

「おい、どこが真剣なんだよ。騙し取ろうとするな」

 

 面倒に巻き込まれた腹いせとして、僕はおふさげを続行する。


「この入部テストは暗号。暗号であるからには、必ず手掛かりが示されているはずなんだ。万人に解かれる暗号は暗号として成立しないけど、誰にも解かれない暗号も暗号としては成立しない」

「当たり前のことをそれっぽく言ってるだけじゃねえか」

「お目が高い。ついでに言っておくと、答えは確定されなければ答えとして成立しない」

「それも当たり前だな。頼んでる立場で申し訳ないけど、そろそろ手が出そうだ」

「それは勘弁。今から真面目に考えるよ」


 ヒントを出すというのも、案外苦労するものだ。

 素直に考えて、暗号のメインとなるのは『これは入部テストである』から始まる冒頭の四行。その四行が集合場所を示していると考えるのが普通だ。つまり、その四行から集合場所を導く為のヒントとなれば、それ以外の文言ということになる。

 『四月一日』は、文章が書かれた日付だろうか。『火之上佐介』の方は、記載通りに部長の名前と捉えるのが妥当だろう。そこから考えるとすれば――。


「明らかな手掛かりとしては、この辺りの文章だと思うよ」


 残された一文。

 僕は、『集合場所を読み解くには、頭を使うことを推奨する』という文字たちを指でなぞって瑛人に示した。

 しかし、彼は大きく首を傾げている。


「またふざけてるのか?」

「ふざけてないよ。これは本当に真剣なヒント」

「いや、頭を使うなんて当然だろ。頭を使って考えないと、暗号なんて解けるはずがない」

「それはそうだね。でも、頭という単語が別の意味で書かれていると考えたら、一つの答えが見えてくる」


 ヒントの出し方が悪かったのか、瑛人の表情は曇ったままだ。少々難解な言い回しになっていたのかもしれない。

 もう少し噛み砕く必要がありそうだ。


「ここに書かれている『頭』は、入部テストを解く入部希望者の頭脳を指している訳じゃないよ。文中に存在するものを示していると考えれるといい。どう? 何か見えてこない?」

「……そうか! 文章の頭文字!」

「そういうこと」


 頭を使うという言葉を四行それぞれの頭文字を使うと仮定すれば、一つの答えを導くことができる。頭文字だけに注目して順に読むと、四文字の場所が浮かび上がる。

 ――ただ、それではいくつかの違和感が残っている。頭文字だけでは、その違和感を消すことができない。

 つまり、と仮定すれば……。


「――確認しておきたいんだけど、上級生って春休みの間も学校に来てた?」

「部活がある生徒は来てただろうな」

「いや、違くて。部活じゃなくて、春休み中も授業や補講があったのかを知りたい」


 県内一の内野手と言っても過言でないくらいに野球が上手い瑛人は、中学時代から近隣の高校に目を掛けられていた。だからこそ、入学式前の春休みにはひと足早く練習に参加するようにと、枢木高校野球部の監督から命を受けていたそうなのだ。強豪校の誘いもあったというのに、中途半端な強さを誇る枢木高校を選んだところが臍曲がりな彼らしい。春休みを潰してまで練習に明け暮れていたくらいなのだから、春休み中の枢木高校の様子については瑛人に聞くのが手っ取り早い。

 ただ、『授業なんて入部テストとは関係ないだろ』とでも思っているらしく、彼は不思議そうな表情で言った。

 

「新三年生だけは、春休み中も登校して受験対策の補講を受けてたみたいぞ。野球部の先輩が大変だって愚痴ってた。練習にも午後からしか参加してなかったな」

「それなら、新学期のクラス分けも春休み中には発表されてたってこと?」

「いや、それは始業式の日だな。先輩たちがクラス分けの話で盛り上がってたから間違いない。三年はほとんど変わり映えしないけど、文系と理系に別れる二年はクラス分けが一大イベントなんだとさ」

「その始業式っていつ?」

「確か……、入学式の前の日だったな」


 僕たち一年生の入学式は、今日からちょうど一週間前。瑛人の記憶が正しいと仮定するなら、二年生と三年生の始業式は八日前ということになる。

 ――つまり、新聞部の部長さんは随分と意地が悪いことになる。そこから一つの答えが導き出せる。


「それで? 始業式が暗号と関係あるのか?」

「直接的な関係は無いよ。ただの素朴な疑問だから」

「何だそれ」

「そんなことより、もう一つヒントが――」

「――いや、もう大丈夫だ! さっきのヒントをもらったら、流石の俺でも解けたからな!」


 追加のヒントを差し出そうとした僕の声は、満足げな瑛人によって断ち切られてしまった。相変わらずの早とちり。彼の悪い癖。――否、いつも通りの悪い癖と言うには少し強引すぎる気もする。

 僕が頭に疑問符を浮かべていると、タイミングが良いのか悪いのか、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り始めた。そして、それを聞いた瑛人は入部テストの問題用紙を四つ折りにして、制服のポケットへと乱雑にねじ込んでしまった。

 答えが分かった以上、その紙について考える必要は無いといった具合なのだろうか。彼の中では、その暗号は既に解読できたという認識なのだろうか。


「親切心で聞くけど、本当に解けた?」

「もちろんだ!」

「もうヒントは出さなくて大丈夫?」

「おう!」


 返ってくるのは、眩しいくらいの笑みのみ。彼が答えに辿り着いたと主張するのなら、正誤を問わずに僕は用済みなのだろう。中途半端ではあるけれど、任務完了ということになる。

 ただ、彼がミスリードに引っ掛かることをみすみす見逃していいものか。そこが良心の呵責に苛まれる。そもそもとして、僕の答えが正しいという保証もない。だからこそ、久しぶりにモヤモヤする。答えは確定されなければ答えとして成立しない。真相を知る人物から正解だと明言されるまでは、どれだけ正しく思える回答も正しい答えではない。ただの自己満足に過ぎない。

 僕は、【謎解きと同じくらい】年長者が嫌いだ。先輩が嫌いだ。年齢がほんの少し上というだけで可笑しなプライドを持つ、たかが数年に生まれただけのが大嫌いだ。

 でも、あの性格の悪い入部テストを作った人がどんな輩なのか、後学のために一目だけでも見ておきたいと思った。

 ――別に、僕の辿り着いた答えが合っているのか確認したいだとか、どういった過程であの問題を閃いたのか知りたいだとか、そんな理由ではない。

 そういうことにしておこうと、そう思ったのだ。

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