【僕は謎を解かない】
鳳山葵
第一章:これは入部テストである
第1話
例えば、君が人を殺したとする。
その犯行には巧妙なトリックを用いてあるから、有象無象の陳腐な捜査が真相に辿り着くことはない。つまるところ、その状況なら君は絶対に捕まらない。
ただ、その場に名探偵が出張ってきて、厄介なことに犯人探しを始めたとしたらどうだろう。名探偵というものは規格外に優秀だと相場が決まっているのだから、君の用意した秀逸なトリックすら見破られてしまうかもしれないよね。平たく言えば絶体絶命。剣が峰。
しかしながら、そんな絶望的状況にあっても、殺人犯である君には特権とも呼ぶべき素晴らしい自己防衛策が残されている。
――簡単だよ。真相が露呈する前に、その名探偵を殺してしまえばいい。
勘違いしないでほしいのだけれど、僕は殺人を勧めている訳ではないよ。僕が言いたいのは、保身のために名探偵を
要するに、僕は推理も名探偵も馬鹿馬鹿しくて【大嫌い】なんだ。誰かが隠した真実なんて、強引に解き明かしたところで碌なことにはならないからね――。
昼休みの閑散とした教室で、僕はそんな意味のことを言ってやった。敢えて小難しく言ってやった。
それは旧友の
勉学に、部活に、色恋に、青春という安っぽい言葉が大雑把に当て嵌められるお年頃。『箸が転んでも』という慣用句は流石に大袈裟だとしても、下ろし立ての制服が少々ブカブカなだけでも可笑しいお年頃。
そんなうら若き男子高校生が口火を切ったかと思えば、その内容が「名探偵についてどう思うか」とは、実に不可解ではなかろうか。そんな珍問にも真摯に応えた僕の優しさは、正当に評価されるべきものではなかろうか。
しかし、当の瑛人はあっけらかんとして肩をすくめ、意地の悪い言葉を重ねてきたのだ。
「よく言うぜ。推理小説も名探偵も大好きだったくせに」
僕は返事の代わりにかぶりを振った。強めに振り回してやった。
ただ、その程度の拒絶では止まらないのが瑛人の減らず口だ。
「大好きどころか、『僕は他の人よりも目敏いから探偵に向いてる!』って自慢してただろ」
「そうだっけ?」
「とぼけんなよ。小学生の頃なんか、『将来の夢は名探偵!』とか言ってたぞ」
それを指摘されて思い出したのは、僕が生まれて初めてミステリに触れた日のこと。小学校の寂れた図書室で推理小説を読み漁っていた日々のこと。
あの頃の僕は、限られたヒントから真相を読み解く『推理』という行為に対して、魔法にも近い浪漫と感動を覚えていた。そして、素直に格好良いと思っていた。僕の中に名探偵への憧憬が深く根付いていたことに関しては、誤魔化しようのない事実なのだ。
――それでも、謎は謎のままでいい。謎のままであればいい。この世界は知らない方が良いことで溢れている。自分の身が危機に晒されるくらいなら、傍観者に徹する方がいい。
些細な出来事を切っ掛けに、僕はその事実に気が付いた。気が付いてしまったから、名探偵なんかに憧れることをやめたんだ。そうでないといけないんだ。だから、言ってやったんだ。
「昔は好きだったかもね。でも、今は嫌いになった。それだけの話だよ」
「なんだよ。それって結局……」
呟いた瑛人は椅子から立ち上がり、真剣な表情を作り出す。
そして、僕を説得するような言葉が続けられる。
「ヨタは、中学のアレを引きずってるんだろ?」
「さあ? どうだろうね」
僕の名前――
僅かばりの抗議の意味も含めて溜息を吐いてから、僕は眼前の瑛人を改めて見回した。坊主とまではいかないものの、スポーティーな雰囲気に整えられた黒髪。平均的な僕よりも十センチは高い身長。特技の野球によって鍛え上げられた筋肉質な体格。野球を含めたスポーツ全般からドロップアウトした僕とは対照的な活発さと、異様に高いコミュニケーション能力の持ち主。
そんな彼が持ち込んできた『名探偵について』の他には目新しい話題がなくて、僕も何気なしに質問を返した。
「……それで? 名探偵がどうかした?」
あくまでも暇潰しに、様式美として聞いてみただけだ。わざわざ可笑しな話題を振ってきたくらいだから、彼には何かしら言いたいことがあるのだろうと思ったのだ。それ以上でもそれ以下でも、何か特別な意図があったわけでもない。
ただ、彼は然も
「実は……! 実は……!」
「そういうのいいから」
「――実はこの高校には、名探偵って呼ばれてる先輩がいるらしいんだ!」
「へえ。それは知らなかった」
僕は可能な限り端的に、それでいて無気力に、適当な返事をしたつもりだ。
対して、瑛人の声は独りでに盛り上がっていく。
「めちゃくちゃ賢くて、どんなトラブルも簡単に解決するんだと!」
「ふーん。すごいね」
「しかも、この枢木高校一の美人だってさ!」
重ね重ねになってしまうけれど、僕は推理も名探偵も【嫌い】だ。ついでに加えておくと、先輩という存在も大嫌いだ。『名探偵』の『先輩』という見事なダブルパンチのせいで、美人云々への興味は薄れてしまう。
「あのさ、敢えてもう一度言っておくけど、僕は名探偵なんて馬鹿馬鹿しくて嫌いだよ」
「でも、美人さんならお近づきになりたいだろ?」
「遠慮しとく。興味ない」
これは本心だ。年上に興味はない。
おそらくはそれを理解した上で、瑛人は僕の頭を撫でながら呵呵と笑う。失礼な奴め。
「照れんなって。その美人さんは新聞部らしいんだ。俺たちも新聞部に入ろうぜ」
「当たり前みたいに入ろうぜって言うけど、瑛人はもう野球部に入ってるよね?」
「そこは兼部ってやつだな。折角の高校生活なんだから、全部を全力で楽しまないと損だろ!」
それから彼はオーバースローの要領で腕を回し挙げ、一枚の紙切れを僕の机に叩き付けてきた。
それは、パソコンで作成した文書をプリントアウトした物のように見える。ただ、瑛人の手が重なっているせいで、何について書かれた物なのかは読み取れない。
この紙についても、「これは何?」と僕に尋ねてほしいのだろう。
お望み通りに聞いてあげると、待ってましたと言わんばかりに目を見開く瑛人。
「これ、新聞部がやってる入部テストの問題用紙だってさ! さっき二年の教室まで行って新聞部の部長さんと会ってきたんだけど、入部希望って伝えたら渡されたんだ!」
「そっか。入部テストがあるなんて珍しいね」
「入部希望者が多すぎて、全員は受け入れられないかららしい」
「ふーん。先生か先輩かは知らないけど、それを審査する方も不憫だね。めちゃくちゃ大変そう」
「……そう言われると、確かに大変そうだった。俺が二年の教室に行った時なんか、部長さんが弁当箱を広げたまま入部希望者の対応をしてたくらいだ。あまりにも忙しすぎて、飯を食う時間すら無いって感じに見えた」
僕の方は、『不合格にした入部希望者から逆恨みを買いそう』という意味を込めて大変だと言ったのだけれど、どうにも彼には『忙しくて大変そう』というニュアンスで伝わってしまったらしい。
瑛人は自慢げに続ける。
「その弁当は部長さんの手作りらしくてさ。唐揚げを一つ貰ったんだけど、めちゃくちゃ美味かったぞ!」
「ちょっと待って。新聞部の部長さんって瑛人の知り合い?」
「いや、初対面」
「なにそれ怖っ。普通、初対面の先輩から弁当のおかずを貰うことなんかないよ」
「たまにあるだろ」
「ない」
毎度のことながら、瑛人のコミュニケーション能力には驚かされる。
それにしても、新聞部の部長が昼食の時間を削ってまで入部希望者の対応に当たらなければならないほど、我が校にはジャーナリズムに想いを馳せる正義感に溢れた一年生が多いのだろうか。日本のマスコミ業界は安泰だ。喜ばしい。
――否、瑛人の言動を振り返ってみると、そういう方面の人気ではないだろうと考え直した。
「瑛人と同じ目的なんだろうね」
「うん? 何が?」
「ごめん。他の入部希望者たちの話。美人な名探偵さんとお近づきになりたいのは、瑛人だけじゃないかもってこと」
「あー……。言われてみれば、そりゃそうか」
失礼ながら、比較的マイナーな新聞部に特別な理由もなく大勢の新入生が集まるとは考えにくい。しかし、美人な先輩という思春期丸出しの目的があれば納得もいく。
瑛人は「ライバルが多いなら尚更……」と小さく溢した後、机上の紙から手を離して深々と頭を下げてきた。突然の奇行に走った彼の頭頂部に向けて、僕も反射的に声を漏らしてしまう。
「――なに?」
「俺一人じゃ入部テストに受かるのは無理そうだから、ヨタにも手伝ってほしいんだ!」
「……なんだ。そういうことか」
どうやら彼は、入部テストとやらを僕に手伝わせる魂胆で、名探偵がなんちゃらという無駄話を仕掛けてきていたらしい。
新聞部の入部テストとくれば、『与えられたテーマに沿った新聞記事を書いて提出しろ』といった類いのものだろう。
仮にそうなら、それを少々手伝うくらい何ということはない。僕は割りと筆まめな方だし、部活に所属していないお陰で時間の融通も効く。むしろ、『名探偵について』という回りくどいイントロで時間を浪費されたことの方が迷惑だ。
「たったそれくらいのことなら、最初からそう言ってくれればいいのに――」
僕は胸を撫で下ろして入部テスト用紙に視線を落とし、その内容をじっくりと読み込んだ。
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入部テスト
これは入部テストである。
うら寂しい我が新聞部は、
いくらかでも興味があれば、ぜひとも入部してほしい。
集合日時:四月十四日(金) 午後四時五分
(集合時間に一秒でも遅れた場合、入部は認めない)
集合場所:この入部テストの文章中に示した場所。
【集合場所を読み解くには、頭を使うことを推奨する。
四月一日 】
新聞部部長 二年三組
追伸:必要なのは質のみである。優れた素質を持つ者を新入部員として迎えたい。また、女子には
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